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皇太子の陰は金星の夢を見るか  作者: 袋小路 どうして
23/23

幸福


 あの夜会から数日が経った。


 ステラはあの夜の言葉通り、ナサニエルの空いている時間を把握しては逢いに来てくれていた。夕方の時間に、短い散歩や茶を楽しみながら、あれこれ話をするのだ。皇太子の一言が効いてか、公務が増えたせいで束の間の逢瀬だが、ナサニエルはそれを楽しみに生活していた。

 最初のうちは専らステラが話し手で、ナサニエルは聞き役だった。彼自身はそれが自然な形と思っていたし、お喋りな可愛い恋人の話に耳を傾けるのは幸福だったので、満足していた。しかし逢瀬が三度目になったあたりで、彼女は自分ばかりが話している状況を気にして、『殿下のお話が聞きたいですわ』と言った。ナサニエル自身のことを、もっと知りたいと。

 ステラに比べて、自分にはそんなに面白い話はなく、思い出す限り陰鬱とした話題しかない。元々、聞かれれば過去のことも含めてもう話してしまうつもりで居たが、どれも貴重な逢瀬の時間に聞いて嬉しいだろうかと悩むものばかりだ。日頃の話をしようにも、出てくるのは精々皇太子である異母弟位のもので、生活にも無頓着なので思い浮かぶことはそんなにない。

 いまいち要領を得られずにいるのを、少しずつでも良いからとステラに宥められ、結局それ以来彼女が家族や日々の出来事なんかをつらつらと話す合間に、二言三言と自分の話をするようになった。ステラはその度真剣に耳を傾け、頷いたり微笑んだりする。ナサニエルはそんな彼女が愛おしくて、日没になっていつも離れ難くなる。

 そうして、曖昧な口約束でしかない結婚──正式な婚約者ではない立場が、もどかしくなるのだ。


 ナサニエルは、もうすっかりステラを手放す気がなくなってしまった。しかし、その一方で自分がそれに値する人間かという問題は、依然とその足を引っ張り続けている。

 その上、自分の離宮は公爵令嬢の嫁ぎ先と言うには余りにも寂れていて、物騒だ。どれだけナサニエルの思い入れがあろうが、彼処で人が死んだのは事実である。殺風景なのは目に見えるところから改善を試みているが、元々無頓着なのが災いして勝手が分からず、上手くいかない。

 そうして日数を重ねるごとに、焦燥感は募るばかりだった。もし、自分が口約束で浮かれている間に、誰かが彼女に縁談でも持ち込んでしまったらと思うと、どうしたって平静でいられない。だから、手元が狂って更に思い通りにならない。



 「まあ、だからナサニエル殿下にわたくしの扇が渡ったんですのね。すっかり皇太子殿下の掌の上だったなんて、気付きませんでしたわ」

 今日も、夕暮れ時になってステラが皇子に逢いに来た。今日の彼女は、新緑の季節らしい涼し気なエメラルドのデイドレスを着ている。淡い色合いが彼女の肌をより一層白く見せて、可愛らしい。中庭の隅、小さなテーブルに着いて時折ティーカップを傾けながら、ステラは表情をころころ変えている。

 ナサニエルはそれに目を奪われつつ、余計な世話の得意な異母弟の話をしていた。余計と言いつつも、アレクシスが手を回さなければ、今でもまだ離宮か物置に閉じこもって感情を持て余していたであろうから、文句が言えないのが質の悪いところだ。アレクシスはあれで、意味の無い悪戯はしない。大なり小なり、結果として必ず何らかの見返りを残す。

「あれは、昔からああいう性分だ。信用出来ると踏んだ人間にはよく懐くが、厄介な戯ればかりする」

一国の皇太子をまるで犬か何かのように言う皇子に、否定も肯定も出来ずステラは苦笑した。

 十年前に庭を駆け回る二人の姿を見ていたのだと、何日か前にアレクシス本人から聞いた。ステラのことは、アーサーの死後に第二皇子が当時の少年と解って、ナサニエルにとって特別な人間になる事を想定して、頭の片隅に置いていたらしい。ナサニエルは、当時十三歳だった第三皇子の顔を思い出してなんとも言い難い感情を覚えたが、考えるのをやめた。

 「でも、皇太子殿下のお陰でまたこうしてお話が出来るのですわ。今度、御礼を申し上げなければ」

「……いや……本人は半分悪戯を楽しんでいる感覚だから、別に……。あとは、俺への恩返しのつもりらしい」

 ナサニエルとステラを引き合せるというのは、アレクシスなりの『お礼』の一環なのだろう。侍従のエドワードが普通にできないものかと呆れていたが、心底同意である。身内に知り合いの異性を紹介するというのは、世間ではよくあるお節介のようだが、過程が過程なだけに趣味が悪い。そう伝えたが、事も無げに『俺は会わせただけで、頑張ったのは異母兄上なんだから問題ないだろ』と笑うだけで、話にならない。ついでに、ベイリー一家とも良い繋がりが欲しかったんだよと、奴はからりと言った。

 「恩返し?皇太子殿下の下で動いて居られた時の、という事で御座いますの?」

「ああ」

「もしかして、夜会の時に皇太子殿下が陛下に、貴方様が有能だと仰ったのも?」

宰相の娘というのは、伊達ではない。彼女は時々、殊更こういう話題で察しの良さを発揮する。

 アレクシスは、どうも本当にナサニエルにもっと仕事をさせる気でいるらしい。即位後には、議会に呼ばれそうな雰囲気さえある。形ばかりの皇子をやってきた自分に何ができるとも思えないナサニエルは、正直言って戦々恐々である。

 しかし、ステラが嫁いで来ることを考えれば、吹けば飛ぶような立場に甘んじているのも限界だというのは、分かっていた。宰相の娘を娶るからには、それに相応しい相手というものがある。ただでさえ自分がそうと言えないのだから、できる改善はせねばならない。それにもしもこの立場が呆気なく揺らいでしまうようなことがあれば、彼女にまで要らぬ苦労をさせる。

 だから実際、アレクシスの計らいには有難い部分もあった。何しろ、ナサニエルには頼れる宛ては彼以外に居ない。

 「殿下、そんなお顔をされなくても宜しいではありませんか。いまも確りとお仕事をこなされているから、こうして会って下さるのでしょう?」

複雑な顔で頷いたナサニエルを、ステラは宥めた。

「……今の所は」

ナサニエルは自信なさげに言ったが、事実与えられた仕事は粛々とこなしていた。気になった点があれば、自らアレクシスに掛け合って調査を手配したりもする。

 公務が忙しくなってもステラと会う時間があるのは、一重に彼は有能だと言うのが単にアレクシスの贔屓目だけで進言された事ではないからだった。ナサニエルはナサニエルで、皇太子の下で学ぶことがあったらしい。

「なら、良いでは御座いませんか。わたくしが、こんなことを言うのは失礼でしょうが……御身一つで頑張ってこられたのでしょう?それが、やっと評価されようと言うのですから」

ステラは濃厚な金色の瞳を細めて、言った。

「支えになれるかは分かりませんが、これからはわたくしもお傍に置いて下さいませ」

彼女はほんのり頬を赤らめて続けると、ひとくちだけ残ったナサニエルのカップに温かい紅茶を注いだ。


 ナサニエルはああと曖昧に肯定の返事をしてから、暫く上機嫌に紅茶を飲むステラを眺めた。彼女は、目が合う度に愛らしく微笑んで、男の焦燥を煽る。抱え切れないほどの幸福をくれる彼女と、今も早く手に入れなくてはと焦る浅ましい自分。相変わらずどうしようもない男だなと、ナサニエルは内心自嘲した。

 「ステラ」

「はい、殿下」

呟くように名前を呼ぶと、彼女は明るく返事をしてくれる。それだけのことに、どうしようも無い程歓喜して、表情が崩れる。ただでさえ、彼女といる時は頬が緩みっぱなしなのに、これ以上締りのない顔を見せては幻滅されてしまうかもしれない。そう思って、つい口許を手で隠した。

 「……本当に、傍に居てくれるだろうか」

「まあ、殿下ったら!お疑いですのね?」

ティーカップをソーサーに置いて、ステラは頬を膨らませる。つい可愛いと思ってしまうのを振り払い、ナサニエルは慌てて首を横に振った。

「済まない、そうではないんだが……本当に、俺でいいのかと」

「貴方様の他に、どなたかいらっしゃると?」

「……いや……」

ナサニエルは困ってしまった。本当に下手である。自分も彼女を幸せにしたいと思うのに、上手い言葉が出てこない。これでは、いずれ愛想を尽かされそうだ。それは、嫌だ。頭ではそう思うが、いつまでも変わらない。

 尚も不貞腐れたような表情のステラの頬を、ナサニエルはその身を乗り出して、ひと撫でした。宥めようとしてか、愛おしく思ってか、その理由は曖昧だった。ステラが、躊躇いがちに彼の赤い眼を見返したのを合図に、手を下ろして彼女の細いそれに重ねる。諦めたように、彼女が男の手を握り返した。

 「俺は、お世辞にも甲斐性のある男ではないし……」

「左様で御座いましょうか?仮にそうだとしても、それを上回るくらいお優しい方ですわ」

ステラは、さらりと返した。彼女は、素直すぎる。

「離宮は、酷いくらい殺風景で……色々改善をと試しているが、上手くいかない」

 高い塀のせいで碌に陽が射さず、だだっ広い庭に花のひとつも咲いてない自分の家を思い出す。たまに来る庭師の仕事といえば、雑草取りと芝刈りくらいである。流石に、公爵家の娘が気に入るような様相ではない。

「まあ、まさかわたくしのために?お気持ちだけでも嬉しいですわ、殿下」

「……その……人が亡くなっているから、知っている者には、物騒だとよく言われるし」

「寧ろ殿下は、本当にわたくしを大事な離宮に上げてもよろしいのですか?お母上との、思い出がおありなのでしょう?」

ステラが、少し心配そうに訊いた。

「俺は勿論、構わない。来てくれたら嬉しい。だが、君は本当にいいのか。宰相の娘には相応しくないと、言われるかもしれない」

ナサニエルにとっては、彼女が自分の宮に来てくれることに何一つ問題は無い。寧ろ、願ったり叶ったりで心配になるぐらいである。長い間それを望むあまりに、頭がおかしくなりそうだったのだから。

 心配だったのは、ステラの方だ。彼女は何も言わないが、本当は不安だったかもしれない。ナサニエルはそう思ったが、しかし当の彼女はけろりとして言った。

「その程度の醜聞、わたくしに言わせれば醜聞のうちに入りませんわ。立派な皇宮の離宮なのですから、客観的に見ても、格は適当か寧ろ恐れ多いくらいです。その点においては、誰も文句は言えませんわ。だから、わたくしが幸せだと言い張れば良いのです。……と言うよりも、そうなって大変なのは殿下の方では?」

「いや、俺はそれこそ今更だ。立場が揺らぐような話ではないし、大したことはないが……逞しいな、君は」

「呆れてしまわれたかしら?」

「まさか」

素直にそう言うと、ステラはくすくす笑った。

「でしたら、何も問題は御座いませんわね!ご心配なさらないで下さいませ、殿下」


 いつの間にか、ステラはまたご機嫌だった。愛らしい笑顔のまま、恋人の手を握り返す力を強めたり弱めたり、指で少しだけ撫でたりしている。忙しない彼女の手を持ち上げ両手で包み込むと、ステラは頬を赤くしてナサニエルの眼を見た。

 「君がそう言ってくれるのなら、どうかずっと隣に──俺の妻に、なってくれないだろうか」

出来るだけゆっくりと、そう伝えた。確実に伝わるように、穏やかに。もう二度と、守るつもりで傷つけるようなことはしたくない。

 思い悩んでいたことが、酷くちっぽけに思える。彼女はそれくらい、強く美しい女性だ。ステラは、数拍顔を真っ赤にしてポカンとしていたが、最後にはとびきりの笑顔で大きく頷いた。

「ええ、喜んで!」


 遠くで、祝福するように明るい宵の明星が輝いていた。



 それから三日と経たず、第二皇子から正式にステラとの婚約を申し込む書簡がベイリー家に届けられた。ステラは迷わずそれを受ける旨を父に伝え、漸く彼女も婚約者が決まった。そのうちに、婚約期間やら何やらを決める場がある筈だ。書簡を見たロナルドの驚いたような珍妙な顔を、ステラは一生忘れられないだろうなと思った。

 ステラはこれ以上ない幸福を感じていたが、ここ数日ただでさえ生温かった家族と使用人の視線が、さらにいたたまれなくなってしまって、しばらく苦労することになった。


本編はこれにて完結となります。

お付き合いくださいまして、ありがとうございました!

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