1─6 死なせないために
痛ぇ。マジで痛ぇ。つぅか何これ、よく分かんない。暑い寒い痛い何も感じない。
意味分かんねえよ。本当に。
初めて覚える様々な感覚がごちゃ混ぜになった状態の俺は、よく分からないが恐らく倒れている。
地に掌が触れているのだけが、はっきりとした感覚だ。他は最早訳がわからない。
俺は喋れているのか? 声は出しているつもりだが聞こえはしない。目は開いているのか? 閉じてはいないと思うが視界がほぼ無い。
俺は生きているのか? これだけは確実だ。生きている。
何故なら思考が働いているからだ。
暫くして、身体を起こそうと両腕に力を込めた。
「ゔっ……」
ダメだ。力は入れている筈なのに力が入らない。どうなってんだ本当に。
ふと、霞んだ視界の一部が鮮明になった。
高い高い崖の上に、左右に割れて欠壊したガードレールが薄っすらと見える。あそこから落ちたんだよな?
段々、意識が薄れてきたが瞳を閉じる前に見えた景色がある。
何人もの人間が、俺を見下ろしてる──いや、俺達を見下ろしている。
俺より先に、トラックと衝突して小さな身体が弾き飛ばされた恋人。矢吹星歌が隣で倒れているのだ。恐らくな。
首も横に向かないし、眼も右側を向こうとしない。
だが、感じる。矢吹が隣に居るんだ。
「矢……吹……っ」
恐らく、声には出せていないし、反応も無い。矢吹の命の灯は消えかかっている。または消えている。
最後くらい、矢吹に触れたかった。そんなことを悔やみながら、俺の視界はミクロの隙間も無く闇に溶けていった。
一つの、大きな疑問を道連れにして──。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「んがぁ…………あ?」
柔らかくサラサラした何かを背に自分が畝っているのが分かり、眼を開けた。
真横にはベッド。天井があり焦げ茶色の古びたもの。棚には秘蔵写真集などが詰め込まれている。
客観的に見て初めて気がついたけど、バレバレじゃん。
と、いうか。詰まるところここは……俺の部屋の、床。カーペットの上だ。
ベッドには李々華がすらりと伸びたすべすべな生脚を綺麗に揃えて転がっている。まだ寝ているようだ。
というか、また俺の部屋で寝てんのか。一日経ったのに。
「それより、俺いつここに運ばれたんだ? 病院に連れてかれて治療してもらってここに放り投げたのか。なんで奴らだ。ベッドに乗せろよ」
家族に呆れ、立ち上がってみた。
そして、あり得ないことに気がついてしまった。一つじゃなくて、数箇所程。
まず、傷だ。例え病院に直行したけど、高さ十メートル以上あったであろう崖から、頭から落下して助かる訳がない。
その上、どこもかしこも痛くないんだ。縫い跡も無いし。そもそも数時間で退院はあり得ない。
そして服だ。俺は今日矢吹の家に行った時、制服だった筈だ。ヨレヨレの襟のな。
だが今着ているのはびしょびしょの制服だ。ヨレヨレはしているが。
何故濡れている? あの後雨でも降ったか? それとも水でもぶっかけられたか?
どちらにせよただではすまないだろう。
その他にも、李々華の服装が一昨日と変わらないこと、昨日寝る前に片付け忘れたが朝片付けたDVDが散らばっていること、スマホに通話履歴が無いことなどが確認出来た。
そのどれよりも、最大の不可解な点がある。
「ど、土曜日……?」
五月十八日土曜日は、実はもう過ぎた筈なんだ。
サッカー部員を集めようと決心したのすら忘れ練習に没頭し、矢吹との約束を簡単に破ってしまった。その日なのだ。
つまり、俺と矢吹が崖下に落ちたのが、五月十八日土曜日のこと──なんだ。
あまりにも衝撃的過ぎて電子カレンダーを確認し、時計に視線を向ける。
午前五時二十八分。外はまだ少しだけ暗い。
脳の追いつかない出来事に思わず膝をつき、右手で頭を掻き毟った。
「どうなってんだよ……! は!? カレンダーが壊れてるとか言うなよな」
カレンダーをじっくり、隅々まで眺めた。と言っても最近購入したばかりなので、欠陥品な訳ではないんだが。
買ってからずっと異変は無かったし。
スマホの日時も全て電子カレンダーや時計と同じ。それらを踏まえて考えると、一つしか辻褄が合う答えがない。
その答えとは──
「朝に、戻った……のか?」
にわかには信じられなかった。信じられる訳がなかった。
もしそれが真実なのだとしたら、戻った訳も何故この時間なのかも、何の仕業なのかも理解出来ない。まあ、矢吹に惚れた神様の仕業だろうけど。
だが、『一日に一度会わなければ死ぬ』呪いをかけておいて、何故巻き戻したか、だよな。
神様にとって得は一文もない筈だ。
「バカ兄、朝からうるさいんだけど。何してんの?」
「あ、李々華。すまん……」
李々華が迷惑そうに眼を擦り、上半身を起こした。そのポーズいいね。胸が張って濡れ透けした服から突起がハッキリ確認出来る。
そしてパンツが丸見え。いいね。
李々華は欠伸をし天井に向けて手を伸ばすと、艶かしい声を小さく出し、部屋を出て行った。
そんな妹が部屋を出るまで尻を見つめていたら、とある重要なことに気がついた。
それは──この後李々華が風呂に入るということだ。勿論俺だって入るがな。
何が重要かというと、出て来る時間が分かっているから風呂場で李々華と遭遇しなくていいということだ。
腰辺りにぶら下がる我が息子をバカにされずに済む。汚物を見る様な眼で見られずに済む。
「さてと、布団でも洗濯籠に入れてくる……ん、スマホが鳴っているのか。おかしいな、前回はこの時間に誰からも電話はかかって来ていなかった筈なのに」
誰かと思ったら、矢吹からの電話だった。
時間が戻ったなら矢吹も戻るだろう、と予想していたが、正解だった様だ。彼女は生きている。
何故か助かったとばかり喜んび跳ねていると、電話の向こうからは俺が期待していた甘々な声ではない真剣な台詞が聞こえて来た。
『これで、分かったでしょ? 嘘じゃないってこと。今日、第二保健室で待つから、来てね』
彼女・矢吹は最後に『同じ目に遭いたくなかったら』と続けた。
瞬間、俺の背筋が凍る。何故かは分からないか、濡れた服のまま、本能のままに家を飛び出した。
背後から李々華が驚きの声を上げていたが、今の俺は矢吹と呪いのことで頭が一杯だった。
矢吹の口調を考えると、まるでこれから起こることが分かっている。いや、そうじゃないな。
巻き戻される前のことを覚えている様だった。
一体どうなっているのか、問い詰めなければ納得出来ない。納得出来る説明ならなんだけど。
一刻も早く簡潔な説明が欲しい、と身体が急かす。知らなきゃこれからが不安で仕方がないんだ。
何なんだ、この呪いは。
──三十分経たずして学校に到着した。大した脚力であると自画自賛。
普段なら利用する電車も駅すらも無視して走った。
その距離五キロメートル程だと思う。流石に肺がキツい。酸欠にもなってる。
そこで、前日──いや、今日の夜起こる出来事を思い出した。
あれは、幾ら時間が無いからと焦り過ぎて休憩しなかった自分のミスだ。もし短時間でも休憩を入れていれば、矢吹の元へ辿り着いていたかも知れない。
だが、休まなかった。声も出せなかった。
それでも矢吹が落ちた時、俺は走れた。何故なんだ?
不明な点に混乱しつつ、俺は第二保健室をノックした。
中から「入れ」とぶっきらぼうな返事が聞こえた。
「失礼します。矢吹、先生、俺知りたいこと一杯あんだけど」
「ふん、この男か。何故よりによってこんなのと付き合ったんだ矢吹」
「まあ、それは別によくないですか?」
「……ん?」
保健医のフルサワの台詞に、思わず眼を丸くした。
「この男か」って、まるで今初めて関係を知ったみたいだが、何を言ってるんだ?
フルサワのぞんざいな瞳と視線が重なり、電気が脳を駆け抜けて理解した。凄く単純明快なことだった。
今、この状況は朝に戻っての出来事なんだ。初めて第二保健室に来たあの時とは時間も違う。
恐らく、何かを知っている様子の矢吹のセッティングだろう。
つまりだが、フルサワは漸くたった今、俺達の関係を知った。そしてまだ俺には説明をしていないと思い込んでいるんだ。
大規模過ぎる呪いに、俺は息を飲んだ。
ふと、矢吹が右手を小さく挙げる。
「先生、この状況は前にもあったことです。花菱君はもう呪いのことを知ってる」
「なるほど、つまりは失敗して戻ったということか。やはり信用してくれなかったみたいだな」
溜め息を二度も吐いたフルサワに鋭い目つきを送られてきた。恐ろしく怒りの葉が見える。
二人の会話に、「失敗」という言葉が出て来た。それが巻き戻しの原因だろう。
この事態を想定してなのか、もうフルサワは知っている様だった。
場の空気が重い。約束を棒に振り、自分を殺したも同然な男に対する冷ややかな視線と、フルサワの嫌悪たっぷりの視線が俺を刺す。
だが、呪いがあることしかよく分かっていない俺に、そんな非は無いのではないだろうか。
よくよく考えてみると、矢吹も俺と同様に時間を戻されたということの可能性がある。でなければこのセッティングは不可能だからな。
「マジで、何がどうなってこうなったんだ? 俺達は何故巻き戻されて朝に戻った? 失敗って、何なんだ!?」
胸中に渦巻く疑問を可能な限り少なくして矢吹達に投げた。
そんな俺に呆れ顔なフルサワは、黙る矢吹の代わりにか口を開いた。
俺は矢吹からの説明が欲しかったんだが。
「お前達は恐らく、今日死んだんだろう。ある意味、前日にだがな。花菱、それが「失敗」だ」
「死んだことが原因なのか? だとしたら何で矢吹は家に居ないであんな崖に!」
「それはお前が矢吹を信じなかったのが悪い」
怒りの籠った低音ボイスを発したフルサワは、更に厳しく睨みつけてきた。
確かに俺は矢吹を信じてあげられなかったが、あんな崖に居なければそもそも死ぬことにはならなかったんじゃないのか!?
理不尽な責め立てに拳を握り締めて堪えていると、矢吹から衝撃的な事実が告げられた。
「僕と君が、四月から数えて出会った日数は、八十五だよ」
それは誰が聞いても理解不能な事実だった。
現在五月十八日。四月は三十日分だから、普通だったら四十八日しか過ごしていない筈なんだ。
だが矢吹は八十五日を過ごしたと明かした。それが事実なら、俺達は何度死んだことになる?
そして俺は何故、その時の記憶が残っていないんだ。
その答えは網タイツを履いた脚を組んだ、フルサワの言葉に因って明らかになった。
「お前は矢吹とまだ、恋人という関係を持っていなかった。だから神はお前は殺さず、矢吹だけを意図的に殺していたんだ」
「意図的に、だから矢吹は……!」
「そう。どこに居ても死んでたんだよ」
あの死は偶然の出来事じゃなかった。神様に因って強制的に殺されていたものだったのか。
神様の強引過ぎる能力に、身体が怯える。
そして、フルサワの言葉を解釈するとこうなる。
「今は恋人になったから同罪だ」と。つまり矢吹が死ねば俺も死ぬということだ。
俺に記憶が無かったのは、死んだショックなどではない。関係がまだ無かったが為だ。
その間、矢吹は独りで苦痛を味わってきたんだろう。
約一ヶ月とちょっとの時間が、彼女にとっては約三ヶ月の苦しみになる。
だがそこで、一つ疑問が浮かび上がった。
「何で、俺と会わなきゃ、何だ?」
俺と矢吹は付き合ってまだ二日。なのに四月から既に『一日に一度会わなければ死ぬ』呪いが発動している。
好きな人と会えなければなんだよな? 確かに四月はは矢吹とロクに話さずにいたから、関係が無かったとも言えるが……。
それが影響していたってことは、もしかして──。
「僕は、もっと前から花菱君を好きだったんだよ。ずっと、前からね」
「ま、マジか。凄えびっくり仰天」
「仰天はしていないだろう」
「雰囲気っつーか何つーかです」
いつからか、そして何故なのかは頑なに教えてくれない矢吹だが、とにかく好かれていたのは真実らしい。
マジそれ最高じゃね? 俺モテてたんだね。
つまり、俺と矢吹は結ばれる運命だったってことか? 美少女と、俺が? 凄い興奮してきた。
これはもう結婚するしかないな。矢吹を嫁に迎え入れなければ。
いつ結婚する? 俺達が高校卒業したら直ぐで。
ぶっ飛んだ妄想を一人繰り広げていると、矢吹が右腕をつんつんと突いてきた。
何か、凄く可愛らしいな。いや可愛いけど本当マジで。
テンション上がってるけどマジで。
「こんな僕だけど、これからも、恋人として一緒に居てくれる……かな」
申し訳なさそうにもじもじする矢吹は、不安に満ちた瞳をしていた。
男子たる者、女子を不安にさせてはいけない。恋人なら絶対の掟だ。
俺は矢吹の肩を優しく掴み、ついでに感触を焼き付けた。
精一杯の誠意を込めて、真剣な眼差しで、俺は約束をした。
絶対に破らない、と心に決めて。
「俺が絶対に矢吹を幸せにする。俺にしか出来ないことだって、本能に説教されてる。俺からも、よろしく頼む。絶対生きような!」
だから最後まで諦めないでくれ、と告げる。
矢吹は少しだけ肩を震わせ、一瞬だけ俯いた。それは、どんな心持ちだったのだろうか。知る術は無い。
そして、矢吹は心の底から嬉しそうに微笑んだ。
その表情は、天にでも昇りそうな程胸を締め付けた。
美しいというか、マジ天使というか。
停止してしまっていたが、矢吹の少しだけ震えた声で再起動をした。
うぃーんがしゃん。アイーンほへっ。
「ありがとう。嬉しいよ花菱君。これからもよろしくね」
「ああ! 何よりも優先するよ」
「ありがとう」
矢吹の頭を撫で、撫でてぐへへへと口に出しそうになったがマズいと自重。
これからの目標は、決まった。
サッカー部で優勝し、昇のことも常時手助けをする。
だが何より、毎日矢吹と会う。会い続けて死に戻りを回避する。それが重要だ。
どんなことがあっても矢吹を死なせやしないぞ、もう二度と。
そして、絶対に幸せにするんだ。
第一章第一部分終了。
二部分めもよろしくお願いします。