嫌がらせの定義
婚約破棄ものを一度書いてみたかったので、挑戦してみました。
3月24日 日刊一位をいただきました。
読んでくださった皆様、評価してくださった皆様のお陰です。
ありがとうございました。
「第一王子ベルナルド・ハイランジアは公爵令嬢アリシア・ハノーヴァとの婚約を破棄する。そして、ここにいるリリアーナ・モーティ男爵令嬢を新たな婚約者とする。
リリアーナに嫌がらせをするアリシアのような女は国母に相応しくない。お前は国外追放だ!!」
「アリシア様。私は……私は、謝ってくださればそれでいいんです」
何を見せられているんだ。
この茶番は何なんだ。
お嬢が放置しておけと言うから、捨て置けば……。
『ちっ、昔から王家はロクなことしねーな』
婚約破棄を突き付けられたお嬢を見やれば、無表情を張り付けて佇んでいる。怒っているようでも悲しんでいるようでもない。
『あんな頭の悪そうな乳臭いガキのどこがいいのかねー』
姿形の話ではない。リリアーナ・モーティ男爵令嬢は鮮やかな紅い髪にルビーのような紅い吊り目がちな瞳、豊満な胸元がドレスから零れ落ちそうだ。自分の魅力を理解したうえで選んだであろうドレスもよく似合っているし、美しいと言われ慣れているのだろう。隣に立つ第一王子に体ごとしなだれかかっている。男は解り易い行動が好きなもんだ。だが、その行動は娼婦か一歩間違えば痴女の類。
対してお嬢は小柄で華奢だ。十五という年齢から考えても、美しく成長するだろう。グレーの髪にアメジストのような澄んだ紫の瞳……代々王家の者しか持ちえない色。それを知っているのは暗部の中でも極一部になった。
今年デビュタントを迎える者たちを祝う初めての夜会で、自分を標的に繰り広げられつつある醜聞。その中で落ち着き払った姿こそ、幼くても影の王家と言われる公爵家の一人娘の姿だ。
「私がそちらの御令嬢に行なった嫌がらせとは、どのようなものでしょうか?」
「まだ、そんなことを言うのかっ」
「私はアリシア様に教科書を破かれ、水をかけられました。大切にしていたお母様の形見のネックレスも壊されました。意地悪をたくさん言われて、階段から突き落とされもしました」
「わたくし、そのようなぬるいこと致しませんわ。そんなの平民の子供のイタズラではありませんの。公爵家の令嬢のすることではありませんわ」
お嬢はデビュタントのドレスに合わせた白い扇子を口元で広げると、会場を凍り付かせるには十分なほどの冷めた言葉を紡いだ。
小さな衣擦れの音も息遣いすらも大きく聞こえるほどの、痛いぐらいの静けさが広がる。
「お前じゃなければ、誰がやったというんだ! 公爵家の権力を使って俺の婚約者に無理やり収まったばかりか、俺の愛情がリリアーナに向いていることを嫉妬しての行動だろう。浅はかにもほどがあるぞ」
静寂をものともせず、第一王子ベルナルドが喚き散らす。
「何を仰っていますの。わたくしたちの婚約は王家からの勅命で、断ることが許されなかったのではありませんか。
ですが、婚約破棄と国外追放は願ってもない嬉しいことですから、そちらは受け入れて差し上げますわ」
ふふふっと、誰もが愛らしいと判断するであろう微笑みを浮かべて小さく小首を傾げた。
「折角ですから……わたくしが思う「嫌がらせ」というものを見せて差し上げますわ」
見るもの全ての思考すらも奪いつくすような嫣然とした微笑みを浮かべた後、お手本のような美しいカーテシーをして優雅に退出した。
ハイランド王国は、建国六百年ほど経つ現在まで、大きな戦は起こっていない平和な国だ。東西に肥沃な土地が広がり、北は自然の要塞と言われる霊峰ハイランジアがそびえ立ち、南は豊かな海に面している。
ハイランド王国は、小競り合いを繰り返していた周辺の小さな国々をまとめ上げてできた国で、ハノーヴァ公爵家は建国当時、他の貴族家と同じように王家を支えたに過ぎなかった。当時の当主が、周りに比べて調整能力に長けていたため、宰相と公爵家を拝命することになった。この時、宰相となったハノーヴァ公爵家の娘を娶り王家を興したのがハイランド王国の始まりだった。
こうして、ハノーヴァ公爵家の娘を母に持つか、妻に持つことが王位継承の暗黙の了解となった。
半月ほどして「この劇はハイランド王国の史実が基になっているが……」という意味深な謳い文句の劇が隣国リンデンよりやってきた。
建国から二百年程経ち、公爵家の娘を祖母に持つ時の王太子は、生まれる前から公爵家の令嬢との婚姻が決定していた。学院に上がると王太子は、ある男爵令嬢を好きになった。王太子は、父王は自分の選んだ娘との婚姻が許されたのに、自分が許されないことに腹を立てた。公爵家の令嬢がいなくなれば自分も、好いた男爵令嬢との婚姻が許されるだろうと、王妃教育のために登城した公爵家の馬車を襲撃させた。公爵家の令嬢はその時の怪我が元で帰らぬ人となった。二人の兄よりも出来の良かった令嬢が標的にされたことで、王家は暗部の怒りを買い人知れず粛清された。影武者をしていた暗部の者がそのまま表に立ち、王家の暗部も公爵家に従うようになった。
これが、公爵家が影の王家と言われる所以であると。
名称など多少変えてはあるが、公爵家も王家も誰のことを差すか、すぐにわかるだろう。それどころか、今回の王家の起こした醜聞と酷似していることに誰もが気づいただろう。
「お嬢、暗部が王家を粛清したことを公表して宜しかったので?」
「いいのよ。
王家を保つために必要なのは、ハノーヴァ公爵家の娘を母に持つか、妻に持つこと。なんて、法でもない縛りがあるから、余計な争いになるのよ。もう必要ないのではない? わたくしは追放されたのだから、王国には戻れないわ。母様が妹を産んでいなければ、公爵家もお取り潰しでしょう?
貴族家が今までのように王家に従うかはわからないけれど、建国当時の血筋を保っていないことを問題視するなら、王家は無くなるのではないかしら。どうなさるのかしらね」
お嬢は婚約破棄の当日すぐに国を出た。ここはハイランド王国から馬車と船を乗り継いで一月ほどだが、この国は入国のための事前審査が厳しく、事前審査に通っても中の者の案内がなければ国に入ることができない。どんな理由があろうとも、例外は認めていない。
「嫌がらせには程遠いけど、王家に一矢報いたのだもの。これ以上は許してさしあげるわ」
「王国の不正を正すなら、今ですよ。領主の悪政と搾取に苦しむ領民が増えてきています」
「領民が苦しんでいるのはよくないわね。後のことは任せるわ」
「かしこまりました」
「貴方たちが集めてくれた真実を晒すことしかできないなんて、わたくしも大したことないわね」
むぅっと、口を尖らすお嬢は年相応にかわいらしい。
「お嬢が思う「嫌がらせ」というのはどのようなもので?」
きょとんとして目をぱちくりすると、真剣な顔で考え出した。
「そうね……嫌がらせを受けているって相手がわからないといけないから……。
行動を把握する間にその方の周りに、仕掛けるところから始めるかしら? 当人は最後よね。後は……どうして嫌がらせを受けることになったのか、教えてさしあげるかしら?
でも……貴方たちがいなかったら、わたくし、嫌がらせの一つもできないわ」
劇は真実で王家の血筋は一度途絶えているのではないかと、平民のみならず貴族の間でも、まことしやかに囁かれるようになっていた。王家は噂の火消しに奔走したが、王家の影も姿を消した今、火に油を注ぐだけで一向に静まる気配を見せなかった。
それどころか、貴族家の醜聞が人々の口に上るようになっていった。侯爵家の人身売買に始まり、辺境伯家の幼児売春は大きな話題になった。密輸や領地での税の横領などは、不正を働いていない貴族家を数えた方が早いくらいだった。
王国の今後を議論するべく、貴族家当主たちが集められた。人身売買や幼児売春といった重い犯罪に手を染めていた家々は爵位及び領地を没収の上、処刑と決まった。処罰の対象となる家が余りにも多かったため、密輸や横領などは軽い犯罪と見なされ当主交代の上、当事者は鉱山奴隷に送られることで済まされた。
「僕はこれこそ、言っちゃっていいの? という気もするんだけど……。断れるような立場でもないから仕方ないか」
宰相は歯切れ悪く、懐から封書を取り出すと陛下の方にちらりと視線を向けて、感情の抜け落ちた顔と声で読み上げた。
「国王陛下と王妃陛下は白い結婚です。王子殿下方はどちらも王妃陛下の実家の使用人との間にできた子で、陛下と血のつながりはありません」
誰もがポカンと口を開けている。言葉の羅列としては理解できるが、意味は分かりたくないといった様相だ。
「へ……陛下。真の話ですか……」
勇気ある者が、恐る恐る口を開き問い質した。
「女など気持ち悪くて触れるか。
アイツが、好いた男が余と同じ髪と瞳の色だと言ったのだ。王妃としての執務はこなす、好いた男との子を産ませてくれというから、そういう契約をしただけだ。
他の女は囲っておらん。余は契約違反などしていないし、疚しいことは何もない」
国王は、悪びれることもなく言い切った。
『疚しくないねー。どこでこうなっちまったのか……』
近衛によって陛下が連れて行かれ休憩を挟んだ後、話し合いが再開された。出席者たちは一様に疲れた顔をしている。
「宰相閣下、王家のことはどのように対処なさるのです?」
「ハノーヴァ公爵家の娘を母に持つか、妻に持つこと。というのは、ただの暗黙の了解だからもういらないでしょう。それを無くせば現国王にそのまま任せるのもいいんじゃない?
陛下にそのまま任せるのが嫌なら、新たに王の責務を担うものを募る?」
誰に向けてのものか、わかる者にはわかる「僕としては、指示してくれた方が有難いんだけどな……」という小さな小さな呟きを漏らした。
「ハノーヴァ公爵家が王家を名乗れば宜しいのでは?」
「公爵家が王家を名乗るかどうかを、僕の一存では決められない」
強い口調ではっきり断言する宰相に、多くの者が違和感を持った。
「ハノーヴァ公爵家は、家督を継いだ娘は娘を一人産めば、どこへ行ってもいいことになっているんだ。所在を知っているのは暗部の頭領のみだね。
妻が今どこでどうしているのか、生きているのかどうかも、僕は知らされていない」
信じられないものでも見るように、何人かの貴族家当主が目を剥いている。国は国王が統治している。議論のために貴族家当主が集められること自体、本来からすればおかしな話なのだ。
これ以上、理解不能な情報が出てこないように祈るばかりだろう。
「では、次のハノーヴァ公爵家はどなたが継ぐのです?」
「アリシアもいないからわからない。
王家の醜聞を公表しろと言ってきたり……今回は暗部がいつになく表に出てきているように思う。もしかしたら、ハノーヴァ公爵家は無くすつもりじゃないかな?」
「ハノーヴァ公爵家が暗部を組織し、雇っているのではないので?」
「ハノーヴァ公爵家が……無くなる?」
「ハノーヴァ公爵家をハノーヴァ公爵家たらしめているのが、暗部の存在なんだと思う。そもそも女系相続が唯一許されているハノーヴァ公爵家で、僕は婿養子だからね。知らないことの方が圧倒的に多いんだ。
僕の推測だけど……暗部はアリシアを自分たちの当主と定めたんだと思う。
劇の内容も真実だろうね。あの時もそして今回も、誰よりも怒ったのが暗部だった。だからこうなった。
僕はそう思っているよ」
『へー意外とちゃんと見れてるんだな。伊達に宰相はやってないか』
バタバタと廊下が騒がしくなり、鎧を纏った騎士たちが雪崩れ込んできた。
「リンデン帝国皇帝陛下よりの書状です。大人しくしていただければ危害は加えません」
宰相の話の後で、抵抗する気力がある者などいないだろう。王家は間違いなく粛清される。自分たちはどこまで許されるのか、気になるのはそちらの方だ。
『誰が手引きしたのかとか、誰も疑問にも思わねーの? 諦めちまった?』
「良かった。これで終わられて、丸投げされても、どうしていいか困るところだった」
宰相は明らかに安堵の表情を浮かべて、使者を迎え入れた。
王家並びに王妃の実家とモーティ男爵家は粛清の対象となり、毒杯を飲んだ。ハノーヴァ公爵家は嫡子の不在を理由に爵位返上を申し出たが許されず、公爵家並びに宰相としての立場が守られた。
温情なのか指示があったのか、家名の変更が許され、建国以来続いたハノーヴァ公爵家の名が消えることになった。
ハイランド王国はリンデン帝国の支配下に入り、リンデンより新たな統治者を迎えることになった。
一連の騒動は、デビュタントの夜会から三か月という短さで決着した。
たった一つの婚約破棄により、六百年余続いたハイランド王国は地図上から姿を消した。
ハイランド王国が無くなり、半年ほど経ったある日の紳士クラブの一角では、慌ただしい日々から漸く一息吐けた安堵から、いつも以上に気の抜けた会話が繰り広げられていた。
「今の王国の状況を見れば、あの時、アリシア様がぬるいといった意味もよくわかる」
「ああ。これがアリシア様にとっての「嫌がらせ」なら確かに、あの程度じゃぬるい」
「でも、これで嫌がらせなんだろう? アリシア様が悪意を持ったらどうなるんだろうな」
男たちはぶるりと身を震わすと、忙しなくキョロキョロと視線を送り合い乾いた笑いを浮かべた。
『お嬢は嫌がらせだとは思ってねーけどな』
お時間を取って、読んでくださってありがとうございます。
前作で、思いもよらずたくさんの方に読んでいただけて嬉しかったです。