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怪奇日誌  作者: 赤犬 悠
3/3

#3 イチョウの木


季節は冬。凍えるような寒さで体調を崩し、総合病院で見てもらうと肺炎と診断された。多分風邪だろうと思っていたら、一週間の入院生活になることに……。



 六人の大部屋に案内されると、窓際のベッドに老人がいた。老人は窓の外、イチョウの木を見つめている。どうやらあのイチョウの木には秘密があるらしい。



 老人とイチョウと病院、青年が体験した、心温まるお話。






 1.


 病室のドアを開けると右側に三人分、左側に三人分、奥の窓に向かってベッドが並んでいた。青年が使用するベッドは左側の真ん中、その左隣にいる老人は青年に目もくれず、窓の外を眺めている。



 「君は普通では起こりえないことが実際に起ってしまったことってあるかい?」



 「僕……ですか?」



青年の方を向くこともなく、老人は青年に質問をした。唐突すぎるその質問に、青年はすぐに答えることが出来なかった。



 「そのようなことが起こった場合、それは奇跡という。一人につき奇跡は一回しか起こらない。君はそんな奇跡を体験したことはあるかい?」



 「いえ、僕はまだ……」



そう答えると、老人は笑顔で青年の方を向いた。



 「自己紹介が遅れてしまったね。わしは見ての通り、ただの老いぼれだ。おじいさんとでも呼んでくれ。――君は……」



 「あ、僕はさとるって言います。一週間こちらでお世話になります」



おじいさんは笑顔で頭を縦に二度振ると、また窓の外を見つめだした。



 窓の外には悟のベッドからでも見えるくらいの大きなイチョウの木。今の季節、散ったイチョウの葉で出来た黄色い絨毯が、この病院を囲っている。



 悟は少ない荷物をベッドの脇に置くと、景色を見てみようと窓へ近づいた。



 「悟くんにも見えるでしょう。あのイチョウの葉が」



おじいさんが指差す方を見ると、確かにそのイチョウの木にはまだ一枚の葉が付いていた。半分枯れながらも冷たい風に負けず、しっかりと枝にしがみついている。



 「あの葉が散った時、それがわしの死ぬ時だ」



 悟は返す言葉が見つからなかった。葉が散ったら人が死ぬなんて、常識的にあり得ないことだからだ。



 「この病室に来て早々だが、わしが質問したでしょう。普通では起こりえない、奇跡をわしは体験したんだ」



おじいさんはその奇跡について、悟に話してくれた。



 二年前、このイチョウの木の葉がすべて散った時、おじいさんは心停止した。もう駄目かと思っていたが、奇跡的におじいさんは復活した。それと同時に、イチョウの木にも起こりえないことが起きていた。すべて散ったはずのイチョウ。よく見ると、小さいながらも新しい芽が出ていた。そう、このイチョウの木こそがおじいさんを助けてくれたのだ。



 おじいさんはそのことを同室の患者だけでなく、先生や看護師にも話していた。最初は苦笑いの先生たちだったが、おじいさんのその真剣さに負け、信じるようになった。そして去年、このイチョウの葉は一枚だけ、散らずに残っていたという。



 「わしは去年、元気でいられた。それもこれもこのイチョウのおかげ。この葉が散らない限り、わしは元気ということだ」



悟はもう一度、イチョウの葉に目をやった。



 「大丈夫です。このイチョウの葉は今年もまた、散らずに残っていますよ」



笑顔でおじいさんにそう言うと、おじいさんも笑顔で返してくれた。







 2.


 悟が入院して四日目、悟は毎日のようにおじいさんとお話をしていた。どうやらおじいさんには子供がおらず、奥さんも六年前に亡くなったという。だからなのか、悟を自分の孫かのように可愛がってくれる。そんな悟も、おじいさんを自分のおじいさんかのように接していた。





 「おじいさん、起きてますか?」



 時刻は21時30分。消灯時間がきても中々寝付けない悟は、少しお話がしたいとおじいさんに声を掛けた。――が、反応は無かった。



 悟は失礼を承知で遮っているカーテンを少し開けた。寝ていて聞こえていないと思うけれど、おじいさんの顔を見ながらお話したかった。お話の内容なんて他愛のないもの。一方的でいい。誰かに聞いてほしかった。



 「おじいさん、僕は……」



話そうと、おじいさんの顔を見たときだった。



 「あれ? おじいさん?」



おじいさんが掛け布団を腰までしか掛けていないことに、悟は気づいた。消灯時間がくれば首まで掛けるはず。なのになぜ……。悟はすぐに理解することが出来た。



 悟が取った行動は一つ、”ナースコール”を押す……だった。



 すぐに担当の先生と看護師が駆けつけてくれた。呼吸を確認、心音を確認。そして……現時刻を告げた。



 「先生、おじいさんは……?」



悟のその問に、先生は首を横に振るだけだった。



 最期のおじいさんの表情は、とても優しかった。







 3.


 五日目の朝、先生と看護師が悟のところにやってきた。もちろん、おじいさんのことでだ。



 「ありがとうね、悟くん」



先生はそう言ってから、先生たちとおじいさんのお話をしてくれた。





 おじいさんは迷信というものを信じる人だった。二年前の心停止後からは特に考えるようになっていた。そのときに言っていたのが『わしはあのイチョウの葉が散ったら死ぬ』だった。もちろんそのようなことは無い。しかし、そんなおじいさんは起きていれば常にイチョウを見つめる日々を過ごしていた。悟が知っているおじいさんではなく、たくさんの不安と恐怖を感じているようだった。そしておじいさんは看護師さんに質問をした。「今年はやっぱりイチョウの葉は散りますか?」と。



 「あのイチョウの葉は先生がやったんですか?」



先生は驚くこともなく答えようとした時、



 「あれは私が先生に頼んだんです」



そう、看護師が答えた。



 「異常と言ったら失礼かもしれない。しかし、強い不安と恐怖は病によっては死を速めてしまう。僕は間違ったことじゃないと思っているが、悟くんはどうだい?」



僕は今もなお冷たい風が吹く中、しっかり枝にしがみついている葉を見ながら答えた。



 「僕は見てすぐに気づきました。だから僕は”このイチョウの葉は”と答えたんです。このイチョウの葉は絶対に散らない。だってしっかりと葉と枝が止められているんですから」



目を瞑ればおじいさんの笑顔が蘇ってくる。楽しそうに話してくれたイチョウのこと、僕を孫のように可愛がってくれたこと、そしてカーテン越しに聞こえてきた先生たちとの会話。それはまるで親子のように。



 「嘘を付くのはよくない。騙すのだって絶対やってはいけない。ましてやあの優しいおじいさんを……。ですが、先生と看護師さんはそのようなことはやっていない。だってあのイチョウの葉は……」



おじいさんは最期までイチョウの葉を信じていた。そう、先生たちは散らないイチョウの葉を作り出しただけ。嘘も付いていないし、騙してもいない。散るかと聞かれたから散らないと言っただけ。それはおじいさんの最期のあの優しい顔を見れば理解できること。不安や恐怖は一切なく最期を迎えた。



 「僕も先生と看護師さんに言いたいです。四日しか一緒にいれなかったですが、おじいさんとの日々は楽しかったです。ありがとうございます」





 この病院でおじいさんには息子に娘、そして孫が出来た。奥さんを先に亡くしてしまったのは残念だが、これが理想の家族なのかもしれない。先生が悟に言った『ありがとう』はこのことだったのかもと、悟は後になって思った。



 悟は退院後、あのイチョウの木を見上げた。風になびくそのイチョウの葉は、おじいさんが悟に向かって手を振っているようだった。

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