-第二話- 大永六年十一月その2
大永六年十一月 鎌倉
鶴岡八幡宮寺は小高い丘の上に社殿が築かれ、その背後に森を控え、そこに別当の住まいや家族の屋敷が建てられている。
この僧が先ほど様子伺いに尋ねたあばら屋、その屋敷はまさにそこの一番奥の場所に建てられたものである。
鎌倉が栄えていた頃には、この屋敷群一帯には華美な屋敷が建ち並び、大通りこそないものの、きれいに整備された道が御所や有力者への屋敷へとつながっていたと伝えられている。
だが、今僧が歩いている道は決して「整備された道」とお世辞にも言えるものではなかった。
屋敷からまっすぐに社殿山に下りてくる道筋なのに、である。
現地の者たちからは「恐れ多い」と敬遠され、町の外の者、例えば武士や商人などからは行く意味が存在しないものと認識されているからこその荒れ具合であり、その様はまさに「けものみち」であった。
そんな「けものみち」で獲物を片手に現れた少年と別れを告げ、僧は社殿を目指す。正確には、社殿を過ぎ、大階段脇を抜け、もう一度緩い山道を登る形で己の僧房へと向かっているのだが……。
鶴岡八幡宮寺の僧房、後世にも名高い鶴岡二十五坊の由来として有名ではあるが、僧房の数自体は時代によって多少のばらつきが見えるものであった。
寺そのものが朽ちていた時もあれば、宮寺の権力上その存在が吸収・抹消されていたこともあったし、名ばかりの笠増しや周辺寺院の吸収なども行われていた。
大永六年のこの時、僧房の数は二桁を下回り、それらの住持職の数も減っており、往年のように京の王家公家に所縁ある人物が頂に立つ形もなりを潜めて久しかった。
ただ、数が少なくなりつつも鶴岡八幡宮寺の切盛りはこれら住持職の寄り合いにて行われていたし、源氏の守護神であり、東国武士の守護神でもある鶴岡八幡宮寺が持つ権威には侮りがたいものがあったのは事実だ。
僧はそのうちの一つ、清智坊浄明院の住職である。
相模守護三浦家の血を引くこの僧は、公には出自を隠しながらも、暗黙の了解の中で鎌倉近隣の民からの支持を元に、住職の一人として鶴岡八幡宮寺の寄合に参加する身分であった。
ごーん、ごーんっ。
(ぬ?これはどうしたことか?寺の鐘が鳴らされる頃とも思わぬが……)
僧は鐘の音を聞き歩みを止める。
つい、と天を仰ぎ日の位置を確認する。
(やはりおかしい……。鐘を鳴らす頃合いだとは到底思えぬな。……ならばなんぞ急ぎの知らせか召集の合図か)
僧は己の僧房に近づいてはいたのだが、ここはくるりと踵を返し、一路社殿へと走り出した。
かちゃ、かちゃ、かちゃっ。
これまでは鳴っていなかった腰の物が音を鳴らす。
(まったく。……出家し、仏門に入った人物だとて、こうして腰には刀を下げなければいかん時代とはなんとも難儀なことよな!)
……
…………
「……であるからして、我ら伊勢家は恐れ多くも将軍様より直接に東国の動乱を鎮めるよう遣わされたのであって、己の権勢を求めたことは一度も無いのは皆様方もご存知のところであろう。このように幕府の忠実な臣である当家に対し、鎌倉殿の後裔を名乗る小弓殿や扇谷、山内両上杉家と清和源氏の流れを汲む里見家が当家を攻撃するのは如何なことか?!このような暴挙に対し、我ら伊勢家は断固とした姿勢でこの相模の地を守り抜く所存である!」
(よく言うぜ、俺の実家の連中を皆殺しにしておいて……)
「なればこそ、この長綱、箱根権現四十代別当としてお願いいたす。どうか我らが伊勢家の兵をこの鎌倉に置くことを了承してはくれまいか?何、小弓方の者達にとっても鎌倉、特に八幡宮寺は別格。おいそれと手を出すことはするまい。皆様の身は、しかとお約束する故……」
「伊勢の兵を置けばこそ、いらぬ世話を背負うことになるのではないのですかな?」
「……なんですかな?」
(いかんな、つい声が出てしまったか……)
参集した住持職の中、目立たぬように座っていた筈の僧は、やむを得ぬとばかりに語りだした。
己の心情から思いがけず声が漏れてしまったことに僅かながらの自省の念を込め。
「別当殿が仰られる通り、本来であればこの鎌倉を小弓方が攻撃する意味はございますまいな。彼らの目標は玉縄城であり、おそらくは武蔵の複数方面より行軍してくる両上杉軍と合力して城を包囲攻撃する所存なのでしょう。ですが、もしこの鎌倉に伊勢の旗が靡いていたとしたら……。包囲攻撃を後方より扼されることを恐れ、逆に進軍の対象となることでしょうな」
「……どういう意味ですかな?」
僧の発言に伊勢家の使者が目を細めて意を飛ばす。
「なに、拙僧らを玉縄城の眼前に捨て置かれた邪魔石とされるのはご勘弁いただきたいということで御座いますよ」
「ふむ……邪魔石とはなんとも面白い表現ですな。……御坊の御名を聞かせていただいても?」
「某の名など、神童の誉れ高い箱根権現四十代別当の伊勢長綱殿にお伝えするほどのものでは御座いませぬ。……寄合の末席に連なる、浄明院なる坊を預かる愚僧にて御座る」
「浄明殿!」「落ち着きなされよ!」「別当殿に対し失礼ですぞ?!」
礼は尽くしていても、ある種失礼ともいえる言い方の僧に対し、寄合に参加した他の僧から叱責が飛ぶ。
(この一二年は後手に回り、どうにも劣勢が続く伊勢家とは言え、彼らの本領は伊豆、そして本拠は小田原と鎌倉とは陸続き。対して小弓方はその多くが内海の向こう側であり、こちら側に本拠を構える両上杉家は武蔵、下総、上野と鎌倉とは距離がある。遠くの獅子より眼前の虎、しかも獅子が張りぼてかも知れぬとあれば虎にすり寄るのが人情というものではあるが……。俺としては、実家の恨みは別にしてもどうにも捨て石扱いされるのは気が進まんという思いはあるな)
「ああ、良いではありませぬか、皆さま。浄明殿の言い分にも一理が御座いましょうな。当然の質問とも言えましょう……。ただ、少々当家を無礼てもらっては困りますな。近年は確かに小弓方の襲撃を受けている立場ではありますが、三浦の討伐、江戸城とその以南支城の攻略、調略と確固たる地盤を築いておるのは当方ですからな。……左様、ここらで一つ鎌倉の皆様にも旗色を鮮明にしてもらわないといけませぬかな?伊勢の旗をともに推し立て、これより鎌倉の繁栄を取り戻すのか、小弓方に与して灰塵と帰すのかを!!」
「「ひ、ひぃぇっ!!」」
言葉の圧を高めた別当に、居並ぶ僧侶が揃って喉を鳴らす。
(ちっ、いらんことを口に出しちまって向こうのやり易い方に動かしちまったな。……だが結局のところ、今の鎌倉は立地上の理由で伊勢方につくしかないんだ。むしろ、ここは相手に本来は不必要な選択肢を提示させたことを逆手に取るしかなかろう)
「はっはっは!別当殿。どうかそのように怖い顔はなさらぬようお願いいたします。拙僧を含め、この場に居並ぶ者たちは、はばかりながらも現八幡宮寺別当が不在の十数年を支えてこざるを得なかった面々。名ばかり別当の小弓公方に対し、含むところはあれど、面従するいわれは御座いませぬぞ?」
「そ、そうですぞ!」「左様、左様!浄明殿の申される通り!!」
伊勢家のご機嫌を取るのはここだとばかりに声を上げる僧たち。
「ですが、かといって伊勢殿も無駄に兵を鎌倉に割く必要はありますまい」
「……」
「伊勢家の旗を大量に頂ければ、兵はそれほど配備していただかなくとも結構かと思います」
「な、なんという?!」「じょ、浄妙殿?」
「……続けていただこう」
この場に集った僧たちは、京よりも見放され、東国の中でも没落著しい鶴岡八幡宮寺にしがみついてその地位を得ている者達である。
自分の身を守ることに固執すること、余人に比すること敵わぬ者たちである。
戦乱に巻き込まれることを回避できぬのならば、せめて大軍に守られて枕高く、敵軍が居なくなるその時を待ちたい面々であった。
「要は小弓方……今回は里見家となりますかな?彼らが浦賀からまっすぐに金沢を経て岡本、山内に兵を進めるのを躊躇い、海路含め逗子、小坪から鎌倉を通って境川を遡上してくるのを防ぎたいので御座いましょう」
「その通り。兵を分散した上で、小田原との連絡を絶たれる境川ではなく柏尾川に敵軍を集めることが叶えば、奴らの包囲も弱く、時刻の差をもって敵軍を撃退することも容易かろう」
「ならばこそ……」
「うむ、浄明殿、別室へ。詳しく其方の策を聞かせていただこう」
「はっ……」
(伊勢に献策とは業腹ものだが、ここは仕方があるまい。大きな戦を鎌倉で起こさせず、同時に伊勢家の覚えを目出度くさせるにはこれぐらいはせねば、な……)
お気づきだと思いますが「清智坊浄明院」というのは完全なる作者の創作です。
鶴岡八幡宮に関しては廃仏毀釈によって多くの資料が散逸しているのに加え、歴史上多くの戦闘が行われてきたので、このあたりの資料があやふやだったりします。
そういったこともありますので、創作の余地もあるということでこの時代、場所を選ばせてもらいました。
プロローグが終わった後、多少は場面が移る期間が生じますが、遠からず鎌倉を舞台に戻すように考えています。
タイトル詐欺は嫌ですからね!!
それでは次の話で <(_ _)>