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「ところでお前さ、何て呼べばいいの? 流石に『元川の神です』なんて言ったら2人して病院に連行されると思うんだが」
怪我とかではないので、精神科に。
家の前で一旦立ち止まった俺は、にこにこしてペンギンみたいに後をついてくる元川の神に小声で問う。一応全員帰ってるだろうし、ボロが出ないように合わせなくては。
「そうだなぁ。私の本名ならどう?」
元川の神は、ピンと人差し指を立てて微笑んだ。
山の神の名前は「トオノミノ」だし……酷く嫌な予感がするんだが。
「お前の名前って……?」
「『スズイロノミコト』だよ」
「却下!」
やっぱそんな感じか……。後半の「ミコト」だけなら何とかなるだろうけど、「スズイロノ」は変だよなぁ。
だとしても、こいつに苗字なんてもんがある筈はない。つまり、何とかして作らなければ違和感を抱かれてしまう。
「鈴色……なんて苗字聞かないしなぁ。お前も苗字考えてくれ」
「うんうん。うーん?」
「真面目に考える気あんのかよ!」
「人間の苗字って、よく分かんないかも……」
「社会については少し知ってるくせに……!」
本当にただのお荷物じゃねーかこいつ。てか、俺もこいつとどんな関係と話せばいいんだろうか。孤児にしてはデカいし綺麗だし……。
「よし!テキトーに決めたけど文句言うな。お前は今から『瀬川みこと』だ。いいな⁉︎ オーケー⁉︎」
「ラジャ! 朝瀬川ミコトです!」
「瀬川みことだよ!」
「はーいっ」
……おい、何だこいつ。何で脳内で話してた時より幼くなっているんだ。全体的に。特に胸。
もしかしてコレも罰の範疇なのか? そもそも神様を辞めさせられたら人間になるのかよ。
──いいや、神様のことなんぞ考えても分からんし。
「俺はお前を『ミコト』って呼ぶ。そんで、お前は親に勘当されたバカ娘ってことにする。俺達は偶然出会い、何となく意気投合して仲良くなって、優しい俺が家に連れてきた。オーケー⁉︎」
「バカ娘……。うん、分かった。けど俊ちゃんあんまり優しくないよね」
「我慢しろや。そんなこと言ったらまず全然意気投合してねーだろ」
「それ言ったらおしまいじゃないか」
「分かってんなら余計なことは言うなよ⁉︎ 入るぞ!」
「うん……!」
何で帰宅するだけでこんな緊張しなくちゃならないのでしょうか。おお神よ、教えてくれ。
つーかこの後ろにいるのが神だった筈なんだけど。
「ただいまー! くはぁ今日も疲れたぜ! お母様、今日の夕飯は何だね」
玄関から滑り込むようにリビングへ。俺の家族は暇なのだろうか? 大体ここに全員揃ってる。今も。
「今日は沢庵を百個程切り刻む予定だけど? 何企んでるの?」
「母さんや、何故夕飯を訊いただけで悪巧みしてると思われてんの俺」
「バカ兄のテンションがいつも以上に変だからでしょ。私だって気づいてる」
「つーか誰か連れて来たろ俊翔。こそこそしてるってことは矢吹さんじゃねーな……浮気か」
「お前ら凄くね? 何でそこまで分かんの? 最後のは大間違いだけどな。極刑免れんぞ」
「何でだよ」
浮気なんてするわけないだろう。俺は矢吹のために日々、必死こいて生き抜いてんだぞ。まぁ知らないだろうけど。
でもバレてるなら隠しても意味ないか。玄関からちょこちょこ顔出してる落ち着きのない元神様でも呼ぶか。
「ミコト! 来い」
ミコトはキョトンとして、自分を指差す。さっき言ったことをもう忘れたのだろうか? 矢吹なんて目じゃないくらいには頭悪そうだなあいつ。
靴を脱いで、てててと早足で向かって来る。見れば見るほど、子どもらしい仕草ばかりだ。
「挨拶しろ。簡単でいいから。名前言うだけでいいから」
「初めまして。えっと、瀬川みことって言います。んと、よろしくお願いします」
深々と頭を下げたミコトのつむじを覗いて、やっぱ地毛だってのを確認。真っ赤でツヤあるって……ペンキでも塗りたくったのかよって疑いたくなる。別に違和感はないけど。
ミコトの挨拶を見ていた三人は、何故か溜め息を溢した。
「バカ兄、また別の女の子に手を出したんだ。本当キモいね。今直ぐ節操のないその下半身切り落とせば」
「矢吹さん一筋とか言っておいて別の女連れ込むとかどんだけ薄汚れてんだお前」
「言っておくけど、刺されても助けてあげられないからね」
口々に失礼なことを言いやがる我がファミリー。皆して浮気だと思ってるのか。
一度大きく咳払いして、なるべく威圧するような眼で三人を見る。そろそろ強く言わないと、好き勝手言われちゃいそうだしな。
「ミコトはバカ過ぎて両親に勘当された哀れなバカだ。そんで偶然出会って何となく意気投合して流れで世話してやろうとか、そんな情が芽生えただけだ! 決して浮気なんかじゃない! 以上さらば!」
「わわっ」
ミコトの手を引いて、さっさと二階へ逃げる。思い切り殆どそのままを口走ったが、まぁいいだろう。俺の家族だし、そこまで深く考える程の脳はない筈。
部屋に逃げ入って早々、左頬をつねられた。
「何しゃがんだこの野郎。連れて来てやったってのに……」
対抗してミコトの左頬をつねる。
「だ、だって。あんなにバカっていう必要はないじゃんっ。何だよ『バカ過ぎて勘当された』って!」
「いいだろそこは! 難しく考えると後々面倒くさそうだからテキトーでいいんだテキトーで!」
「それに! 『じゃあ両親を説得して返してあげよう』ってなったらどうするつもりなの⁉︎ 私親なんていないし帰る場所なんてないんだけど⁉︎」
「その場合は『ミコトの両親は交通事故で天に召されました』とでも言っときゃあいいんだよ!」
「状況悪化するのが目に見えてるんだけど⁉︎」
頬のつねり合いはデッドヒート。痛過ぎて2人とも涙目になり、そこを境目に終了。爪の跡ついてるじゃねーか。
部屋の鍵をかけて、赤くなった左頬を摩るミコトを睨みつける。
「そもそも、自分では何も案が出せない無計画のお前に何も言われたくないね。文句あんなら少しは自分で考えろっつーの!」
ミコトが分かりやすく萎縮する。少し怒る気が引けてしまったけど、今言いたいことは全部言おう。
「つーか、何で俺なんだよ。昇って選択肢はなかったのかよ」
同性じゃないから変な目で見られるってことを伝えたつもりだったけど、ミコトはまたしても怯えたように肩を竦ませる。
「だって……昇ちゃんにはこれ以上迷惑かけたくないし。俊ちゃんなら、彼女もいるし安全じゃないか」
「ほぉ? 俺は数多くの知り合いに変態だのと蔑まれてきたが?」
「でも手を出すとか、ないでしょ?」
「ないね」
「私は出されてもいいよ?」
「出さねーっての」
矢吹と昇、そして流美たんにミコトのことをメールで伝えた。明日詳しく教えるからと続けて。
勿論、皆混乱した感じで返信が来たけど。まぁこれは実際に見てもらうしかない。
スマホをベッドに置こうと思ったら、余所見している間にミコトが寝そべっていた。何だかちょっとニヤけてるようにも見える。
「へへ。今日ここで俊ちゃんと一緒に寝るんだね」
「ブーーーーーーーーー!」
──吹き出した。でもそんなタイミングよく飲み物は飲んでなかったから、ツバだけが飛ぶ。
小説のキャラみたく噎せることもなく、至って普通の状態で、ただ慌てながらミコトをベッドから引き剥がす。
「寝ねーよ! いや寝るけどお前とは寝ねーよ! つーかこんな狭いベッドで2人転がるとか無理あんだろ! まず密着してたら暑いっつーの!」
「あんっ。俊ちゃん、乱暴にしないで」
「んじゃあ大人しく床に座ってろや!」
叩きつけるようにして、ミコトをカーペットの上に座らせた。全く、隣の李々華みたいに大人しくしていてほしいもんだ。
────。
────いやちょっと待ちなさい。
「鍵閉めなかったっけ⁉︎」
「バカ兄が瀬川さんを弄んでる間に開けた」
「いやだからどうやって⁉︎」
「合鍵盗んどいたから」
「返しなさい⁉︎」
李々華から鍵を受け取って、机の引き出しにしまった振りをして尻ポケットに突っ込んだ。バレてる限りまた盗られるかも知れないからな。
てか思い切りスルーしたけど、誰も弄んでないんだが。このお子ちゃまのお相手していただけなんだが。
「で、瀬川さんと寝るの? キモい」
「キモいの意味が分からんわ! 寝ないって言ってたのも聞こえてたよね李々華さんよ。こいつは床に転がしておくか、李々華か母さんの部屋に連れて行ってもらうつもりだ」
「えー、私俊ちゃんとくっついて寝たいー」
「だって」
「だから暑苦しいって言ってんだろーがよおめーはよー⁉︎」
「ミコトちゃん私の部屋で寝ない⁉︎」
何か来たあああああああああああ!
母さんが平然と部屋に進入してきて、新たな面倒ごとが発生する予感。頭が痛い。
「ミコトちゃん細いしふかふかってわけじゃなさそうだけど……滑らかそうな肌に長〜い脚、その赤い目と髪も何かいい! 性格は天然そうだし、一から十まで教えてあげたく──」
部屋から追い出した。あの母上は見境いなさ過ぎる。息子の俺が言うのも何だが、お父上はアレの何処を気に入ったのだろう。
ミコトは何が何だか分からない様子で首を傾げてて、李々華はクールに溜め息を吐く。
「あの親あってこの息子あり……か」
「何言ってんだ李々華。俺はあそこまでヤバい奴じゃない。女の子が大好きってとこは認めざるを得ないが」
「変態なとこと優柔不断なとこも認めたら?」
「優柔不断は断じてない……! つもり。ダメだ直ぐ昇とか流美たんにもドキドキはぁはぁしちゃうし。てかあの親あって〜って言うんなら李々華も娘なんだしそうなんじゃないのかね?」
「私は皆みたいに変態じゃないし」
「……はい」
実の妹に「変態」と罵られることを喜ぶ方がこの世にはいる。そんなことは知っている。
しかし、実際言われてみると結構くるよ? 一発毒塗られたその弾丸がクリティカルヒットして、じわじわと効いてくるよ。普通の人なら。
それでも蔑まれたい人は、ドMだと思います。
「瀬川さん」
「……」
「瀬川さん?」
「えっ? ……あ、はい! 瀬川みことです!」
「あ、はいさっき聞きましたけど……」
一瞬で脂汗が溢れ出した。幾つかは冷や汗だと思うけど。
ミコトの奴、思い切り忘れてたんじゃねーか今。危ないな……。いやアウトな気もするけど。
いつミコトがヘマをするかが不安で、二人の会話に聞き入る。
「そこの変態兄貴と一緒に寝たら朝まで寝られないかも知れないから、私の部屋で寝よ。バカ兄のベッドとサイズは同じだけど、私がチビだから多分大丈夫だと思うし。お母さんのベッドは大きいけど、ある意味バカ兄より危険だから」
変態兄貴って……。だから何もしないってば。どんだけ信用ないの俺。
ミコトはキョトンとした様子で、李々華を見つめる。いやでもこいつずっとこんな顔だし、これが普通なのか?
「バカ兄って、俊ちゃんのこと?」
「うんそう」
「変態兄貴は?」
「そこのバカ兄のこと」
「さっきから『そこの』って言うのやめてくれ」
人間として扱われていない気がしてめちゃくちゃ切ないから。
呼び名に戸惑いがあるのか、混乱してるのか、ミコトは少しだけ唸って頷いた。
「じゃあ……えと」
「李々華です」
「りりちゃん! 今日一緒に寝ようね」
「……はい」
李々華が苦笑いで返事をする。あまりあだ名とかつけられないらしいから、変な感じなのだろう。
それより、アレだな。美脚二人が同じ部屋にいるとなると……美脚フェチな俺としては耐え難いというか。
とにかく早く出て行ってくれないかな。制服から着替えたいんだけど。
「……腹減ったなぁ。李々華、ご飯出来たかミコトと見に行ってくれないか?」
わざとらしく、咳払いを一つ。李々華は直ぐに察してくれたようで、立ち上がる。
──が、
「え? 私もっと俊ちゃんとお話ししてたいんだけど……」
「着替えてーんだよアホ!」
やはり俺や矢吹よりもおバカっぽいミコトを部屋から押し出した。鍵をかけて、さっきポケットに隠した鍵を箪笥の上に乗せる。これなら李々華じゃ取れない。
さっさと着替えを終わらせて、リビングまで降りたら母さんが「遅い」と腕を組む。そこの二人に文句言ってくれ。
「りりちゃんこれ美味しいね。何て食べ物?」
「……え、沢庵だけど」
「そっか、たくあんか!」
怪訝そうな顔で、楽しそうに夕飯を食すミコトを見る俺の家族。マジでハラハラする。きっと皆「え? 沢庵も知らないの?」的なこと考えてるよ。
廉翔にはなるべく近づけないようにするけど、李々華とは上手くやれそうだな。これなら放置しても多分大丈夫だ。
さてと……明日学校でどうなるか、か。
────アレ? こいつ学校に連れてって大丈夫なのか?