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鎌倉の翼  作者: 平良中
第一章 吉良の若殿
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-第十話- 南武蔵

天文五年四月 南武蔵


 家督相続のすぐ後、俺たちは磯子衆として初の進軍を行った。

 騎馬持ち百、弓持ち五十、旗持ち二十、総勢千の軍勢である。


 蒔田城の館が焼失した先日、火は館のみで武器庫にまでは移らなかったそうだが、火事の混乱によって多くの弓が逸失してしまったので少ない手持ちでの出兵だ。

 ……混乱ついでに何方かに拝借されてしまったのか、誰かに抵抗されるのを嫌ってあらかじめ破壊されていたのかは知らない。

 ともあれ、磯子の館に有った分と、蒔田城から確保できた分を合わせての六十張り少々が磯子衆の所持数となり、今回の進軍ではその内の五十張りを持参した。


 馬については、馬小屋の場所が館から離れた田畑の中に位置していたため、損失が無かったが故の百騎動員と相成った。

 農地開拓が進んでいる蒔田だからなのか、多くの軍馬も田畑働きに兼用されていたお陰で、馬小屋が館から離れて建てられていたことに感謝をするとしよう……。

 文献上では、軍馬は特殊な訓練を施し、農耕馬とは一線を画すべし云々、などと書かれているものも有るが、老若男女、皆が田畑で汗水流す生活が送られているこのご時世、軍馬訓練だけを施せる土地などは相模の何処にもないし、そんな訓練だけで食い物が作れる夢舞台などが存在するはずもない。人の手も足りぬ野良仕事に馬の手足を駆りだすのは当然ことと言えよう……。

 まぁ、早掛け、崖登り、崖下りに流鏑馬擬き程度の訓練は数日に一回は施している、らしい。

 敵も味方も似たり寄ったりの状況、百という数を揃えられた今回を純粋に喜ぶとしよう。


 ……だが、なんだ。

 十分な陣容を組めたことは喜んでも良いのだが、実際に行軍するとなると実に面倒なことこの上なしだったんだな。


 「まったく……。鶴見川より北、……武蔵の国は島渡の国とは良く言ったものだな」


 愚痴の一つでも零したくなる。


 高台もある。

 台地もある。

 平野もある。


 だが、それ以上に入り組んだ大小の川筋がある。


 それも、ここ数日は雨など降っていないにも関わらずにだ……。


 「これが相模から武蔵へ攻めることの難しさなのだ」


 伯父上も馬上で永遠に続く湿原を遠目に悪態をつく。


 「今回は新しい吉良家の軍容のお披露目も兼ね、海よりの道を大きく回ってるからこそ、いつも以上にこの芦原の厄介さが目につく。……これからは儂だけでなく、お主も軍を率いて宗哲殿の与力となることが求められているからこその此度の行軍ということだ」

 「はい。そのことは重々……。しかし伯父上、このような地勢はいったいどこまで続くのですか?川幅は下流では広がるが、上流では狭まるもの。深さは上流で深まり、下流では浅くなるもの。幾ら天下に名高い武蔵の芦原とはいえ、無限に島嶼の如き地勢とはならぬものでしょう?」


 俺は一縷の望みを込めて伯父上に問う。


 「この数十年程は多摩川から荒川の間、今日の目的地である枡形城から世田谷城、石神井城跡……太田道灌公亡き後はこれら一帯の治水が放棄されて久しい。騒乱の地であることも加わり、荒川より南の武蔵は殆どがこのような地勢と思っていて間違いないな」

 「……それほど広大な土地がですか」


 言葉も出ない。

 伯父上が指摘された土地、磯子周辺で当てはめれば小机から玉縄、田浦あたりまでもがすっぽりと収まってしまう大きさではないか……。


 「そう、これほど広大な土地がだ。……関東の戦乱はいつ始まったのかを紐解くのが難しいほど、古来より同族相争う土地となって久しい。眼前の芦原も河川の改修や田の集約をしっかりと行えば、日ノ本を遍く満たす程の稲穂で埋め尽くすことも出来るかも知れんのだがな……」


 伯父上の申す通りだ。

 この土地は相模川や高座こうざ川沿いの農地よりもよほどに広い平野だ。

 この一帯の治水に成功すれば、それは関東を治めるに足るだけの食料を生み出せることにもなるのだろう。


 「兎にも角にも、我らの領地となった世田谷はそんな南武蔵の芦原の西の端だ。小川によって分断された村々の村長達は互いに憎しみ合い、机の下で互いを蹴り合うような泥沼の関係。はてさて、どのようにそ奴らを治めるかだな……」


 伯父上は途中からは独り言のように、自分の思考へと落ちて行った。


 どのように彼らを治めるか……。


 その点について、俺は答えを既に出していた。


 ……

 …………


 「皆の者、顔を上げよ!これより新城主、吉良義綱様よりご挨拶がある!」


 場所は世田谷城内にある豪徳寺の本堂広間とその庭である。

 最初は館の広間で会合を行おうかとも考えたのだが、村長や郷士まで多くの人間が集まることを考えると、庭も活用できるこちらで行った方が良いという次第になった。


 「この度、吉良家家督を継いだ義綱である!以後よろしく頼む!」

 「「ははっ!」」


 百名を超える男たちが一斉に頭を下げる。


 近隣の刀持ちが集まっただけなので、いざ戦となれば、北条方ではなく扇谷上杉方に付く者も含まれておろうし、これ幸いと隣の村に諍いを競りかける者も含まれているだろう。


 ……非常に厄介この上ない。


 そう、厄介この上ないので、いっその事、吉良家当主の俺による世田谷支配は放棄してしまうこととした。


 ……

 …………


 「ふむ……それでよろしいのですかな?義綱殿?」


 世田谷入りを翌日に控え、枡形城に入った俺達は城代が用意してくれた夕餉を皆でとっていた。


 「はい、構いません。宗哲殿。確かに吉良家所領の世田谷城下には広大な土地が含まれておりますが、現状の私共ではその力を十分に生かすことは出来ませぬ」

 「そうは申されるが、磯子衆は磯子城の元に一本化されることとなり、政はだいぶすっきりとしたものになりましょう。事務方はこれまで通り当家から人が送りますからな。万事つつがなく進める事が出来るしょうから、磯子には義綱殿か義村殿のどちらか一人がいらっしゃればことは足りるとも思いますが?」

 「いやいや、所詮、私は世の物事は何一つ知らぬ若輩者。私一人では優秀な北条家の事務方をお借りしたとしても満足に領地を切り盛りすることなど出来はしますまい。……特に、戦となれば十全に兵を扱わねばならぬ故、私一人だけでは磯子衆の力を発揮出来なくなってしまいます」

 「ふむぅ……」


 宗哲殿としては、俺と伯父上が一緒に居続けることに多少の警戒を込め、幾つかの事前策を施しておきたいところなのだろうが……。

 それでも、北条家、特に宗哲殿にとっては磯子衆を大事な戦力として使いまわしたい以上、兵として弱体化してしまうようなことだけは何としても避けたいはずだ。


 「元より吉良家は北条家より「お役御免」の特例を頂いております。税の取り立てにも事務方の派遣を頂いている以上、たとえ私や伯父上が世田谷城を居城とせずとも、ある種今まで通りの土地と言えるのではないでしょうか?」

 「ふむぅ……」

 「話の筋はわかるが、どうにも吉良の若殿は覇気が無いな?それではみすみす己の領地を主家に返上することに変わりなくなってしまうぞ?世田谷城の一帯、育て上げれば十万石強、一万の兵動員も夢ではあるまい?さすれば当家でも随一の武将となれるのだぞ?」

 「直勝殿……言葉が過ぎますぞ?」


 俺と宗哲殿の問答に入ってきたのは江戸城城代の富永直勝とみながなおかつ殿だ。


 「宗哲殿ばかり吉良の若殿との問答とはずるいですぞ。俺にも少々……、左様、若武者の熱量に当てさせて下され」


 そう言ってにんまりと笑みを浮かべる直勝殿。

 ご自身も二十の半ばとそれほど年を取られてるわけでもないのにな……。


 「俺の家は代々伊豆は土肥の土着侍だったわけだが、伊豆での騒動で盛時様に味方し、俺の代では遂に五家老の一、江戸城城代、青備え、と北条家臣として最高の栄達を掴んだわけだ。そんな俺と遣り様によっては同格、もしくは格上の力を持てるかも知れぬ契機を自らふいにするとは愚かな行為だとは思わんのか?ん?」


 直勝殿は瞳に悪戯っぽい光を宿して俺を見つめて来る。


 「お言葉ながら、私にはそのようには思えません」


 北条家のお偉いさんたちはどうして、こう、人を試すようなことばかりがお好きなんだろうか。


 「有難くも、今回私は南武蔵の土地を東からぐるりと見て回る機会を頂きました。結果、この土地を制するには水を制することが必要だと悟りました。鶴見川から北、多摩川を眼前にし、その向こうの荒川までもが見える間は無数の河川が流れております。そこ迄を一纏めと考えれば、その距離はかの黄河、長江にも匹敵しましょう。……かような大河を調伏出来るのは三皇五帝のみ。父母の血統と北条家のお慈悲によって得られた家名しか持たぬ若造が太刀打ちできる代物とは思えませぬ」

 「くっ……あーはっはっは!なんとも丁寧に阿呆な痴れ事を申す若造よ!!俺は気に入ったぞ!宗哲殿!!勉強もしてて頭が良いのに、身の程を弁えてるってのが良いじゃねぇか!……よし!お前の希望通りに世田谷は悪いことにはしねぇ。今まで通りに江戸城の支城としてきちんと扱うし、お役御免の慣例を守って、余ったもんは人でも銭でもしっかり磯子にまで送ってやるさ!」

 「……ありがとうございます。直勝殿」

 「うむ、うむ!」

 「「……」」


 満足そうに頷き、ばしばしと俺の背中を叩きまくる直勝殿。

 どうやら、彼の問答には満足いく答えを繰り出したようである。


 「義綱殿……楓の輿入れは来年の春を考えております。ついてはその前に、貴方の御父上に挨拶伺いをするのが吉のようですかな?」

 「なっ!?」


 俺と直勝殿会話の間中、しかめっ面を続けたままだった宗哲殿が突然にそのようなことを言う。


 「私の父にですか……?」


 あまりにも急な発言と内容だったので、今一つ、宗哲殿のその真意が測れず、俺はそのままに聞き返してしまった。


 「ええ、貴方は吉良家を継いだとはいえ、小弓公方の御子息。生まれと育ちの経緯はありますが、一度正式なご挨拶に伺うのも良いかも知れません。磯子衆も引き連れ、立派になったところを一度お見せに行くと宜しいでしょう」


 ……少数だけとはいえ兵も連れて行けと?

 正直、俺は混乱した。

 宗哲殿の狙いがわからない。


 「丁度良いことに、里見家は義豊殿から義堯よしたか殿への当主交代を経て、当家とは親しい交わりが続いております。兵を上総に通すことにも良い返事をくれることでしょうからね」


 にこやかな笑みを浮かべる宗哲殿の後ろで渋い顔をする伯父上。

 どうにも俺の発言のどこかしらかが宗哲殿の逆鱗に触れてしまったのだろうか……。

 今の川崎市と東京都の多摩川流域、当時の科学技術の限界もありましょうが、戦乱期のせいで治水工事もままならず、大河のあばれ具合に身を任せた大湿地帯でした。

 度重なる氾濫で削られた段丘面にて耕作が行われたとの記述が残りますが、高台は水の利用が難しいのは世の理、食糧生産は寂しいものだったと伝えられています。

 米を作るには低地にいかなければ行けませんが、氾濫ばかりではまともな稲作は出来ませんもんね。織豊政権の近くの戦国末期の落ち着き迄いかなければ大規模治水工事は出来なかったと歴史は伝えます。


 新しい領地への閲兵式的行軍だけだったはずが、なんの契機でだか上総での閲兵挙行を求められる始末。

 翔千代君の受難は続く……<(_ _)>

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