2─10
花歌さんの命令で俺は、サングラスをかけた屈強なおじさん達と共に大量のノートを運ぶ。ノートだと思ってただけで何かの資料らしいが。
これを運んで、一体何の意味があるのか。誠意って、何? 従えって言われてもな……。
「あの、すみません。これ俺、何したらいいんすかね。本当に花歌さんの言うこと聞くだけ?」
隣を歩く坊主のおじさんに小さな声で質問したら、口元をぐにゃっと曲げられた。
「俺に言われてもね。正直、あの人の言いたいことは我々でも分からんよ」
「お互い苦労してんすね」
「そうでもないさ。彼女は優秀過ぎて、一人で何でも熟してしまうからね。……ところで君は、何を苦労してるんだ?」
「ま、それは秘密事項ってことで」
俺は「スンマセン」と頭をちょっと下げた。
迂闊に誰かに喋ってしまえば、神様が何をしてくるか分からないからな。フルサワに知られても何も無かったみたいだが、他も大丈夫だとは限らない。
坊主のおじさんは首を傾げて、毛の無い眉を曲げた。そして気にしない様な素振りを見せて、社長室をノックする。
中から、やけに低い女性の返事が聞こえた。居るの花歌さんっスよね?
「ご苦労。それでは、花菱君だけここに残りたまえ。ミスミ、お前達はいつも通り他の事務を頼むよ」
「はっ! ご苦労様です花歌様!」
おじさん達が出て行く。うわお、またこの人と二人きりかよ。圧が強くて嫌なんだけど。
「花菱君」
「ほい」
資料を広げて、一目見たら直ぐに種類分けをする花歌さんは、その手を止めて俺を睨む。怖い怖い。
「『はい』だろう。口調はこの際問わないことにするが、礼儀くらいは弁えた方が身のためだ。社会に出る上での、最低限は身につけなさい」
「す、すみません。それで、何か用っスか?」
「……はぁ。まぁいい」
花歌さんは資料を合計で四ヶ所に仕分けた。その内一つを、少し前に送る。
「このデータを後ろのデスクトップにインプットしてくれ。普段は二時間程度で済ませて欲しいとこだが、今回は初めてなので三時間くれてやる」
振り返って、斜め後方に設置されたパソコンに眼を向けた。アレに、いんぷっとすりゃいいのか?
待ってくれ、何処にどういんぷっとすりゃいいんだ。
「因みに、誤字脱字が十文字以上で罰を科す。それを直すのに数分も要するからな。もし何か分からないことが有れば聞きなさい、サポートしよう。それでは、初めてくれ」
「は、はい! えーとえーとパソコンは……」
どうやって点けるんだったか、とか考えて小学生の頃習ったことを思い出した。大丈夫大丈夫。
あの人、ストップウォッチみたいなのセットしたよな今。もしかして一秒でも遅れたら怒鳴られるとか? 嫌だ怖い急ごう。
「ひいいいいいいいいいいいい!」
「何だうるさいな……。黙って作業出来ないのか」
「す、すみません……」
だって点いた直後に何か大量に文字が出てきて、よく見たら身分証明みたいなの入力しろって出たんだもん驚くわ。
パスワードもそれも全部自動で進んだけど。
もしかして花歌さんか? 自分の方進めながらこっちにも気を配ってくれたのか?
資料の背表紙に書いてあった番号のファイルを開いていざ開始! ……と意気込んだら、背後からパスワードと身分証明の入力する事柄を説明されたけど、全部忘れた。
「……ギリッギリ、二時間五十四分で終わった。やべ、早く渡さなきゃ」
「終わった様だな、ご苦労。休んでいいよ」
「うぃ……はい。もう終わったんすか?」
「十分程前にな」
花歌さんはカップアイスを食べていた。よく見たら小さな白い箱があるから、多分アレが冷蔵庫みたいな物なんだろう。
つーか喉乾いた。
……俺は資料三冊分だったけど、あの人はそれが三つ分。つまり九冊だった筈だ。それで俺より早いとかマジ?
「ん、誤字だ。この世に『神代な被害』など無い」
「あ……はい。以後気をつけます」
あまりに焦っていて、誤字だらけな予感がする。罰って何されるんだろう。三角木馬に跨らせられるとかないよな。
その後鞭で背中とか叩かれて、何か別の扉を開いてしまうとか、ないよね。
「計七つの誤字脱字。おめでとう、罰は無しだ」
貰ったアイスを吹き出しそうになった。花歌さんはものの十分程で誤字脱字を見つけ修正したらしい。
危ない。ギリギリじゃんか。あと三つ誤字脱字あったら罰確定だったじゃん。
……ずっと思ってたことがあるんだが。
「これって、違法とかじゃないんですかね。無理矢理働かせているというか何というか。俺、拉致されたし……」
「安心しろ。君達が誰かに告げ口したとして、特に何も無い。大人しく、従え」
「……はい。ごめんなさい」
「何故謝る?」
「いえ、特に理由はございません」
強いて言うと、貴女が怖過ぎるからです。笑顔なのに、少しも心が安らぎません。もう泣いていいですか?
矢吹! 昇! 流美たん! セフィ! 先輩方! 俺を慰めてええええええ〜い!
「それでは、今日の仕事は終わりだ。後は君が出来ることはないな。それでは……」
花歌さんは設置された二つの内小さな電話の受話器を取る。見もせずに番号を入力すると、「もしもし」と可愛らしく始めた。
「ミスミ、花菱君を部屋に案内してやってくれ。荷物は届いたか? うん、うん。B─三◯一のグラフィックはjコードで……」
何かよく分からないことも言い出した。
グラフィックが何たらコードって何? どういうこと? それ意味繋がる?
困惑した数十秒後、坊主のおじさんと再会。そのまま有無も言わさず連れて行かれた。
何処に? 個室に。
「ほぉ、こりゃまた何とも柔らかいベッドでございますね。電気も明るさ控えめで目が痛くならないし、シャワールームまであるとは……すげぇ」
落ち着かなくて、小さなテーブルの前で腰を下ろした。でもやっぱり落ち着かない。
そうだテレビでもつけよう。さっきおじさんに、「部屋の物は自由に使っていいよ」って言われたし。
「ぶふぉっ!」
テレビをつけた瞬間に吹き出した。側から見たらただの汚いやつだが、実際吹き出すと思うね。
だって、テレビに映ったのは水着姿の女の子達だったのだから。
「け、けしからん! 皆して美脚じゃないか! 李々華には敵わないけど、撫で心地良さそうなハリともちもちしてそうな……ってそうじゃねぇだろ!」
こんなことしてるから矢吹に愛想を尽かされるんだ! ──え、尽かされてんの?
この映像がディスクの物だと察した俺は、一旦消してデッキからディスクを取り出した。やったぜ正解だ。
「もしかしたら、花歌さんは今の俺の状況を監視カメラとかで観ているのかも知れない! 俺が矢吹のパートナーとして相応しいのかどうか、試しているのかも知れない!」
監視カメラなんて見当たらないけど、花歌さんの期待に応えてみせましょう。
俺はディスクをゴミ箱に向ける。
「捨てていいのか分からないが、こんなもの──」
……大人しく棚にしまっておいた。別に、邪な気持ちがあるのではなく、女の子は大事にしなきゃという理論を持っているからです。
決して他意はございません。映像の中の女の子達の、美脚をもう一度見たいとか、そんなの無いです。
「飯って何処で食べりゃいいんだ? って、んぉ?」
「失礼」
部屋を訪ねて来た金髪グラサンのおじさんが、何やらリュックを渡して来た。これ、俺のリュックだ。
「荷物は一応全部運ばせていただきました。それではごゆっくり」
「あ、はい。あざまーす」
自分の荷物が届いて案外ほっとした。いや寧ろ怖くなってきた。
だってこれって、本格的にここで過ごすってことだろ? 最低二日は矢吹達に会えないってことだろ? 怖いに決まってる。何されるか分からないし。
「誠意って、何を見せればいいんだマジで……」
窓から夜景を眺めて、そう呟いた。坊主のおじさんがエプロン姿でシチューを持って来たから何かが冷めたけど。
とにかく明日も何かをしなきゃならない。流美たんをまた傷つける結果にはなってしまったが、誠意を示さなきゃ帰れない。
「だったらやってやる! 何でもかんでも皆やってやる! 早く帰りたいし!」
シャワールームって、意外にも狭いんだ……と、身体を洗いつつ感じた。
着替えを終えた俺は、電気を消すスイッチの様な物を見つけることが出来ず、点けたまま寝ることにした。眩しいなー。
「おはよう、花菱君。よく寝れたか?」
「いいえ、眩し過ぎて全然寝れませんでした」
「何故電気を消さない?」
「スイッチが分からず……」
「ベッドの上の方の壁に一応あるんだがな。四角形の黒い物が付いてる筈だ、そこに手を翳せば消せる」
「初めて聞いたよそんな電気」
朝から驚かせるんじゃないよ本当にもう。参っちゃうからさ。
その電気、間違って手を翳したら急に消えるんじゃね?
「今日も昨日と同じことをしてもらうが、いいな? パスワードとかは昨日言った通りだ。かかってくれ」
「すんません、覚えられませんでした」
「……はぁ」
溜め息吐かれても一回で覚えられたら凄いと思います。知らないよ? この会社のこと俺は。せめて昨日時間以内に終わらせたことを褒めてよ。
昨日より少ない二冊の資料だが、今日は二時間で終わらせろと指令を受けた。まだ午前六時で、かなりねむたいのに。
結局また、ギリッギリで終わらせた。残り二分で。
「ナイトプールの人気や収入は著しくよいものだが、逆にこの時期、花火などの演出は人気を博さない。暑いという客もしばしば見かける」
午前八時十分からは、別の場所に向かって会議。その中で花火とかプールとかはまだしも、何たらショーとか何とかパーティとか出て来て「どんなリゾート?」と疑問が浮かんだ。
会議は凡そ五時間に及んで、すっかりお昼過ぎ。腹減った。
「さて、今日は午前中で一気に終わらせてしまったから暇な時間が出来たな。昼飯を食べ終えたらもう一度私の部屋に来なさい。解散」
「はい……!」
スタミナ無尽蔵ですか? とか、もうツッコマないからな。いいよ、とことん付き合ってやる。もう既に疲れたけど。
外出が許可されたけど、ケツアゴおじさんが俺をマークする。つまり、昼飯を買うこと以外は認められない訳だ。面倒くさい。
「おじさんもツナマヨお握り食べます?」
何となく聞いてみたら、首を横に振られた。だとは思ったよ。間が保たないから聞いただけっスよ。
コンビニ付近のベンチでお握りを食べる。その間、「何であの会社花歌さん以外皆屈強なおじさんなんだろう」とか考えてた。でも皆して優しい。
花歌さんは全く優しくない。鬼だ悪魔だと公言されても信じれるくらい。
「うっし! この後何すんだかさっぱりだけど、行きますか。食後の休憩はありだよね」
「有りだと思うぞ。下手をしたら吐くからな」
「……それ、この後やることでですか?」
ケツアゴおじさんは返事をしなかった。心の底から不安が湧き上がってきて、溺れかけた。
嫌だなぁ、乗り物かなぁ。乗り物嫌だなぁ。
渋々花歌さんの部屋に戻ると、何故かヘルメットを渡された。それと、耳当て。
「何すか? えと、何するんですかね、この後」
「黙って付いて来なさい。屋上で待つぞ」
花歌さんと坊主のおじさんと共に、この建物の屋上へと出た。やたら轟音が聞こえると思ったら、ヘリコプターだったみたいだ。
ヘリコプターって、何処か遠くへ行くのだろうか。嫌だなぁ、乗り物嫌だなぁ。
「さぁ乗れ。君は今から、上空千五百メートルに飛ぶ」
「……はい?」
千五百メートルって、何でそこに飛ばなきゃならんのですか? 何のためなんですか? 写真撮影でもするの?
着地したヘリコプターに、拒否権など一切なく強引に連れ込まれる。何が始まるんだ。花歌さんは、笑みを浮かべるだけだし。
「高い……」
町から飛び立ってまだ数分だというのに、視界に入るのは建物の真上。コンクリートの道路の真上。落ちたら絶対死ぬ。
少し先に、大きな芝生みたいな広場が見える。あれ、何だろうなって首を傾げたとこで、目的地に到着した。
上空千五百メートルである。怖ぇ。
「うおおおお? 何々それ何? ちょっと待って俺に何着せてるの?」
なんかよく分からない物を着せられて、背中に何かを装着させられた。テレビでよく見かける、パラシュートみたいなのだ。
「見えるか? 花菱君。あの人工の柔らかい草原に降りる。君は今から──スカイダイビングをするんだ」
何で? と、惚けてたら無理矢理ゴーグルをつけられた。眼が痛い。
突如……突如しか有り得ないんだけど、俺のスマホが鳴る。このメロディは、矢吹からの着信だ。
胸騒ぎと共に、俺は応答した。
『花菱君!』
矢吹の焦った声が、俺の不安を掻き立てる。
その背後で、ヘリコプターの扉がゆっくりと開かれて行く。