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07 春麗の想い



 元尚紅の女官たちのサボタージュを受けてから、ひと月が経った。

 その間みっちり、私は春麗の特別講座を受けていた。

 今まで曖昧だった些細な言い間違いも、全て厳しく直される。

 黒邸でも十分に厳しく教えられたつもりだったけれど、春麗の教えはそれ以上だった

 でもおかげで、余計なことは考えず礼儀と語学の習得に打ち込むことができた。

 春麗を侮辱した女官たちを見返すために、私にできるのはこれくらいだ。

 尚紅再建の目途は全く立っていないが、今は物を教えるのに相応しい自分を目指すだけで精一杯だった。


 その人が後宮にやってきたのは、そんな時だ。


 初めて見た時は、なんて美しい人だろうと思った。

 静々と回廊を歩く、儚げな姿はまるで百合のよう。

 艶やかな射干玉色の髪と、大陸人好みの涼やかな目。

 皇太后がそうしていたように、彼女は沢山の女官を引きつれていた。


「春麗、あの方は?」


 思わず、私は隣にいた春麗の裾を引いた。


「ああ。あの方は最近入宮なされた華充儀です」


「華充儀?」


「ええ。内乱の折に断絶した華家が、最近になって再興し友好の印にお納めになった妃だと、そう聞いております」


 女の人を物のように納めたり受け取ったり。

 やはりこの世界のやり方は、私には信じがたい。日本だったら、間違いなく人権問題だ。

 受け取るのが黒曜だというのもまた、私を複雑な気持ちにさせる。

 彼は後宮の女性を自分の好き勝手にするような人ではないけれど、それが許される立場なのだと改めて思い知らされる。

 それでも北梨に比べれば、自由な生活ができるだけ後宮の方がましかもしれないけれど。

 妃というのは、つまりは皇帝の奥さんだ。

 黒曜は後宮が嫌いだけれど、後宮には彼のために数えきれないぐらい沢山の奥さんがいる。

 これを一夫多妻というのだろうか。

 私は以前見たことのある、アフリカの大家族を思い出した。

 日本とはあまりに違う制度になかなか実感が湧きづらいけれど、沢山の美しい妃が皆黒曜の奥さんだと思うと、胸のあたりがしくしくと痛む。


「充儀は九嬪が一人。お目通りの際は、華充儀とお呼びください」


 私の葛藤をよそに、春麗はすらすらと説明を続ける。

 九嬪というのは、後宮の中での位をいう。

 四夫人を筆頭に、九嬪、二十七世婦、八十一御妻と続く。

 充儀は九嬪の中でも七番目だが、身分は正二品。

 つまり宰相である深潭よりも、もっと上ということになる。

 きちんと働いている深潭より、後宮で着飾っている女性たちの方が位が高いのはどうかと思うけれど、春麗の講義によると皇帝の子供を産むということはそれだけ名誉ある仕事なんだそうだ。

 それにしても―――と私は思う。

 入宮していきなり充儀ということは、よほど位の高い家の出身に違いない。

 今の後宮には四夫人がいないので、実質的に複数いる九嬪の妃達が頂点と言えた。

 ちなみに四夫人は、皇帝の寵愛がないとなれないものらしい。

 今上(つまり黒曜)は後宮が嫌いなので、寵愛を受けた妃もいない。

 だから四夫人もいないのだと、宦官のおじさんが嘆いているのを聞いたことがある。

 始めにこの制度を聞いた時は、なんて明け透けな国だろうと恥ずかしくなった。

 私が考え込んでいると、それをどう受け取ったのか春麗が慰めるように言った。


「ご心配なさらなくとも、今上陛下のお心は鈴音様のものです」


「は!?」


 思ってもみないことを言われたので、驚きのあまりのけぞった。

 淡々と仕事をこなす春麗が、まさか私を慰めるようなことを言ってくれるなんて思わなかったのだ。

 しかしそんな私の驚きっぷりに、今度は春麗が難しい顔をする。


「鈴音様。そのような所作は美しくありませんとあれほど―――」


 お小言が始まりそうだったので、私は慌てて話を遮った。


「そ、それより春麗さん! なにか勘違いなさっているませんか? 私とこく……陛下はそんな関係じゃっ」


 恥ずかしくてしどろもどろになってしまうが、きちんと否定しなければ黒曜の不名誉になる。

 だって私は化粧が得意なだけの、この世界では身寄りもないただの小娘だ。

 尚紅を任されただけで規格外の大出世なのに、そこに春麗の思っているような感情があると思われたら大変だ。


(そりゃ、引き留められた時には傍にいてくれとか言われたけど……)


 でもそれは後宮に味方の少ない黒曜が、思わず言ってしまった言葉だと、今ならば分かる。

 だって後宮に、こんなにも美しい奥さんが沢山いるのだから。

 少年として出会った私を、特別に想ってくれる可能性なんてあるはずがない。

 思わず俯くと、そんな私に言い聞かせるように春麗が口を開いた。


「しかし陛下はわたくしに、くれぐれもあなたを頼むと自らお申し付けになったのですよ?」


「え……?」


「皇太后の侍女をしていたわたくしは、本来ならば真っ先に粛清の対象となるはずでした。けれど、鈴音様には後宮での味方が必要だからと、特別にそのお役目をお与えになったのです」


 初耳だった。

 春麗が私付きの女官になってくれた裏には、そんな事情があっただなんて。

 彼女は私の手をそっと取ると、それをゆっくりと自らの頬に当てた。

 生々しい傷の残る、右の頬。

 思ってもみなかった春麗の行動に、私は思わず震える。

 以前その傷を隠す化粧をして以来、その傷に触れたことはなかった。


「わたくしは、このお役目を誇りに思います。あなたはこの傷を恐れるのではなく、化粧で私の心を救おうとしてくださった。だから今度はわたくしがあなたをお助けできることを、嬉しく思うのです」


 そう言う春麗の表情は、とても柔らかかった。

 まさか彼女がそんな風に思ってくれていたなんて、想像もしていなかった。


(黒曜の命令で、仕方なく働いてくれてるんだと……)


 春麗の言葉が嬉しくて、思わず言葉に詰まる。


「……ありがとう。春麗」


 泣きそうになるのを堪えてどうにかそう言うと、春麗は少し驚いた後、そよ風のように優しい笑みを零した。



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