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矢吹に叩き起こされて映画館から出た。館内で販売されてた動物の縫いぐるみを購入してからね。
因みに動物は勿論ネズミである。矢吹の好きな。
それより矢吹さん、意外と起こし方乱暴ですね。腹叩かれたよ。
映画館がまだ見えるくらいしか離れていない交差点が赤信号の待ち時間、矢吹は揺れる胸を張り、背伸びをした。
片目を伏せて口元を掌で覆い、欠伸をする姿が可愛らしい。舐めちゃいたいくらいだ。
まず、無言なのは好きじゃないので映画の感想を聞いてみることにした。終始眠そうだったけど。
「矢吹、映画どうだった? 面白かったか?」
質問をすると、矢吹は顎先に人差し指を添えて首を傾ける。
「うーん、微妙かな。何で出逢って間もない二人が惹かれあっているのかがよく分からなかったし、イルミネーション前でのキスシーンなんか、周囲に人がいなしもん。絶対におかしい」
「なるほどねぇ。てか、出逢って間もないって俺達がそれ言う?」
「僕はかなり前から君のこと知ってるけどっ」
「あ、そうだった」
左頬を膨らませてそっぽを向く矢吹の仕草が愛らしい。腕組みをしてるのもポイントが高い。不貞腐れてるみたいでね。
信号が青になると、矢吹は「でも」と小さく呟いた。そしてトートバッグから三十センチ程のネズミの縫いぐるみを取り出した。
「これは嬉しいよ、ありがとう。大事にするね」
顔の前にネズミを持ち上げ微笑んだ矢吹に心を撃ち抜かれた。これはクリーンヒット。いやクリティカルヒット。もう悔いはない。
……悔いはあるね。矢吹と一線を越えることだ。それと嫁にしたい。彼女が出来るとこんな気持ちにもなるんだな。
数多の女性よりも愛おしく思える初の彼女、矢吹の可愛さに思わず抱きしめたい! と手をわきわきさせていると、先に信号を渡られた。
置いてかれるのは嫌だから、俺も早足で追いかける。
渡り終えて早々、抱きついたら嫌がられた。悲しいね。
「いやあの、外だから。人前だから。恥ずかしいし……」
「ああ、そうか。なら、ホテルで目一杯抱くしかないな!」
「今日ホテル泊まる予定あったっけ」
「今予定した」
「ふぅん? まぁ、構わないけど」
「マジで!?」
「うん」
キョトンとしているけど、それはアレか。OKととって宜しいんでしょうか!? 大人の階段ステップアップしちゃってもいいんですか!?
花菱俊翔、今日男になります。心の中で決心し、思わず鼻の穴が膨らむ。下心丸見えだな。
それと自分、もう男っちゃ男でした。
大通りを抜け、あまり人の来なそうで地味な路地を進んで行く。矢吹曰く、この先に美味しいクレープ屋が有るんだとか。
最初からデザートに喰らいつくみたいで、少しだけ気乗りしない。
でも、矢吹が行きたいならついて行くだけ〜。
人が少なくなると、矢吹は突然キョロキョロと辺りを見回し、忙しなく目を泳がし始めた。
何々? どうした矢吹。もう我慢出来なくなっちゃったか?
矢吹を倣って周囲に眼を向けていると、斜め下から名前を呼ばれて振り向く。
「花菱君。手、手繋ごう?」
恥じらいつつも左手を差し出してくる矢吹が言葉にならないくらい可愛かった。
もう、可愛い以外に出て来なくなる程語彙力が失くなる。それくらいの破壊力を持っていた。
上目遣いで掌を広げる矢吹の左手を握りしめると、彼女は顔を背けた。照れ屋さんだなぁ。
「矢吹、マジ可愛い。クーデレ女神」
「それ、二度と言わないで」
「あ、はい」
怒られてしまった。二度と言ってほしくない程嫌だったか? 次は『可憐な女神』にしよう。
不機嫌になってしまったらしい矢吹のご機嫌を取りながら進んで行くと、車通りの少ない道路脇に一軒、店が現れた。
クレープ屋というなら、ピンクやイエローなど明るめの色がイメージ出来るが、全然違った。薄いピンクに、淡いオレンジ。薄過ぎて地味だ。
これじゃ人が寄り付かないんじゃないか? 目立たないし。
でも、矢吹は美味しいって好評価だからなぁ。
矢吹は握った手を強く引き、そのクレープ屋に入店した。意外と中は華やかだったよ。
「へぇ、イチゴとかバナナとかはよく聞くけど、シナモンパウダーがたっぷりなのは全然聞いたことないな。凄い量だよこれ。見てみ矢吹」
「すみません、これ一つ下さい」
メニューが置かれていて、眺めていると彼女にスルーされた。しかも何やら頼んでるぞ。一つだけ。
店員が注文を受けて少し奥に歩いて行ったので、その間に俺は矢吹の横に立った。
未だそっぽ向いたままの矢吹の表情を窺いつつ、メニューを彼女の前に置く。
「なぁ、何頼んだんだ? 食べ歩きしたいなら、少なめのキウイとか?」
「これ」
見向きもしないまま矢吹はメニューを指差した。『カップル専用ワッフルコーン&ストロベリー』と書かれているものだった。
一つを、二人で食べろってことだろうか。
「二人で一つって、これ少なくないか? こっちのバナナとかの方がよっぽど……」
「これでいいの!」
「え、あ、はい……」
漸くこっちを向いてくれたけど、まさかの鋭い目つきだった。普段がおっとりした感じだと一層怖いね。
それにしても矢吹、怒ってても可愛い。美少女の特権だな。
先に座るよう指示された俺は先程の睨みつけが効いてそそくさと席に向かった。意外にも客が多く、二人分の席を探すのに苦労をした。
無事、窓際の席を確保したけど、ここでよかったのだろうか。
「お待たせ。これ、二人で食べよう」
「ん? 千切るのか? もしかして金が無くて二人分買えないとか言う? 大丈夫だぞ、俺一人で買っていてててててて」
「いいから座って……!」
自分用に何か買おうかと立ち上がったら耳を引っ張られて強制着席。千切れるかと思ったじゃないか。
何故俺にクレープを買わせてくれない? お腹空いちゃうじゃないか。
もしかして、自分だけ食べているところを見せつけようと企んでいるのか? 生憎いじめられて興奮する性癖は持ち得てないんだが。
クレープを齧る矢吹をじっと見つめていると、何故か睨まれた。さっきから怖いよ。
「そんなじろじろ見ないでよ。見つめられるの慣れてないんだから」
「あ、そういうことねなるほど。『見てんじゃねぇよゴミクズ野郎』ってジェスチャーかと」
「そんな酷いことしないし。ほら、花菱君も」
「え?」
三口程クレープを食べた矢吹は、そのクレープを俺に手渡して来た。
俺もってことは、恐らく食べてはいいってことなんだろうけど……。疎らに齧られている為これじゃ間接キスみたいなものだぞ。
俺としては願ってもみなかったことなのだけど。
ずい、と押し付けられて思わず齧る。本能的に彼女が食べた辺りに口をつけるのは、やはり好きだからなのだろうか。
……俺ならどの女子にもやりそうで不安だな。
矢吹は俺が齧った辺りを何やら嬉しそうに見つめている。地味に笑ってる。よかった。
──てか、そんなことより
「もしかして矢吹、俺と間接キスしたかったのか?」
「えっ」
「だって、今も嬉しそうだったし。わざわざ二人で一つ食べる為にカップル専用のにしてたし。あれ? もしかして、恋人っぽいことしたかったのか!? だから映画館でもカップルシートを……!」
やべぇ、やっちまった。そう焦っていると、矢吹は溜め息を零して肩を竦めた。
それからクレープを一口。そこ、俺が口つけた部分だね。そこだけ計三口だから違和感凄いね。
「今頃気づいたの? って、だと思ってたけど。花菱君せっかくのデートなのに手も繋いでくれないし、恋人っぽいことにもノッてくれないし」
「ごめん、マジごめん。本当に心底後悔してる。実際なら、カップルシートで触れ合いながら映画観てたかった!」
「待って、僕そこまでは言ってない」
何だ、矢吹やっぱり待ってたのか。失敗はしまいと慎んでいたのが裏目に出てしまった。
矢吹そこそこ、乙女だよな。クールな外見と口調なのに、中身は俺にデレデレで甘々だもんな。もっとデレデレにさせたい。
俺と手を繋ぎたいし恋人らしい行為をしたいということは、次に向かうレストランでは何をする? 俺の記憶を呼び起こしてみよう。
カップルがレストランでやりそうなこと──特に思いつかない。話してればいいか?
店内を見回して『このお店も綺麗だけど、君の方が千倍綺麗だぜ』とか『この料理美味しいな。でも、君の方が美味しそうだな』とかでも言えばいいのだろうか。中々難しいとこだ。
よくよく考えると、食べ歩きでカップルがやりそうなことなんて限られてるよな。あーん、とかしか分からないよ。
つまり、最初の映画館の時点でクリアしなければならなかった項目だったのか。下手したな……。
「花菱君、時間失くなっちゃうし早く食べよ。交互にが面倒なら、僕が先に半分食べるから」
申し訳無さそうに矢吹はクレープを両手で掴む。眉を曲げて上目遣いなのはときめくものがあるな。
面倒だから、矢吹自身を食しても宜しいでしょうか。
返事もせずに、脳内ではお約束の二人が会話を交わす。『お嬢様、バカが珍しく真剣でございます』「あらあら、天変地異でも起こるのかしら」『ですが、いつもの妄想でそれも無駄に』「あらあら、バカはいつまで経ってもバカなのね」『これは見捨てられるのも時間の問題でございますね』「おほほほほ」
腹立つ二人を抑え込み、矢吹をいただきたいのをまだ自重することにした。
「花菱君? どうしたの?」
矢吹は首を傾げた。
言えたもんじゃない内容なので、俺は首を振った。
「いや、何でもないよ。是非、交互に食べよう。間接キスを堪能したいからな」
「うーん、まぁいっか。分かった、交互にね」
「ああ」
交互なのがよかったのか、矢吹は今日一番の笑顔を見せた。見せたというより、魅せただな。
とても魅力的な笑顔だ。興奮する。
瞳がクールな雰囲気の為か、矢吹は普段周りに敬遠されがちだ。誰かと親密に話してるのすら、殆ど見たことがない。
だからというのもあるかも知れないが、矢吹の笑顔は格別だ。俺の前では度々見せるが、普段はほぼ無表情なのだ。
そんな矢吹の笑顔。天使とも違わないその表情には、誰もが惚れ惚れしてしまうことだろう。
そうなれば、俺よりイケメンな男は数知れない。矢吹も純情な男の方が好きそうだし、争いごとになるやも知れないな。
勿論、矢吹は誰にも渡さないがな。彼女の騎士として守り抜く。
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「いやぁ美味かったなぁ矢吹。あのクレープ屋もレストランのステーキも。ところでこんな食べて大丈夫なのか?」
俺達はレストランでの食事も終え、大通りを歩いていた。
クレープ半分程度とはいえ、その後に食べたのはビーフステーキ。満腹になるには充分だった。
だが矢吹は──
「僕まだお腹一杯じゃないよ。次は何食べようかなぁ」
「マジすか。こりゃ結婚後の生活が危ういぞ」
「ん?」
「いや、こっちの話」
まさかの矢吹さん大食い。めちゃくちゃ細い身体のどこに入ってるの貴女。
頬とかだってプニプニスベスベしてるだけで、別段お肉たっぷりって訳じゃないのに。
それと、大食いな矢吹と別に俺は小食だ。サッカー部の練習で疲れたりしない限り腹が減らない。今日は日曜で休みだしなぁ。
あと、危なかったけど結婚を考えていることはまだ秘密だ。
何故かというと、バレる形ではなくしっかりとプロポーズしたいから。重い奴って思われても仕方ないが、矢吹の運命に対抗出来るのは図太い神経を備えた俺しかいないだろうからな。
中途半端に愛して、いつか見捨てる様な人間に矢吹は任せられない。
俺が矢吹を幸せにしてやるしかないんだ! と、いう訳なんですわ。
応援よろしくぅっ!
「矢吹、俺も君を連れて行きたい場所があるんだ。ついて来て、くれるかい?」
「いや普通に言いなよ、わざわざ格好つけないで。いいよ? どこ行きたいの?」
渾身のイケメン面を拒否された。悲しいな。
でもこれで分かったぞ。矢吹は人を見た目や口調で判断しないってことがな。つまり俺LOVE。既にメロメロのデレデレだったということみたいだな。
ふっ。モテる男は辛いぜ。
過去十四年間、彼女は出来なかった上告白もされなかったけど。
「ふっふっふ、それはな……」
溜める溜める。長ぁく溜める。
格好つけるなと指摘されたばかりなのに、顔を手で覆いキメてみる。
矢吹は口を半開きで目を細めて、明らかにひかれてるよ俺。もうやめとこ。
──溜めてからおよそ二分が経過。それでも尚溜めるのは、実はどこに連れて行きたいとか決まってないから。
食事ばかりのデートから逃げたいだけだった。
すまん矢吹。俺の胃はそんなに食物を欲しがらないんだ。食物以外もな。
「ゆ、遊園地……?」
ベタベタ過ぎる答えを見つけ、苦し紛れに告げた。
リア充の皆さん、どこ行きゃいいっスか。助けて。
読んでいただき誠にありがとうございます。
デートはまだ続きます。