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幸せの定義 ー初恋の代償ー  作者: 黄金色のかたつむり
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あおあらし

2017年7月



  宇野朋成( うの ともなり)



 七月中旬の真夏日、俺たち吹奏楽部は野球部の夏の大会の応援に来ていた。

 女子が九割五分を占める吹奏楽部の女子たちはその人数のせいか、やたら元気だ。炎天下で二時間ぶっ通しで応援した後だというのに、野球部のマネージャーとなにやら楽しげに話す二年の先輩たち。記念写真を撮ろうとわちゃわちゃ集まって大声で盛り上がる一年の女子共。自由解散であるからかフリーダムに騒ぐその集団は甲高い笑い声で満ちていて、若干恐怖さえ感じる。

 俺はとても女子と同じテンションできゃいきゃいする気にはなれなくて、数少ない男子部員数人に声をかけられるままにそそくさと帰ろうとした。

 

 しかしふと、建物の影に溶けるように座り込む女子が目に入る。折り畳んだ膝の上にホルンの入った青いケースを乗せ両腕で抱え込んでいる。だらだらと尋常じゃない量の汗を流して眉間に皺を寄せる姿はとても辛そうで、考えるより先に体が動いてしまった。

「大丈夫?」

 声をかけると、その子はくい、と顔をあげて弱々しく微笑んだ。

「朋成くん…うん、ちょっとバテちゃって。」

 でもそろそろ帰らなきゃ…とその子はホルンを地面に下ろし気怠そうに体を起こすとゆっくりそれを背負い始めた。そういえばこの子、試合中に体調悪くなって顧問からポカリ貰ってた子だ。…名前なんだったっけ。

 吹部は人数が多過ぎる上に、入部してまだ二ヶ月。ただでさえ人の名前を覚えられない俺は自分と同じクラリネットパートの部員くらいしか顔と名前が一致しない。

「よい、しょ……っととと」

「ちょっ!」

 ぱしっ

 やはり相当疲れているのか、その子は立つ拍子にホルンの重みに耐えられずよろめいた。突然のことで腕を咄嗟に掴んでしまった。

「…っあ、ごめん」

「いや…」

 反射的に取ってしまった腕を離すと、俺は気恥ずかしくなってしまった。と同時に、右手に残る掴んだ腕の細さに戸惑う。女の子の腕、だった。

 そんな気持ちをどうにか押し込めて、俺は場を繋ぐ。

「持とうか?ホルン」

「んー…や、楽器は自分で持つよ。大事だから。」

「なら、そっちの荷物は?」

「…じゃあ、お願いしようかな。」

 その子の傍らにあったリュックを掴み、さりげなく背を向けて肩にかける。自分の荷物を背に、その子の荷物は腹に。リュックとリュックとに板挟みにされるのは暑かったけど、半袖の部活Tシャツに体育着の短パン姿だったからあまり苦ではなかった。


 背負い終え振り向くと、その子は俺から少し離れた場所にいた。顧問の元へ向かったようだ。

「瀬田先生、帰ります。」

「ああ、スポドリ飲めた?」

「や、あおるのがきつくてまだ…。先生、ストローとか持ってませんよね。」

「ごめん、ストローはない。」

「ですよね。多分保健室いけばあるので向こうで飲みます。」

「さすが保健委員。でもひとりで大丈夫?」

 試合中の体調不良を気にかけているのか、先生はその子をひとりで帰らせたくなさそうだった。

 荷物は持ってるけど、あの場に割って入って「俺ついていきます」とは言えないし…どうしよ。

「僕らと一緒に帰る?後半から結構しんどそうだったよね。」

 二人を見ながら考えていると、その子と瀬田先生に厩橋(うまやばし)先輩が声をかけた。同じクラリネットパートの三年。俺に一緒に帰ろうと誘った男子たちの中の一人だ。

 瀬田先生はその誘いに賛成した。

「それがいいね。お願いできる?」

「了解です、行こっか。」

 はい、とその子も返事をして俺の方に向かって歩いてくる。正しくは、出口に向かって。


 ふと、厩橋先輩と目が合う。

 先輩はにっこりと愛想よく笑った。

「宇野くんも、行こ」

 うっわ、気づいてた。

 あまりにも自然に厩橋先輩から声をかけられてびびった。

「っはい」

 返事をすると、厩橋先輩は歩調を早め他の男子三人と合流し、歩き出す。俺とその子も後ろに続く。最初はバラバラだったが、歩道が狭くなるとそれが自然と二人ずつの列になった。

 一番前には厩橋先輩ともう一人の三年の先輩、その後ろには一年の…確か高槻(たかつき)とかいうバリトンサックスを吹いてる奴とニ年の先輩、最後尾に俺とその子という並び。ああぁ、ほんと名前なんだっけ。


「…野球応援、面白かったね。」

「ん?あ、うん」

 その子が話しかけてきた。さっきの弱々しさとは違い、案外しっかりした口調だ。

「でもわたし野球見るの始めてだったから、ルール全然わかんなくてちょっと困った。」

「あー俺も。」

「あ、そうなの?」

 その子がこっちを見る。身長差のせいで無意識にしてるだろう上目遣いに、ドク、と胸が跳ねた。不意討ちは反則…

「そっか、仲間いたんだぁ」

 なんか安心。そう言ってその子は笑った。なんとなく見ちゃいけなかったような気がして目を逸らす。

「来年までにはルール覚えて、もっと応援したいね。」

「そうだな。後輩にも教えなきゃだし。」

「ほんとだね。」

 その子はまた笑った。最初は気まずかったが思ったよりテンポよく会話が進む。俺は思いきって話題をふってみた。

「女子と一緒に帰んなくてよかったの?」

 あぁ、とその子が笑う。

「いいの。女子のあのテンションについていける程の体力、正直残ってないから。それに体調悪そうにしながらずっと一緒にいたら誰だって気遣うでしょ?申し訳ないもん。」

「そっか」

 本人はさっきと同じ軽やかな口調だが、まずいことを訊いたかな…

 俺は不安になりながら歩く。その子は笑顔のまま歩いてる。

「朋成くんは写真入んなくてよかったの?」

「や、俺もああゆうノリ苦手だから。」

「そっか。私もなかなかあのノリが掴めなくて、元気なときでもあんな感じのクラスのムードメーカー的な集団はほとんど近づかない。」

 絶対とかじゃないけどね、とその子はちょっと苦そうに笑う。また見てしまった。や、誰も見ちゃ駄目なんて言っていないけど。


 そんな感じで他愛もない話をしているうちに、気付いたら駅のホームに電車が来た。乗り込んで、空いている席に座る。俺の隣にその子、その隣に高槻。後の三人は向かい側に腰を落ち着けた。

「電車の中だし、持つよ。」

 ありがとね、と言ってその子は俺からリュックを引き取った。リュックを背負ったまま座る姿が滑稽だったのかな、と少し恥ずかしくなる。

 受け取ったリュックに顔を埋めたと思ったら、あっという間にその子は寝てしまった。


 少し傾いた日の光が柔らかくその子の頬をなぞる。日焼けのせいか赤く染まってはいるものの、肌はきめ細かい。高い位置でひとつにまとめられた色素の薄いロングヘアが電車が揺れる度にきらきらと微かな輝きを放った。柔らかくうねる髪から漂う、ふんわりと優しい花の匂いが鼻を掠める。芸能人の様とは言えないが、目鼻立ちも整っていた。


 ──やばい、見つめすぎたかな。


 目の前の先輩たちを思いだした俺は、慌ててスマホを取りだし意味もなく弄った。

 その子は深い眠りに入っていくのか、次第にぐらぐらと電車の揺れに体を任せていく。


 ゆらり、高槻の方に傾く。


 だめ、そっちじゃない。俺の方に来い。


 当の高槻はスマホゲームに熱中していて気に止めていないようだったが、それが余計に俺の中のどこかをざわつかせる。


 ゆらり、俺の方に傾く。


 ──そのまま、体を預けてくれないかな。


 自分の安直な考えが気持ち悪い。まるで冷静になれない状況にうんざりするのに、不思議と嫌じゃなかった。むしろこのまま時間が止まればいいとさえ思った。

 その子は尚も右に左に揺られていた。


 その肩を掴む自信は、ない……



 *



「じゃ、オレここだから。」

「ここなんでお先に。」

「僕、乗り換えあるから。」

 そう言って1人また1人と男子たちが電車を降りていき、残ったのは厩橋先輩と俺とその子の3人。次は、高校の最寄駅だ。


「宇野くん、学校寄る?」

 それまでずっと英単語帳を読んでいた厩橋先輩が顔をあげた。


 バスクラリネットという木管楽器を担当する俺は、野球応援では演奏せず手作りのポンポンでの応援に徹した。木管楽器は暑さに弱いので、炎天下での演奏は不可能なのだ。

 対して、その子のように演奏をした金管楽器の部員の一部は、家に持ち帰るのが邪魔だと一度学校に楽器をしまいに戻っている。木管楽器や打楽器の部員は直帰が普通だ。

 ……でもなぁ。


「…学校に寄ります。なんかこのまま帰るのも面倒なので。」

「わかった。ことかちゃんのことお願いしていい?」

「はい。」

「よろしくね。」

 そう言うと厩橋先輩はまた英単語に視線を戻した。受験生だもんな。てか、ことかって言うのかこの子。

 ことかってどんな漢字?名字は?色々記憶を漁っていると、到着する駅名を告げるアナウンスが流れた。

 ──そろそろ起こさなくちゃ。

 そう思いなんて声を掛けようかと考えている間に、その子…ことかさんは目を覚ました。

「ん…つぎ…?」

 眠そうに目を擦りながらことかが尋ねる。そうだよと答えると、自身の頬をぺちぺちと叩いて覚醒していった。


 湯木野~ 湯木野~


 プシュウ、と独特の音と共に電車は止まりドアが開くと、ことかさんは膝に挟んでいたホルンを背負いリュックをお腹側に背負って降りる。その後ろに着いていくように俺も続いた。

 少し横にずれ斜め後ろから顔を覗くと、少し寝たからか冷房の効いた電車のお陰か、さっきより汗は引いていた。でも歩く度ふらふらと体が左右に揺れていて危なっかしくて堪らず声をかける。

「持つよ。」

 ぱ、と思い出したように俺を見た。や、もしかしたら本当にオレの存在忘れてたんじゃ…

「いいの?助かる…!」

 ごめんね、お願いします。と微笑んで、ことかさんは俺にリュックを渡してくれた。まだ降りて2、3分しか経っていないのに、もうその額には水滴がじわりと浮かんでいる。

 改札を出ると高校は近い。5分とかからずに俺たちは校門をくぐった。ほんの数分の道のりだったがことかさんには堪えたようで、音楽室のある4階まで普通の人の倍くらいの時間をかけて登った。一段上がるごとにはぁはぁと肩で呼吸をし、手摺でなんとか体を支えているようだった。


 やっとのことで4階に着くと、ことかさんは廊下の端に座り込んだ。

「ついたぁあ…」

「あ、ことかお疲れ!」

 そう声をかけてきたのは、先に学校に戻っていた一年の女子部員、神埼日鞠(かんざきひまり)だ。ことかさんと同じホルンを担当している。小学校が一緒だったという理由で、俺が名前を知っている数少ない部員の一人だ。

 おつかれぇと力の抜けた声でことかさんは返す。

「大丈夫?」

「んー、ちょっと休憩すればなんとか…」

 ことかさんは壁に寄り掛かってぐったりとしている。

「水分摂んな」

「飲んだらまた気持ち悪くなる~」

「それでも一口は飲んどきなって。悪化したら帰れなくなるよ!」

「はぁ~い…」

 日鞠はさながら母親のように水分補給を促すと、じゃっこれしまっとくねーと言ってことかさんのホルンを片付けに楽器庫へ消えた。


 ことかさんは気怠そうにリュックを開き、球場で瀬田先生から貰ったスポドリを取り出す。

 ぎゅーっと力一杯キャップを捻る。が、びくともしないのかことかさんは苦笑いしてこちらを向いた。

「…ごめん、開けてくれる?」

 わかったと答え、未開封のそれを受け取る。余程かたいのかと思ったら呆気なくカチリと乾いた音を立ててキャップが回った。この程度の力が入らないほどバテているのかと驚きながらも、それを表情には出さずことかさんにペットボトルを渡した。

「はい。」

「ありがとう」

 ことかさんはゆっくりとペットボトルを煽る。小さく喉が揺れた。やはりあまり飲みたくないのか、すぐに蓋をしてしまった。

 日鞠は戻ってくると、

「ゆっくりやすんでね、お疲れー!」

 とだけ言い残して階段を降りていく。壁に身を委ねたことかさんが見えない位置まで行くと、日鞠はニンマリと笑った。

『 あ と は ま か せ た 』

 口パクでそう言ってきた。うるせぇよ、と口には出さず睨みつけるとニヤニヤしながらも日鞠はそそくさと帰っていった。


 さて、どうしよう。


 ちらほらと数人の部員が楽器をしまったり制服に着替えたりしているだけの四階にずっといても仕方ない。

「とりあえず着替える?」

 ことかさんに訊いてみた。

「んー…。ううん、このまま帰る。」

 ここにずっといるわけにもいかないよね、動こうか。とことかさんが立ち上がる。足取りがさっきより幾分しっかりしていた。

 

 一階まで降りてくると、ことかさんは当たり前のようにまっすぐ保健室に入っていった。

 え、ちょ、置き去り…?

 帰るって言ってなかった?と困惑しても、入っていく理由が見つからない。そもそも保健室の先生だっているのにどんな顔して入ればいいんだよ…。


 成す術もなく、俺は静かに保健室のドアを閉めその場を後にした。



 *



 電車の窓を見慣れた町並みが流れていく。蜜柑色に染まった日の光が目に刺さって痛かった。


 ことかさん、大丈夫かな。


 あの後、俺は制服に着替えて少し廊下で待ってみた。だが横になったのかことかさんは結局出てこなくて、俺はいまこうして帰り道に揺られている。

 さっきまでずっと隣にいた、春に似た優しい香り。時間にしてみれば一時間となかったというのに押し寄せる喪失感の大きさにモヤモヤする。


 つーか俺、やばくね?


 話したことさえなかった女子とどんだけ長い時間2人でいたんだよ。てか荷物もったりペットボトルのキャップ開けてあげたりって、んなのまるで…

 そこまででかかって、ぐっと思考を飲み込んだ。頭の片隅で艶々とした長い黒髪がさらりと揺れる。


 なんなんだよ。


 気にするのはやめよう、忘れてしまおうと奮闘したものの、結局その日眠りつくまでこのモヤモヤが消えることはなかった。


 

 

〈青嵐〉

 ──初夏に吹くやや強い風。

ここまで読んでくださってありがとうございます!


初投稿なので読みにくい箇所が沢山あるだろうと思いますが、どうぞ応援よろしくお願いします!

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