衝撃と言う名の恋をした
ツァルロゼのSSです。ツァルロゼがひたすら可愛いです。
それは心臓を指すような痛みを伴った衝撃だった。
簡単に壊れてしまいそうで、手からこぼれ落ちそうなほど脆く、儚く、強い痛みを伴う。
そんな矛盾だらけの感覚だ。
その感情に誰かが"愛おしい"という名前を付けたのだ。
光の指す教室できみの透き通るような歌声と僕のギターの音が壁越しに重なった。
その音を僕は一目惚れと呼んだ。
毎週水曜日。僕はアコギを持って"いつもの場所"に向かう。
そこは聴きたい音楽が聴ける場所、奏でたい音楽ができる場所だ。
いつものようにギターを弾く。
するとあの子の歌声が聞こえてきた。
透き通るような綺麗な声。この壁の後ろ側に彼女がいる。
ギターを弾きながらそっと教室を覗き込む。
綺麗な青い髪、透き通るような白い肌、対照的な赤い唇、綺麗な青の瞳、フリルのついた黒と青のワンピース。
年下とは思えないほど美人だった。
彼女の名前はロゼリベ・ファンテーヌ。
ロゼリベは僕の弾くギターに合わせて歌を歌う。
僕とロゼリベを繋ぐのは音楽だ。
しかし彼女はギターを弾いているのが僕だということは知らない。
僕のギターに合わせて歌を歌うロゼリベを初めて見た日。僕は激しいほどの感情を彼女に抱いた。
この特別な時間を壊したくない僕は、僕の正体を隠すことにした。
「ロゼちゃーんおはよー」
廊下の先にロゼちゃんの姿を見つけ、僕は手を振りながら声をかけた。
ロゼちゃんは僕の姿を見ると眉をひそめ足早にその場を去ろうとした。
「ロゼちゃーん待ってよー」
「クラゲさん中等部の教室に何か用ですか」
「ロゼちゃーんおはよー」
「高等部の教室はここから遠」
「ロゼちゃーん」
「……おはようございます」
仕方ない、というように彼女はおはようと言った。
素っ気ない彼女さえも愛おしいと思う。
彼女は僕をクラゲさんと呼ぶ。ツァールト・クヴァレというのが僕の名前だけど一度も呼んでもらったことはない。
いつか呼んでもらいたいけどクラゲさんというあだ名も案外気に入っている。
「ロゼちゃーん今日お昼一緒に食べようねーじゃあねー」
「クラゲさん私はお昼は」
「僕授業だからまた後でねー」
ロゼちゃんとお昼を食べる約束をしたあと、高等部の授業へ向かった。
教室へ行くとルナンがいた。
「ツァル!機嫌いいな。何かいいことあったのか?」
「えへへーわかるー?今日のお昼ロゼちゃんと一緒に食べるんだー」
「ツァル…絶対強引に約束しただろ…」
「えーそんなことないよー?」
ルナンにはよくロゼちゃんとの話を聞いてもらっている。その代わりに僕もルナンの恋愛相談を聞いている。
「あんまり強引にいきすぎるなよ?」
「ルナンは積極的になった方がいいよ〜」
「ツァルが積極的すぎるんだろ!」
そんなこんなで授業が始まった。
授業終了を告げるチャイムが鳴り、教科書とノートをカバンにしまう。
少し気が向かないが約束をしてしまった(?)から仕方がない。クラゲさんを待つことにした。
案の定少しするとクラゲさんがやってきた。
「ロゼちゃん待っててくれたのー?優しーねーえへへーどこで食べるー?」
「……中庭で」
中庭は好きだ。ガーデニング部が綺麗に手入れしている花壇やきらきらひかる水の噴水。静かでとても落ち着く。
ここで何も考えずにぼーっとする時間が結構好きだ。
こういう時、クラゲさんはあんまり話しかけてこない。私がこういう時間が好きだということを知っているからなのか、気まぐれなのかわからないけど。
クラゲさんのことは嫌いではない。
むしろ人としては好きな方であった。
毎日素っ気なくしているのにも関わらず、クラゲさんは私から離れていくことはなく、変わらず私のところへやってくる。
彼のことは理解不能だった。
クラゲさんが私のことを好きと言ったあの日、この人もどうせ今までの人と同じだと思ったが、どうやら違うらしい。
「…ちゃん…ロゼちゃん?」
考え事をしすぎてクラゲさんが話しかけているのに気づかなかった。
「あ、すみません…何ですか?」
「あのねー駅前に美味しいカフェがあってー」
「行かないです」
「いろんな種類のケーキがあってねー」
「行かないです」
「レアチーズケーキとかーシュークリームとかーロールケーキとかー」
「行かな」
「紅茶も美味しいんだってー」
「…」
「明日の放課後行こー」
クラゲさんは強引だ。毎回押し負けている。
それでも彼が教えてくれるお店は本当に美味しい。
……決して食欲に負けているわけではない。
午後の授業がすべて終わり、私は急ぎ足でいつもの場所に向かった。
今日は水曜日だ。水曜日は特別で私が1番好きな日だ。
空き教室の壁に寄りかかる。
少しすると聞こえてきた。
『〜〜〜〜♪♪』
優しいギターの音。この音を初めて聞いた時、心臓を刺すような痛みを伴った衝撃を受けた。
簡単に壊れてしまいそうで、手からこぼれ落ちそうなほど脆く、儚く、強い痛みを伴う。
そんな矛盾だらけの感覚だ。
この感覚に名前があるとしたらそれはきっとなによりも優しい名前だろう。
この音を聞きたくて私は毎週水曜日この場所に来ている。
このギターを弾いているのが誰なのか私は知らない。
知りたいような、知りたくないような。
ギターに合わせて私は歌を歌う。
私の中にある零れ落ちた言葉を紡いで歌を歌う。
「〜〜〜〜〜♪♪」
ふと気がつくと頰が濡れていた。
思い出していたのは母のことだった。
この心地の良いギターの音を聞きながら日が暮れるまで私たちは音楽を紡いだ。
寮の談話室。
暖かい暖炉を、小町とドルミーレで囲っていた。
「ロゼ様、今日のお昼ツァル様とご一緒ささんした?」
可愛い花魁語で小町がそう言った。
「えぇ…半ば無理やりだけど約束してしまったから」
「嫌がりつつもちゃんと約束は守るのか。ロゼは優しいな。」
ドルミーレが少し可笑しそうにそう言って笑った。
「…何で好意を寄せてくる人を嫌うんだ?」
「ロゼは……人からの好意を信じられないから…」
私がそういうとドルミーレは少し困ったように笑い、それ以上は何も言わなかった。
「この前傘様と行ったアンブレラカフェとっても素敵でありんした。ロゼ様の好きそうなケーキがござりんした。」
「ハーブティーはないのか?」
「紅茶でありんす。」
暗い表情の私に気を遣ったのか、小町が話題を変えてくれた。
「今度ロゼと一緒に行かない?」
私がそういうと2人とも嬉しそうに笑った。
「今日は水曜日でありんした。歌の日なんすえ?」
小町が思い出したようにそう言った。
「あぁ。あの正体不明のアコギか。どうだったんだ?」
「今日も歌ってきたよ。とっても素敵なギターだった…ロゼは話しかけようかと思ったんだけど、日が沈んだらすぐにいなくなっちゃった…」
「そうか…久しぶりにロゼの歌、聞きたい。」
「わっちもロゼ様の歌、好きでありんす。」
歌を聞きたいと言われるのは素直に嬉しかった。
私はその場でいつもの歌を歌った。
2人は目を閉じて聞き入っていた。
「〜〜〜〜♪♪」
今日のギターの音を思い出していた。
頭の中で自分の歌とギターの音が重なっていく。
歌い終わると2人は静かに拍手をしてくれた。
「やっぱりロゼの歌は綺麗だな」
「素敵でありんす。」
「いつかそのギターと一緒に歌っているところを見てみたいものだな。」
そのいつかが来る日はあるのだろうか。
私は曖昧に微笑んだ。
その日は久しぶりに母の夢を見た。
忘れまいと誓ったあの時の記憶を繰り返した。
「美味しい…!」
笑顔とともに思わず溢れたその言葉は、クラゲさんに聞こえてしまったらしい。
「えへへーよかったー」
ニコニコと笑うクラゲさんを見て、慌てて表情を引き締めようとしたが、ケーキがあまりにも美味しいから頬は緩んだままだった。
「クラゲさんは美味しいお店たくさん知ってますよね。よく行かれるんですか?」
「ううんー友達が教えてくれるんだーロゼちゃんとしかいかないよー」
それを聞きたかったわけではないが…聞き流すことにした。
今日は約束通り、クラゲさんとカフェに来ていた。
目の前には綺麗なケーキといい香りのする紅茶。
クラゲさんも同じものを食べていた。
……だけど私は知っている。クラゲさんは甘いものは好きではない。
私と一緒にカフェに行くとき、クラゲさんはいつも私と同じものを頼み、美味しそうに食べる。
だから最初はクラゲさんも甘いものが好きなんだと思っていた。
いつだったか、クラゲさんとルナン先輩の会話を聞いたのだ。
『ルナンーどこかいいカフェ知らないー?』
『カフェかー…最近駅前にできたカフェのチーズケーキが美味しかったな。あと紅茶もいろんな種類があったよ。』
『女の子が好きそうなおしゃれな感じー?』
『あぁ、いい雰囲気だったよ。今度行くのか?』
『うんーロゼちゃんと行こうと思うんだー』
『ツァルはすごいな。甘いもの苦手なのによくやるよ。』
『だって好きな子とはいろんなことを共有したいからねーまた甘いもの克服するの手伝ってよー』
『あぁ、もちろんだ。』
『ルナンも積極的になればいいのにー』
『俺の話はいいだろ!』
私はその会話を聞いて、なぜそこまで…という思いがわきあがった。
誰かを好きだと思う感情に価値を感じることができなかった。
目の前のクラゲさんを見る。
甘いものが苦手だとは思えないくらいケーキを美味しそうに食べていた。そんなクラゲさんを見て、少し胸が苦しくなった。
「ロゼちゃん?どうかしたのー?」
「…いえ、なんでもありません。ケーキも紅茶も美味しいです。誘ってくれてありがとうございます。」
クラゲさんは不思議そうに私のことを見つめ、少しの沈黙の後、
「僕ロゼちゃんのこと好きだよー」
と、言った。
「……前も聞きました」
「うんー、言いたくなっただけー」
そう言ってクラゲさんは笑った。
「…ありがとう…ございます…」
「私の母は、もう、私のことを覚えていません。」
気づいたら話し始めていた。
「ウンディーネは、愛する人に裏切られると、魂を失い、水になってしまうんです。」
クラゲさんは黙っていた。
「母が、どこにいるのかもわかりません……いるのかどうかさえ…」
静かに、私の言葉を聞いていた。
「私は恋愛に価値があると思えません。私は母のことを忘れたくないんです。」
思えば誰かにこの話をしたのは初めてだった。
なぜクラゲさんに話したのか、自分でもわからなかった。ただ溢れてこぼれた私の言葉をクラゲさんは静かに受け止めてくれた。
「そっかー正直に伝えてくれてありがとう」
クラゲさんはただ一言、そう言って笑った。
いつもと同じに見えたその笑顔には何かの決意があるように思えた。その決意がなんなのか、垣間見えた気がしたのは、きっと似ていたからだろう。
……母を忘れまいと誓ったあの時の私と。
思えば、彼女の歌はいつも悲しげで、苦しさを纏っていた。
その悲しみの正体がやっとわかった気がした。
それでも僕は、いや、だからこそ彼女を手放したくないと思った。
本当のことを話してくれたことに愛おしささえ思った。
次の日からも僕は変わらずロゼちゃんに話しかけに行った。
そんな僕にロゼちゃんは困惑しつつも、以前より距離が近づいているような気がする。
水曜日。僕はいつもと同じようにギターを片手にあの場所へ向かった。
ギターを弾き始めるとやはりロゼちゃんの歌が聞こえてきた。
いつも通り、悲しげな曲だった。それでもロゼちゃんの歌声は本当に綺麗でずっと聞いていたいように思えた。
日が沈みかけ、歌声がやんだ。
今日はここまでか、とギターを弾く手をとめる。
「ギターさん…」
初めてロゼちゃんが話しかけてきた。
「私はあなたと音楽を奏でるこの時間がとても好きなんです。」
僕は内心焦っていた。ロゼちゃんに正体を明かしたくなかったからだ。
僕の焦りとは裏腹にロゼちゃんは話を続けた。
「私にとって音楽は、過去を忘れないためのツールでしかありませんでした。」
ツール。その冷たい響きに、僕は少し悲しさを覚えた。
「でもあなたと音楽を奏でるようになってから、私は音楽の楽しさを初めて知ったんです。……話しかけてしまってすみません。」
少しの沈黙の後、ロゼちゃんは
「…あと一曲だけ、歌いたいです。」
そう言った。
今のロゼちゃんにとって音楽はツールなんかじゃない。大切なものであることはその言葉から容易に感じ取れた。
僕は再びギターを弾いた。今までで一番優しい曲だ。
ロゼちゃんは微かに「ありがとう」と呟いたあと、歌い始めた。
その歌は、今までロゼちゃんが歌っていた悲しげな歌とは違い、喜びや嬉しさが込められた優しい歌だった。
思わずこぼれた涙に、僕はどうしようもなく君が好きなんだと思い知らされた。
夕陽に染まる教室の中、僕らは音楽という1つの楔で繋がっていた。
いつからだろう。
「ロゼちゃーん」
この声に慣れてしまったのは。
いつからだろう。
「ロゼちゃんおはよー」
この声が聞こえない日に微かな寂しさを覚えるようになったのは。
いつからだろう。
彼の笑顔に満たされている自分に気づいたのは。
いつからだろう。
…気づいていないふりをしていたのは。
気づいてしまったら、もう戻れないから、私は気づかないふりをした。
「おはよう……ルトくん」
そう言って笑うと、クラゲさんは少しフリーズしたあと、真っ赤になった。
「えっ!?!?え……え!?!?ロゼちゃん?!」
驚くクラゲさんがあまりにもおかしくて私はもう一度笑った。
「今日のお昼は中庭で食べます。」
「…えっ、あ、あ、僕も中庭で食べるー」
「じゃあお昼に」
私はそう言ってクラゲさんに背を向けた。
溢れた想いに蓋をして私はもう少し知らんぷりをした。