2話 軍に入ったweeb
それでくじけてしまうものかというとそうでもなかったが。
黒人とヒスパニックは少し違う価値観を持っている。アジア人だってそうだ。ケヴィンが通っていた高校でも様々な人種がいた。ただ彼のクラスにはベトナム系の綺麗な顔立ちの男の子と理数系が得意なインド人の男の子がいただけで、女の子はいなかった。残念なことに。
黒人の女の子は近寄りがたい雰囲気があった。黒人の女の子と付き合うということは黒人社会と接点を持つことでもある。
彼女たちが嫌いとか人種差別をしているんだとか、そういうことではない。
黒人社会は虐げられた歴史を持っていて、自分が入って引っ掻き回すなんてことができるものかと、距離を取ってしまうのである。
普通に話すと面白いし、魅力的な子も多かったが。
どうしてもハードルを感じた。これを差別というのなら甘んじて受け入れるしかない。それを超える努力をしなかった、黒人女性に興味を持って黒人社会と接点を持つのに二の足を踏んでしまったことを差別というのなら、黒人がそう感じたのならそれは差別となるだろう。言い訳をする気にはなれない。
そしてヒスパニック系の子。彼女たちは全員が全員そうではないが、基本的に自己主張を前面に押し出すような態度をとる。防壁のようなものだ。それで自らを守る。それは別段ヒスパニックに限っての話じゃないが、その防壁を親密になりたいと思っている相手に持ち込むとどう映るか。そう。猫を被るように見えるのである。
一回だけ付き合ったことがあったけど、同性相手に見せる顔や口調と自分相手に見せる顔や口調に明確な差があって、それを指摘したところで、あなたとは恋人になれない、友達としては大好きという評価を受けてそのまま別れた。彼女とは高校時代ずっといい友達だった。
文化の障壁があったということだったんだろう。
日本文化が好きだったため日本出身の女の子がいたら声をかけたかもしれないが。そこで二次元の方が素晴らしいとか、日本人女性こそが欲しい相手とかになったらただの変態だ。アメリカだけではないが、白人の文化圏にあるアジア人女性に対するフェチズムは目に余る。ケヴィンもその手のことは馬鹿馬鹿しいと思っていたものだ。
ただ自分が満足するために何かが必要なのはそういうものじゃない気もしていた。
いつになっても解消されないモヤモヤしているような気持ち。
アクションアニメで見ているような動きや能力に憧れたことも幾分かある。スーパーヒーロに憧れてもそれになることはできないとか、そういう気持ちとは少しだけ違ってて、そんな能力があるなら現実がスムーズになるのかと、苦悩しても自分がバカなことをしてしまった時でも、そんなことなんて最初からしなくても済んだのかもしれないのではないかと。
結局のところ、欲しがっていたのは成熟した精神そのものだったのかもしれない。何事にもまともに対応できるような精神性。そんなものが本当にあるかに関しての疑問は置いておく。
それでも楽しめるのかというと楽しめなくもないということだったんだろう。
暇な時はアクションアニメを見ながら筋トレをしていて、自分がどこまでできるのかを自分の体で試す。
ただやっぱり時間が足りない。バイト掛け持ちで勉学に励んで趣味も充実。
簡単だけど普通に疲れる時にはパーティに行って人と脈絡もなく話しては時間を過ごす。
そんな生活には安らぎがあった。幸せがあった。楽しさがあった。
だが大学を卒業したらどうなるか。
多額の学費がローンになって重くのしかかってくる。
ローン返済が求められるため仕事を見つけないといけない。
しかしリーマン・ショックによる不況によりまともな仕事が見つからず。
ここでまともな仕事というのはインターンシップと言いながら若者をこき使ったり、経歴がないからとろくな待遇をしてくれないようなものではなく、会社に一度入ったらそれなりに真面な新人教育をしてくれるような会社をいうが、ケヴィンの学歴と人脈でそんな会社は見つからなかったが、とにかくそういうのが欲しかった。
じゃあ趣味を仕事にするかというとそれも難しい。
日本語は何となく聞き取ることができる程度で漢字とか難しくてよくわからない。翻訳とか日経会社に就職とか、それこそ至難の業と言える。
つまりもっと勉強をする必要があるけど、そのための時間も金もないわけだ。
ケヴィンの父は事故で死んで、母親は小さな飲食店でコックをしているだけで収入に頼るなんてできるわけがなく。
結局彼が選んだのは軍に志願することだった。
訓練は映画で見ていたようなもので、トレーニングを欠かさずしていたのもあったのでそこまで厳しくはなかったが、軍に入る人間に事情は様々であっても何というか。ほとんどバカである。この馬鹿どもはなぜそんなにバカなことを自慢に生きているのか。アメリカ人の馬鹿げた感覚はネットでイギリス人や英語が使える欧州の人とレスバトルをしていた経験もあるので自覚はしている。
自分がバカであることに対して、学校で勉強してなかったことの何が悪いと開き直るのである。それに加えてアメリカでは英語もまともに話せないとか馬鹿だろう、アメリカに来たら英語を話せなどとのたまうくせに自分は外国語なんて一つも話せないとか。
ケヴィンはスペイン語の日常会話ができてフランス語をたどたどしく話せて日本語も少しは聞き取れるけど自慢にはしない。
だが軍にはそんなケヴィンに比べて、お前はチンパンジー以下なのかと言いたくなるような連中がたくさんいるのである。
と言っても運が良かったのか上官も悪い人ではなく、周りのバカ共はバカではあっても他人に積極的に迷惑をかけるようなバカではなかったため彼は彼らと話し相手くらいはしながら訓練期間を過ごした。
できれば日本に配属されてほしいと願ったが、紛争地域と近い北アフリカのに送られた。なぜだ。
そこでケヴィンは初めて人を銃で撃ち殺した。吐くことはなかったけど、ケヴィンは割り切っていた。そもそも割り切ることができなかったら軍に入るなんぞするわけがない。
軍は国家による暴力が振るわれる場所で、自分は国家が使う筋細胞のようなものだ。筋細胞が機能を放棄したらどうなる。
自分がやらなくても誰かがやるとなるとケヴィンにとって罪悪感を抱くことはなかった。PTSDに悩む兵士たちも少なくないと聞くが、ケヴィンはそこまでのものかと疑問に思ったほどである。
別段彼が普段から残虐だとかそういうものではなく、生まれた以上死ぬときは人は死ぬ。八歳の時に見た父親の遺体はほどく損傷されていたことを覚えている。戦場じゃなくても人はあっけなく死に、ひどいことになるのも普通にあるのだ。
と言ってもケヴィンだって人の子で、軍での生活だけを続けていたら心はすさむ。
過去に彼女は作っても結婚はしてなかったため、戻ってもこの腕に抱ける人のぬくもりが欲しかった。
給料はたまっているけど幾分か大学の学費に使ったローンに宛がわれる。
別に毎日が殺伐しているわけではない。ネットは遅いけどチャットくらいはほぼリアルタイムで出来る。
人生に目標があったらよかったんだけど、ケヴィンはた胸を焼き焦がす感情の炎が体中をめぐらすことで生かされていたような感覚だった。
その炎の主人を神と呼ぶか。ケヴィンはキリスト教は信じない。最近の若者はキリスト教なんぞくそくらえという人も少なくないしケヴィンもそういった類の人種である。
死んだ父親の顔を見た時か少しだけはくすぶっていたアメリカに住む白人男性特有のキリスト教に対して感じる淡い親密感も吹っ飛んだのである。
同じことばかりやってるありふれたハリウッド映画や長ったらしく状況を説明するためのセリフを連発するアメリカのテレビ番組は面白いとは思わなかった。
その時ネットでアニメのミームを見て、それに興味がわいて原作を見たらはまったのである。
日本文化のいいところはどうでもいい説明をいちいち会話で話さないところにある。アメリカは、大陸の半分を国にしているだけあってそれはもういろんな人間が住んでて、だから互いの状況を説明することを幼いころから学びそれを強いられる。授業でエッセイを書かれるのも互いの状況をただ英語が使える他人に説明することを求められる状況が一般的だからだ。
特にニューヨークやLAなどの都会に行って生活するとなるとどうしてもそうせずにはいられない。
それに比べ日本では会話をしたら何となく互いに通じる感覚があって、会話そのものではなく表情や会話と会話の間にある沈黙などによる非言語的コミュニケーションによって人間関係が成り立つのが見ていて心地よかった。
何かを喋って伝えないといけない強迫観念がいつまでもお腹の中を圧迫してくる雰囲気から距離をとることができる。
それに耐えられない人はつぶれるだろう、結構簡単に見つかるものだ。暴飲暴食に走るのにもそういった心理的な原因がある。
食料の砂漠という、陸地側に住んでる人たちはファストフードではない新鮮な食べ物が安価で手に入らない場所は少なくないと聞くが、ケヴィンはカリフォルニア州に住んでいた。西海岸はアジアと近いこともあってweebになりやすかったのかもしれない。LAにはいかないが。LAの人は何事も率直に言うように見えて後ろで何かやってる。それが何なのかわからないわけではないのにそれを言えないような不気味な雰囲気があるので、就職は地元でしようと思っていたのである。と言ってもそんなにやることがあるわけではなかったし選択肢なんて最初からあってないようなものだったが。
だからとなぜ軍に入ったのかと、彼を知っている人たちはよく言っていたものだ。確かにケヴィン自身もちょっとバカな決定だったかもしれないと少しだけ後悔をしなくもないが。
ほかの選択肢が仮にあったとして、それでもケヴィンの胸の中に彼を燃やしていた炎は彼を危険な場所へといざなったのだろう。ケヴィン自身も自らが何となくそのような心理的状態であったことは自覚していた。
だから人を殺すことにも拒否反応とか抵抗を感じなかったのかもしれない。上官には褒められた。
相手はテロリストだったので。
ただこの辺りは、調べてわかったことだが、イランが組織した民兵隊の方がずっと役立っている状態で、米軍や多国籍軍、ロシア軍などは爆撃とちまちまと目立つ連中に発砲をしたりと、大したことはしていない気がするが。
国際社会とよくいうものだけど、結局自分たちのことは自分たちでやるようなものだろう、アメリカはよく爆撃して町全体を壊しにかかるが、壊したところで再建をしているのはそこに元々住んでいる人たちである。
ケヴィンはアメリカが別に正義の味方とか民主主義を守護している側だとか思っているわけではない。
これはパワーゲームだ。ナイーブな人たちはパワーゲームの本質をよく知りもしないまま人道主義を主張するが、じゃあアメリカがやらなかったらどうなるかに対しては想定しようとしないし、そもそもアメリカがやらないとう選択肢がないことを考えようとはしない。
そこに脅威となる可能性があるなら事前につぶすだけのこと。自国のためにやっていると言えなくもないが、自分が相手より明らかに強いのに相手が何かしようとしているのを見て見ぬふりをしようというのか。
別に正当化をしたいわけではないが、力を持ってる立場で何もしないわけには行けないという強迫観念はついて回るもので、別に好きでやっているのではない。
アメリカ人ではないと理解されないようなものでもないだろう。
と言っても軍で何十年も過ごすとは思ってない。
それはそれ、これはこれ。大学を卒業し、軍に入って6年と少し。28歳になったケヴィンは三年ほど前にお酒に酔ってはその場のノリと勢いで入れた刺青をレーザーで消したりと軍を別段問題もなく除隊、退役し、故郷に戻った。
軍でもアニメはずっと見ていて、暇な時は日本語の勉強をしていたためそれなりに日本語が熟達していたため、趣味を仕事にすることも出来なくもないと思っていたが。
まだ慌てる時間じゃない。ケヴィンは給料を日本のいくつかのゲーム会社の株につぎ込んで、それが結構大きなお金になったため、お金はそれなりにある。
ここまで日本が好きなんだから日本に行けばいいんじゃないかと、何となく考えてはいたケヴィンだったが、さすがに少しは休暇が欲しかった。軍での生活はもう懲り懲りである。集団生活に何かがあるたびにピリピリとする空気。
友人は何人か出来たが、別々の地域に住んでいる。アジア文化全般が好きな、カンザス州出身の黒人青年サミュエル、サムと呼んでる。
FPSより日本の対戦ゲームやアクションゲームを好むニューヨーク出身のアイリッシュ系青年カイル。
ちなみにケヴィンもアイリッシュ系の名前である。父が死んでから父方の親戚とは疎遠になり、イタリア系の母親による影響の方が大きいため名前だけのアイリッシュ系になったが。
主食はパンではなくパスタ。シカゴに住む母方の祖母はラザーニャとミートソース入りのスパゲッティがうまい。飛行機の長時間飛行を耐えて祖母の家に行くとそのようにいつもおいしいイタリアン料理が食べられた。その味が恋しくなったのもあって、母と共に北アフリカで買ったいくつかの記念品を手にシカゴへ。
子供のころと変わりない料理を食べて少しほっこりするも、祖父母の顔は前に見ていたよりずっと老いていて、少し物悲しいと思わずにはいられない。
将来のことや結婚はしないのか、子供はいいものだとか言われる。
まだ仕事も見つかってない。結婚をするのは仕事を見つけてから。
ちなみに母はケヴィンが軍にいたころにはちゃっかり再婚していた。いかつい顔だけどよく笑う口下手な筋肉ムキムキのおっさんと。なぜだ。母は目元が優しく今でも魅力的な体付きをしている。普通に可愛いのである。ケヴィンは母親と暮らしていた時にたまに見る母親の裸を時々思い出してはよくあの体つきで再婚しないものだと嘆いていたが、さすがにマッチョと再婚するとは思わなかった。
母に優しいのは見ていてわかったが、ケヴィンを見るとあの図体でびくびくしているのが面白い。
ケヴィンが軍に入ったからか。
それなら普通にThank you for your serviceでも言ってくれたら頷いてすぐ会話をするものだが。
そんな、新たにできた父を父ということはなく。
母はDadと言ってみてとか言ってたけど、さすがに言えない。互いにいい大人なので、名前で呼んだら母に怒られたのである。おっさんは笑っていたが。優しい性格なのだろう。
軍での生活はどうだったかと祖父は質問をしてきた。
祖父はベトナム戦に従軍していて、ケヴィンと軍での経験を話したがっていた。子供のころにいくつか聞いていたが、大人になって、実際に軍での経験があった状態で聞くと話の重さに違いが…。
違いなんてなかった。子供のころに聞いた話を繰り返すだけだった。
知ってた。
人なんて変わらないものである。二時間も続いたけど、冗談をいくつか交わしたのは変化と言えなくもないかもしれない。
それで最後にはまた子供を持つといい、結婚すると幸せになるなんて言われた。
そんな結論に行かなくてもいい。ケヴィンは呆れながらもその場では頷いた。その空気は嫌いじゃなかった。親愛のハグをしたことで家族の温もりを感じることができた。それでいい。
父方の祖父母には長年会ってない。仲が悪いわけではないが、今更会うには接点が死んだ父というのはあまりよろしくないと。
祖父母が母とおっさんの馴れ初めを聞き始めた時にケヴィンはテラスに出て缶ビールを飲んだ。
どこへ向かうべきか、自分に選択肢があるように見えてなかった20代も終わりを向けようとしていた。