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枯野が無事に戻ったという知らせは、数日前に届いていた。
仕事があって当分この地に戻ることはできないらしいけれど。
それでも、無事元気にやっている。
それが分かっただけでも、心持はずいぶん軽くなった。
ここで待っていれば、必ず、また会える。
そう思えば、うきうきと気持ちも弾むようだった。
相変わらず、見世は忙しい。
最近は椿と山茶花の人気がうなぎ上りで、琴音は、少し、暇だったりもする。
確かにふたりの芸は素晴らしい。
琴音も師と仰いでいるのだから間違いない。
以前は、琴音付の禿としてお座敷に上がったふたりだったけれど。
今はふたりが名指しで座敷に呼ばれるようになった。
手のあいた琴音は、ウバラと一緒に裏方の仕事を手伝うことも増えた。
料理も掃除も洗濯も、少しも嫌ではない。
いやむしろ、表の仕事よりよほど楽しいとすら思う。
老爺に仕込まれて料理の腕もずいぶん上った。
椿と山茶花を最初に名指しで呼んだのは、今や、花野屋の常連となったひとりの客だった。
ちょうど枯野たちが花街を出たのと入れ替わりぐらいの時期に、よく見世に来るようになった客だ。
この客、少し変わっていて、見た目はどう見ても、椿たちと同じくらい。つまり幼い童子だ。
元服もまだ済ませていないような子どもだけれど、その立ち居振る舞いは、子どものそれではない。
目つきも鋭く、大人顔負けの口をきく。
いつも数人の供を連れて現れるが、供の者が見世に上がることはない。
主ひとりを見世に残し、供の者たちは、どこへともなく姿を消す。
そして、主の帰るときにはまた、どこからともなく現れる。
どこかの御曹司か、と最初は思われたけれど、どうやらそれは違うようだった。
供の者たちの主に対する態度は、完全に主を一人前の大人として扱っている。
芸に対する造詣も深く、詩文や謡もよく知っていて、手遊びに楽器も弾いたりする。
どこかの粋な通人のような趣だった。
客は、弥太郎、と名乗った。もちろん、真の名ではないだろうと思われた。
けれど、客の話さないことは追及しないのが花街の不文律だ。
椿と山茶花からは、ヤタ様、と呼ばれていた。
ヤタ様のお気に入りは椿と山茶花で、ほぼ毎回、ふたりを座敷に呼ぶ。
まるで野山を駆けまわっていそうな組み合わせだが、座敷でそんなことはしていない。
椿と山茶花の披露する舞や謡を、ヤタ様はただじっと見ている。
わけもわからずにただ、大人のふりをしているわけではない。
その証拠に、ふたりの舞や謡を的確に批評する。
あまりにもそれが的を射ているものだから、椿も山茶花も悔しがりつつも、言い返せない。
齢五百年の精霊も一目置く、ヤタ様とはそんな客だった。
一度だけ、ヤタ様に連れのあったことがあった。
大きな帽子を被っていて顔はよく見えなかったけれど、奇妙な姿をした異国の人のようであった。
異国の人は、大きな靴を履いたまま座敷に上がろうとして、ヤタ様に叱られていた。
その日ふたりは、椿と山茶花も呼ばずに、なにやら、ふたりだけで話しをしていた。
ふたりとも異国の言葉を遣っていたから、話しの内容は分からない。
ただ、ヤタ様は異国の言葉にも堪能なのかと、皆、感心していた。
帰りしな、見送りに出た琴音を、異国の人はちらっと見て言った。
「ニャるほどぉ。これはこれは、可愛らしい姫君ニャ。」
奇妙な話し方に、琴音は一瞬きょとんとなった。
姫君というのが自分のことだとは気づかなかった。
しっ、とヤタ様に叱られて、異国の人は、なにやら謝っていた。
ふたりが帰ってから、異国の人は、自分を褒めてくれたらしいと、ようやく気づいた。
朝早く、見世の前を掃除するのは、ここに来たときからずっと、琴音の役目だった。
今は見世で働く者も増えたけれど、それはやっぱり、変わらず琴音の仕事だった。
このところ、水も温み、日の出もすっかり早くなった。
朝の仕事もずいぶん、楽になったと思う。
朝一番に、見世の前に届けられる花は、いまだに続いていた。
いったい、誰が届けてくれるのかは、やっぱり分からないままだけれど。
なんとかして、その姿を見よう、見たいとは思うのに。
うんと早起きをして見張っていても、いつも、ふ、と目を離した隙に、花は置いて行かれるのだ。
今朝は籠いっぱいの菜の花が置いてあった。
まだ咲かない固い蕾だ。
明るい黄色の花も綺麗だけれど、咲く前の花は美味しく食べられる。
お浸しにでもしようかなと厨に運ぼうとしたときだった。
目の端に、ふ、と、鮮やかな菜の花の黄色が見えた気がした。
おや?と振り返る。
春の芽吹きのような翡翠色の瞳と目が合った瞬間、花が開くように琴音は微笑んだ。




