1─19
「シュン! ……っ、よかった会えて」
「ほわっ? どうした昇、息上がってんぞ」
「いや、別に」
何もないのに来たのか? 会えてよかったって、毎日毎日会っとるじゃないか。何故か毎日。
胸の辺りを押さえて深呼吸をする昇を、公園のベンチに座って眺める。押さえてるからかな? ある一点がより強調されていい景色。普段から主張激しいのに、今はまた一段と。
「ちょっと、人が深呼吸してるのをそんなまじまじと見ないでよ」
視線に気がついたらしい昇は咳払いをして睨んで来た。そして揺れるお饅頭を撫で下ろす様に手を戻す。
つい先程怒られたこと、一部訂正して欲しくて手を挙げた。
「見てたのはその豊満なおっぱいです」
「だから何見てんのよ!」
「あだっ!」
真剣に誤解を解こうとしたら即殴られた。このコ、グーで鼻頭殴って来たよ。鼻血出ちゃうだろう。
「あんたそんなだからダメなのよ。ちょっと横いい?」
「どうぞ〜」
溜め息を零した昇は、まるで何キロも駆け抜けた人間の様に肩で息をし、隣に腰掛けて来た。隣だとより視界に入りやすいの、分かるかな。見るつもりはなくても見えちゃうの。だからこれ事故。
汗を何処からともなく取り出したタオルで拭う昇の、ぶるんぶるん揺れるものをガン見してたら両目に指のミサイル着弾。泣きたい程に痛かった。
「はぁ、あんたそれ矢吹さんにもやってるの? 私は慣れたからいいとして、それキモいからね」
「本当今日何回キモいって言われるのかな俺」
「何したのよそんなに」
「何もしてないのにマイシスターがね」
「ああ、李々華ちゃんか」
昇は納得したのか、それ以上口に出さなかった。何をかって? 多分『キモい』って単語をだよ。
流石に何度も言われると胃痛がする程悲しいからね。
昇は、勿論と言えばいいのか、うちの家族と面識がある。てかしょっちゅう会うよ。
昔から一緒に遊んでたし、川での事故のこともあるし、昇は自分の両親より俺の家族の方が気が楽らしいし。
李々華とは小さい頃からよく遊んでたけど、別段、仲がいいって訳ではないらしい。本人達がそう言うんだから間違いない。
俺としては、昇に李々華、どっちものお兄ちゃんのつもりだから仲良くして欲しい。廉翔とは仲良くしなくていいけど。
「昇さ、絶対乳目的の男共にモテるよな。デカいもんな」
自然と出たセリフだった。当然、殴られた。
「そうね。まぁその言い方はどうかと思うけれど、身体目当ての男からは何度も何度も告白を受けてるわよ」
「結局答えてくれるのに殴ったのかよ。まぁ悪いの俺だけど。……それってさ、断ってるのか?」
「当たり前でしょ」
何で? って質問しようとして口を結んだ。女子って……いや女子じゃなくてもそういう質問はして欲しくないものだろう。と、わたくし的には思いますね。
俺は女の子に告白されたら、どんな子でも振ることない気がして不安だけど。振るとしたら、何か理由がある筈だ。
俺が無言な為か沈黙が続き、昇がチラリと俺の顔を覗く。なぁに? 昇ちゃん。見惚れちゃった?
……この態度が浮気って思わせちゃうんだろうなぁ。
「何だ、聞かないんだ? 何で振るのが当たり前なのか」
「聞いてよかったのかよ?」
「うん、別にどっちでも」
昇はすんとした表情で頷いた。
聞いて大丈夫だということは、大した理由ではないのかも知れない。例えば、『あの男は好みじゃない』とか、『嫌いな奴だった』みたいな。どっちも酷えな。
ただ、聞いていいなら聞くよ。気になるもん。
「じゃあ、教えてくれ昇」
さっき聞かなかったからか、少し引け目がある。そんな俺の心境を理解したのか、昇は少し笑みを零した。
それから、真っ直ぐ何かを見つめて、綺麗な程切ない雰囲気を醸し出す。
思わず見惚れた。俺は矢吹以外にこういう感情、抱いちゃいけないのにな──。
「……私は……私とは同じ時間を共有することが出来ないから」
「…………ほ?」
昇が静かに出した言葉の意味は毛程も理解出来なかった。それが少し後ろめたくて、今直ぐ謝りたいくらいだ。
どういうことだ? 昇とは同じ時間を共有出来ない? 俺今出来てっけど? マジでどういうこと?
「サッカー部だからか?」
「違う」
「バイト忙しい?」
「違う」
「じゃあ何? 男に興味無い?」
「違うって。そういうんじゃないの」
どういうんじゃないの? 苛立ってきたっぽい昇にこれ以上もしかして〜なんて予想を出しても無駄な気もするな。
改めて無言になると、それが嫌だったのか悪いと反省したのか、昇が自分から教えてくれた。
また、全く難しい表現で。
「私は他の人と幸せになることは出来ないの。一日を生き延びるだけで、精一杯なんだから」
「精一杯?」
「そうよ」
一日を生き延びるので精一杯って、そんなに追い込まれてんのか? それとも表現の仕様?
それにさ、一日生き延びる苦労をしてんのは俺達だぞ昇。一日に一度、好きな人と会えなければ死ぬんだからな。
お互い何か気まずくなって黙り込んでいると、辺りが暗くなってるのに気がついた。今更。既に薄暗かったのに。
俺達って周り見れないんかな。
それを伝えようと昇に目を向けると、昇は直後ベンチから立ち上がった。ふわりと、生暖かい春風に薄めの上着を靡かせて。
「ねぇ、シュン。前に言ったよね、私は今のままでいいってさ」
「あ? うん、おう」
「それはね、もう二度とあんな思いしたくないから、だよ。──じゃね」
「あ、ほ、へ、む? ぬぅぅ〜。……おうまたな」
あんな思いってどんな思いだ? もう一度川に飲まれる訳でもあるまいし。昇は最近、よく分からないな。
手を振り続ける昇に「あぶねーぞー」と注意し、俺も立ち上がった。
因みに俺、矢吹送ってから疲れ切ってただけ。川の近くの公園だから、家まで少し距離あるなぁ。
「……そう言えば昇、バイトの直後だよなこの時間。終わって、わざわざ俺捜す為に走り回ってた……のか?」
何だろうな。何か、何か引っかかるんだよなぁ。
でも、よく分からないからいっか。昇も何とも無さそうだったし。
とにかく、もう一秒でも早く寝たいから家に戻った。
早々、李々華が『キモい』なんて言ってきました。悲しいです。
──朝、何故か霧がかかっていらっしゃるのは恐らく、神様の仕業だろう。俺か矢吹を事故にでも遭わせるつもりじゃないかな。
でもそれで分かるのは、矢吹が今日は登校してくるということだ。逢えるぜ。
だが本日最初にエンカウントしたのは、クールだけどちょっと子供っぽい黒髪のサッカー女子、谷田崖流美たんだった。
俺の家、何で知ってんのか知らないけど、従順なペットの様に澄まして待機してる。
「流美たんどした? よく俺の家知ってんなぁ」
「あっ、お、おはよ。えっと、昨日メールで、梅原さんに……」
話しかけたらびくんと反応して、オドオドしつつも説明してくれた。
実はサッカー部員は全員メアド交換するんだよな。流美たん、男とは誰一人として交換してないけど。
「そっかなるほど。で、俺ともメアド交換しねぇ?」
「する!」
「おお、元気なお返事で」
「……あっ」
目を輝かせるもんだからビックリしたわ。ビックリしちゃったせいでつい声に出しちゃって、流美たんショック受けちゃった。ごめんね。
簡単にメアド交換済ませると、流美たんは俺の家手を引いて学校に向かって行く。
「どうした? 流美たん。俺と一緒に登校したかった?」
「うん。あと、部員集め手伝う。やっと気づいた。部員減ってること」
「ああなるほどね! そうなんだよ。このままじゃ大会出れないから、頑張って集めような!」
「……うん」
流美たんは気合いの入った声で、だけど張りはない声で頷いた。
多分流美たんはコミュニケーション能力を高める練習がしたいんだと思われる。普段、部活にすら来ない流美たんが大会とかに信念を抱いているとは思えないからな。
コミュニケーションを活かして部員が増えれば、友達も増えることだろう。
それと、一番上手い流美たんが集めるの手伝ってくれるなら心強い。
五月二十三日。俺と、サッカー部の愉快な仲間達による、部員集め又は助っ人集めが開始した。
「へい! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい! サッカー部員募集中! 可愛いマネージャーいるよ選手もいるよ! 俺達と一緒に優勝目指そ……」
「私達を餌にするな!」
一日目、美少女マネージャー達で釣ろうとしたら、その美少女マネージャーの一人によって撃退された。
昇達で釣ろうとしたバチが当たったのだろうか、帰りにカラスに糞落とされた。まぁ、反射神経いいから避けられたんだけど。
「お願いします! 何でも言うこと聞きますか……」
「ふざけんな。いちいちやり方がダメすぎるんだよお前は」
二日目。結果惨敗。部長の小鷹先輩に止められた。三年生に頼むのが一番いいかなと。
ダメだったわぁ。
そして三日四日も誰も見つからず、とうとう金曜日になってしまった。もう、五月終わってしまう。
だが一度好機が訪れた。
「あの、サッカー部、助っ人お願い出来ますか。私も、頑張ります、ので……」
二年の廊下を歩いていて偶然発見し思わず隠れた。あの、引っ込み思案な流美たんが先輩達の元へお願いしに行ってる。
頑張るって、勿論練習をなんだろうけど、先輩達がやらしい目で流美たん見てて心配だ。手出したら許さんぞ。
「ダメ、ですか?」
流美たんが上目遣い(自然な仕草)で首を傾げると、先輩の一人が前に出て来た。結構背が高くて、爽やか系のイケメン。俺と対照的な印象の先輩だ。
二年生には詳しくないんだよなぁ。だって居なかったもん部員に二年は。
「いいよ、俺やろっか。あんま役に立てるか分からないけど」
「うげ、マジかよいっちゃん。サッカー部、確かに部員はそこそこ強いだろうけど、経験あんの?」
「ないよ無い無い。でもさ、後輩が一人で頼みに来てんだぜ? だとしたら下手でも力にはなりたいじゃん? お前も思わない?」
「えぇ〜。ルール覚える自信ねぇぞ? それでもいいなら、まぁやったるけどよ」
俺は目を疑った。流美たんが頼みに行っただけで二人も助っ人がやって来た。
爽やか系イケメン先輩は、『小長屋樹』先輩。
もう一人、その友人らしいちょっとチャラい金髪の目つきキツイ先輩は『澤田弘人』先輩だ。意外と可愛い物が好きらしい。
因みに、やらしい目で流美たんを見てた連中は来なかった。
でとこれで一応部員は七人、か。
サッカーやるには最低十一人は不可欠。まだまだ人員足りないよってとこで、一度辞めた先輩が再び入部。これで、八人。
更に更に、小長屋先輩のカリスマ性(?)あってか、誘われたマッシュ頭の『七瀬』先輩と髭面の『柏原』先輩が助っ人に。全員、凄く真剣に練習してくれてる。
だが、だがあと一人足りない。十一人目が、どうしても集まらなかった。
大会まではもうそんな無い。ついでに、今日金曜日だからデートの日曜日までも時間が無い。
あまりにも忙しくて忘れていたけど、今日死んだらこれもやり直しになるんだよな。矢吹とはしっかり会ってるから多分大丈夫だけど。
「暑くなってきたなぁそういや。な、花菱君もそう思うだろ? 暑いと厳しいよなサッカー」
「そうっすね。でも、俺サッカー小僧なんで。結構慣れてるんで」
「逞しいね。俺も見習おうっと。じゃあ練習して来るよ」
「うぃっす」
他三人の先輩方はサッカーの練習よりも自分を優先し、五時には帰ってしまった。まぁ、助っ人だから仕方ないんだけど。
そして、三人同様用事があったらしい小長屋先輩は、六時を過ぎた今でも練習を続けている。因みに俺はそれと付き合ってる最中。
この人凄いな。本当に真剣に考えてくれてんのか、もう何時間もぶっ通しで練習してるよ。
尊敬は出来ないわ。流石に倒れるぞ。
「……っと、これなら谷田崖のパス受け取れるかな。どう思う? 花菱君」
小長屋先輩は汗ダクで、ユニフォームをバサバサと揺らして風を浴びる。でも、春風暖かくて多分無駄。
一応、返事しとかなきゃいけないよな。助っ人してもらってるんだし。
「流美たん、多分俺らに合わせてパスしてくれるから大丈夫っすよ。あのコめちゃめちゃ上手いし。それより何で?」
「ああ、いやさ実は……俺あのコ好きなんだ」
「ほ」
口を縦に大きく開けて固まってしまった。
小長屋先輩はまるで照れ隠しでもするかの様にボール蹴りを続ける。動揺してるのか凄い下手くそだけど。
「……中学時代にさ、俺テニス部だったんだ。その時に隣で、一人でプレイしてた谷田崖に一目惚れしちゃって。何か、孤高な美少女ってかっこよくてさ」
「はぁん、なるほどねぇ。孤高な美少女がかっこいいかは俺には分かんねぇっすけど、流美たんに惚れる気持ちはまぁ、分かるっちゃ分かりますよ」
「やっぱし? ……だからって言うのもなんだけど、谷田崖に認められたくて助っ人受け入れたんだ。動機が悪いかもしんないけど、許してな」
「気にしないっすよ、そのくらい」
「ははっ、サンキュ」
機嫌が良くなったのか、小長屋先輩はボールを闇夜空に高く蹴り上げた。一瞬消えて直ぐに視界に戻る降下中のボールは、何だか不思議な気持ちにさせてきた。
そして何か、何か変な気分だった。
流美たんのことを好きなのは分かったんだけど、何か、何か納得がいっていなかった。
静かな闇に響くボールを蹴る音を耳にし、俺はそれ以降先輩の言葉を殆ど聞いていなかった。