1─5
カーペットで一夜を過ごした俺は、朝一で風呂場に向かった。昨日風呂入ってないからな。
夜飯は大抵母が作るのだが、呼ばれはしない。自分で食べに行くんだ。
だが、思い切り失神したから腹も減ったな。
風呂場に着くと、俺は服を放り出して全裸になった。
まだ六時前で誰も起きてないだろうし、少しくらいはっちゃけても気にはしない。
「ぶらぶらさせんな、バカ兄。キモい汚い早く退いて」
「何で居るんだよぉ……」
扉を開くと、タオルで身体を覆った裸の李々華がジト目で立っていた。
自慢の息子を侮辱し、颯爽と風呂を出る。
俺は土下座する様に両手を床に置いて嘆いた。
こんな兄の姿、多分見たくないだろうね。
「昨日、疲れてそのまま寝たから。バカ兄も、早く入りなよ。変なこと考えないならお湯そのままでいいから」
「妹の残り湯で興奮する兄貴が俺以外どこにいるってんだ」
「多分どこかにはいると思う。てか、するんだ……」
「いやしないっ! 断じて飲んだりしないから安心しろ!」
「気持ち悪いから早く入れ!」
怯えた表情の李々華に突き飛ばされ、つるつるの床にダイビング。膝や腕を擦りむいた。
何て労いのなさだ。妹は兄を慕うものだろう!
それより昨日、風呂入ってなかったのか李々華の奴。なのに人のベッドで寝たのか。汚れたんじゃなくて、汚すのが嫌だったんじゃないのか!?
今日洗濯しておかなきゃな……。
李々華入浴直後の湯を見つめ、じっと見つめて、両頬を叩いた。危ない危ない。
俺は矢吹一途だ。妹なんぞに手を出してはならないんだ。幾ら興奮するからってな。
妹以前に、中学生だし。
「さてと、今日は気合を入れよう。部員を六人集めるんだ!」
誰もいないがサムズアップ。
現在サッカー部は部員が五名しか選手じゃない。プラスでマネージャー・昇を含めて六人だ。
サッカーのルール上、最低でもメンバーは十一人必要。まだまだ足りない。
だから今日、部活の合間に勧誘してみようと企てているのだ。六人集めたる。
多分、俺はそこそこコミュニケーション能力が高い方だと思われるが、仲が良いと言える人物は極少数。望みは高くも低くもない。
それよりも運命が左右されるのは、勧誘した人物がサッカーを好きか嫌いかだ。好きでもない人を誘ったところで直ぐに辞められてしまうだろうし。
……ダメだ。記憶に残っている人間を漁ってみた感じ、サッカー好きはいない。
サッカーを観戦するのは好きでも、実際プレイするのは好きではないという者ばかりだ。
これは骨が折れそうだぞ。
短期だけでも、大会に出てくれるだけでも構わないんだが、なるべくやる気のある人間が望ましい。
「ヤバい、自信失くなってきたぞ」
長湯はしない様、早めに風呂を出て一旦部屋に戻った。
「ん、おかえり」
「ただいま。ところで何故俺の部屋で俺の漫画を読んでる? 許可した覚えないんですが」
「いいじゃん別に。破いたりはしないから」
「いやそういう問題じゃなくて……」
結局いつになったら自分の部屋に戻るんだろう、この妹は。
生意気にも太腿を晒け出し、欲望を刺激するとは。このエロ娘が!
「キモい目で見ないでよ、バカ兄。私バカ兄と関係持つとか嫌だからね。襲わないでよ」
ギンギンに眼を見開いていたら、両手の人さし指を突き刺された。失明したらどうしてくれる。
襲わないでよとか言ってるけどな、そんなすべすべな生脚見せつけて関係持ちたくないだと? 襲って来るの待ってるの間違いだろう?
無意識に空気を揉みしだいていた俺に警戒したらしい李々華は毛布に包まってしまった。
俺としたことが……矢吹以外に反応してしまうとは。いつものことだけど。
「そうだ、ドエロ兄」
「あれ? 廉翔よりも酷くなってない?」
「ドエロ兄の方が合うかなって。ドエロ兄さ、彼女さんとどこまでいったの?」
「は?」
俺の呼び名を絶望的なとこまで下げた李々華が、よく分からない質問をしてきた。
彼女、つまり矢吹とどこまで行ったか? そんな遠出した事そもそも無いしな。
「屋上」
「何バカなこと言ってんの」
立てた親指が、谷折りにされる。
折れたらどうしてくれるこのチビ。痛いぞ。凄く痛いぞ。痛いなんてものじゃないぞ泣くぞ。
親指を我が子の様に抱く俺に向かって溜め息を吐いた李々華は、可愛らしく咳払いをしてみせた。
その時に漏れた声が色っぽくて興奮したなんて、言うわけはない。
「ちゅー、した?」
上目遣いで、頬を染める李々華。とても襲いたいね。
そうか、その「どこまでいった?」か。残念ながら期待出来る様なことは何もな。
「したいがしてないぞ」
「じゃあ、ハグした?」
「したぞ」
「エッチなこと、した?」
「する気は満々だぞ? 李々華もしたいのか?」
「うっさいバカ」
否定はしないのだろうか。とにかくジト目で睨まれる。
それより、女子も男子も何故かこういう話題を出すよな。そんなに気になることなのだろうか?
付き合い続ければ絶対に行動に移すことだろう。察してやれよ、て感じだ。
俺に質問して来る李々華も、美少女ではあるし彼氏とイチャイチャしてんだろ。
「彼氏とどこまでヤッた?」
「質問の仕方おかしい気がする。でも、そもそも彼氏なんていないし!」
「何故怒る……」
居ないなら居ないで別にいいじゃんか。悪いことではないんだからさ。
不貞腐れた様に毛布を頭から被った李々華を何となく撫で、母性があるのではと迷走。俺はアホ、間違いはない。
でも、こうして頭を撫でていると子猫を愛でている様で、可愛いなぁ可愛いなぁなんて思えてくる。
可愛いなぁ可愛いなぁ可愛いねぇ李々華ぐへへごはぁっ!
「痛いぞ、何故腹を殴る」
「急に撫で回してくるから寒気がしたの。次はその節操の無い下半身でも蹴ってあげようか?」
「やめろ! 矢吹と出来なくなっちゃう!」
「キモ」
くぅ、女は何かとあればキモいだのなんだのと罵りやがって。肌色面積多めなDVDに出演している女の子みたいに直ぐ従順になるくせに!
……後頭部を突き抜ける衝撃を受けた直後、気がついたらリビングで座っていた。
朝飯を食しているらしい父と廉翔が見える。
一体何が起こったのか恐怖で仕方がないが、きっと疲れてるんだろうな。頭痛が酷いし。
「起きたんだ、バカ兄。さっさと準備しないと部活遅れるよ」
「おう、じゃあちょっくら行ってくっぜぃ」
「何も言わないんだ」
「何が?」
「別に」
口笛を吹く李々華に違和感はあるが、本当に部活遅れそうなので急いで登校することにした。
夏に差し掛かるこの頃、陽射しは強めで気温は高め。大変体調不良になりやすい季節だ。
時折風が吹くも、生暖かさに気持ち悪さを覚えてなるべく触れたくない。
まあ、風を予測して進むなんて絶対に不可能なんだが。俺ではね。
誰も居ない昇降口で靴を履き替えると、矢吹の靴が無いことに気がついた。そもそも部活入ってるのだろうか。
「流石に上履きの臭いを嗅ぐのは自制した方がいいだろうか」
女の子の匂いを嗅ぎたいのは万国共通男の欲望だろうが、流石に靴は無いな。嗅ぐとしたら下着か生肌が好ましい。
蒸れ蒸れの女子の下着を嗅げるものなら、アダルトなDVDを売っても構わない。そのくらいの価値があるだろうな。
だがしかし、俺は女子を愛する者だ。彼女達が嫌がるのなら、諦めよう。
いつか矢吹から脱ぎたてほやほやの下着をプレゼントされるのを根気強く待てばいいんだ。
あわよくば、その何も穿いていない脚の間も──考えただけで奮い起つな。
「さてと、部活の勧誘開始だ。まず部長に少しの間抜けると告げてから」
すれ違う女性の教師や、生徒には礼儀正しくイケてる挨拶を送り、男には軽めの礼を向ける。
教師相手にはなるべく礼儀を見直すが、俺は歳上にはあまり興味が無い。フェミニストだとしても、そこは揺るがない。
恋愛対象はあくまで同世代の女子だ。いうなら、高校二年生から中学三年生までの三学年。俺を挟む学年だな。
中学生は歳下で、先輩なんて呼ばれて抱きつかれたらもうモチベーションマックスだよね。
ついでにその女の子美味しくいただいちゃうよね。
「お、来たか花菱。遅かったな」
「ちょっと気を失っていたらしくて遅刻しました」
「それは嘘だろ」
「嘘ではないんだなそれが」
三年生で部長の小鷹裕也先輩とエンカウント。
丁度部室にボールを運んでいるところだったらしいから、向かうついでに手伝った。
手伝ったっていうか、俺後輩だから当たり前なんだけどもね。
部室で腰を下ろすと、小鷹先輩は水を飲みながらちょいちょいと手招きをした。
「今日谷田崖来るの?」
「えっと、俺あの子とは疎遠な関係でして……」
「あ、マジ? 来るんなら一言欲しいんだけどなぁ」
谷田崖流美は、俺と同学年の女子生徒だ。
部内で唯一の女子選手で、中学では全国大会にまで進出出来たらしい実力派フォワード。
ただ、この王都高校に入学して以来時たましか姿を見せず、殆ど幽霊部員化してしまっている。
部内で人間関係は悪い訳でも、不登校になった訳でもない。
全同学年女子に告白した俺は、その告白以来彼女とのコンタクトは一度も無いのだ。
凄い嫌われた気もするし。
「まあ、来たら来たで強制的に練習させればいいか。昇ちゃんは?」
「あいつなら来るでしょ」
「だよなぁ」
一瞬、先輩が馴れ馴れしいと感じた俺は心が狭いのだろう。
俺にではなくて、昇に馴れ馴れしいというか。そんな仲良くないだろうっていうか。
結局、一年は俺以外登校して来なくて、三年生は小鷹先輩とその他二名だけだった。
四人だけの虚しい練習を午後六時まで続けて、漸くスマホの不在着信に気がついた。
「あ、やべ。矢吹から五回くらい着信あったんだ」
最初はメールだった様だが、部活中は一切触れないので分からなかった。
メールの内容は、『今日僕は学校に行かないからうちにきてくれると嬉しいな』だった。
勿論、そんな時間は無いのだが。
今日は行けないかもということを知らせようとスマホを操作する中、昨日の矢吹の言葉が脳裏に蘇った。
──花菱君、信じてるよ。
「まだ、八時までは一時間以上あるよな。急いで行くか」
「ん? どうした花菱。急用?」
「はい、スゲェ大事な用っす。お先失礼しやす!」
不思議そうに質問を投げて来た小鷹先輩を適当にあしらって、校門を駆け抜けた。
だが、部活の疲れに心が追いつかず、木に寄りかかった。マジ疲れた。
先輩達の練習法は、一般的なものだ。ひたすら走ったり、シュートの練習をしたりなどなど。
唯一一般的じゃないのは、練習の時間だと思われる。
午前七時から始まり休憩ほぼ無しのぶっ通しで午後六時終了。長時間やりゃいいってもんじゃないぞこの野郎。
弱った身体に気を使いながら、午後七時十一分。矢吹の住むボロアパートに到着。
何とか間に合ったと安堵の息を漏らし、呼び鈴を鳴らす。
「矢吹、矢吹来たぞ。疲れたから開けてくんないかな」
呼び鈴を鳴らしても、声をかけても物音が聞こえない。
まさか誰も居ないとか、言うなよな? 待たせ過ぎて怒ってるとか言うなよな?
疲労困憊で、必死に駆けて来たのにそれはないだろ。
アパート前の電柱に寄りかかり、呼吸を整えているとスマホが振動した。
本日六度目の矢吹からの着信だった。
「もしもし? 矢吹俺今家の前だぞ、開けてくれよ」
一秒の遅れもなく応答し、矢吹に解鍵を頼む。
だが、矢吹は直ぐには返事をしてくれなかった。
『無理だよ。僕、今家に居ないから』
「……は?」
今にも息絶えそうな程掠れた声で答えた矢吹に、俺は戸惑うばかりだった。
脳が疲れているのか、理解するのが中々難しかった。
「もしかして、今外に居るのか?」
『そうだよ。鵬路町の、三丁目。トンネルの、目の前』
「何でそんなとこに──」
掠れた矢吹の声、もしかして泣いた後、だったりしないだろうか。
信じてくれと願った筈の恋人が、部活を優先して、話を信じようともしないで放っておいたことに泣いていたんじゃないか?
そうだとしたら、俺は女の子を泣かせてしまったという訳か。
罪悪感に打ちのめされ、歩くことを止めてしまっていた。
一刻も早く彼女の元へ向かわなければならないというのに。
『残り時間、少ないけど……信じて待ってるからね。じゃ』
「ちょっと待てよ矢吹っ! ……っ! 切れた……!」
俺の言葉を聞くのが嫌な程、怒ってるのか? だとしたら弁解したい。
走らなきゃ。
「ここから二駅過ぎれば直ぐに着く。けど電車なんて待ってたらタイムオーバーだ! 止まらないで、走るしかない!!」
限界を超えるつもりで、ふらふらした脚を振り上げ、地を踏みしめる。
視界が曲がる。呼吸がキツい……って、どんな練習させやがんだ先輩共。顧問は何やってんだよ。
鵬路町まで走って行けば三十分程度で到着出来る。何の邪魔も無ければ、簡単なことだ。
疲労も、何の邪魔も無ければ──だ。
「くっそ……! スタミナ的には助かるけど時間的には地獄だぜ信号!」
取り繕っていたキャラが崩壊する程、酸欠状態だった。
信号待ちが解けた瞬間に走り出す。ところで、道が覚えられないんだよなぁ、俺。
曲がり角左だっけ右だっけ!? マジでどっちだっけ!? あ、左行ったら戻るだけか。なら右だ!
道を自分の家を目印にして辿り、番地も確認して駆け抜けて行く。
邪魔された信号実に六ヶ所で、スタミナは最早帰り道を歩けるかどうかな程散り気味。くたばりそう。
崖のある道路をガードレールに沿って歩いて行き、ふと顔を上げた。
「あれだ、トンネルごふぇおっほぉえ! あ? あの、あの制服……矢吹!」
トンネルから少しばかり離れたガードレールに、矢吹が座っている。お尻は痛くないのだろうか。
それより、今強い風が吹いてしまえば彼女は崖に落ちてしまう。
小刻みに震える脚を叩き、食らいつく様に進んで行く。正直に疲れました。
「あんた、こんなとこで何してんの?」
「え」
「俊翔? あんた家こっちじゃないでしょう?」
「昇……今、今は話しかけないでくれよ。急がねえと、早く、しないと……」
「いや、危ないって!」
突如現れた昇を振り切ろうと踏み出すが、目眩がしてその場に座り込んだ。流石に運動し過ぎてしまいましたね。
『お嬢様、バカが必死です』「そうね。でも、それが正解よ」『ですがお嬢様、彼女はもう死の淵です。助かる見込みは御座いません』「あらあら、諦めるべきかしら?」。
アホな執事とお嬢様を脳内から消滅させ、矢吹に一点集中させる。
「矢吹! 矢吹気づけ!」
「えっ、矢吹さ──」
予想とは別だったが、矢吹の身体は崖に放り出されてしまった。
死因:事故死。トンネルから飛び出した大型トラックとの衝突だ。
「矢吹……っ!」
矢吹の元へ駆けつけようとガードレールにしがみつくと、俺はそのまま彼女同様崖に落下してしまった。
宙を舞う中、その原因が明らかになった。
ガードレールが、俺の体重を支えきれない程脆くなっていたらしい。割れている。
んだよクソ。最っ悪な終わり方じゃねぇか。
「俊翔────!」
視界が暗闇に支配される中、幼馴染みの女の子の叫びだけが夜の崖に木霊した。
次で第一章の一部目が終わりです!