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鎌倉の翼  作者: 平良中
第一章 吉良の若殿
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-第十一話- 戦馬鍛錬

天文五年七月 磯子


 「それっ!!はっ!ほっ!……せいやっ!」


 ばつん!!


 「「おお、お見事!」」「さすがは殿!」「素晴らしい騎射の腕前ですな!」

 「……我らでは坂を下って射るぐらいが精一杯ですが」「うむ、やはり殿の腕前は領内一だな」


 ははは、我ながら此度の騎射は上手く行ったな。

 海岸に面した比較的緩い崖に作られた流鏑馬場。

 とある暑い夏の日、俺は先鋒隊騎馬頭せんぽうたいきばがしらの流鏑馬鍛錬に参加していた。


 軍馬は貴重。

 だが、平坦な野っぱらを動き回ったとて十分な鍛錬が出来るものでもあるまいと、世田谷から戻ってきた俺は磯子衆先鋒隊の鍛錬見直しを求めた。

 この俺の意見に対し、「このような坂や石が目立つようなところで馬を走らせるとはなんと危険な!万が一でもあれば勿体無い!」との声も上がったのだが、世田谷より来た一人の厩番が大声で反論した。

 曰く「坂のない戦場いくさばなど日ノ本のどこを探せば存在するというのか?!義経公の勝ち戦とて崖を駈け下りたからこそでござるぞ!」と……。

 この厩番、吉良家が奥州にいた頃に家臣となった馬場ばばという一族の男である。

 吉良家家中では馬の扱いは随一の男で、世田谷とは離れたこの磯子でも馬場の高名は鳴り響いていたのだという。

 約束通りに、面白そうな男を磯子に送って来てくれた富永殿に感謝だな。


 さて、馬場が言うには、優秀な軍馬を育てるためにこのような崖を上り下りするのは奥州では当たり前であるらしい。

 初めは緩い坂から始め、四歳、五歳となる頃にはこのような崖の上り下りは茶飯事とする鍛錬が良いのだと言う。

 本当かどうかは知らないが、当家にはこの男程に馬の生態に詳しい者が居らんので馬場に万事を任せることとした。


 「殿は騎乗も見事ですが、やはりその馬上弓も絶品ですな!某も是非にと所有したいものです!」

 「何を言う!この馬鹿垂れが!先ず吉三郎は馬上で弓を構えるところから鍛錬せい!」

 「あ、いたっ!」

 「「はっはっはっは!」」


 笑顔の絶えぬ、良い訓練である。


 「で、では!次は某が参りまする!!……そりゃ!!」


 年配の者に頭を小突かれたばかりの若者が名誉挽回とばかりに馬を責める。


 うぅむ。

 騎乗技術は中々良いのだが、如何せん弓勢(ゆんぜい)が弱い。

 片肌を出した胸板を見るに、俺よりよほど腕力は強いのだろうが……。

 やはり弓の性能差も大きそうだな。


 俺の使ってる馬上弓は三浦家家宝の蒙古弓である。

 言わずもがな、急拵えの短弓と比べてはいけないというものだ。


 この家宝の蒙古弓はどうにも古く、替りも二張りしか存在しないのだが、使わない弓はどんどんと死んでゆくものなので、こうしてたまには訓練に使っている。

 この蒙古弓、表部分や壊れやすい個所は軟材と硬材を駆使して修繕できるのだが、一から作ることは出来ないのだと口々に木工問屋の職人達は言う。

 その昔に鎌倉がまだ荒れてなかった頃、三浦の一族や北条の一族が腕の立つ職人に当たってみたのだが、皆が皆、口を揃えて「この動物の腱らしき代物がなんの動物の腱なのかがわかりません!」と言うのだと……。


 確かに当時は複製が出来なかったのであろうが、あれより刻は大分経っておる。

 中には凄腕の職人がいるかも知れぬからな……。今度、町の顔役にでも腕の良い木工職人を呼んできてもらうとしよう。


 ぱから、ぱからっ、ぱから。


 ……?

 城の方から小柄な馬に乗った童が……?

 夢かな?


 「義兄上!お早くお戻りを!!義父上がお待ちしていますよ!!」


 あ!

 そうであったな。

 今日は城に客人が来るとかで、早めに鍛錬を切り上げてこいと伯父上に言われておったか!


 ……いや、忘れていたわけではないぞ!

 うむ、本当に!


 ……

 …………


 「お待たせして申し訳ございませぬ。初めてご挨拶致します。磯子城城主、吉良義綱と申します」


 夢に呼ばれて、急ぎ流鏑馬場を後にした俺は、急いで水で汗を流し、さっぱりとした衣服に着替え広間にやって来た。


 上座に座るのは俺だが、先に頭を下げて挨拶を行うのは一門の年少者である俺の方である。


 「お気になされず、義綱殿。私は義兄上と久方ぶりの語らいが存分に出来、とても楽しゅうございましたからな」

 「そう言って頂ければ、この義綱も嬉しゅうございます」


 客人の名は、香鐘院こうしょういん様。

 伯父上の弟、母上の兄の妻だった女性で、出自は真里谷武田家だ。


 「本当に立派になられて……。ええ、義妹殿も今のあなたを見れば喜びもひとしおであることでしょうね」

 「はっ……」


 俺はこの親戚の義伯母に対し、ただただ頭を下げるだけである。


 「で、此度に香鐘院殿がこちらにいらしたのは秋に控える、お前の小弓挨拶に関してご相談をしようと思ってのことだ」

 「はぁ、今秋のこと、でございますか」


 伯父上からの説明に相槌を返す。


 伯父上には事前に話を聞かせてもらっているが、ここは話を進めるために相槌を打つ。


 「磯子から小弓に向かうには内海を船で渡らねばならん。特に警護と閲兵を兼ねた今回は騎馬も船で渡す必要があるため、ある程度の大船が必要となる。船の方は磯子や杉田に出入りをしている廻船問屋との間で話をつけ終わっているので問題は無いが、肝は船を着ける湊でな。ある程度の大きさの湊となると、どうしても安房周辺になってしまうのだが、これらは里見家の勢力が強いところ。里見家現当主の義堯よしたか殿は家督争いの折に北条家や武田家、小弓公方の助力を得て家督継承を果たしたものだが……」

 「義兄上、ここからは私の方から……」


 話がいよいよ核心に迫ろうかというところで、香鐘院殿が話を引き継ぐ。


 「義綱殿の御実父、小弓公方の足利義明公は永正の頃、貴方の御祖父政氏まさうじ公と御伯父高基たかもと殿が対立された折に鎌倉を離れ、我ら武田家の後援を得て千葉家から小弓城を切り取りなさいました。それにより、小弓公方を称され、父、兄に当たる古河公方方と相対することを宣言なさいました。そこから時は渡り、里見家でお家騒動が起きた際、当時の当主義豊殿は古河公方方、今の当主義堯殿は小弓公方方を自認し、安房・上総の諸将に助力を求めたのです。……元より、安房・上総は小弓の本領とも申すべき土地柄、次第に勢力を増した義堯殿が里見家の家督を奪うことに成功し、今があります」


 くぴっ。


 供された茶を一口頂く香鐘院殿。


 茶は高級品の為、滅多な客人には出せない磯子城ではあるが、今回は茶が出されている……。

 ちなみに、俺の手元にある湯呑に入っているのは普通の白湯だったりする。


 「そうやって戦に勝ち、里見家の実権を握った義堯殿は何を増長したか、今では小弓公方の一の家臣は自分であると吹聴する始末。我ら安房・上総の小弓方と北条家の助力で何とか主君討ちを果たしたに過ぎぬ傍系が増上慢にも……」


 なるほど、感情がむき出しになった義伯母上の様子を見て、何故伯父上が彼女を磯子城に呼んだのか、その真意に納得できた。


 小弓挨拶を行うにあたっての安全を贖うため、そう伯父上は説明していたが、内情はより複雑そうであった。


 正直、此度の小弓挨拶は気が乗らなかったのだ。

 実父と言われても、俺は顔を合わせたこともない。……また、この年にもなれば、俺の父が実際に小弓公方その人であったのか疑わしいことであるとの話に信憑性があることは理解出来る。

 だが、主家である北条家からの命令であると同時に、鎌倉公方御一家吉良家当主としての箔を付けるために、今回の小弓挨拶は仕方がないものだと無理矢理に心を納得させていた。


 伯父上はそんな俺の心を見透かしていたのだろう。

 そして、ぐずる俺の心を動かすためには、今の安房・上総の現状を当人の口から語らせ、より真摯に此度の小弓挨拶に当たるよう促す一手なのであろうな。


 ふむ、面白い。

 今のままでは、単に北条家に取り込まれた一家臣としての道しか無いと諦め出しそうであったのは確かだ。

 だが、我らの基盤が内海のこちら側、相模・武蔵のみならずに安房・上総ににも築かれるのならば、十分に伊勢家打倒の夢が描ける。


 「なるほど、義伯母上のお悲しみ。この義綱、痛いようにわかり申す。父、義明が真に頼むべき相手は武田家の皆様方であることは道理。此度の挨拶にて、この義綱、しかと父上をお諫めさせて頂きましょうぞ!」


 こっくり。


 脇で深く頷く伯父上。


 やはり伯父上もこの機会に、安房・上総において我らの足掛かりを作るつもりであったな。


 「左様!左様!殿が仰られるよう、我ら磯子衆の総力を挙げて武田家を正道に戻すことを香鐘院殿にお約束いたそう」

 「おお!義村殿も、なんと心強いお言葉を……。これにて義堯めに同調した愚かな異母兄あにに引導を果たすことが叶いましょう!!」


 目を潤ませ、感極まった歓声を上げる香鐘院様。


 やっぱり、武田家家中も火種が大いに燻っていたわけか……。


 この後、香鐘院様は盛大に異母兄の悪口を述べ、またそれと同量の賞賛の言葉を実弟の信応のぶまさに掛け、半刻はたっぷりと喋りつくしてから下城の途に就いた。今晩は磯子来迎寺に宿し、明日に三浦の墓前を弔った後に上総へと戻るらしい。


 「「やれやれ、だな(ですね)」」


 どちらからともなく、疲労の滲んだぼやきを吐く我ら。


 「お家騒動は天下の常とはいえ、巻き込まれる我らもなぁ……」

 「そうですね、ただ、そのおかげで我らもあちらに足場の確保が出来るというものです」

 「……くっくっく。違いない」


 人の悪そうな顔でほくそ笑む伯父と甥。


 「さて、今しがたお前も聞いた通りに今回の挨拶、当初の予定よりも多めに兵を連れて行くことになるぞ」

 「はい、当初は五十名連れて行けば良いのかと思っていましたが……前回に世田谷に赴いた時と同数、一千名ほど連れて行きますか?」


 兵を動かすには銭が要る、米が要る、人が要る。

 当家の事務方から上がってきた帳簿を見るに、この秋の収穫を終えて、余裕をもって動かせる数を自分なりに計算して口に出した。


 「いや……それでは足りぬな。その倍、二千を連れて行こう」

 「二千ですか……。我らの全軍……とまでは申しませぬが、世田谷からも集めねばその数を揃えるのは厳しいのでは?……いや、そもそも兵の数はどうとでもなりましょうが、行軍の為の米と銭は如何がしましょうか?」


 磯子と世田谷。

 ともに実り多き土地で、北条の直徴収地の為に年貢率は低い。

 だが、それでも懐に限度はあるはずだ……。


 「その点は心配するな。内海の渡し賃とその間の兵糧は北条家が出してくれることとなっている」

 「……北条家がですか」


 なるほど、鎌倉復興を契機に、それまでは伊豆や相模湾の西の海賊衆にしか影響力を持てなかったところ、我らの伝手を利用して内海の海賊衆にも手を回したいということか。


 「近年は小弓公方とも講和を果たした北条家ではあるが、大勢としては鎌倉足利家中、関東管領上杉家中には相争って欲しいのだ。そして、それぞれの勢力に武力を行使しようとした場合、その進軍路はどうしても複数の勢力が重なる場所を通らざるを得ない現状だ。特に、小弓方との決戦を行うとした場合はな……」

 「そうですね……。両者の決戦、普通に考えれば江戸を内海沿いに超え、武蔵と下総の境が決戦地となるでしょう」

 「そう、国府台こうのだい辺り、利根川の渡河が戦の焦点になると読むのが普通であろう。だが、その構図はあまりにも宜しくない。川筋を使えば山内上杉、扇谷上杉、古河公方方……如何様にも敵の援軍が後背を扼す形となってしまう。そうならない為には、各勢力が相争い、互いに牽制し合う仲が最良であり、同時に内海を渡って直接に安房・上総の本領を相模側から攻撃したい」


 そう考えれば、鎌倉公方方が相争うように大枚を叩いて策動を続けるのも、今回の俺の小弓挨拶に銭を掛けるのも同じ効果という考えか……。


 「どう足掻いても関東の騒乱は早晩に鎮まる気配が見えん。ならば、せめてはその大枚を我らの足元に吐いてもらうのが吉ということだな」


 北条の銭を三浦の旧臣蔓延る所に呼び寄せる。

 伯父上はそうお考えのようであった。

 「永享の乱」に端を発し、「享徳の乱」で確定的となった関東の戦国時代。

 御成敗式目と源氏三代の安堵状を至上としつつも、時に室町幕府、時に鎌倉公方、時に上杉管領家と時々の都合良い勢力に就いて離合集散。

 この時期の南関東も大いに入り混じった旗色をその都度付け替え、お家騒動が各地で起きまくっております。


 そんな中、舞台は上総の武田家お家騒動へ……。

 巻き込まれつつも、ある意味自分から首を突っ込む面もある叔父と甥。

 はてさてどうなる東京湾…… <(_ _)>

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