06 決意
どんなに美人だろうが、化粧で塗りたくろうが、その表情は醜いの一言だ。
「その通りだわ」
「大体どうして、異国の化粧なんか」
「榮の伝統も分からない者に、教えてもらうことなんてないのよ」
他の女官たちは、冷たい笑みでそれに追随する。
感じたのは、怒りではなく悲しみだった。
自分は受け入れられていなかったのだという衝撃。
尚紅再建にあたって、私は上手く教えられるだろうかということばかり悩んでいたけれど、本当はそれ以前の問題だったのだ。
現実を思い知らされ、きゅうと胸が握りつぶされるような痛みを覚えた。
「今日ここに来たのはね、あなたの好きにはさせないと宣言するためよ。それじゃあ各々方、参りましょうか」
そう言って先導する彼女に続いて、女官たちは去っていく。
楚々とした動き。羽衣のような披帛。
後姿はまるで天女の行列のようなのに、私には地獄の使者にも思えた。
最初から房にきてくれていた女官たちも、面倒ごとに巻き込まれるのはまっぴらとばかりに去っていく。
自分の無力さに、思わず膝をついた。
(どうしてこんなにも、上手くいかないのかな)
最初から全てうまくいくと思っていたわけじゃない。
でも起こったのは、想定していたよりももっと最低な事態だ。
この世界にもボイコットはあるんだなあなんて、他人事のように思った。
唯一残ってくれた春麗が、気遣うようにそっと私の肩に手を掛ける。
「お気を落とさずに。陛下が、きっと良いようにしてくださいます」
けれどその言葉に、私は余計に惨めになってしまった。
黒曜に頼らなければ、何もできない自分。
(それで、胸を張って彼のために残ったなんて言える?)
私は彼に、頼られたい。
並び立つのは無理でも、せめてそばで支えられるような人になりたいのだ。
無意識に、そっと胸元に触れた。
そこにはお守りが入っている。
花酔楼の皆が、私に書き送ってくれた手紙。
お世話になった妓女達や、厳しいお養母さん。それに芙蓉姐さんの言葉も、そこには綴られている。
私を心配してくれる人たちのためにも、簡単に諦めたりはできない。
「春麗さんっ」
「なんでしょう?」
心配そうにのぞき込んでくる春麗を、私は決然と見上げた。
「言葉遣いと礼儀作法、私に叩き込むしてください!」
肩に乗っていた白魚のような手を、ぎゅっと握り締める。
私はこんなことで、挫けるわけにはいかないのだ。
(春麗を馬鹿にしたこと、絶対後悔させてやる!)
春麗の美しい顔が、少しだけ引きつった気がした。
***
平康坊北梨。
榮の都で一番大きな、艶街の名前だ。
日が暮れるとそこかしこに赤い提灯が灯り、酔客共のざわめきや妓女たちのはしゃぎ声に満たされる。
ようやく来た春を、そして遂に政治の場から去った稀代の悪女を歓び、酒肆や旗亭では祝杯が繰り返されていた。
だがそれは別に、今宵に限ったことではない。
酒が呑めれば、理由は何でもいいというのが人情だ。
夏になれば暑気払いとばかりに、秋になれば実りの季節に、やはり祝杯を挙げるのだろう。
一年を通して、騒がしさと狂乱に満たされた場所。
それが北梨だ。
その中でも特に名館と名高い花酔楼は、傾国と謳われた都知を失っても相変わらず華やかなままだった。
厩には客が乗ってきた名馬が並び、建物の中からは高価な蝋燭の明かりが煌々と漏れている。
その佇まいは、かつて多くの詩人が詩に詠んだ姿そのままである。
そしてその前に、佇む男が一人。
彼は中に入るでも立ち去るでもなく、ただぼんやりと花酔楼を見上げていた。
行き過ぎる男たちの中には、興味本位でその顔を覗く者もあった。
さては妓女に入れ込んで身持ちを崩したかと、嘲るような卑しい笑みを口元に浮かべて。
しかしそうした男たちは次の瞬間、皆一様に口を開けて間抜け面を晒す羽目になった。
訳を知る妓女達が、それを遠くから楽しそうに見物している。
その理由は男の顔にあった。
身なりこそ粗末だが、彼は妓女と見紛うほどの大層な美人だったのだ。
しかし彼は普段なら、己に色目を使った男を叩きのめすような激しい性分である。
ところが今宵ばかりは、そうもいかなかった。
彼はその手に手紙を握り締め、黙って立ち尽くすばかりだ。
「ようねえちゃん! 大層な別嬪さんだねえ。あんたが傾国と名高い花酔楼の都知かい?」
都に上ったばかりの田夫野老が一人、酔って立ち尽くす人影に声を掛ける。
事情を知る者達は皆、呆れるように肩を竦ませた。
次の瞬間、酔っ払いの手は目にも止まらぬ速さで捩じ上げられる。
いてぇいてぇ。
酔った男の泣き声が、街のざわめきと混じり合った。
乱暴に相手を突き放し、影はゆっくりと歩き出す。
くしゃくしゃになった手紙が一枚、その手には握り締められたまま。
突き飛ばされた男は、地面に座り込み茫然とした。
彼の耳には、影の押し殺すような呟きが届いていたからだ。
突き放される瞬間、確かにあの別嬪はこう言った。
「むざむざと奪われるくらいなら、いっそうのこと……」
覚悟を秘めた物騒な呟きに、酔っ払いは青くなった。
あんなもんは、関わり合いになるもんじゃない。
彼は酔いもすっかり醒めて、怯えるようにその場を逃げ出したのだった。




