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鎌倉の翼  作者: 平良中
プロローグ
1/12

-第一話- 大永六年十一月

大永六年十一月 鎌倉


 冬を迎えた相模国鎌倉。

 この日は数日に渡って快晴が続いたお陰か、冬の合間の温かい日差しが冬場の乾いた風と共に古都に降り注いでいた。


 「浄明じょうみょう殿……いつも済みませぬね」

 「何を仰る幸子さちこ殿。貴女と拙僧は同族なのですから、どうかそのように他人行儀などには為されずに……。どうぞこれからも拙僧を頼って下され」

 「ありがたいことです……」


 そういって頭を下げた女子おなごは年の頃、二十を少しばかり超えたあたりであろうか、瘦せこけた頬に、艶を失って久しいかろう黒髪には白髪が混じっているので、ぱっと見の年齢はすわ老女かと見まごうものではあるが、声の張りや、やつれていても手の肌などには若々しさが見て取れるという不思議な女子であった。


 「前の夫の元から家に戻され、顔も知らぬ、会ったこともないお方を夫とするよう命じられ早十数年。別当である夫がおらぬこの八幡宮寺の一角にて、ただただ無為な時を過ごし続けて生を貪ってるいるだけの哀れな女子のこの私……。そのような者にここまで心を尽くしてくれるのは浄明殿だけです」


 鎌倉の鶴岡八幡宮寺つるがおかはちまんぐうじの別当の妻。

 本来であれば、源氏の守護神ともいうべき八幡大菩薩を祀ってある宮寺の女主人として、その職権強く、鎌倉の地にて大いに咲き誇っていたとしてもおかしくない美しき大輪であったのであろう。


 「そのような寂しいことは申しますな!貴女の夫君である空然こうねん様、還俗して義明よしあき様と名を改められた小弓公方おゆみくぼう様は、此度は怨敵たる伊勢いせ家と戦の最中。永正の頃よりの動乱に乗じて調子に乗っておる室町腰巾着の伊勢など、この戦にて坂東より一掃してくれることでございましょうとも!」

 「そ、そうですよね……そうですわよね……。ごっふぉ!えっふぉ!」


 僧の励ましにより、いささかばかりは顔に色が差したと思われた女子は興奮が過ぎたのか、盛大にのどを絡ませ、咳に苦しんでしまった。


 「やや!これはいけませぬな!幸子殿、どうぞ拙僧には気にせず横におなり下さい」

 「げっふぉえっふぉ……も、申し訳ございませぬ浄明殿。……それではお言葉に甘えまして」


 女子はみすぼらしくも切れ端を縫い合わせた打掛を何枚も重ねられた床へと身を横たえた。


 (八幡宮寺の女主人の寝所にさえ炭の備えがなく、この冬の時期に十分な暖を取れぬとは……。この鎌倉の窮状を見ずして、何が八幡宮寺の別当、何が小弓公方だと言うのだかな)


 僧は己の心を表情に出すことはなく、そっと一つかぶりを振っただけでその思いを遠くへと追いやる。


 「これ以上、拙僧が居ては幸子殿の体も休まりますまい。今日のところはお暇させていただきますが、どうか貴女には心を強くお持ち下され。拙僧の聞くところでは、此度の戦は公方様方が優勢とのことでございます。扇谷おうぎがやつ山内やまのうちの両上杉に加え、安房の里見、甲斐の武田といった者たちもこぞって伊勢家討滅に兵を挙げておるとか……。我らが三浦のお家復興も近いですぞ!」

 「そうですね……父上たちが揃って討ち死にした時から数えてはや十年。我ら一族の無念が晴らされる日も近いというものなのでしょう。……そうですね、それまでは何としてもこの命を永らえねばなりませぬね」


 ……


 しばしの沈黙。

 どうやら女子は眠りについたようであった。


 すっ。


 僧は女子が寝入ったことを確認したのち、音を立てない様にゆっくりと立ち上がり、ぎりぎり穴が開いていない程度に貧相なふすまを開いて部屋の外へと出た。


 (幸子殿は長くない……。わかってはいたことだが、どうにも早すぎるな。このままでは彼女を三浦復興の旗印とするには厳しいところだ)


 僧はそういって歩みを続けながらも思案に耽る。


 (幸子殿はれっきとした三浦家当主の義意よしおき殿の娘。しかも母は正妻である真里谷武田まりやたけだ家の姫君だ。父がどこぞの寺娘に産ませて、とっとと僧籍に追いやった俺とは血筋が違う。……俺では旗印にはなれん。実際に刀槍を振るうのは俺が最適ではあろうが、人を集める名分がないことには、兵を集めることにも、三浦の再興を宣言するにも筋が通らんからなぁ)


 びゅうぅっ。

 風が強い。


 (万が一にでも今回の反伊勢同盟が成功すれば、その機に乗じて三浦の名だけでも復興できるかと期待もしたものだが……。やはり今回も望み薄だな。小弓公方にとって絶好の名分の一つとも成り得る八幡宮寺の扱いがこれではな。こんな有様じゃ、大した内応も相模と武蔵に行ってはいないだろうし、足元すら怪しいと言えるだろうよ。兵数は伊勢家を凌駕すると喧伝してはいるが……。ただただ農兵を集めただけの数など、戦が厳しい局面にもなれば糞の役にも立つまいしな!)


 ふぅっ。

 柱ばかりは立派なもので建てられたあばら屋敷を後にした僧は、眼前に広がる鎌倉のさびれた町を見下ろして手を擦った。


 (伊勢家討滅と三浦家の再興……。何が三浦同寸みうらどうすん、何が三浦陸奥守義同みうらむつのかみよしあつか?!子供の俺に満足な顔も見せず、呪いともいえるものだけを最期に託しやがって!!)


 僧は実父に掛けられた呪いを恨んでか、腹立ちまぎれに、そのあたりに落ちていた小枝を小藪の方へと蹴り払った。


 がささっ。


 「あ、いたっ!何をするんだ!!……って伯父上か。止めて下さいよ!もう少しでせっかくの獲物を崖下に落としてしまうところでしたよ?!」


 そう言って頭をさすりながら、獲物をしっかりと左手に掴んだ幼子が茂みの中から出てきた。


 「おおぉ、これは翔千代かけちよか。相済まぬな、許しておくれ。……っと、今日はなんとも肥えた狸を捕まえたものだな。夕餉には汁でも作って母御ははごに振舞ってやるがよいぞ。先ほど勝手所に諸々の品を置いてきたのでな。野菜や野草と共に煮込んだ汁ものならば獣の臭みも抜け、母御も狸汁を十分に楽しめるであろうよ」

 「だと良いのだがなぁ……。なんにしても伯父上からの言いつけ通り、今日も野山を駈けて鍛錬がてら食い扶持を探してきたぞ。柴も多めに刈ってきたし、今日は暖かく過ごせるだろうさ!」

 「そうか、そうか。うむうむ」


 僧は幼子の頭を愛情をもって優しく撫でた。


 (翔千代は幸子殿唯一の子。小弓公方に嫁がれて後の子ではあるが、翔千代の生まれを計算すると、どうにも父親は公方ではない。では、いずこの男が父であろうかと考えても一向に答えが出て来ぬ。幸子殿に手を出そうと考えるような者は鎌倉にはおらんし、今でこそみすぼらしい屋敷に住んではいるが、当時の屋敷に不埒者が侵入する余裕は無かったものな……。幸子殿本人は八幡大菩薩が化身を遣わされて身籠ったのだとしか言わんし……)


 「やめてください、伯父上~!!」

 「はっはっは!これは済まなんだな。許しておくれ」


 許してくれと言いながらも、僧は幼子の頭をなでるその手の勢いを減じることはしても、止めることは決してしなかった僧である。


 (年が明ければ翔千代も八つとなる。元寇の折に手に入れた家宝の蒙古弓を与えているとはいえ、わずか七つでこの鎌倉の山で獲物を捕らえて来ておるのだ。こやつはこの時代に望まれた能力を授かった男だと言える。……どこぞの武家に出仕させることも視野に入れるか?いや、動乱の収まらぬこの東国では何時下らぬ負け戦に巻き込まれるかわからぬからな、ここは時流を今しばらく見定めるが吉ではあろう……)


 「さて、翔千代よ。名残は惜しいが、拙僧は僧房に向かわねばならんのだ。お主の母御も心配しておろう、これよりは気を付けて帰るが良いぞ?」

 「もう!伯父上!いつまでも私を子ども扱いしないでください!」

 「はっはっは!すまん、すまん」


 最後の名残とばかりに、僧は一層強く幼子の頭を強くかき混ぜると、眼下の僧房へと足早に駈けて行くのであった。

 新作です。

 阿武隈の狼の第三部と共に執筆を続けて行こうと思ってますので、どうぞお楽しみに。

 まずはプロローグ部分を連続でUPしていき、それ以降はゆる~りと行かせていただきます。

 <(_ _)>

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