第17話『なけなしの希望』
今思い返せば、自分の受けた災難の多さに失笑してしまう…──ただでさえで情弱な托生は、この状況にはとっくに正気を失っていた。
底なしの沼は托生を完全に飲み込んでなお、さらに引きずり込んでくる。
「…」
気づかぬうちに、もう何度も死んだ。回数など数えていない。
死に及ぶその前は、絶望的な状況からの脱出を望んではいるが、それからは恰も常人のように、“死にたくない”という自分が度々顔を出す。
「(そうだ…そうだよ…──端から運命は決まっていたんだ…)」
この人生では、もはや希望を望んではならない。
絶望の泥にまみれたなけなしの希望は輝きを失い、托生の生きる意義も消滅させていく。
この世界には心花はいない…バイトリーダーもいない…──彼女らの優しさにもっと甘えておくべきであった。
だが無理もないか…こんな地獄を見るとは思いもしなかったのだから。
──受難と言ったが、この馬鹿げた世界に来てから遭遇したものだけではない。
不安定な精神は日を重ねるうちに荒んでいく──それに追い打ちをかけるように、アルバイトでのいじめも絶えず…。
気付けば無意識のうちに、首筋にカッターナイフを携えるようになっていた。
生きる目的とは何だろう…。
もう希望を持つのも馬鹿らしい…──人生の表面をいくら希望で塗っても、所詮は剥がれて絶望が顔を出す…。
──この状況が、正にそうだ…。
托生は正気を失った3人の男に殴られながら、その度に近づいてくる死に見惚れていた。
「ケヒヒ…ッ──ハハハ…ッ!!」
目を閉じれば見えてくる…ドス黒い檻の奥から、髪と思しき者が見つめてくるのが…。
「こ…こいつ…笑ってやがる…!?」「クソッ!何だコイツ!?」
腕や足の骨を折られ、内臓などを傷つけられても、托生は笑っていた。
「こッ…このバケモノォオーッ!?」
巨大な鈍器を手に取ると、男はその醜悪な所業を見かねて、托生の頭に鈍器を振り下ろした…。
「し…──く…ぬぇ」
いつだったか言ったようなことを、繰り返し言ってしまった。
──…今更、何を…
──ガッ!
鈍い音がした。
だがなぜだろうか…痛みはやって来なかった。
「…と…止まった…」「何が…起き──ヒヤアッ!?」
托生の前で止まった鈍器を見たとき、男は目を見開く。
「ボッ…ボス!?」
気付けば、目の前のボスに睨まれ、男は正気を取り戻していた。
「お前等…ここで何をしている…拷問室は闖入者を収容する場ではないぞ…」
「あ…ぇ…」「か…──あっ…」
──ガランッ…
力を失った男の手からは、鈍器が滑り落ちるように落とされた。
「タクセーさん!」
男の後ろからソータが托生に寄り添った。
彼女は托生を見て、驚愕した。
「ひっ…!?」
「がっ…ぁあぅ…」
手足は拘束され、赤く腫れ上がった皮膚、そして衝撃で凹んで血が流れなくなった部位は、彼が数えられぬほどのの痛みを受けたのを否応なしに物語る。
「だ…大丈夫ですか…?」
「…」
托生の顔が、ゆっくりとソータに向いた。
そしてその目が、ソータを見た。
キ…
「…ッ」
その目を見ると、ソータは声すら出なかった。
そこから見えたのは、あまりの絶望に一切の希望を消滅させた目だったのだ。
「くっ…!」
何より許せないのは、彼を縛り付け痛めつけた男共だ。
いったいどれだけの人智を越えれば、このような所業に走るのだ。
「この…ッ!」
ソータは思い切り睨みつける。
無抵抗人間を、どういう了見で傷つけたか。
しかし、男の方を見るとそこには、意外な光景があった。
目の前に活力を失って倒れる傷だらけの托生を、男共が見たその瞬間…──
「ひっ…ひあぁああッ!?」「なっ…何だこれはあっ!」
ソータの目に映るのは、男が声をあげてのけぞる姿であった。
「(ど…どういうこと…!)」
ソータは、目の前の情報に理解が追いつかない…。
横を見ると、他の男も恐れる様子だ。
ボスは何かしら事情をわかっている風で、男から目をそらしていた。
「こっ…こいつを…──俺が!?」
「ふざけないで下さい…!これだけ痛めつけておいて何を…!!」
「う…嘘だッ!!」
訳がわからない。
この状況の混沌さは、理解が追いつく境地ではなかった。
「お…俺はこんなんになるまで…!」「許してくれえぇエ!!」
「…!な…何がどうなって…」