2─16
俺は矢吹が好きだ。
この世の女の子なら容姿の善し悪しなど関係なく好きだけど、今恋愛対象として見れるのは矢吹ただ一人。そう断言する。
──そうしたい。するべきだ。
だけど、たった今俺の眼の前でクピクピ天然水を飲んでいる女の子のことが、言い訳出来ないくらいに可愛く見えている。
「流美たん、両手飲み派なんだ? 支えないと不安な感じ?」
流美たんはペットボトルを口に付けたまま頷き、「ぷはっ」と小さく息を吐いてそれを片付けた。
何だろう、凄くキュンキュンするね。
「ペットボトルは、ちょっとだけ大きいと思う。もっと縦に長くして、幅を狭めるべきだと思う」
「それ飲み辛さは結構変わんないって。長くなるといっぱいの時かなり重く感じると思うし、ドバーッて流れて来て下手したら噎せる」
「……そっか。よく考えてみたら、そうかも」
「うん。まぁペットボトル作った人の考えは別に知らないんだけど。本当便利なのをありがとう心からの感謝を貴殿へ! って感じだよな」
「私は、時々俊翔が分からない」
前に何処かでも言われた様なセリフだったから、思わず笑った。そしたら流美たんがキョトンと首を傾げて、更に可愛さ増し増し。
よくさ、無表情だと怖いし何考えてるか分からなくて近寄りたくないって聞くよね。でも俺はその無表情を擽ったり意表ついたりして崩すのが醍醐味だと主張したい。
確かに初めは、俺も流美たんの鋭い眼光に怯んでたけど、考えてみればそれは流美たんの顔の構造上仕方ない。つーか童顔で目つき鋭いって何だかゾクゾクしてくるよな。
更に表情崩す時が楽しくなる。
──まぁ流美たんはちょっと別っぽいけど。
「今更なんだけど、流美たんは感情を表に出すのが苦手なんだったっけか?」
初めて会話を交わせた日を思い出した。保健室で、「ポカポカのはらの探検」を蚊の羽音くらいの声量で音読してくれていた流美たんを。
「ちょっと違う」
流美たんは瞼を伏せて、小さく首を振る。サッカー以外では、流美たんの動作は限りなく控えめだ。そのため、誰にも伝わらないことだって多い。
「私は面白くなれない人間。俊翔や古武君の様に、冗談を言い合って笑える友達もいない。だとして、梅原さんの様に頭が良いわけでもないから、自分自身に適応出来ないの」
珍しく、流美たんが長文を喋った。聞き取れてない部分が無いか不安になってきた。
「でも、まず俺って友達がいるじゃない? 部員達とも多少打ち解けて来たし、他にも話せる人とかいるんじゃね?」
「ううん、俊翔だけ。……セフィは、昔から苦手なタイプだったから」
確かに、昇とか矢吹とすらまともに会話を交わしてるシーンが浮かばない。矢吹とはそもそも話さないし、昇は昇が厳しいから流美たんには難しいかも。かと言って男子メンバーじゃテンション高過ぎて追いつけないだろうしなぁ。
何ともまぁ……難儀なもんだよ本当。
「ところで、セフィが苦手なのは何故? 一番古い付き合いだろ?」
ちょっと気になって質問。これまで無表情だった流美たんは、一段階暗くなった。
「明らかに体育会系だから……」
「それ流美たんもじゃないの一応⁉︎」
熱血とか、当たって砕けろの精神とはかけ離れてるけど。サッカーに長い間熱中って、一応体育会系ってことなんじゃないのか?
でも熱いノリには乗らないだろうし、全力出して練習とかしたらぶっ倒れそうだし──この娘どう仕分けすればいいんだろう。例えばA文科系・B体育会系に分けてくれって指示されたら、三六五日四六時中考えることになりそうだ。
「──てか、セフィって完全に体育会系なのか? オシャレとかには気を遣ってるイメージあるけど」
うちにやって来た時、中々オシャレではあったし。体育会系って、身だしなみをあまり気にしないだろ? 俺そうだし。
流美たんはとっても不機嫌そうな雰囲気を醸し出して、俯向く。俺が否定ばかりしてるから嫌になっちゃったかな。嫌われたかな。
「セフィ、うるさいの」
「……えぇ」
「あまり言いたくないんだけど、楽観的なコだと思う。私が体調悪い時とかでも、気にせず連れ回したり……」
「でも、遠征途中の車では酔った俺に優しく接してくれたけど」
「それは、何でか分からない。昔は違った。自分勝手で、いつもグループの輪を乱す様なコだった」
「ほぉ、それはそれは……」
何か、そうだな。セフィもサッカー少女だし、体育会系ではあるんだろうけど、しっくり来ないな。あんな可愛い体育会系のコってそうそう見ない。
いや女の子は全部可愛いよ? 体育会系だろうが文科系だろうが太っていようが何だろうが。可愛いものは可愛いんだけど、セフィは中でもズバ抜けてんだよなぁ。
両立してる感じかな?
「流美たんは明るい女の子が苦手ってとこか。明るい男は平気だけど」
俺が一人納得したら、流美たんはコテッと頭を傾けた。可愛いー。
「何で私が、明るい男の子は平気なの?」
「だって、俺と話せるじゃん。俺メチャクチャテンション高いだろ? その上大馬鹿と来てる」
自慢ではないけど、今の俺はかつての俺なんぞ少しも彷彿とさせない。過去の友人──なんて昇とコタケしかいないや。何でもないっスすんません。
「俊翔は……」
何か自分で自分の傷口抉ってる俺の横で、流美たんは視線を俺とは真逆の方に移した。でも窓に映って表情が窺える。
「俊翔は特別なの。それ以上は、今は聞かないで」
「……りょ、了解」
窓に映る流美たんの表情は、何か愛しいものを見る様だった。
初めて見るくらい、穏やかな眼をしてる。まぁずっと穏やかではあったんだろうけど、今は鋭い眼光なんて思えない。
もし、その愛しいものが俺なんだとしたらって自惚れてしまって、眼を逸らした。恥ずかし過ぎる。
少しの間、秒針の音だけがトレーニングルームに響く。ホテル内は静まり返って、気がついたら夕飯の時刻。どうしよう昇に怒られる。
「俊翔。私に聞きたいこと、他にもあったでしょ?」
突然声をかけられて我に返って、自分が忘れっぽいなって泣きそうになった。
そうだよ、何のためにさっきの話切り出したんだ。
「ごめん忘れてた。じゃあ改めて聞くけど──流美たんが表情を作れないのって、何で?」
ストレートに聞いてみた。正確には、「苦手なのは何故」なんだが、大した違いはないからこれでいいだろう。
一瞬息を飲んだ流美たんが、大きく眼を開けてる。そして、小さく口を開いた。
「私は笑顔を作っちゃいけないの。……それだけ」
「……はっ?」
淡々と言った流美たんは静かに立ち上がり、バッグを手に取る。俺に白く細い腕を差し出して、頷いた。
「……それだけ」
もう一度、そう言って。
「行こ、俊翔。ご飯食べられなくなっちゃう。私お腹空いた」
「え、あぁ……だな。行こう流美たん。手、繋いで行きたい?」
「……大丈夫」
「そっか」
流美たんは差し出していた手を引っ込めて、俺が立ち上がるのを待つ。おぉっと、会話に夢中で忘れてたけど、脚がパンッパンだよおい。その上今になってドッと疲れが……。
「流美たん、ホテルの飯って美味しいのかな。俺去年来れてないから分かんないんだよね」
「……ああ、俊翔体調崩しちゃったんだったね。多分美味しいと思う」
「流美たんもうろ覚えかい?」
「毎回同じご飯が出るとは限らないし、そもそも食べたでしょ?」
「いや最近は別のとこで食べてて忘れた」
「早過ぎる」
アホ丸出しの会話をしてたら、廊下ですれ違ったお姉さん方に笑われてしまった。笑顔が素敵ですね。それにお風呂上がりかな? 火照った身体がマジエロい。
「……なぁ流美たんさ」
「ん? どうしたの、俊翔」
「…………ごめん何でもない。急ごう」
「うん? 私は時々、俊翔が分からない」
流美たんはトレーニングルームでの会話を最後に、この日は眼を合わせてくれなくなった。
流美たん、君に言われたことをそっくり返すよ。
俺は時々、君が分からない────。
疲れた日の風呂はサイコーだ。でも、最高なんだけど、脚が剥れてしまう。熱でかな。
もう今日はさっさと寝てしまいたい。明日に備えて、大会の決勝に備えて。
「……サッカーって雨天中止あるっけ」
「多分、ないと思うんだよなぁ」
「でも、これはヤバくね?」
「うん。雷鳴ってるね」
起きて早々悪夢の様な天気。夏だからか? 梅雨の時期だからかな。
俺と矢吹で、不安丸出しで見つめ合ってたら、部屋の扉が豪快に開いた。同時に雷が轟いておっかない。扉が爆発したのかと。
「残念だけど、延期みたい。明日スタジアムが大丈夫そうならその日で、ダメそうなら明後日だって」
部屋にスマホを持ちながら入って来た昇は、溜め息をついてベッドに腰をかける。わざわざ聞きに行ってたのね、流石頼りになるわ。
「クッソこのお天道様め! まだこの日は来てなかったから予想してなかったぜ!」
「ちょっと前に雨降ったけどね」
「この日は来てなかった……って、当たり前じゃない?」
……あ、セフィ居たのね。ごめん気がつかなかったヤベェどうしよう今の聞かれてるよおい。
「雷が鳴る日が今年はまだ来てなかったの。だからでしょ」
俺が焦りに焦って窓際に後退してたら、すかさず昇がカバーしてくれる。俺もここぞとばかりに全力で頷く。
少しだけ眉を曲げたセフィは、昇と同じくベッドに腰を下ろした。
「そっか。向こうでは雷鳴ってたから分かんなかったなぁ」
「向こう?」
振り返っても窓しかない。……って思ってたら矢吹に脇腹ド突かれた。真顔で。
アホなことばかりしてんなって意思表明かしら。
「セフィ、ロシアにいたんだよね、今年。五月までは。で、日本に帰って来たんだ」
「ロシア! ロシアってーと……白赤青だな!」
「……バカシュン。国旗なら白青赤でしょ」
「英語喋れんのか⁉︎」
「……ロシア語とかじゃないんだね」
昇もセフィも俺を蔑む様な目で見てる。普段ならそそられるのに今はただひたすら悲しい。
でも見てくれ皆。多分矢吹も何かしら俺と同じだったんだよ。眼を逸らしてる。
まぁそんなこんなで、一年一同朝の団欒でポカポカ気分ですってとこで──
「また流美たんいねえええええええええええ‼︎」
やっぱり欠けてる身体の弱い最強のチームメイトを思い出して、ホテル中に響き渡る程叫んだ。
三人は耳を塞ぎ、俺を睨む。怖えええええ。
「うるっさいんだけど。谷田崖さんならまた医務室に行ってるわよ!」
昇が怒りに満ちた声色で言う。本気で怒ったみたいです。という訳でさっさと逃げよう。
「そっか。んじゃあちょっと今日のこと伝えて来るからまた!」
「もう部員全員にメール送ってあるわよ!」
「さ、流石仕事がお早い! あ、じゃあ俺小鷹先輩と決勝の作戦会議して来るからバイビ!」
「それは明日、全員でするって決めてあるわよ!」
──逃げられなかった。この空気で外にも出られないとかマジ泣きそう。彼女が癒してくれないから流美たん癒してくれ。
でもこの場にいたなら、一番流美たんがぐったりしそうだよな。
お昼時を狙って、俺は誰も居なそうで立ち入り自由な場所を従業員のおばさんから聞き出した。最上階のホールなら、イベントが行われる日以外大抵誰も居ないって。
イベントって何だ? ホテルでのイベントって、マジで何? 何すんの?
「さてと、見てるか十字仙山の神様。あんたは俺を殺したくて仕方ないんだろうけど、俺はしぶとく生き抜いてやる。いや死んだばかりだけどそういうことではなくて、本当にはまだ死なないってことだ」
誰も居ない、薄暗いホールで一人ぶつぶつと呟く。端から見れば異常者だろうが、端から見る人が居ないので気にしない。
「矢吹が好きなら、矢吹の幸せを願ってやってくれよ。一体何が気に喰わないんだ。神様の特権使って死のループさせるとか趣味悪過ぎるだろ!」
「俊翔」
「ひいいいいいいいいいいいいっ‼︎」
仰け反って、直後前方に回転しながら飛ぶアクロバット。俺にこんな事が出来たとは。
そんなことより、今俺に話しかけて来たのは……!
「俊翔、俊翔は神様に殺されてるの……? 死んだことがあるの……?」
流美たんだった。最早何を思ってるのかが全く分からない、真の無表情と化している流美たんだ。
今訊かれたことは、確実に聞かれたんだな。ヤバい、どうしよう。中二病は卒業したのに中二病だと勘違いされちゃう!
「る、流美たんい今のは別に……」
俺が弁明するより先に、流美たんはハッキリと声を出した。
「俊翔はもしかして、山の神様に呪われてるの?」
「──へ?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまうくらい、流美たんの質問は聞き慣れたものだった。




