-第十二話- 椎津湊
天文五年十月 椎津
今年の稲の収穫も終え、昨年までに刈り入れた分の兵糧をふんだんに詰め込んだ船を駆り、我ら吉良家の軍勢二千は上総は椎津の湊に上陸した。
さて、皆は椎津の湊と一口に言うが、この椎津の湊というのは上総の内海の湊の総称のようなものらしく、我らが今回上陸に使用した浜や湊も複数個所に渡る。
北は勇露川河口、南は小櫃川河口の四里ほどの距離に跨る大小さまざまな浜、湊を使用することとなった。
南は俺が、北は伯父上が上陸する運びとなった。
俺が使った小櫃川河口の高柳。
ここは椎津湊の中でも、大きめの船が着ける湊なのだと言うが……。
鎌倉復興を旗印に数万の人足が常駐していたような杉田や磯子の賑わいと比べてはいけないのであろうが、どうにも我らの領地、相模側の湊と比べると侘しさを感じてしまう。
「ささ、義綱殿。どうぞ、どうぞ。貴殿にはどうかこの飽富城にて、御家来衆ともども船旅を癒していただきたい。当家の者達が皆さまを案内しておりますれば、近日中には姉ヶ崎浜に上陸なされた三浦殿も合流なされましょう」
「忝いことです、信応殿。それでは伯父がこちらに到着するまで、この城を使わせていただくとしましょう」
「ええ、ええ。どうぞ、この城を磯子城だと思って……あ、いや!相模の大湊である磯子城と比較するなど、これは失礼をしてしまいましたな!これは、どうかご容赦を!」
「磯子も杉田も人が多いと言うだけでそれほどでもありませんよ。どうかそのようなお気はされずに……」
「左様で御座いますか!」
武田信応殿。
俺よりほんの幾つかだけ年上といった辺りの筈ではあるが、どうにも落ち着きがない人物だ。
背丈はひょろりと細長く、あまり肉付きの良い方ではない。病弱という感じはしないが……うむ、全体的に線が細く感じる人物だな。
「この城も数年前までは今少し手入れが行われていたのですが、この数年の混乱を経て空き城となっておりましたので、どうぞご存分にお使いください!」
空き城だったという割には、それほど廃れた様子はない。
城内の敷地に神宮寺があるからであろうかな?
しかし、湊にも近い、これだけの良き地に建ったこの飽富城が空き城だったとはな。
さても安房・上総の動乱とは激しいということの証左なのだろうか?
安房・上総の力を結集した鎌倉攻め、玉縄城攻めが大失敗をし、その痛手からこの地の諸将は統制が弱まり、それぞれにお家騒動が頻発することになった。
里見家の内訌、天文年間から始まった安房・上総動乱。
古河公方方と小弓公方方の旗に分かれ、各家々の家督争いが頻発した。
この中で特に大きな内訌は、安房の里見家と上総の武田家だ。
どちらも、鎌倉公方の流れを汲む東国勢力の弱体化を望む北条家の謀を受け、必要以上に争いが大きくなった感が否めない。
安房の里見家は当主義豊を稲村城で討ち果たした小弓公方方の義堯が家督と実権を継いだ一方で、上総の武田家では未だに内訌の終息が見えない。
信隆は未だ上総武田家の本領である真里谷城に座し、古河公方を奉じて武田家当主を名乗っている。
俺の目の前にいるこの信応は、一門長老の信保の後援を得て内海沿いの椎津城を手中に収め、上総の大動脈を抑えてはいるのだが、上総武田家の当主として立っているとまでは言い難い状況だ。
近年の上総の肝とも言える椎津一帯を抑えてはいるが、武田家本領の真里谷城は敵方の手にあり、旗印としている小弓公方からも上総の安堵状を出されてはいない。
この点、上総で支配を行える筈もない遠方、下総の古河公方は気前良く信隆に安堵状を出している。
要は自分の土地と成り得る場所を他人に与える心持と、遠方の赤の他人の土地を好き勝手に差配する心持では差が生じるということなのだろう。
古河公方としては、上総が誰の持ち物となろうとも、自分のところに付け届けが舞い降り、自分のことを「公方様」と崇めてくれさえすれば、書状や訴状などは好ましい相手が有利になるよう、好き勝手に差配するということなのだ。
なんともわかり易い構図だな。
「して、義綱殿……。今後の話なのですがな……」
膳も下げられ、日暮れが近づいた頃合いで信応が本題を切り出してきた。
「今後の話と言いますと?……私は準備が整い次第に小弓城におわす父上に吉良家相続の挨拶に出立するだけですが?」
と、空とぼけてみる。
信応の望みはわかってはいるが、ここは形式上のやり取りをせねばなるまい。
売れる恩は高く売っておかないと後で泣きを見る……らしい。
「姉上から話は聞いておろう!義綱殿!恥を忍んでお願い申す!どうか、未だ小弓公方様に弓引く信隆討伐にお力をお貸し願いたい!」
「……」
話の核心に達するのが早い信応である。
……俺の心境としては、余計な時間が取られないのは、有難いことこの上なしなんだがな。
「そうですね……。確かに香鐘院様より話は伺っております。伯父、義村とも相談をし、お力になれるよう布陣を整えてきたことも事実。……であれば、信応殿。こちらから香鐘院様を通して伝えさせていただいた事については如何にお考えで?」
「さ、左様ですな……」
口の端がこわばる信応。
どうにも決心がつきかねているご様子だな。
「信応殿。……我らは別に領地を寄越せとか湊を寄越せとかを申しているのでは御座らん。湊を自由に使わせて欲しい、湊に面した場所に館と蔵を建てることを許して欲しい、……左様申しておるだけですぞ」
「で、ですが……。椎津の湊は我らの……」
「何を仰る、信応殿。無論、上総の地は武田家のもので御座ろう。吉良も磯子も横取りしようなどとは露ほどにも考えてはおりませんよ」
三浦としては、先祖が切り開いた椎津を返せ!という気持ちがあるがね。
「信応殿。椎津は場所が良いので商人が集まる。……故にこのままでは勿体無いとは思いませぬか?」
「勿体ない……ですか?」
「左様。信応殿が居られる椎津城は上総の海に面した台地の一角。高台に面した椎津城一帯では田を耕すにも水が不足がちとなりましょう」
「……」
今更なことを指摘され、黙る信応。
「武田家の領地としては、勇露川の中流、小櫃川の中流といった辺りが稲作の中心となりましょうな?さすれば、真里谷城、山の裏手側で庁南城、……さらに南に行って安房との境、富津あたりの峰上城となりますかな?」
「……」
別に俺は進んで嫌味を言っているわけではない。
海沿いの土地は潮気が強くて稲作は難しい。
台地は平坦な土地ではあるが水の取り込みが難しい。
氾濫の危険はあるが、米を作るならば川の中流域が最適……これは日ノ本のどこであろうと当てはまる真理である。
その点、上総の地は山の背が海に近く、稲作に適した土地が少ない。
必然、稲作の村の取り合いは厳しく、激しくなる。
現段階で、それら有力な村々を抑えているのは真里谷武田の信隆と庁南武田の吉信であり、椎津武田の信応はこの点で一歩出遅れている。
だが、これを湊、「銭の匂い」があるとい点から見てみると、断然に椎津武田の信応が先んじている格好となるのが面白い。
米を取るか銭を取るかの問題だ。
椎津の湊。この湊は要するに信応の命綱となっているのだ。
そして、我らはそこの「利権を分けろ」と言っているので、信応の側に立てば、答えに躊躇するのは間違いないところ。
されど、稲作の村々の支配を吉良家が手伝ってくれるなら……。
信応の心境はこのようなところであろう。
「信応殿、椎津は確かに上総で最も栄える湊ではありますが、先にご自分が申された通りに、些かその機能は弱いものでしょう。……我らは、その湊の機能を強化すると言っているだけに違いありませぬよ」
「……」
「北条家が江戸を制してから月日が経っており、内海の西側悉くが彼らの領分となっております。我ら吉良家も磯子と世田谷に城を持つものの、政においては北条家の力を借りて行っているのが事実です。そんな我らがこれだけの力を保てるのは、北条家の銭を使って城下の湊が発展したお陰です。……信応殿、湊の開発に他所から力を借りるのはなんらおかしなことではありませぬぞ」
「……」
もう一押しか。
「信応殿。庁南からの後援を得ているのならば、問題は真里谷だけということでよろしいですな?」
「……?!」
「此度の小弓挨拶。我らは北条家からの内意も得ております。彼らが期待するのは安房と上総の安定。その流れで小弓公方の元に落ち着きが取り戻せるならば、それも良しとのことですからな。内海を使った取引の路は大切にしたいとのことです」
うん。
嘘はついていないが、本当のことは話していない。
北条家が求めるのは公方同士の抗争であり、名分を使った小勢力同士の抗争ではない。
上総武田家が小勢力かどうかは話の分かれるところだが、彼らとしては安房・上総の勢力と下総の勢力が相争って欲しいとのことだ。
そして、内海を行軍路としても用立てたい。
「我らは此度の行軍で、内海安定の為ならば兵を回すことも辞さぬのです。信応殿、ここは信隆殿にも私の小弓挨拶に同行するよう兵を率いて迎えに行こうではありませぬか?」
「……!!!」
最後に信応殿が最も欲しがるものをちらつかせる。
「信隆殿が改心して小弓への挨拶に同行してくれるのならば良し、そうでないのならば真里谷より追い出す。そのお手伝いを我らがさせて頂きましょう」
「義綱殿!!」
信応が熱い握手を求めて来る。
「義綱殿がそこまでに武田家のことをご心配頂いているとは、この信応、誠に不覚で御座いました!この度は義綱殿の御厚意に甘えさせて頂き、真里谷を取り戻した後は、ともに椎津湊を栄えさせていくことに致しましょうぞ!」
「ははは!こちらこそ頼みますぞ!信応殿!」
俺も熱く信応殿の手を握り返す。
伊勢家打倒の為にはどうしても房総に拠点が必要だ。
木材、木炭、石材、皮革……どれもが相模の地では我ら独自で入手することは困難である。
兵を整えるための銭と人の数。
これを集めるには、物が大きく動く湊と街道を領するのが一番の早道だ。
小弓から椎津を抜け富津までを結ぶ街道を上総に設け、その中央拠点となる椎津の湊に我らの拠点を築く。
我らに心臓部を抑えられた武田家が勢力を伸ばせば伸ばすほどに、我らの宿願叶う刻が近づく。
伯父上と練った上総での拠点作りの一手はうまく行きそうだ。
俺は満面の笑みを浮かべ、もう一度、信応の手を強く握った。
物流とは「動かすこと」そのものに意味があったりします。
「何を動かすか?」も重要ではありますが、一番の肝は「動かすこと」。人も銭も情報も、水の如く高き所から低き所に流れ、その流域を悉く潤すと言ったところでしょうか。
さても翔千代君の一人説得の図。
伯父上との事前協議の結果、こちらは大成功といったところで次回へ続く。
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