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1話 ケヴィンはweebである

ケヴィン・フィッツジェラルドはいわゆるweeb、日本と日本文化が好きなアメリカ人青年である。主に勉強とバイトの間にバトル系のアニメのアクションシーンだけを何回も繰り返して見ていた。

そんなせわしない男の子のケヴィンだったが、本場の日本とは違ってweebだからとbullyに合うこともなく10代を終えたのである。

主にアメコミと玩具を楽しむnerdやgeekと違って、weebはそもそも認知さえされないことも多いのである。

日本のアニメや漫画は基本的に外国の文化である。殆どのアメリカ人にとって外国の文化は等しく外国の文化なので、アニメだからと特別だとか、そういうことはなくもないが、ほぼないようなものだ。

若者がアニメのミームを知っている程度で、メインストリームは本国の、ハリウッドやPCゲームのようなアメリカの文化である。

ただ一部のweebがまるで日本の一部のオタクのようにコミュニケーションに難があるが、アメリカではquiet kidと言って、あまり喋らない子には近づかない文化がある。

アメリカで誰かが何を考えているかわからないってのは奴が連続殺人犯や銃器乱射をする可能性、ソシオパスである可能性も秘めていると感じているので、下手に刺激したらどうなるかわかったものじゃないと距離を置くのである。

ただケヴィンはそんなquiet kidとよく遊んでいたし、彼自身は会話もスムーズにできる子だった。

実家から少し離れた場所にある大学に入ってからは趣味のために書店でバイトを始めた。

休みの日にはアクションゲームを片方の画面でプレイしていて、もう片方の画面では声優さんが声で音読してくれるオートプレイのできるギャルゲーや乙女ゲームをプレイするというようなことをして過ごした。

コスプレも好きだったのでいくつか、少年漫画が原作なアクションアニメなどのキャラのコスプレ衣装を持ってて、ハロウィーンパーティーなどにその服装で参加しては、なんの仮装?とよく聞かれたものである。

乙女ゲームまでもプレイしたのは別に彼がバイセクシャルだったからではない。彼は女の子が好きで、よくいくつかのウェブサイトでhentaiと検索したら出る画像や映像を見て興奮していろいろ垂れ流した。

本人の性的趣向が雑食だったためBLと乙女ゲームまで幅広くなんでも楽しんだだけにすぎない。

彼にとっては結局のところ文化に過ぎず、雰囲気が好きだからプレイする、そもそも声が聞くだけで楽しいとかそういう感覚だったのだろう。

アメリカではよく積極的に物事に取り組むような姿勢を自ら取らないことを、自分でも許せないような感じになってしまうのだ。ケヴィンも例外ではなかったというだけの話。

彼はチャットで会話をする機会も多く漫画や翻訳を経て出版されたラノベ以外にも普通に読書好きでよくいろいろ読んでて、weeb同士では話も弾むものだからとコミュニケーション能力もそれなりにあった。

そのため自身がある態度で、見た目もよく、何回か彼女を作って付き合ったこともあった。

だけど何となくしっくりこないような気がしたのは否めない。アメリカでは同年代の、思春期の女の子は理想主義になりがちで、よく物事を理想に基づいて話すような喋り方をする。

それでもこっちが引っ張ろうとするとどこに地雷があるかわからない。そんなやり方は好きじゃないと振られ、じゃあこっちが妥協してそっちに主導権を渡すと引っ張てくれないと振られ。

一体どうしろと。

人気者とかモテモテとかではなかったが、さすがに自覚はしていた。どこか達観しているような目、自然と他人を配慮する口調、整った顔立ち。さすがにスポーツや芸術などで目立つ連中に比べるとそこまで注目はされないが、デートに誘ったら乗って、そのままコンドームを挟んでの性行為くらいまでは簡単に行けちゃうのである。

だからと自尊心が満たされて、とか。そういうのはなく、ただの日常の延長線上にあるものでしかない。

むしろこっちが、ケヴィンのほうがトロフィー扱いをされる。女性に声をかけたらかけたてかけられた立場として求めることを用意してると期待される。

つまり心理的な負担があるわけで。そのためビデオゲームの方が彼女よりいいと言っている人の気持ちがわかるものである。

よく若い女性とかは男なんて女のことしか考えないというが、そんなわけあるか。人と深いところにまで触れあいたいだけで、こっちに期待されてほしいからやってるわけではない。

深いところにあるものを外に出す機会が与えられないと人は簡単に歪んでしまうものだ。性欲とよく言うが、性欲よりハグが欲しい。後ろから抱きしめて同じものを目にして心に安らぎがあったらそれだけでいい。

要するに愛し合いだけである。愛に性行為が含まれるのであって、性行為のために愛してるわけではない。

それこそ本末転倒である。

その対象が同性の人もいるのな人にもケヴィンは理解があった。もしかして自分も男性と抱き合って、なんて想像してみたがあまり満たされない気がしたので、多分違うのだろうと思った。それを気持ちが悪いとか言ってるホモフォビアのほうが気持ちが悪い。

本当に異性愛者なら同性相手には気持ちが悪いというより何も感じないのが正常である。何かを感じてる時点でそこには何かがあって、そしてその何かを自分で自覚していない。アメリカではホモフォビアが実際にセクシャルマイノリティを撃ち殺すような話もたまに聞くので、精神病の一種と言えるのではないかとすら思えてしまう。

話を戻すとケヴィンは異性愛者で、ただ触れ合いが欲しかった。だがそれが思うようにはいかなかった。口説いて、デートを重ね、唇と肌を重ね、またデートをして、断られる。

遊んだわけではない。本気とか遊びとかそういうことをいちいち考えたりはしない。

ケヴィンは年齢と時代的にミレニアル、Y世代に該当していて、安定趣向の強いミレニアルはよく結婚を死ぬまで互いが求め続けるようなものだと勘違いしてはその高すぎる理想に自らの現実がぶつかっては砕け散り、逆に離婚率がほかの世代より高いという話だけど、ケヴィンはそんな執着じみた理想なんて抱いていなかった。

享楽的ではなくとも、理想的ではなくとも、人は自然と時間を過ごせるものである。自然とそう感じたらそれが自分の現実となるわけだ。

その考え方は彼が今まで付き合ってきた少女たちにはあまり伝わらなかった。

これにはやはりというべきか。

自分の容姿と雰囲気に彼女たちからも何かを見出したくせに、それが自分が思ったことと違ったということだったんだろう。


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