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一度だけと心に決めて琴音に会った後、郷に戻った枯野は、まるで魂が抜けたようだった。
自分は、琴音を慰めたくて、少しでもその心を軽くしたくて、行ったのだ。
けれど、胸に縋り付いて泣いた琴音の体温や。
着物に焚きしめられた香の香りや。
髪につけた油の匂いが、脳裏にこびりついて離れない。
そんな自分をひどく汚らわしいものに感じて、いっそ真冬の川で水行でも、と思ったのだが。
この着物の、この胸のあたりに、琴音が・・・
そう思うと、着物も洗えず、それどころか、手を洗うことすらできなかった。
そんな有様で数日、古巣でごろごろと過ごしていたが。
流石に腹が減って、仕方なく、巣穴から抜け出して狩に出た。
郷にいるとき、枯野はいつも狐の姿のままだ。
そのほうが狩をするにも都合がいいし、捕まえた野ネズミはそのまま食べてしまえる。
しかし、いつもは狩にそうそう手こずることはないのに、今日はひどく手こずった。
一日歩き回って、ようやく野ネズミを一匹捕まえると、枯野はふらふらと巣穴に戻ってきた。
すっかり辺りは暗くなっていた。
ようやく巣穴にたどり着いたところで、枯野は、思わず、あんぐりと口を開いてしまった。
その途端、ぼとり、と野ネズミは口から落ちた。
その衝撃で目を覚ました野ネズミは、一目散に逃げて行った。
今夜の食事を逃したことより、枯野にとっては、そこにいた客人のほうが大問題だった。
それは双子のようにそっくりなふたりの童女だった。
一瞬、自分の家を間違えたのかと思った。
枯野の家に客人のあるはずなどなかったからだ。
童女たちは、互いになにか言い合いながら、枯野の巣穴を覗き込んでいた。
留守かのう・・・
お留守ですかねえ・・・
と話しているのがかすかに聞こえた。
「・・・あ。あの・・・。なにか、お探し、ですか?」
思わずそう声をかけると、ふたりは、合わせ鏡のようにそっくりな仕草で振り返った。
「おう!臭い!臭いぞ!
なんちゅう、臭さじゃ!」
「獣臭いです。」
「は?」
ふたりは思い切り鼻をつまむと、ぱたぱたと袖を振り回した。
「おぬし、いつから、風呂に入っておらぬ?」
「清潔感のない男子は、もてませんよ?」
そうかなあ、と枯野は自分のからだの臭いを嗅いだ。
そう臭いとも思わないけれど。
「それより、なんじゃ、わしらはわざわざ変化して訪うておるというのに。
おぬし、その姿は、失礼というものじゃ。」
「わたしたちは、変化しないと外を歩けませんからねえ。」
叱られて、慌てて枯野はぴょんと後ろに一回りした。
すたりと膝をついたのは、人に変化した枯野だった。
「これは、どうも、失礼、しました。
ええっと・・・おふたりは、どちらの・・・」
目の前の童女は、どう見ても、普通の人間ではない。
といって、妖狐、というわけでもなさそうだ。
「わしは、椿。
こっちは、山茶花。
おぬしの使い魔になってやりにきた。」
「よろしくです。」
ふたりはにこにことそう言った。




