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枯野と琴  作者: 村野夜市
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海の上に再び戻った枯野は、そこでのんびりと揺蕩う舟を見つけた。

どんよりと重く垂れこめていた雲は、ぶちぶちと千切れて、その隙間から、幾筋も光が降り注ぐ。

日食は終わって、世界には明るい太陽が戻っていた。


「枯野のアニキ!」


枯野の姿を見つけた京が、大声で呼びながら手を振っている。

枯野が近づいていくと、舟底から、ソウビの声だけ聞こえた。


「蛸野郎は?」


「どこへともなく去りました。」


「へっ。やっぱりとどめはささなかったか。」


呆れたように言うソウビに、枯野は淡々と返した。


「その必要を感じなかったので。

 海はとてつもなく広いですから。」


「大蛸の一匹くらいどっかにいたって、海は変わんねえ、ってか?」


けっ、とソウビは軽く笑った。


「あの蛸野郎、相手がお前さんで命拾いしたね。

 いやそれどころか、お前さん、蛸の命の恩人じゃねえか。

 銛の傷ところか、瘴毒まできれいに治してやったんだから。」


枯野は首を傾げた。


「瘴毒?

 いや、俺の術では、あの大きな蛸を浄化しきることは、とてもとても・・・」


「なに言ってやがる。

 とっておきの万能薬を出してやったくせに。」


「万能薬?」


「気づいてなかったのか?

 お前さんの涙だよ。」


そういえば、と枯野は思い出した。

ぽろぽろぽろぽろと真珠になって転がり落ちた涙のことを。


「あれって、万能薬だったんですか?」


「さあね。俺も昔、聞いたことがあるってだけだけどね。

 人魚の涙ってのは、万能薬になるってね。」


ソウビは面倒くさそうに言ってから、思い直したようにからだを起こして枯野を見た。


「いや、しかし、これは、いいことを知ったかもね。

 どうだい?もう一度ここで、泣いてみてくれないかい?」


にやにやと嬉しそうなソウビに、枯野は困ったように返した。


「・・・すいません、泣けません。」


「一発殴るか、頬でもつねるか、協力してやるけど?」


「多分、ダメだと思います。

 そういつも、真珠になるわけではないような気もしますし。」


「ちぇっ、使えないねえ。」


「すいません。」


舌打ちをしてもう一度寝転がるソウビに、枯野は素直に頭を下げた。

まあいいや、とソウビはため息を返した。


「まったく、敵まで助けちまうなんて、お前さんらしいと言えばお前さんらしいね。

 まあ、余計な殺生をせずに済んだのは、よかったとでも言っておくかな。

 しかし、海人たちには、後で謝るとするか。」


「村のみんなだって、誰も文句言ったりしませんよ。

 あの蛸は、命がけで、海を綺麗にしてくれてたんでしょ?」


あわててそう言ったのは京だった。

何故それを、と尋ねかけて、枯野は思い出した。

ソウビには枯野の心は筒抜けだったはずだ。


「あー、もう、その術は解いたよ。

 そういつまでも心んなか筒抜けじゃ、お前さんも居心地悪かろう。

 俺だって、妖力、消耗し続けになってきついからな。」


もう聞こえていないはずなのに、ソウビは絶妙の間でそう言った。

それから、突然大きな声を出して、舟の底で叫んだ。


「あー、疲れた。

 もー、疲れた。

 俺は、あと、月が一巡りする間は、もう働かねえ。

 絶対に、働かねえからなっ!」


それに苦笑しながら、京がとりなすように言った。


「すいませんねえ。枯野のアニキ。

 こう見えて、ソウビのアニキも、大活躍だったんっすよ。

 暗闇のなか、おいらたちを護りながら、次から次へと、術を繰り出してね。

 光が差してくれば大丈夫だから、それまでなんとか持ちこたえろって、ね。

 あんなふうに励ましてもらえなかったら、おいらも、諦めてたかもしれません。

 なのに、雲が分厚くて、なかなかお天道様の光は降りてこなかったじゃないっすか。

 それで、ソウビのアニキは、光の矢を放って、雲の塊を突き破ったんっす。

 お天道様の光が差し込んだときには、おいらほっとして、涙なんか出てきちまって。

 暗闇に光が差すってのは、こういうことを言うんだって。

 なんか、とてつもなく、嬉しかったんっすよ。」


「そうか。あの光は、ソウビさんのお陰だったんですね?」


枯野は海のなかに突然さしてきた日の光を思い出した。


「俺にとっても、あれは、奇跡のようでした。

 あの光が差した途端に、ユラの森のなずの木たちが、一斉に揺らめいて。

 海をどんどん浄化していったんです。」


枯野はやや興奮気味に語った。


「あの光景はとてもとても綺麗でした。

 森が光って、そこに謡が響いて。

 それはそれは素晴らしかった。」


枯野は琴音を見て、にっこりと微笑んだ。


「あのときの琴音さんの謡のなんと素晴らしかったことか。

 謡がなずの木に力を与えるのが分かりました。

 なずの木だけじゃなくて、この俺にも、力をくれました。」


「お役に立てたのなら、なによりです。」


琴音は嬉しそうに頬を染めて顔を伏せた。


京は額に手を当てて遠くを見はるかすと、嬉し気に告げた。


「そろそろ潮目の変わる頃合いっす。

 どうやら、外海から潮と一緒に魚たちも帰ってきてます。

 ここはまた、豊かな海になりますよ。

 まったく、奇跡みたいっす。」


ふん、と舟底でソウビが鼻を鳴らすのが聞こえた。


「ちょうど日食の時期と重なったのがよかったよな。

 生まれ変わって磐戸から出てござったお天道様の光にゃ、奇跡を起こす力があるんだよ。」


それを聞いていた枯野が、首を傾げた。


「ソウビさん、日食のこと、忘れてた、って言ってましたけど、あれ、嘘ですよね?」


げっ、と舟底から小さな声が聞こえる。

構わずに枯野は言った。


「ソウビさんほどの方が、こんな重要な暦を忘れるはずがない。

 そもそも、決行の日を選んだのもソウビさんだったし。

 わざと日食の日にしたんですよね?」


ソウビは何も答えない。

しかし、それが答えになっていた。

枯野はやや不満気に唸った。


「ソウビさん、よく俺のこと、無謀だって言いますけど。

 ソウビさんだってなかなかの勝負師だと思いますよ。」


「・・・まあ、俺も、今回ばかりは、少々焦ったよ。

 日食のときってのは、予想外なことが起こるもんだ。

 いいほうへ転んでつくづく、よかった。」


ソウビはむっくりと起き上がると、枯野を見てにやりと笑った。


「けど、負けってのはね、どうとでもひっくり返せるもんさ。

 負けないって、決めてさえいればね。

 俺は、勝負師じゃないよ。

 どんなことがあっても、負けないって決めてるからね。」


枯野はそんなソウビにやれやれという笑顔を返した。


 





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