第10話『壊れゆく精神』
「(もう…いい加減に…しろぉ)」
托生は暗い空間で、心の中で弱々しくぼやいた。
いかに不死身とはいえ、こう何度も死ぬことになっては肝が冷え切ってしまう。
「また…ここかよ」
また、かの巨大な牢獄の前である。
いったいここは何だというのか。
「…」
呆れて声も出ない。
決して解消されぬ謎が、よもや限界寸前の托生のストレスを、どこまでも引き上げてくる。
もはや限界だ。ややもすれば爆発しそうだ。
「くっ…──」
嗚咽を堪えた途端、托生の周りに何かが起きる。
──ボゥアッ!
「ッ!?」
突然にして、托生を囲むように炎が燃え盛った。
状況の変化が唐突すぎるあまり理解が追いつかず、彼を目にして回る炎の竜巻を、ほぼ無反応で見ることしかできない。
『フッハッハッハッ!!』
空間にとこからとなく響く、哄笑の大音声。低い男の声のそれである。
その声に気付いた時には、炎の竜巻は形を変え、托生の前に、1本だけ聳える柱となって燃え続けた。
そしてそれに、目のような2つの器官が宿る。
『…幾十年ぶりの目覚めかッ!』
火の柱は、その声の興奮に合わせて勢いを増した。
「…」
目の前にいる謎の何かの巨大さは、後ろの牢を隠すほどだった。
だが、托生は…──
『む…?』
「…」
…ただ一点、その火柱を睨みつける。
それは、極めて鋭かった。人間にこんな目ができるのかというほどに険しい目付きである。
それも、意識的なものではなく、むしろ無意識であった。さっきのソータへのものに似たものであろうか。
「ほう…うぬがワシの享受者か」
「…何…言ってんだ…」
火柱の不可解な発言に、托生はその睨みを解かず、そう問い返す。
『ほう…ワシを見てその態度を保つとはな…──』
火柱は目を見開いて言う。
目だけのその容貌では、表情が見えないが、そのときその目は細められた気がした。
『面白い…』
「は──ぁあ…?」
様子を見るに、どうやら気に入られたらしいが、釈然とせぬ托生は困惑の色を浮かばせる。
「テメェ…誰だ」
托生の質問を聞いて、火柱はさらに笑みを湛える。
『我は、正義の神!』
大雑把とした返答に、托生は理解が及ばなかった。
「名前を聞いてんだ」
『…名前などない…ワシは正義の神なのだ』
「…本当に…神なんだろうな」
「ワシは神だ…人を騙すことには何の意味もあるまい」
本当に嘘をついていないらしい。
だが、理が尽くされていないのは、今のこの状況に他ならなかった。
「…何なんだ…この状況は」
『というと…?』
問い返す神に、托生は怒りを覚える。
「何聞き返してんだァ!?テメェが神ならヨォッ!全部知ってんじゃねえのかアァアア!?」
神相手に、腹の底から恫喝する托生。
いつも寡黙な托生から出たそれは、上ずって震えていた。
彼を見て、神はそれに何かを感じ取る。
彼の中の何かが、断たれたらしい…──だが神は、答えは返す。
『ワシにある知識は、決して全てと言えるものでh──』
神の話をそこまで聞いた托生を、神の知恵を持ってしても日本には帰れないのかという危惧が一気に襲いかかった。
…ブチッ…
「チッ…──ぐぅ…ふざけんじゃねエぇエッ!!!」
腹から喉へ、一気に
托生は、そこに跪く。
「うぁあ…ッ…ウァアアアッッ!!」
慟哭し、喉を傷ませながら叫びだす。
「とッとと教ェろォッ!!日本に帰るに…どうすりゃァ…ッいいんだよオオオッ!!?」
『おい…』
「神のクセ…何も知んねェのかァ…!?…フザッけ…──…グゥアアアアアッ!!」
神から見ても、そのざまは目を覆いたくなるものであった。
地面で駄々(だだ)をこねる子供のように、托生はそこに倒れ暴れる。
神を目の前にして正気を失った托生は、もう誰の手によっても止まることはなかった。
「俺ァこレッから…モぉオどうすんだヨォおアアああアッッ!!ゥアアアッッ…!」
托生の精神がすり減っていくのを、神は重たい瞼を閉じる。
『致し方ないか…──』
※
──視界が、明るくなる…。
「──…ァアアアアッッ!!」
劈くような絶叫をあげて、硬い岩肌に横になっていた托生は飛び起きる。
「ひっ!いやぁあっ!」
それに声をあげて驚くソータが目の前にいる…──どうやらまたもや戻ってきたらしい。
落下からこの状況までを説明するなら、托生が死んだ後のソータは、落ちて行く托生を追って魔法で崖を降りた。
そして、やっと追いついた托生を抱きしめると、彼女は風の力を介した魔法で落下速度を抑制したのだ。
崖に身を削られるようにして落ちた托生はひどい出血ではあったが、死んではおらず気絶しただけであった。
ソータは諦め掛けてはいたが、丁度そこで、托生が意識を取り戻す。
「ハァ…っ…ハァッ…!!?──っ!」
「だっ…大丈夫ですか?タクセーさ…──」
ソータは、そこで托生を見て絶句する。
「…っ!?」
彼女と目があった托生の顔に、感情が入り込んだ。
「へへっ…へへぇ」
だがそれは、もはや感情と呼ぶことさえできない、狂気的な笑いであった。
「へっ…へへへハハッ!!」
「た…タクセーさんっ!どうしたのです──」
死後、托生が何かを体験したのだろうというのは、ソータは理解していた。
だが、いったい何を体験すればここまで追い詰められるか…ソータの脳内を数々の疑問が支配した。
「うァあっ…ハアァアア…ッッ!!」
涙を流しながら、托生はソータに泣きつく。
「ちょっ…どうし──」
「こ…ろ…──」
「…!え?」
ソータは托生が言おうとした何かを、焦りの中でも聞き入れる。
「…ころ…ぉ──…殺セエエエエッ!!」
抱きしめたソータを揺らしながら、叫び嘆願する。
自分が起死回生の能力者であり、死後に見た世界だったのだと考えた托生は、ソータなら自分を楽に死なせてくれると考えたのである。
だが、ソータはそのバックボーンを知らない。知るはずもないし、知ったとしても殺しはしなかろう。
「神ニィ…ッ…ハァ!神ニあワセロオオオッッ!!」
「あなた…何を言って…」
「ゥガアアアッ…──ァアッあアッ!!」
そう問いかけるのにも反応せず、托生の狂乱は解かれない。そもそも声が届いていないのだ。
このままでは埒が明かないと、ソータはやむを得ず思い切った行動に出る。
「…っ、すみませんっ!」
魔力を少し腕に溜め、鳩尾に掌底を叩き込むと、托生は泡を吐きながら、嗤ってそこに気絶した。
ただの気絶なので、じきに目を醒ますであろう。
倒れる托生を受け止めると、あまりにも軽かった。
先程までの騒々(そうぞう)しさが嘘かのように、そこは鳥の鳴き声や風の音だけが響くだけの空間となった。
「…」
托生に突如起きた変化への驚きが抜けきれずとも、ソータは托生を背負いながら、崖から降りて近くなった街へ、再び進むのだった。
再び落ち着いた托生からでさえも、何故だか涙は流れていなかった。
正義の神にさえも、先程も、そして今までも…。