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ある王女の死  作者: 水沢ながる
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2.おとぎ話・その1

 クラスメイトの武田春樹が指定して来たカフェは、表通りから一本裏道に入ったところにあった。こんなところにこんな洒落た店があるなんて知らなかった。中村加奈子は恐る恐るドアを開けた。カラン、とドアチャイムの音がした。

 そこは、高校生の加奈子がいささか場違いに見えるような、大人びた店だった。絣のタペストリーや備前焼の花器など、和風の渋いインテリアで統一されている。カウンターの向こうに洋酒の瓶が並んでいるのを見ると、夜は酒を出す店になるのだろう。落ち着いた雰囲気が人気なのか、客はそれなりに入っていた。店内をぐるりと見渡す。一番奥まった目立たない席に、彼はいた。

 加奈子と同じ歳なのに、彼はこの店の空気に溶け込んでいた。文庫本に目を落としている彼の姿は、何故だか静かに眠るネコ科の野獣を思わせた。端正な顔立ちなのに、どこか野生的なものがある。そう思うのは、彼が中学時代には札付きの不良だったという噂を聞いているからだろうか?

 ふと、彼が顔を上げた。目が合った。加奈子は思わずたじろいだ。彼の眼は深い。まるで目を合わせた者の全てを見通すかのように。彼はおう、と声を上げて加奈子に向かって手を振った。加奈子はおずおずと彼の席に近寄り、向かいの椅子に腰掛けた。

 すかさずウェイトレスが注文を聞きに来た。

「あ、あの、コーヒーを」

「俺も同じのを」

 ウェイトレスが行ってしまうと、二人の間に流れているのはBGMとして流れているジャズの旋律だけとなった。思えば、同じクラスでありながら、今まで彼とまともに話したことなどなかった。

 武田春樹が誰かと慣れ合っているところを見た覚えがない。女子の友人グループのようなどこかべたついた付き合いはなかったとしても、男子たちもそれなりに親しい友人でつるんでおり、自然発生的なグループが出来ていた。しかし、彼だけはその何処にも属していなかった。

 疎外されていたわけではない。むしろ、彼の方からクラスの全員に対して一歩引いた位置に身を置いていたように思う。彼は孤高の存在だった。

「ここ……よく来るの?」

 沈黙に耐えかね、加奈子は訊いた。

「ああ。この店のオーナーが3~4年ばかり前に、うちのばあちゃんの世話になったことがあって。それ以来時々来てる」

「……そうなんだ。……」

「ばあちゃんは同業の奴らと比べて良心的だし、絶対表沙汰にはしねえけど」

「おばあさんって、何してる人なの?」

「んー、まあ、人助け?」

 意味がわからない。

 彼はそれ以上説明する気はないらしく、水をぐい、と飲んだ。そこへウェイトレスがコーヒーを運んで来る。コーヒーの湯気が二人を隔てた。

「……どうして……私をここに呼んだの?」

 加奈子は思い切って訊いた。彼から突然電話があったのは一昨日のことだ。いきなりこの店の名前と住所を告げられ、ここに来てくれと一方的に言って切られた。実に勝手な言い草だったが、来ずにはいられなかった。気になった。特に自分に興味があったとも思えない彼が、一体何の用だ?

「中村、来週引っ越すじゃん。今じゃねえとじっくり話せねーし。ここだとクラスの奴誰も知らないから」

「そんなことじゃなくて」

 彼が、まっすぐにこちらを見た。射抜かれるような視線にたじろぐ。

「この席はこの店の一番奥にあって、他の客や外からは見えにくい位置にある。それに、スピーカーの位置的に、話していることも他の席には聞こえにくい。内密の話をするのにぴったりなんだよ。ばあちゃんも時々、人の相談に乗る時に使ってたりするくらいだ」

 だからここを選んだ。彼の眼がそう言っている。逆に言えば、これから始まるのはそういう場所でないと話せない話だということだ。

「これから俺がしゃべるのは、ただのおとぎ話だ。それ以上でも以下でもない」

 彼は静かに語り始めた。

「……昔々、あるところに、とてもわがままな王女がいた。その王女は父親の力をいいことに、自分の国に君臨していた。わがままな王女は領民の持ち物を取り上げることを好んだ。それも、相手の大事にしている物を取り上げることを」

 誰のことを言っているのか、すぐに判った。

「そいつがどうして“他人の大事な物”を欲しがるのか、なんて知ったこっちゃない。隣の芝生ばかりがやたら青く見えるとか、自分と他人の区別がつかなくて他人を満たすものが自分も満たすものだと勘違いしてるとか、理由は色々考えられるが、そんなことはとりあえず関係ない。とにかく、その王女はそういう奴だったってことだ」

 そうだ、メンタリティなんて関係ない。あるのはただ、事象だけだ。彼女がそういう人間だったという、その事実があの事件を起こした。

「まあ、そういう奴は普通に人から恨みを買うだろう。この王女もそうだった。王女自身は、自分が他人から恨まれてることなんて想像もしてなかったんだろうけどな。……だが、恨んでる方はそうはいかない。殺意さえ抱く奴だって出て来る。現に、具体的に王女を殺す計画を立てた奴がいた。……そしてそいつは実行に移した」

 視線は加奈子に向けられている。

「そいつは毒薬を手に入れた。だが、そいつは普通に毒を王女に飲ませることなんてしなかった。殺人として調べられたら、自分が犯人だということはすぐに判ってしまう、それくらいは見当がついた。そいつはどうしたか。……答えは簡単、そいつは毒を“大事に持っていた”んだ」

 きっぱりと、言った。

「無論、毒なんて物騒なもんを持っている理由もはっきりさせとかなきゃならない。そいつは周到に準備した。友人の目の前で死なない程度にリストカットする。それを何度か繰り返して、自分に自殺願望があるように見せかける。そして信頼出来る友人に、こっそり自殺用の毒を持っていることを明かすんだ。『あなただから打ち明ける』『二人だけの秘密』だと言ってな」

 そうすれば、自殺願望を持っていることを印象付けられるだけではなく、いざとなったら自殺のために毒を持っていたことを証言してくれる。

「時期を見計らって、そいつは計画を実行に移した。毒はピルケースに入れておく。王女の目に留まるように、ピンク色の可愛いケースにだ。わざわざケースに入れることで、より特別なものだと思わせることも出来る。それをそいつは、大事そうに持っていた。ただし、王女の目につくようにな」

 まるで録画していた光景をそこで見ているように、彼は語った。

「HR前の時間を選んだのも、計画的なものだ。あの時間なら、クラスのほとんどの連中が教室にいる。騒ぎがあれば、クラス全員が目撃者だ。それに、じきに先生が来る。王女の方もそれは判ってるから、先生が来るまでに何とかしなきゃ、と無意識のうちに考えることになる。人間焦ったら無茶をしやすい」

 その焦った結果があれだ。

「王女はあっさりと餌に食いついた。ピルケースを取り上げようとした王女を、そいつは本気で止めた。ああいう手合いは、何かが手に入れにくくなればなるほど欲しくなる。取り上げようとした時に抵抗すれば、それだけ向こうは欲しくなるんだ。それがそいつには判っていた」

 そうだ、よく判っていた。長いつき合いだ、手に取るようにわかる。

「……結果。思わぬ抵抗を受けてどうしてもピルケースが欲しくなった王女は、先生が来たことでとっとと決着をつけようとした。それで、せめて中身だけでも取り返されないようにしようと、とっさに薬を飲み込んだ。それが自分の命を奪うものだとは知らずに、クラス全員の目の前で」

 そして死んだ。彼女は一体、自分が何故死んだのか判っていたのだろうか? 自分の飲んだ薬が、自分に向けられた悪意そのものだったことを。

 彼はじっと加奈子を見ている。加奈子の反応を探るように。

「かくして、王女は死んでしまった。物を取られることがなくなって周りの者はほっとしてるけど、それを判ってる大人は何人いることやら。王女の親父なんか、自分の娘がどれだけ周りに迷惑かけてたか、ちゃんと理解してんのかね」

 彼の“おとぎ話”はそんな毒で終わった。しばらく、再びの沈黙が訪れた。

「……他の人にも、その“おとぎ話”を聞かせるつもり?」

 加奈子が、口を開いた。彼は初めて目を伏せた。

「いや。おまえ以外に聞かせるつもりはない」

 きっぱりと、言った。加奈子にとっては意外な答えだった。

「別に信じなくてもいいけど、俺はそのつもりだ。こんな話をするのは今ここでだけだ。つーか、今みたいな話を無闇にしても誰も喜ばねえだろ。もう被害者の自業自得で済んでる話だぜ?」

「じゃ、なんで……」

「単に確かめたかっただけだ。俺が欲しいのは、」

 不意に、視線が来た。

「真実だよ」

 絡め取られる。この視線に。この眼は、全ての真実を暴き出す眼だ。

「それにさ、こんなことした奴にも何か言いたいことの一つくらいあるだろ。誰にも言わずにいるには……重過ぎるんじゃねえかってな、まあそう思ったわけだ」

 負けたくない、と加奈子は思った。自分にだって、何の覚悟もないわけじゃない。だから、目の前のこの男には負けられない。加奈子は彼の眼を見返した。

「あなたが信じられるという……証拠は?」

 彼は少しだけ考える仕草を見せた。と、彼は手付かずだった自分のコーヒーのカップを加奈子の前にすっと差し出した。

「言っとくけど、俺は甘いのが苦手だ。だからこれには何も入ってない。……おまえがこれに砂糖を入れてくれ。何杯でもいいから」

「は?」

「俺はあっち向いてるから」

 言うなり彼はテーブルの脇の壁の方に視線をそらした。それでも足りないかのように、目をつむる。加奈子は仕方なく、砂糖を二杯入れた。

「入れたよ」

 彼は目を開けてコーヒーを念入りにかき混ぜると、冷めかけたそれを一気に飲み干した。一瞬あぜんとした加奈子だったが、彼の意図にはすぐに気づいた。

「悪いけど、毒はもう残ってないから。警察の人に散々調べられたから、あっても押収されてるわ。飲ませようにも飲ませられないわよ」

「だから言ったろ。俺は甘いの苦手なんだ」

 渋い顔で言う彼に、知らず笑みがこぼれる。

「ヘンな人」

「よく言われる」

 彼はウェイトレスを呼んでコーヒーのおかわりを頼み、加奈子は自分のコーヒーを一口飲んだ。苦味と香りが口の中に広がる。その余韻まで飲み込んで、加奈子は軽く息をついた。

 ……落ち着け。

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