2─2
「おーい! 誰か練習用のボール運べ。一つずつじゃなくて籠ごとだからなー? 花菱」
「何で俺だけ名指しなんすか」
小鷹先輩からボールの籠を受け取って、それを背後の入谷先輩にパスした。ちょっと不満気な表情になった入谷先輩は籠を引いて何処かへと歩いて行く。
何処かとは言っても一応分かってるんだけどな? ボールは一つ一つ巾着に詰めて各自持ち帰るんだ。だから巾着に詰めに行ったというとこだろう。
入谷先輩お疲れ様でーす。
「んと、矢吹は居ないな。昇も今は入谷先輩について行ってるし、チャンス!」
鬼の居ぬ間に、全員分のユニフォームを運ぶセフィに駆け寄って行く。その光景を流美たんが猫みたいに凝視してきてるのは分かってたけど、何も言って来なそうだから気にしない。
セフィの細い腕に抱かれたユニフォームを数着奪い取った俺を、セフィは不安そうな眼で見つめる。
「仕事を奪った訳でなくて、お手伝いだよ。お手伝い。流石に一人じゃ重いし持ち難いだろ?」
白い歯を光らせるイメージでニカッと笑って見せると、セフィは二度素早く頷いた。やっぱり重かったんだな。小さい身体だし、前見えなくて転んだら危険だ。俺がついていてやらなければな!
現一年のメンバーが特に上手くて、見事にポジションが分かれている。それなら、FWの流美たん・MFの俺・DFのセフィと呼ばれるくらいになろうじゃないか。チームワークを、絆を強く結ぶんだ!
その為なら、流美たんの刺す様な視線さえも耐え抜いてみせる。……でも俺と流美たんだけ呼ばれ方凄いな。『俺』じゃない筈なのに『俺』って呼子かよ。流美たんは『たん』ってついてるし。
「ありがとう。花菱君、優しいんだな。君とならきっと、いいプレーが出来る気がします」
校舎屋上付近にある、洗濯機が設置された『ウォッシュルーム』でセフィは不意に礼を言った。俺はそれに、なるべく格好いい態度で返事をする。
……どうでもいいけど、この部屋の名前『マッシュルーム』みたいだよな。
「困っている仲間がいるなら助けるのが当然だろ。……それとさ、セフィは敬語とタメ口どっちで話したいんだ? 俺はどっちでも構わないぞ?」
敬語だと何か距離置かれてる感じして嫌だけど、タメ口だとセフィの口調はちょっと強めだから地味に怖い。だからどっちでも構わないんだ。
口調が強めなのは昇だって同じじゃんか。だったらタメ口の方がまだマシか。
俺の質問で戸惑った様に唇に手を当てるセフィは、「んー」と悩んでから肩を竦めて答えを出してくれた。
「じゃあ、敬語じゃなくていいかな? 花菱君」
「勿論! その方が気が楽だしな。……ただちょっと矢吹とキャラが被るというか」
「……え?」
「いんや何でもない。それより早く洗濯終わらないかなぁ。おい、早く終われい!」
つい先程投入したばかりだというのに、俺は洗濯機をペシペシ叩いて急かす。洗濯機なんて急かしても意味無いことは誰であろうが承知の筈だ。
ただ、叩いているシーンを偶然通りかかったフルサワに目撃され、手刀を脳天に落とされた。あ、痛い。本当に痛い。
「あぁ、そう言えば花菱」
階段を降りて行こうとしたフルサワは足を留め、首だけ振り返ってみせる。能面の様な無表情で、感情の篭っていない様な静かな声だった。
「矢吹や、梅原は最近どうだ。何ともないのか」
「あ、まぁ……全然大丈夫っスよ」
「そうか。とにかく、気をつけろよ」
今度こそ階段を降りて行くフルサワ。俺は何のことか分かってる。呪いの解けた昇と言えど、永遠の愛を誓った矢吹と言えど、安心し切るな……ということだ。
神様の攻撃はいつ襲って来るか分からない。例えば神様の仕業でなくとも、事故は突発的なものだしな。
大丈夫だ先生。今現在思い切り離れているけど、そう簡単に死なせたりしない。死なせないって約束したからな。
「……何の話? 矢吹さんと梅原さん、何かあったのか?」
「まぁあったっちゃ有ったな。でもセフィが気にする様なことじゃないから大丈夫だ。それより早く洗濯終わらないかなぁ。おい、早く終われい!」
「また言ってるし……」
俺達の事情を知るよしもないセフィは首を傾げる。そんなセフィの頭をポンポンと叩いて、俺はじっと洗濯機を見つめた。
叩いたのが気に入らなかったのか、セフィは俯いて頭に触れている。ばっちくないよ大丈夫だよ。
──十五分くらいに設定してたから、かなり早めに洗濯は終了した。取り出したら大して汚れ落ちてなかったが、二人して「別にいいか」ってノリでカゴに詰めた。どっちもズボラな性格みたいだな。
小鷹先輩達が俺に対して冷たいんだよ〜って愚痴を零して笑い合っていた時、今だ! と空気を読んでセフィに質問を投げかける。
「あのさ、小学生の流美たんってどんなだった? 今みたいに練習途中で抜け出したりしてたか?」
一瞬固まったセフィは直ぐに再起動し、大きく首を振った。
その様子を見る限り、今の流美たんとかつての流美たんは別のものだったと取れる。
「流美ちゃんは、毎日毎日練習してたよ。雨の日も風の強い日でも……。だからか、この町を代表するプレイヤーになれたんだと思う」
セフィは懐かしむ様に瞳を閉じる。長い睫毛が綺麗な揃い方してるなぁとか考えて見つめようとした矢先、それやってたの俺もじゃんって驚愕した。
何でも差がついちゃったかな。女の子に夢中になり過ぎたとしても、俺だって毎日毎日雨でも強風でも雷でも竜巻が接近して来たって練習してたのに。……単純に実力が下なのか。悲しいな。
「でも……」
セフィが間を空けたので、俺はわざとらしく眼を見開いてみせる。アホみたいなのでやめた。
多分アレは流美たんのユニフォームだな。そのユニフォームを畳みながら、セフィは思い出を続けた。
「流美ちゃんは、小学六年生の頃からサッカーチームに来なくなったんだ」
「……あんなにサッカー好きなのに、か?」
「うん」
それ以上に驚くのは、最低一年間はブランクがあった筈なのに欠かさず練習してた俺より上手いってとこだ。神様は本当に平等じゃないな。……人殺す時だけ平等にしおって。
俺は俺の中に居た筈の川の神に睨みを利かせたつもりだったが、やはり無反応。実はもう一週間程見かけていない。昇が壊されそうになったあの日から七日経っているが声も聞こえない……ということは、やはり出て行ったのだろうか。
セフィは一人悩む俺に気づかず、流美たんについてを話し続けた。
「六年生の頃、流美たん……じゃない流美ちゃんが急に行方不明になったんだ。翌日には見つかったらしいんだけど、何もせつめいしてくれなかったって」
……俺の移った? ごめんな。
それと、行方不明になったことについて何も説明が無いということは、何処かで誰かと遊んでいたのかもな。知らないおじさんとかと。
幼い、信じ込みやすい流美たんをたぶらかした男、許すまじ。……本当にいるかは不明だけど。
「その日から流美ちゃんはサッカーチームを抜けたんだ。セフィが直接訊いてみたら、『陽に当たりたくない』って言ってた。サッカーやるなら絶対陽に当たるのに……今まで気にしてなかったのに、何でだろう」
「分かんないな。でも確かに、最近よく部活に来る様になったけど、陽射しが強くなるといなくなるか日陰に隠れるかのどっちかなんだよなぁ。言われて気づいたけど」
今の話を聞いた感じ、日焼けが嫌だって可能性もあるが、それくらいでサッカー辞めたりしないだろ。結局復帰してるんだし。
だとしたら何だろう。熱中症を警戒してるなら冬とかは出れるだろうし、眩しいなんて理由にはならないし。肌荒れかしら? いや何か違う気がするんだよなぁ。
……一体どうしたって言うんだあの子は。
「ま、分かんないこと考えたって仕方ないな。セフィ、星に行くぞー」
「あ、う、うん!」
セフィと共に屋上に上がったら、それを見かけた昇が息切れしながら走って来て『そんな場所で干すわけないでしょ!』と怒られました。部室の裏側に干す為の場所が有ったみたいだ。
それならそうと先に言ってほしい。俺は普段家でしか選択肢ないから分からないんだよ。……家でも干すのは自分じゃないが。
洗濯物を干し終えて部室に戻ると、流美たんに遭遇。特に何もしていない様子なんだが、もしかしたら陽射しが強くなってきたから隠れているのかも知れない。
「よっ、流美たん元気? この前は意地悪な態度しちゃってごめんな。よーしよしよし」
「……髪ボサボサになる」
詮索するつもりは無いから、全く別の話題を探した。セフィは呆れた様に溜め息を零すが、俺は少しも気にすることなく流美たんを撫で回す。
……いつの間にか部室に入って来てた昇に鳩尾を攻められ、俺はその場で悶えた。苦しくて。
──一通り準備は出来て、あとは個人個人が忘れ物などをしないかどうかだ。遠征するんだし、着替えだって用意しなきゃ。
俺の場合、神様を警戒して簡易ロープとかGPSとかメモ帳とかトランシーバーとか装備して行く。矢吹を助けなきゃいけなくなったらロープが役に立つかも知れないし、矢吹にGPS預けてトランシーバー二人で使えばいつでも場所が分かる。……メモ帳は、適当に。何となく。
「んっと、俺が守るべきは矢吹だけじゃないから二人分か? ロープは一つでも足りるかな。うん、日ごろから準備してあるからそんな困らなそう。困るのは荷物が多いってとこだけだな」
学校を終えた俺は、家に帰って真っ先に呪い対抗用道具などをリュックに詰める。飲み物も一応幾つか持って行こう。父上に普段使わないクーラーボックスっての借りようかな。暫くは持つだろう。
父上帰って来るのか分からないけど。
今日でバイトは暫く休むって連絡を入れておこう。矢吹に貢いでる様なものだから中々金は貯まらないけど、惜しまず使う。それが呪いに打ち勝つ最善の行動だから。
「さてと、矢吹に『明日は絶対遅刻しない様に』ってメールで念を押す。昇は……遅刻なんて絶対しないから大丈夫だろう。後は今日メアド交換したセフィに『頑張ろうな!』って送って……ん? 何か今聞こえた様な」
外から驚いたっぽい声が聞こえた。ちょっとばかり中性的な高めの声。廉翔はまずない。李々華は確か風呂に入っている。母があんな可愛い声出せる訳ないし……誰だ?
正体を確かめる為に一階に降りたけど、部屋の窓から見た方が絶対に早かっただろうなぁなんて頭を掻いて玄関に向かう。ドアを開けたら、直ぐ正面で跳ねたその子は眼を丸くした。
ついでに、俺も。
「……あれ? ここ、花菱君の家だったのか? え、えと……こんばんは」
「ありゃセフィじゃん。んじゃあさっきのは、俺がメールしたのに驚いた声だったのかな」
「えっ、あ、うん。……ちょっとお願いが有るんだけど、いいかな」
「お、何だ? 俺に出来ることなら何だって言ってくれ!」
セフィが哺乳類の体毛みたいに気持ちよさそうなコートを着てて、いちいち反応が可愛いから調子に乗った。格好いいとこ見せたくてね。男子に? だって可愛いもん。
セフィって、夜月明かりに照らされっとますます綺麗な顔に見えるのな。髪色が暗闇にマッチしてるから、絵に描いてみたいくらいだ。
まじまじと観察する俺に対してちょっと顎を引いたセフィは、上目遣いでここを訪ねた理由を述べた。
「あの、お風呂壊れちゃってて……昨日引っ越したばかりなのに。えっと、お風呂借りても……いいかな」
申し訳なさそうに口を結んだセフィの肩に両手を乗せたら、まるで女の子みたいに可愛く恥じらった。それでもう考えるより先に口が動いた。
「どうぞ! なんなら一緒に入って使い方とか教えてあげようか!?」
「いや、それは流石に……。でも、ありがとう花菱君。お言葉に甘えて、お邪魔させていただくね」
「おう! リビングには母さんがいるから先に説明してくるよ。その間玄関で待っててくれるか?」
「うん、分かった」
リビングではなくて廊下に居た母にセフィの事情を伝えたら、満面の笑みでOKされた。ついでに、丁度リビングに戻って来たお風呂上がりの李々華は、不満そうに俺を見てる。
李々華はあまり、他人が家に足を踏み入れることを了承してくれない。理由はよく分からないが、もしかしたら知らない人が居るって不安なのかもな。
「いやぁ、俊翔またこんな美人さん連れて来ちゃって母さん眼福だよ。食べちゃっていいかな?」
「母さん、夜飯まだなんだろ? さっさと食いに行きなさい」
涎を垂らす母さんからセフィを守り抜き、風呂まで案内した。コートを預かったはいいんだけど、何処に置いておこう。それと暑くなかったのかな。今日は五月八日だぞ。
「母さん男でも可愛ければ守備範囲なのか? おっと、洗顔忘れてってるなセフィ。ちょっと届けて来よう」
「え、男の子なの? 何だショック。……でもおかしいわね」
「何がおかしいんだよ」
俺は唸る母さんを無視して風呂場に向かう。多分もう脱衣所には居ないだろうと思って、思い切り扉を開く──で、青い宝石・カイヤナイトの大きな瞳と目が合う。
まだ頬にも雫が浮かんでもいない為、入浴前だというのが見て分かる。……思い切り、脱衣の途中だった。
ふと母さんの、遠くで大きな声が耳に入った。
「おっぱいがいい感じだったんだけどなぁ」
無意識にそこへ目線を下げたら、問答無用で殴られた。李々華に。