1─23
「言っておきたかったことって? 何だ? 気にしないでじゃんじゃん言ってくれよ」
「うん。──僕の過去の話」
「矢吹の?」
「うん、そうだよ。今から何年も前、僕は酷い扱いを受けてたって前に言ったよね」
「ああ、その後十字仙山に行って神様に惚れられちまったって」
「うん。でもそこに、あの時は言えなかったけど別の真実があるんだ」
別の真実? とよく分からない言葉が出て来て首を傾げると、矢吹は頷いて履いていたビーチサンダルを脱いだ。
矢吹に連れられて、浜と道路を繋ぐ石で造られた段差に腰掛け、話の続きを聞く。
今まで、どんなに驚いたことがあったか。
呪いが本物だったとか、死んだら当日の朝五時に戻されるとか、記憶が消えるとか、車が横転して襲いかかって来るとか。どれも尋常じゃない衝撃を受けた。
でも、今回はそのどれよりも驚愕した。
「十字仙山で、神様の前で僕は──」
──死んだんだ。
「……っ!?」
呼吸をし忘れて、心臓が鼓動を早く鳴らす。今矢吹の口から放たれたことは、事実だと言う。それが何より、俺をビビらせた。
そんな俺に眼もくれず、矢吹は坦々と昔話を続ける。
「十字仙山の神様にも祠があるんだ。それで、後ろには何百年も生きてる大きな木。そこで僕は、首を吊った」
矢吹は自分の首に手を這わせ、その時のことを語る。
──苦しくて、でもどうしようもなくて後悔しそうになった。自分がどうなってるのかも分からない状況の中、意識は飛んで行った、と。
そうして、いつの間にか視界が戻っていて、自分の身体は何ともなくて、でも首を吊った縄は木に引っかかっていて……自分が死んだと悟ったらしい。
矢吹の話すことは真実。これも全部本当のこと。俺が知らない頃の矢吹は、本当に一度命を失ったんだ。
ループは恐らく、その時から始まったんじゃないかと思う。──けど、矢吹はそれの説明もしてくれた。
「木が、何か語りかけて来たんだ。『死んだらその日の朝に戻す』って。だから、僕は死ぬのを諦めて、代わりに毎日その木と話した。それがきっと神様なんだって、いつしか理解してた」
「祠じゃないのか、木なのか」
「木だった」
何て緊張感の無いツッコミだって呆れられそうだけど、そうでもしなきゃ俺が保たなかった。こんな話を真面目に聞いていられるほど、俺の芯は強くない。
矢吹が……今俺の彼女となっているこの女の子は、小学生にして命を絶ったんだ。そう思うと怖くて仕方がない。お化けを見る恐怖とは別物で、失う恐怖というか。
気づけば俺も矢吹から目を逸らしていた。何か知らないけど、今は矢吹の眼を見れる気がしない。
こんなんでこの後の予定、上手く行くのだろうか。とても不安で仕方がない。
「僕は一度死んだ。だから死ぬのは少し怖くない。けど首吊りはもう絶対したくないなぁってくらい苦しかったからもう本当にしない。それで中学に入った頃なんだけど──」
矢吹はそこで間を空けて、こちらに眼を向ける。俺も合わせなきゃと我慢して眼を向けたら、そんな余念も振り払ってくれそうな笑顔を、矢吹は見せてくれた。
「花菱君と、出逢ったんだよ」
「俺と……ってことは、矢吹と俺は同じ中学だったのか」
「ずっと設定出てなかったけど、王都高校は中等部と高等部に分かれてるからね? 高校はエスカレーターだよ」
「あ、そうだった」
俺達の通う高校は、実際は総称して『私立王都学園』というらしい。でも通称は『王都高校』だ。紛らわしいなぁって思うよね。
「でね、僕と花菱君が初めて出逢ったのは第一回クラスマッチの時なんだけど……」
「あ!」
矢吹が間を空けた直後、俺はもしかしてと声を上げた。第一回クラスマッチと言えば、俺が学園中に名を馳せた日だ。
それも、すご〜くいや〜な広まり方。
「あの時の花菱君、忘れることは無さそうだなぁ」
「忘れていただきたいんだけれどね?」
第一回クラスマッチ。それは五月半ばに行われた、所謂新入生と交流しようって感じのイベントである。毎年恒例だとさ。
その第一回クラスマッチの種目は、ドッヂボールに、リレー、綱引きに──サッカー。勿論俺は……何故か全部にエントリーした。
本当に何でなんだろうなぁ。『ふっふっふ。俺にかかればクラスを優勝に導けるさ』なんてノリで手を挙げたからだな。
最初のドッヂボールでは、男女混合だった為俺は女子には反撃せず、味方の女子は守り切った。結果俺のクラスは勝利。
因みに、元から身体能力は高いからドッヂボールもお手の物。ただ、キャッチはそんな得意じゃない為、守る時は『顔面セーフ』を上手く利用していた。お陰で鼻血出たぜ。
次いでリレーは、まず予選から。うちのクラスは基本足が速い人が多くて余裕で勝利。ただ決勝戦のアンカーだった俺はとても目立った。
バトンを受け取ったのは二番目で、一番を走る三年生のクラスとは結構離されてしまっていた。で、そんな時ゴールには……まだ記憶の残った昇が待っていた。
体育着は大きなおっぱいが有れば張らざるを得ない。だから飛び跳ねて応援してくれた昇はぶるんぶるんいってて──それ見たらいつの間にやら優勝してた。
綱引きは初戦敗退でした。
「最後の、サッカーで完全に伝説になったよね。その後後輩にも語り継がれてたし」
「そうだなぁ。あのサッカー、本当に狙っていたとしか思えん」
生粋のサッカー少年であった俺は、最早一人プレーで優勝をかっさらった。本当に、三年生の小鷹先輩には苦戦したけど何とか。
他にも何かめっちゃ上手い人いたけど、同じクラスだったのもしかしたら流美たんだったのかも。
その後得点王とか言われて煽てられて壇上に上がってヒーローインタビューとかふざけられてマイク持って来た先輩の女の子がまた良い身体つきしててついつい──『女の子最高! 女の子が全てです! 女の子のお陰で勝利しました!』なーんて言っちゃったんだよ。
中学時代最高の黒歴史をパンドラの箱からぶちまけ、二人で笑う。俺は超笑えないけど。
「そこから変態なんて言われる様になって参ってるよ本当に。どうしてくれんだ」
「普通あんなこと言わないもんね。でも、それで花菱君人気になったじゃん?」
「まーなー。それまで畑のかかしみてぇに一人だった俺とは思えないくらい友達増えたもんなぁ」
「友達、居なかったの?」
「……多分」
「そうなんだ」
矢吹は気まずそうに口を結ぶ。けど、俺には正直あの一人の思い出も無駄じゃなかった気がする。無駄な祈りは、本当に無駄だったけど。
矢吹も然り、考え無しに何かに頼るのはやめた方がいい。意味不明な呪いかけられたり、誰かの記憶を消しちゃうかも知れないからな。
「ところで、続きに行ってもいいかな」
「お、どうぞどうぞ」
考え事をしていたのがバレてたか。矢吹に確認を取らせてしまい申し訳ないが、矢吹はにこりと微笑んで話の本題へと移行する。
「その日も僕は、神様に会いに行く予定だった。その日は大雨。下手したら洪水が起きるんじゃないかってくらい。川も氾濫してた」
「お、その日なら覚えてるぞ。確か夏の辺りだ。その日だからな……」
「何が?」
「いや……」
その日は、昇が川で流されて記憶を失った日だ。思い出したくもない、忌々しい記憶。俺に責任が無いと言い切れない自然災害だ。
しかし、矢吹もその日何かがあったのか?
「えーと、僕は帰り道グラウンドを横切るんだよ。駅方面だからさ。その時、最早川みたいな泥の上でひたすらリフティングしてる人の姿が見えたんだ。泥塗れで、凄く汚かった」
「……あのぉ、それもしかしなくても俺っスよね。その日俺しか残ってなかった筈だもん」
「うん、そうだよ。花菱君だった」
今でもやっぱり覚えてる。あの大雨の中、『トッププレイヤーになるなら視界がほぼ無い雨の中でもリフティングくらい出来なきゃ!』って意気込んでたから。
二回までなら出来たけど、思いの外難度高かった。無理無理。下川だし泥だし。
その後、帰り道で偶然昇が溺れたのを目撃したんだけど。
あの時間に合ってよかった、と息を漏らすと、その横で矢吹は仏みたいに柔らかく微笑む。立ち上がって、陽が沈んで行く海をバッグに……凄く綺麗だった。
「その日の必死な花菱君を見て、僕は恋をしたんだ」
衝撃的な告白だった。
泥塗れで、アホやって翌日風邪引いただけのバカを、その眼で見て好きになったと言うんだ。そりゃ驚く。
けど矢吹は俺が想像していたのとは、ちょっと違うところに惚れてくれたみたいだ。
「あんな必死になって……本当にサッカーが好きなんだなぁって。僕にとっては諦めない君は『光』だった。雨で霞むことなく、輝いて見えたんだ」
「マジで? 後光差してた?」
「ううん、君が、輝いていたんだよ。いつか君と隣で笑い合える時が来ないかなぁなんて思うの、絶対恋だよね……なんて話したら──神様は怒ったんだ」
「えっ……」
先程まで天使みたいな微笑みを浮かべていた矢吹は一変し、陽の後光さえも暗く見える程、沈んだ表情を見せた。
神様の怒り。それは紛う方なき、現状を説明するに相応しい言葉だった。
「今まで人を憎んで来た癖に、恨んでいた癖に、ここに来て寝返るのか……って。神様はその日から僕に、『一日に一回花菱俊翔と会えなければ死ぬ』という呪いをかけた」
初めに知ったその呪いは、今から三年前から続いているというのか。それに、俺の記憶によると間違いなく──毎日は会えていなかった筈。
「当時は、僕と花菱君はまだ恋人なんて関係を持っていなかった。だから、僕だけを殺した。でも時間は進まない。だから生き延びる為、色んな手を使って……君に会っていたんだよ」
「それで、今日までの倍の日を生きて来た……ってことか。でもよく三年間も頑張れたな。大して死んでないってことだろ?」
「うん。休日以外は学校でどうにかなったから」
俺のデリカシーの無い質問に、矢吹は申し訳なさそうに答えた。後悔してます。反省してます。
今の俺と違って、中学の頃の俺は矢吹と接点が無い。それが現状よりも遥かに厳しい日々だったのを決定づける。
矢吹はそんな日々を、一人で問題を抱えて生きて来たのかも知れない。
「──そんな訳で、ここから先は花菱君も知ってる通りの筈だよ」
矢吹は空を見上げ、薄暗くなり冷え込んだ風に髪を押さえる。儚く散ってしまいそうな、そんなイメージを持たせる矢吹のシルエット。それを自然と見つめていた。
突然、視界に掌が現れる。握ったら暖かそうで柔らかそうな、そんな手。勿論、矢吹の手だ。
真剣な雰囲気だけど、俺に微笑みかける矢吹の手を取り、面と向かう。
矢吹は、再び夜空を見上げた。
「君のいない夜空なら……その日僕は死ぬ。生涯、苦しめて来そうなくらいしつこい呪いつきの欠陥品だけど、僕のこと、恋人にしてくれますか?」
矢吹はそう言って右手を差し出す。俺と矢吹はもう既に恋人の筈なのに、そんなことを訊いてくる。
そうか、だからか。俺が最初に彼女を裏切ったからなんだ。矢吹にとってまだ俺は、『恋人』ではなかったのかも知れない。
何故なら、矢吹と恋人になるということは、生涯を共にすると誓いを交わすということ。決定条件なんだ。
矢吹と恋人関係になりたいなら、神様に殺されるかも知れない日々を生き抜いて、本当に命尽きるその日まで、隣で笑っていなきゃいけないということなんだ。
呪いは中断されない。それなら、抗ってみせるのが唯一の手段。その覚悟が持てるのか──。
「僕の将来の夢は、『僕と毎日一緒に居てくれる人と結婚すること』だよ。花菱君。どうしたい? 選ぶ権利は君にある。ここで引けば、君は死なない」
黙る俺に、矢吹が追い打ちをかける。
矢吹を幸せにする気概が自分にあるのか。誰よりも矢吹を優先して、何よりも矢吹の為に生きていけるのか。とても心苦しい問題だ。
──今までなら、な。
「矢吹……」
今までの俺なら、昇に流美たん──数え切れない程の女子達全てを均等に愛していきたいと願っていただろう。だけど今は違う。今の俺はとっくに決心してある新しい俺なんだ。
花菱俊翔は、矢吹星歌を絶対に幸せにすると誓った男だ。
迷いなんか有るわけない。名前を呼ばれたままの矢吹の手を、握り締めて──抱き寄せた。
ずっと震えてた、華奢な肩を抱き締める。呪いに縛られた小さな身体の温もりも全体に感じ取る。俺は、矢吹を離さない。
「……花菱、君? ちょっと、流石に恥ずかしい。……いいの?」
小さな声で、蹲ったまま嗚咽を漏らす矢吹の頭を撫でながら──俺は頷いた。
「俺がきっと──」
最期まできっと、一緒に居よう。
「君を死なせない」
波の音だけが響く中、俺達はお互いにその手を放さなかった────。