2─13
花歌さんが前回も課してきた仕事のお手伝いは、前回よりも遥かに時間がかかってしまった。
全ては矢吹が原因。資料に載ってることを記録していけばいいだけなのに、それすら理解出来なくて完全なる足手纏い。
俺の彼女は相当おバカ。知ってたけどね。
「うー……疲れたぁ」
そんなこんなで矢吹さんぐったり。間違える度に花歌さんの怒声が轟くから。
本来、仕事の手伝いは俺だけの筈だったんだけど、矢吹がどうしてもって言うから任せることになった。花歌さん凄く嫌そうな顔してたけど。
「矢吹、やる前に言ったろ? 俺は前回やってるから慣れてるって。もしかしたら最初もやったのかも知れないけど。とにかくすぐ終わらせられるって」
矢吹の背中を摩ってやりながら、記憶って簡単に消えるもんなんだなぁとか内心怯える。
え、何で背中を摩ってるのかって? 疲れてるから労ってあげたくてに決まってるじゃないか。はは。べ、別にボディタッチしたくてとかじゃないし? ほっほ。
「でも、花菱君だけに労働させるのは嫌だし……」
頬を膨らませて、テーブルに伏せる矢吹。可愛い。食べちゃいたい。
「労働って労働でもないしなぁ。資料何十冊分の運べなんて言われたらちょっとキツいけど」
「僕は花菱君の手助けしたいし……」
「俺は傍にいてくれるだけで元気になれるから」
主に外側の方がだけど。
納得していないのか、矢吹は眉を寄せている。心配してくれてるって、嬉しいことだね。
「抱き締めていい? 矢吹」
「え?」
思わずに声に出たけど、ちょっと本気で抱き締めたい。密着したい。その柔らかさを堪能したい。
矢吹抱き枕プリーズ。
「うーん、どのくらい? どのくらいの力で?」
何に警戒してんのこのコ。ベアハッグでもされるとか思ってんのかな。
どのくらいの力で、と言われるとどう答えればいいのか分からない。だから言葉を探して、両手を広げてみる。
「取り敢えず密着したい。ムギュッて。匂い嗅げるくらい」
「匂いは嗅がないでほしいかな。疲れてて汗臭いと思うし」
結局言葉見つからなかったな。間違っても「おっぱいが潰れるくらい」なんて言ってはならない。
でも嗅ぐなんて引かれたかも……?
「いいよ、どうぞ。僕もギュッてしたい」
ビキーーーーンッて俺の触角が反応する。いや下ネタじゃなくて。何ていうか、心の底から嬉しさが噴火したみたいな感覚。
……ん? 触角関係ないな。失礼致しました。
「いいんだな? 矢吹。密着するぞ。重なり合うぞ?」
「あの、わざわざ変な言い回ししなくていいからね? 恥ずかしいから早く……」
「んじゃ行きます」
小さく手を広げた矢吹の身体に触れる。腰が細い。大食いなのに何処に行ってんの食い物。
「……奥へ、もっと奥へ行くぞ矢吹」
「……早くして」
何か矢吹がキレかけてる気がしたので、素早く抱き締めた。つーか抱きついた。
はぁぁ、柔らかい。全身が柔らかい。抱き心地良過ぎて離れたくない。気持ちええ。
「矢吹……」
「何? 汗臭いとかだったらごめんね」
「全然臭くなんてない。むしろ興奮する美味しそうな匂い」
「離れたくなってきた」
「何を言うか! 俺は離れないぞ! 矢吹ともっとくっついていたい! 合体してるつもりで!」
「本当に離れたくなってきたからね⁉︎」
匂いを嗅ぐなと言われても、好きな女の子と抱き合って嗅がない男なんているのかしら。俺は嗅ぐ。嗅ぎまくって記憶しておく。
俺と矢吹の密着率はほぼ百パーセント。座りながらだけど、完璧にくっついてる。俺が引っ付いてる。
「大人になったら百二十パーセントになれるかな……。いや、百二十パーセントになったら大人なのか!」
「もう終わり! 抱き締めるの終わり! このままだと身の危険を感じるよ!」
矢吹が俺を腕で引き離す。充分癒されたし、文句は言うまい。頼んだ側だし。
「花菱君は本当にエッチだよね。正直、行き過ぎたことするなら僕も離れちゃうよ?」
矢吹が心底嫌そうな顔で、俺から離れる。
やめて。嫌わないでくれ。高校生のモテない男子はエロいことばかり考えてるんだよぉ!
「……でも、僕も嫌われたくないしね。エッチなことは、まだダメだけど。恥ずかしいし」
「高校生だし、とかじゃないのね?」
「僕の母親は、高校生で僕のこと産んでるし」
「──ほぇ⁉︎」
矢吹は少し複雑そうな顔をして目を逸らしてる。今のが本当なら、花歌さんってまだ……
「最高でも三十三⁉︎」
嘘だろ⁉︎ は⁉︎ 確かに見た目すっっごい若いけど、そんななの⁉︎ 俺の母親確か四十くらいじゃなかったっけ。
「ううん、三十」
「ほっ……⁉︎」
えっ、三十って……十五で産んだってことか⁉︎ それってアリなの⁉︎ 親父さんの年齢によってはそれ犯罪になりかねなくね⁉︎
てかつまり、今の俺らの歳で……やることやっちまった訳ですか。へぇ、へぇ──エロいな。
「花菱君、変な想像しちゃダメだからね。僕と花菱君はそんな急ぐ必要もないからその、まだ我慢してね」
「おう、分かってる。俺と矢吹はいつか結婚するんだからな。決まってる運命をわざわざ急かすこともない」
「うん、そう」
矢吹が照れ臭そうに笑う。どうよ世の男達。高校一年生の一学期の時点で既に婚約してるんだぞ俺は。美少女と。羨ましいか。
ふと思い出して、ベッドの方に眼を向けた。
「俺はいつか矢吹と大人の階段を上るってのは当然として──」
「ぶっ」
俺の視界の隅で矢吹が噴き出した。悪い、口が滑った。
「もとい、矢吹と互いの身体を好きに出来るとして」
「何の話⁉︎」
「今の俺達にはまだ関係ないことなんだよ。なのにベッドが一つなんだ。俺達同じ部屋だし、一緒に寝る?」
流石に恥ずかしいんじゃないかと、確認をしてみた。
けれど、矢吹はさも当然だと言う様に頷いた。予想とは勿論違う。
「僕達、ホテルで一緒に寝たでしょ? 大丈夫だよ。一応、花菱君のことは信じてるつもりだし」
「ああなるほどなるほどすっかり忘れてた。異次元のそのまた向こうに解き放ってた」
「何してんの」
「安心しろ矢吹、俺はケダモノになる自信しかない。でも、それはいつか未来の話」
「その話引っ張らなくていいから! 疲れたからお風呂入って寝よ!」
「一緒に?」
「違うよ!」
それと矢吹、この部屋湯船はついてないんだわ。シャワーだけなんだよ。
シャワールームは曇りガラスだけど、シルエットだけ見るのもまた良きだよね。なーんてニヤけてたら、
「絶対に見ちゃダメだからね? 絶対」
と、釘を刺されたので大人しく壁の方向いてることにしました。残念無念。
テレビには思った通りディスクがセットされていた。あの、美少女達の水着姿の。
何か別のないかなーとか探してみたけど、全部俺の大好きな女の子の生肌とかでした。見たいけど見ません。
──俺も矢吹も風呂を済ませて、今度こそ電気を消して極普通に寝た。前回スイッチ分からなかったし。
「二人共、よく寝れたかな? あまり知りたくもないが、淫らなことをしていたとかは……」
「それ貴女に言われたくないから」
「俺は今回はよく寝れました」
あ、やべ。気づかれてないっぽいけど「今回」って言っちゃった。前回寝不足だったから……。
「さて、今日も昨日と同じことをしてもらうが、いいな? パスワードとかは昨日言った通りだ。かかってくれ」
前回も聞いたフレーズ。俺は計三回やってるから大丈夫だけど、
「頭悪くて覚えられてないけど。メモにでも書いて教えてくれないかな」
矢吹は昨日が初。それで俺より記憶力が乏しいから、覚えられる訳がない。
俺も昨日でようやく覚えたからね。
「はぁ……。メモは渡せない。外に漏れれば一大事だからな。口で言うから覚えろ」
「別に誰かに言いふらすつもりはないよ。覚えられなかったら昨日より時間かかると思う」
花歌さん相手の時は、矢吹はかなり頼もしい。嫌いだからか、全く恐れずに返せてるし。
俺は少し威圧的な眼を向けられたら胸がキュッとなる。心臓を鷲掴みされたみたいに。
「矢吹、俺が覚えてるから教えるよ。んじゃまた終わったら」
「ああ、頼んだ。二冊を二時間でな」
「分かってます」
前回、残り時間僅かってとこだったけど、今回は矢吹と二人でだ。その上一度やっていることだし、微量には慣れている。だいじょーぶだいじょーぶ。
問題は矢吹の誤字脱字や資料の内容に対する理解がどれくらいあるか、だけど。
案の定時間ギリギリに矢吹が終わって、結局は前回と特に変わりなかったと言った感じでした。
「さて、二人共昼食は終えたな? それでは屋上に向かうとするか」
リゾートの話と昼食を終えて、俺はヘルメットを渡された。来た、この時が。
「待って」
予定通りなのかどうか、俺には分からない。でもこれから行われるスカイダイビングを阻止しようと、矢吹が花歌さんの前に立ち塞がる。
俺と花歌さんを遮る、「壁」の役割を担う様に。
「何だ。この後のことにお前は──ああそうか、何故か知っていたんだったな。テレパシーか何か、アホらしいことを言っていた」
足を止めた花歌さんは、酷く冷たい口調で言う。しかも、未だに矢吹を「無関係」と言おうとしてた。
「あれは冗談。つい最近、見たから知っただけ」
「見た、だと? 何を見てスカイダイビングをさせるなんて気づけたんだ?」
「ヘリコプターだよ」
花歌さんの圧力にも負けず、矢吹は鋭い視線を逸らさない。俺は俺で、どうするべきか困惑中。
メーデーメーデー。こちら花菱隊員。この親子が火花を散らす中、わたくしが取るべき行動を述べよ。──途中から問題になった。
そのくらいには困惑してる。(と、言い訳)
「ヘリコプター? ヘリコプターなど各地で一日に何機も飛行しているだろう。ドクターヘリもあれば、撮影のためのヘリもある。それに私は、ヘリを飛ばした覚えはまだ無い」
「当たり前だよ、僕達しか知らないことだから。正確には、僕達と梅原さん」
「梅原……花菱君の友人の女子だな。中々、成長が著しく思える女子だ」
花歌さんは頷く。親目線に見えるけど、何を想像したんだろう。成績かな。おっぱいの成長がいい感じなのは知ってるけど。
昇に言ったら殴られるんだろうなぁ。誰に言っても怒られはするか。
「しかしお前達は中々不思議な者達だ。何が言いたいのか、ハッキリしてくれなければ私も対応するのが難しい。一体、私に何を伝えたいんだ?」
花歌さんは椅子に戻り、腕を組む。その眼は俺達の返事を待っている様に見える。
呪いのことを教えてしまえば、花歌さんまで巻き込むことになる。それだけは、ごめんだ。矢吹もきっとそう考えてるに違いない。
矢吹は花歌さんのことが嫌いだとしても、呪いに巻き込んでも平然としていられる性格じゃない。優しいコだから。
「……訳あって、貴女に僕達の事情を教えることは出来ない。例え親だとしても」
親だからこそ。矢吹は小さくそう言った。花歌さんには聞こえてないだろうけど、確かに。
幾ら嫌いでも育ててくれた親だ。幾ら酷く言われても、血の繋がった大切な人なんだ。矢吹はそう認識してるって、俺は信じてる。
「親に隠し事か……高校生だしな、構わん。しかし、実の娘が何やら不安気な顔をしていて、親が心配しないと思うか?」
花歌さんは少しだけ微笑んで、拳に頬を置く。言われてみれば確かに、矢吹は少し不安そうだ。
花歌さんに対する畏怖とかじゃない。花歌さんに知られるかもって焦りとかからかと言うと、完全にそうとは思えない。
多分矢吹は、そうこうしてる内に俺か自分、昇の誰かが死んでしまわないかって怯えてるんだ。
「貴女が、僕を心配するなんてとても思えない。僕のこと、凄い嫌いだったでしょ。姉さんと違って」
姉さん──そうだ今更だけど思い出した。矢吹には双子の姉がいるんだ。
でも、学校とか違うのかな。見たことない。そもそもお姉様について聞いたこともない。
父親の話すらしてくれない。母親は教えてくれたのに。
矢吹が少し俯いて反論すると、花歌さんの眉がピクリと反応した。矢吹は目線が右下なので気付いてないだろう。
「私が娘を心配しない? 星歌、お前いつからそんな錯覚を見ていたんだ?」
「は?」
花歌さんが机に両手をついて立ち上がった。鬼の形相。今にも食い散らかして来そうなくらいの鋭い眼光に、俺も矢吹も一歩退いた。
「私は娘達が大好きだ。ずっとな。産んだ時から、今の今までずっとだ。双子が産まれて感動に白眼を剥いたくらいだ」
「立ち会った人達皆怖かったでしょうね」
「怯えていたのを記憶している」
まぁそんなことどうだっていいんですけどね。何か花歌さん涙目だし。
出産を思い出したのかな? この後白眼剥くのかしら? つーか、十五か十六で双子産むとか中々無いよね。
「……大好き?」
矢吹が出産については完全にスルーして、疑いの眼差しを実の母親に向ける。
「大好きだ」
花歌さんは何故か更に涙目になり、大きく頷いた。
この展開、どうしたらいい? やっぱりこの親子、手に負えない気がする。




