114
浜に戻った枯野たちを待っていたのは、海人たちの大歓迎だった。
海人たちは皆、鎧を脱ぎ、武器をいつもの道具に持ち替えて、働き始めていた。
その夜は、ユラの海の復活と、枯野たちの帰還を祝って、盛大な宴が催されることになった。
海人たちは魚の戻った海に、こぞって舟を出した。
陸に残る者たちも、宴の準備に大忙しだった。
疲れたを連発しながら、ソウビはさっさと社へ帰ってしまった。
夜まで少し眠るつもりらしい。
枯野もいったん社に行ったけれど、再び、浜へと戻ってきた。
「どこへ行くんです?」
後ろから声をかけられて振り返ると、京がにこにこと立っていた。
「あ、っと・・・
遅くなってしまったけれど、山吹様をお迎えに行こうかと。」
「お迎えって、海の底に?」
「もう封印を守る必要もなくなったわけだし。
狐はやっぱり、日の光の当たるところのほうが、居心地いいと思うんだ。」
にこにこと話す枯野に、京は心配するように言った。
「さっき戻ったばっかりなのに、休まなくていいんっすか?」
大丈夫、と枯野は微笑んだ。
「俺は、ソウビさんのような術士ではないし。
からだの疲れは、海にいれば、自然と回復するから。」
「へえ。やっぱり、人魚だからっすかね?」
京は感心したように言いながら、枯野の傍に歩み寄った。
「じゃ、おいらも連れて行ってくださいよ。」
今度は枯野のほうが心配そうな顔をする番だった。
「京殿は休まなくていいのか?」
「おいらも海人っすから。
海にいれば回復するんっすよ。」
そっか、と枯野はにっこり頷いた。
その枯野に、京は念を押すように言った。
「海の底は、陸とは時間の流れが違いますから。
夜までに帰るには、相当、急がないといけませんよ。」
「そっか。
宴に遅れないようにしないとだよね。」
枯野は大真面目に頷いた。
枯野は泳いで行くつもりだったけれど、京は舟を出すと言った。
「山吹様は、舟のほうがいいと思いますけど。」
「確かにそうだね。」
枯野はなるほどと同意する。
「ところで、山吹さんの居場所って分かってるんっすか?」
舟を漕ぎながら、京は尋ねた。
枯野はにこにこと首を振った。
「いやあ、分かってないけど。
ツクモ殿に聞いたら分かるかな、って。」
枯野はそういうと、背負ってきた琴に喚びかけた。
「ツクモ殿。出てきてもらえないかな?」
「ヨンダカ。」
「久しぶりっすね、ツクモちゃん。」
姿を現した付喪神に、京はにこにこと挨拶した。
「山吹様のところへ行きたいのだけれど、案内をお願いできないかな?」
そう頼む枯野に、付喪神はしばらく何やら考えてから、あっさり首を振った。
「ムリジャナ。」
「どうして?」
「モハヤコトノオトガセヌ。
アノコトハコワレテタダノキニモドッタ。
コトノケハイガナケレバワラワニタドルノハムリジャ。」
「なーんと。」
枯野は目を丸くした。
「これは困った。」
「えっ?まさか、他に策はないんっすか?」
京は驚いたように尋ねた。
「いや、そんなことはないけど。
仕方ない、潜ってゆっくり探すとするか。」
「潜って?探すって、海の中を?なんの手掛かりもないのに?
それ、策とは言えませんよね?」
京は呆れた顔になる。
「まあ、行けばなんとかなるんじゃないかなあ?」
にこにこと返す枯野に、京は盛大なため息を吐いた。
「アニキって、見かけによらず、意外と行き当たりばったりな人っすよね?」
あー、はははー、ごめんねー、と枯野は心のこもっていない謝り方をする。
―― ったく、そんなこったろうと思ったぜ。
ほら、忘れ物だよ。
いきなりソウビの声がしたかと思うと、どさり、と風呂敷包みが降ってきた。
見上げると大きな白い鳥が、ばっさばっさと羽ばたいていた。
鳥はソウビの声で喋った。
―― 京、あの岩礁の位置は覚えているな?
幽霊狐の居場所も、おそらくその近くだ。
岩礁のところまで行ったら、その風呂敷包みを落としな。
それが本当にやつの魂なら、持ち主のところへ引き寄せられて行くだろう。
後は、それを追いかけていけばいい。
「なるほど。
あ、痛っ。」
手を打った枯野は、ソウビに念話でこつんと頭を小突かれた。
―― まったく、世話の焼けるやつだ。
俺は妖力使い果たして、眠いんだ。
今度こそ、俺は寝るからな。
昼寝の邪魔をするなよ?
「あ。はい。
すいませんでした。」
鳥にむかって枯野が頭を下げると、鳥は、ふんっ、とソウビのように鼻を鳴らした。
―― 夜には帰ってこいよ。
海の底に長居するんじゃないぞ?いいな?
「あ、それは京殿にも言われてます。
気を付けます。」
枯野が答えると、鳥はもう一度、ふんっ、と鼻を鳴らしてから、どろん、と煙になって消えた。
ソウビに教わった通り、岩礁のところから風呂敷包みを落としてみる。
すると、すいすいと、まるで生き物のように水の底へと進み始めた。
「あ。大変だ。」
慌ててふたりは海に飛び込むと、包みを追って泳ぎだした。
しかし、包みは物凄い速さで進んでいく。
枯野はなんとかついて行けたけれど、京は置いて行かれそうになった。
すると、枯野は、京の両脇のところをひょいと抱えて、そのまま泳ぎだした。
京は抗議しようとしたものの、このままでは置いて行かれると、大人しく抱えられて行くことにした。
それにしても、枯野は素晴らしい速さで泳ぐ。
こんなふうに流れていく水中の景色を、京は初めて見た。
思わず心を奪われて、それに魅入ってしまう。
枯野のもうひとつの世界はこんな世界なのかと改めて思った。
前に付喪神について行ったとき、京は息の続く限界ぎりぎりにようやく辿り着いた記憶がある。
けれど、枯野に抱えられて泳いだ今回は、ずっと楽に辿り着けた。
洞窟の入口を潜り抜けると、ふたりは、池のなかから、内側の空間に入った。
内側は真っ暗で、人の気配もない。
風呂敷包みは、池の水面にぷかぷかと浮かんでいた。
「ちょっと待って。今、灯りをつけるから。」
枯野はしばらくなにやらごそごそやってから、ひょいと青い灯を手に灯した。
「すまない・・・俺は、どうにも術は・・・」
言い訳をするように呟きながら、ひとつだけの灯を持って、枯野は歩き出した。
京もその枯野についていく。
「ごめんください~、お邪魔します~、山吹様~?」
姿を現さない洞窟の主を大きな声で呼ぶけれど、応えはない。
「・・・おかしいな・・・」
海のなかではあれほどの勢いで進んでいた風呂敷包みも、今はしんと手にぶら下げられている。
「どうしたかな。
山吹様~~~。」
そのとき、ごつん、と枯野はなにかに足をぶつけた。
痛っ、と思わずうずくまる。
なにかとてつもなく固いものに、思い切り脛をぶつけてしまったらしい。
無意識に脛をさするその手に、なにやら、ひんやりとした気配が感じられた。
「山吹様?」
枯野は狐火に送る妖力を最大にした。
ぼっ、と青い火が燃え上がり、その光に照らされて、人が倒れているのが見えた。
「えっ?
山吹様?」
枯野は人影を抱き起こそうとして、すっ、とその手が素通りした。
背中に得も言われぬぞくぞくとした悪寒が走った。
「えっ?
ちょっ?
山吹様?」
駆け寄ろうとした京を枯野は引き止めた。
手を触れないほうがいい、と言うと、京は慌てて手を引っ込めた。
山吹は琴を弾きながらそのまま力尽きたらしい。
琴はすべて弦が切れて、胴もぽっきりとふたつに折れていた。
山吹はその琴の上に被さるように横たわっていた。
枯野はなんとか山吹を目覚めさせようとあれこれ対策を講じてみた。
しかし、からだのない相手に治癒術も浄化術も使えない。
困り果てていると、いきなり京が、ずいっ、と琴を突き出した。
「アニキ、これを弾いてみてください。」
「琴を?
あ、ああ、うん。やってみる。」
他に良策もない。
枯野は言われるままに、琴を弾いた。
ゆらのとの となかにふれる なずの木の
この歌は目の前で倒れているこの人の作ったものだ。
改めてそう思うと、何故だか胸のなかがじんとする。
ずっと長い間、この暗闇で、どんな気持ちでこの歌を歌い続けたのか。
なのに、再び日の光に触れることもなく・・・
そう思うと、ほろほろと涙が零れた。
さやりさやさや
その詞に、ユラの森を思い出す。
瘴毒を一斉に浄化していったなずの木たち。
あの光景はとても悲しくて、けれど、とても有難くて、思わず手を合わせたくなった。
あのときのように、今度はこの歌が、この狐を救ってくれないだろうか。
ずっと、ずっと、闇の中、たったひとりで歌い続けた狐を。
零れた涙は白い粒になってころころと転がった。
それは倒れている狐の上にも降りかかる。
すると、狐の姿が、ぼんやりと光り始めた。
見ていた京は、歓声を上げた。
「アニキ!アニキの涙は、山吹様にも効くんじゃないっすか?」
「あ?うん。」
枯野も思わず喜びかけたけれど、その瞬間、涙は止まってしまった。
京は怪訝そうに振り返った。
「え?アニキ?
もっと泣いてください!」
「え?あ、うん・・・え、っと・・・」
枯野は急いで自分をつねってみたけれど、焦れば焦るほど、涙は出ない。
ふたりしておろおろおたおたしていると、ふぁあ~、と欠伸をするような声が聞こえた。
「あれ?わたしは眠っていたのかな?
おや、これはこれは。お客様だ。
こんな暗いところに、灯りもつけませんで、すみませんね。」
のんびりとそう言ってからだを起こすと、山吹はひょいひょいと狐火を投げた。
「おや?お前様は先日の?確か、京殿とおっしゃったか。
今日はまた、お友だちも連れてきてくださったのですね。
これは嬉しい。」
山吹は枯野にむかってにっこりと微笑んだ。
「これはまた、大きな狐だ。こんな大きな狐は見たことがない。立派な狐だ。」
感心したようにそう何度も繰り返すと、丁寧に頭を下げた。
「山吹と申します。ここで琴を弾いております。
京殿とは先日来、親しくさせていただいております。
お前様は、どちらの・・・」
物腰穏やかに語りだした山吹は、突然、あああーーーっ、と悲鳴を上げた。
「枯野が!
わたしの大事な枯野が!
なんということだ!
まっぷたつじゃないか!
ずっと、長い間、この暗闇のなかで、枯野だけが心の支えになってくれたのに。
その枯野が!
枯野!枯野ーーーっ!!」
そう言って琴の上に泣き伏した。
「そう。あのとき。
たった一本だけ残っていた弦が、突然、切れたかと思うと・・・
力を使い果たしたかのように、胴も毀たれて・・・
けれど、わたしにはもう、枯野を直す力もなくて・・・
枯野、よく頑張ってくれた。
枯野、わたしはお前のことを誇りに思うよ。
枯野、枯野・・・」
「なんかそう、枯野枯野と連呼しながら号泣されると、妙な気分っすね?」
京がこそこそと枯野に耳打ちする。
枯野も、なんとも複雑な表情になった。
「・・・あの。
その琴は、多分もう、役目を果たしたんで、休むことにしたんだと思います。」
山吹を慰めるように枯野は言った。
「海の底で危ない目に遭った時、何度も、その琴の音と、貴方が聞こえました。
それで、何度も何度も、俺は貴方に助けてもらいました。」
え?と山吹は顔を上げた。
その山吹に、枯野はにこっと笑ってみせた。
「俺も、枯野といいます。
お初にお目にかかります。
ええっと、その・・・おじいさま?」
ええっ、と山吹はからだをのけぞらせた。
「なんとなんと!
琴の枯野が壊れたかと思えば、狐の枯野が現れた!
それが、わたしの孫だと?
なんとまあ、なんとまあ。」
そう言ってふらふらと立ち上がると、いきなり枯野に抱きついた。
けれど、その手はすっとすり抜けて、枯野は背筋がぞくりとした。
「うひっ。」
「あ、ああ、すまない。枯野。
そうだった。わたしは幽霊だから、お前様をだっこしてあげられない。
なんとも口惜しいことよ。」
山吹は、よよよよよ、と泣き崩れる。
だっこといっても、体格差から言えば、山吹よりも枯野のほうがよほど大きい。
山吹のほうが枯野にしがみつく子どものような見た目だ。
それでも、枯野はどこか嬉しそうに照れ笑いした。
少し泣いて気が済んだのか、山吹はひょいと起き上がり、枯野の顔をしげしげと下から覗き込んだ。
「どうれ、もっとよく顔を見せておくれ。
なんとなんと、それにしても、立派な狐に育ったものだ。
その瞳の色は、まるで異国の方のようで、とても綺麗だね。
ああ、そうか。枯野というのは、その髪と瞳の色から来ているのだね?
とてもいい名だ。希望の色だ。」
「枯野と名づけたのは、父だそうです。
母は異国の人魚で、父は、海を懐かしむ母のために・・・」
「長話は後っす、アニキ。
そろそろ戻らないと、まずいっす。」
いきなり話しを中断させたのは京だった。
ああ、そうだった、と枯野も思い出した。
「おじいさま、使鬼はもうおりません。
ユラの森の封印も解きました。
だからもう、ここで琴を弾く必要もないのです。
俺たちと一緒に、陸へ帰りましょう。」
ええっ、と山吹は目を丸くした。
それから、悲し気に下を向いた。
「けど、陸に帰っても、わたしは、もう魂を失くしてしまったから・・・」
「それなら、ここにあります。」
京はずいっと風呂敷包みを差し出した。
山吹はまた目を丸くした。
「それは!わたしの魂だ。」
「というわけで、話しは、後っす。
とにかく、急いで帰りましょう。」
急かす京に、山吹も枯野も、うんうんと頷いた。




