-第四話- 鶴岡八幡宮寺の戦い ~中編~
大永六年十一月 鎌倉
相模湾の東奥、三浦半島の付け根に位置する場所に面し、三方を低いが鋭い山々に囲まれた古都。それが鎌倉である。
鎌倉、その歴史は古く、前史時代の頃より集落として栄え、倭建命の東征によって大和政権へと組み込まれたと古の書には書かれる。
また、鎌倉は低山に囲まれた土地であるが故、町を流れる川もほどほどの大きさのものが幾本も海へと流れ込むという立地条件から、住民の水の使用が非常に楽であり、農地を確保できない点にさえ目を瞑れば「拠点」としてこれ以上ない場所である。
そして、この「拠点」として鎌倉の活用を大々的に始めたのが、鎌倉幕府開祖源頼朝の父である源義朝その人である。
義朝は繁栄著しい平家に対抗できる武力・財力を求めて東国に入り、多くの坂東武者を糾合することで源氏勢力を回復させた人物である。
その義朝東国体制は、在地武者を豪族として認め、組織化して己の権勢に取り込み、その司令部を鎌倉において取り纏めるというものであった。
独立した勢力としての鎌倉ではなく、東国に広がる義朝軍団の本拠地としての機能を鎌倉に置いたということだ。
この施政方針は子の頼朝によって全国規模へと拡大され、執権北条氏の治世によって確立されることとなった。
そして今、何の因果か、その源氏の血を確かに引く者たちによって率いられた大船団が鎌倉に攻め込もうとしていた。
「叔父上よ!潮もちょうどよい具合に上げて来たな!ここは一気に攻めるとするぞ!!」
大船団の中にあっても一際巨大な船の縁に立ち、総髪を潮風に靡かせた三十路前後の美丈夫が威勢を発する。
「……殿。ここは慎重に、順番通りゆるりと小船から進めせれば良いのでは?見たところ浜の守兵は手薄。小船の兵から進ませても十分に上陸が叶いましょうぞ」
かたや、慎重論を唱えるのは四十路を超えた白髪交じりの小男である。
「がはっはっは!相変わらず実堯殿は慎重論がお好きですな!ここは殿の申されるよう、一気に上陸してしまいましょうぞ!」
大船団の総大将とその一門、里見家当主義豊とその叔父実堯。不仲とは言われずとも、その容姿の如く、性格がまるでかみ合わない二人の会話に割り込んだのは南総水軍の総大将である岡本通輔である。
元は古河公方方の武将であったが、真里谷武田氏による小弓公方擁立の流れに乗って里見家に近づき、安房に岡本城を建築して岡本の家名を名乗った男である。
「いや、しかしそれでは狭い浜辺に船が入り乱れて混乱する恐れが……!」
「何を申されるか?!小賢しくも鎌倉方は浜に矢盾を立て、藁人形を並べて弓を防ぐ算段のようだが、それだけのようでは御座いませぬか?!あの数の兵では飛んでくる矢の数などたかが知れましょう!むしろ大型の船を矢盾代わりに進ませた方が問題はありますまい!」
通輔は赤銅色に日焼けした体躯を反らし、銅鑼声を響かせて主君の積極策を支持する。
「しかし……」
「叔父上!!総大将は誰ですかな?」
なおも言い募ろうとする実堯を義豊が遮る。
「……無論のこと、殿で御座います」
「そうだ。私が軍の総大将であり、里見家の当主だ。そして岡本は父の代から里見の水軍を束ねる水軍大将……。ここで求められる能力とは叔父上が得意とされる畑の開墾ではないのですよ。軍のことは総大将に、水軍のことは水軍大将にお任せください。叔父上には戦前にお願いした役目。糧食の管理に力を注いでいていただきたい。……よろしいですな?」
「は、ははっ……!」
「うむ!」
義豊は満足そうに大きく頷いた。
「では、全軍に伝えよ!!我が軍は潮の勢いを借り、これより全船団の総力を以って鎌倉に上陸をする!!」
「「ははっ!!」」
「うむうむ、善き哉、善き哉……それで……」
「あっ!!浜より何やら狼煙が出ております!!!」
義豊が軍配を持って決め姿を取ろうとした刹那、高所より鎌倉を目視していた兵から大声の注進が上がった。
「狼煙だと……?」
不満げな表情を隠しもせず、義豊はそう答えた。
……
…………
「ふむ、第一段階は成功のようですな」
誰ともなく由比浜の陣地にて僧は呟いた。
風と潮の流れを事前に読んでいたとはいえ、絶妙の間合いで伊勢水軍が里見水軍に襲い掛かったようであった。
大船、中船、小船が入交り、我先へと浜に向かって動き出したところ、丁度後方より伊勢水軍が里見水軍に襲い掛かる形となったようだ。
伊勢水軍の船も小さくはないが、里見水軍の大船と比べると見劣りする。
乗り込んでいる兵数も段違いであろう。
つまり、伊勢水軍の攻撃する力は弱いということである。
ようは、単純に里見水軍の大船を正面に並び連ねられるだけで、伊勢水軍には何ら有効な攻撃を繰り出せなかったであろうということだ。
だが、現状は船団が入り混じっているために、小船の多くも船団後方、伊勢水軍の眼前に位置しているのだった。
「おおっ!浄明殿!!伊勢水軍も急造の割には役に立っているのではないか?!」
「んっ!うんんっ!……我ら伊勢家には忠勇無双で古来より恐れられている伊豆水軍が居りますからなっ!快元殿!!」
「そ、それは申し訳ない……」
些か軽薄な言動を繰り返すのは僧の同僚、相承院の僧快元である。
「ま、なんと申しましょうか。数が少ないながらにも、お味方の船が敵船を凌駕する勢いで攻め立てているのではありませんかな?」
「……少数で申し訳ござらんかったなっ!」
「い、いや……そのなんと申しましょうか……」
発言の全てが伊勢家の人間の気を逆立てる快元である。
確かに先ほどまでは伊勢水軍が優位に進めていたように見えた。
だが、伊勢水軍が里見水軍に攻撃を開始して四半刻といったところであろうか、初めは戦列の不備もあり、伊勢方が優位に開戦を押し進めていたように見えた海鮮も、時間と共に数に勝る里見軍が落ち着きを取り戻しつつあるようであった。
(水上の戦は火をもって制する。……古来よりの兵法が伝えるところではあるのだが、伊勢水軍には火の準備が足りていなかったのか?あれほどまでに矢を射かけているというのに、ただの一隻も燃えてはおらぬ……。こちらの希望通りに兵を減らすことは出来ていようが、船の数が減らぬでは少々……)
僧はこの数日の無精で伸びてきた顎髭をさすりながら考え込む。
(船の数を減らし、里見軍の行動を制限して柏尾川の渡河をさせない。これがこれから先の玉縄城攻防における一つ重要な部分ではあるのだが……。まぁよい。これからの奮戦次第ではまだまだ芽がある)
ひゅっぅんっ……ばっしゃっーんっ!
「な、何事で?!」「あ、あの水柱は?!」「ぬ??大石だと?!」
沖合より風に乗って届く轟音と大きな水柱が沖合に見える。
「投石器で御座ろう……」
苦々しく伊勢家の武将が呟く。
「投石器!!そのような代物を船に乗せることが出来るのですかな?!なんとも里見家の大船は素晴らしきものですな!!」
「……っ!」
相変わらず冷たい視線を一身に受ける快元である。
「ああ、伊勢家の船が散り散りに……」
「「……っ!!」」
「おほんっ!……快元殿、頃合いでしょう。次の狼煙、赤い狼煙の準備を!」
「お、おおぉ!すぐにでも!!!」
口を開くたびに失言を繰り返し、伊勢家の武将から罵声と冷たい視線を浴び続けていた快元に対し、僧は声をかけてこの場から遠ざける。
決して助け舟を出したつもりではなかろうが、快元はこれ幸いとばかりに後方へと足早に去っていく。
「まったく、あの僧侶はどうにも腹の立つ……」
「はっはっは。そうご立腹なさるな、戸部殿。快元殿も悪気は無いのでござるよ。……そもそもが快元殿は僧侶、このような戦場では気も漫ろとなりましょうな」
「で、ありましょうかな?その一方で浄明殿はさすがの落ち着きぶりですな……」
「……」
僧は静かに指を口に当てる仕草をする。
「あ、ああ。ごほんっ。なんでもござらん。ともあれ赤の狼煙を出した後の行動に移らねばなりませぬな。急ぎ兵を高台へと動かしてまいりましょう!」
「お頼みいたします」
僧の出自は鎌倉との交渉に当たった伊勢長綱を経由して、一部の伊勢家武将には話が広まっていた。
東国伊勢家の初代、伊勢盛時によって族滅の憂き目にあった相模守護三浦家の庶子。
すでに三浦の名に諸将を糾合する力はないが、騙し討ちの形で頼朝公譜代の血脈を滅したという汚点は伊勢家の周囲では消えていない。
相模支配が進み、伊勢家の力が盤石に見えるとはいえ、余計な波風を立てることは避けたいというのが彼らの思惑であった。
故に、僧の立ち位置。
三浦家の庶子ながらも出家を済ませ、伊勢家の戦に知恵と力を貸している存在というのは、「大っぴらにするのは難しいが、決して軽んじることは出来ないもの」と言えた。
「はてさて、今回の策の肝はここからよ。うまいこと行ってくれねば……困ってしまうぞ」
顎髭と同様、不精により毛が生えてしまった頭を一撫でし、僧は沖合を眺め続けた。
嘘か誠か、中世の戦いを記したものには投石器の存在が数多く出てきます。
歴史的には古代中国の時代から使われている代物ですから、そこから千年先の日本で広く使われていたとしてもなんの不思議もありません。里見水軍が投石器を船に装備していたって記述があるぐらいですからね。
ともあれ、これで中編終了です。
今しばらくプロローグにお付き合い願います。<(_ _)>