第02話『運命を分ける時』
托生は、しばらくしてから落ち着いたようだ。
今や椅子に座り、大人しくしている。
「お兄さん…どう?落ち着いた?」
「…ぁぁ」
心配して駆け寄ってくれた、服を着た心花の声かけに、托生は非力ながらも返事を返す。
「…うん…よかった」
まだ不安は拭えないが、さっきよりかは明るくなった…かもしれないというところか。
心花はほっと一息ついて、胸を撫で下ろす。
「心配かけて…ごめんな…」
心花は小さく頷いてから、赤くなった目頭をこちらに向けた。
いかに落ち込んでいたとはいえ、今までには、托生が自殺に追い込まれるなどということはなかった。
どれだけの苦しさを受ければここまで追い詰められるのか、心花には理解が及ぶ次元ではなかった。
心花も机に座って、前髪に隠れる目を覗き見る。
「…」
見えない…。
「うぁっ…」
「…?」
托生の顔が、声とともに苦痛に歪む。
「…?兄さん?」
心花は托生の方に傾いて、苦しそうにする托生を心配する。
「どうしたの?」
「…ただの…頭痛だ」
「そ、そう…それならよかった…」
だが、心花の心の奥では、一抹の不安が燻っていた。
托生はそうは言っているものの、彼は一向に顔を上げない。
「どうしたの…?」
「…──」
いよいよ、彼は何も言わなくなる。
それどころかむしろ、彼に新たに変化が起きる。
「…っ!ぁぁあ…っ…ウゴァ…──」
呻き声を出しながら、体を震わす托生。
心花が嫌な予感を察知したその時──
「…ぁ…ああ…ヌゥああ…──ぁぁあアアアアッ!!?」
「ひっ…!?」
狂乱したかのように叫びをあげる托生に、心花は目を見開く。
その叫びとともに持ち上がってきた顔は、目がかっ開き白目をも向いていた。
彼は頭を抑えながら、部屋内を彷徨きまわる。
「な…なに…どうしたのっ──いやっ!」
駆け寄った心花を突っぱねて、狂乱した托生は部屋内を走り回る。
手もつけられぬ猛獣かのように、彼は留まることを知らなかった。
「ァああアッ…ギャ…ァアアッッ!!」
彼はそこに倒れ、ジタバタと暴れまわる。
「なにっ…なんなの!もうイヤッ…イヤアアアアッ」
目の前で突如暴れだす兄を見て、心花ももはや気が狂いそうになった。
悪魔に取り憑かれたようだった。
涙を流し、床に頭を打ち付け、托生は呻く。
「ァアッ…!ゥウガ…──…ッ!ーッ!」
いよいよ呻く機能さえなくなる。
声もなく叫びをあげる托生──せいぜい、弱い息が喉を掠るような音だけが、彼が本気であげる叫びであった。
──バギィッ!!
そうして彼は、頭を強く床に叩きつけた。
テーブルさえも震える程に、強い衝撃が起き…──。
「…」
「…っ…──え…」
托生の絶叫が止まり、次にこの空間を支配したのは、沈黙だった。
さきほどまでに騒々しく暴れていた托生も、そこに倒れて、ピクリとも動かなくなった。
「…に…兄さん…?」
托生に駆け寄った心花は、托生を起こそうと揺するものの、躰は動かない。
このまま眠ってしまったのかと、そう一縷希望に縋っていた。
だが──…
押した衝撃で、托生が転がる。
そこで心花は、絶句する。
息を呑み、彼女はそこで、托生の現状を確証した。
「っ…!?」
虚ろになった目は光を失い、呼吸を確かめる胸の上下もない。
「う…そ…」
心花は全てを悟る…
信じたくなかった…──先程まで話していた人間が、活気よく暴れていた人間が…こうなってしまうなどとは…。
「イヤ…そんなの、イヤだよ…──」
「」
声を返しはしなかった…──返事を返さないのはいつものことだったが、それでも何か温かみは感じられていた。
確かに存在していた愛情と、そして人間味。
だが、今はそのようなものは存在しない。
ただひたすらに、冷たさが心花の心を凍てつかせた。
たった一人の兄の夭折と、そして虚無感。
兄──托生は、これを持って、この世を去ったのだ。