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35 瑞英の独白


 皇帝による華家訪問の、数日前。

 人々が寝静まった夜半過ぎのこと。


「行ってしまわれた……」


 皇帝の背中を見送りながら、瑞英は床に崩れ落ちた。

 彼女を助け起こす者はない。

 皇帝が来る前に、彼女が自ら人払いを命じておいたからだ。


 ―――今夜、結論を出そうと思った。


 華家当主。翠月に命じられた任務の結論を。

 後宮に入って皇帝を暗殺してほしいと命じられた時には、さすがの瑞英も驚いた。

 それは皇帝の人となりを見定めて、実行するかどうかは自分で選んでほしいと言われたからだ。

 心情的に、翠月の過去を思えば彼が皇帝を憎んでいてもなんらおかしくはない。

 けれどその判断を瑞英にまかせたということは、まだ彼自身にも迷いがあったのだろう。

 華家断絶当時実権のなかった皇帝を、恨んでなんになるのか。

 翠月は、きっと何度も自分にそう問いかけたに違いない。

 そんな苦悩を含んだ命令を、瑞英もまた何も言わずに受け入れた。

 彼女は請われるままに華家の養子となり、そして後宮に入った。

 後宮に入った目的は、一つではなかった。

 翠月からの命令は二つ。

 一つは現皇帝黄龍宝を見定めることで、もう一つは後宮にいる翠月の知り合いを、それとなく手助けするというものだ。

 入る前はなんとも思わなったけれど、その相手の顔を見た瞬間瑞英は驚いた。

 尚紅女官、鈴音。

 異国から来たという化粧師は、記憶にある明鈴の顔によく似ていた。

 きっと彼女がそのまま成長したら、こんな風になっていたに違いない。

 鈴音を見ると、瑞英は彼女を羨んだ過去を思い出し、何とも言えない気持ちになった。

 そして報告のやり取りをする手紙の中で、瑞英は翠月が鈴音を妹以上に想っていると悟った。

 それは胸の痛む推論だったが、女は自分の好きな人の気持ちに敏いものだ。

 けれど瑞英は、翠月の命令を守り鈴音の手助けをすることを選んだ。

 彼女を敵視する女官を後宮から追い出し、自ら化粧を依頼したことで尚紅も賑やかさを取り戻したと聞く。

 そんな日々の中でも、瑞英は皇帝の観察を怠らなかった。

 後宮の女官、宦官から情報を集め、現皇帝が信頼に値する人物か、政権を握るにふさわしい人物かどうかを精査した。

 計算違いは、そっと観察する予定だったその人物が毎日瑞英の房を訪れたことだろうか。

 期せずして、彼女は皇帝を直接観察する機会を得たのだ。

 そして今日。

瑞英が出した結論は、敢えて全てを話し翠月の助命を請うというものだった。

 多忙の中毎日通ってくる皇帝に、絆されたと言えばそうなのかもしれない。

 毎日毎日、質問をのらりくらりと躱す瑞英を、皇帝は怒るでもなく辛抱強く待ち続けた。指一本触れることすらせずに。

 目的のために体を明け渡すことすら覚悟していた瑞英にとって、それは予想外の反応だった。

 彼は冷たいだけの為政者ではない。

 人の心を捨てず、その上で自分たちをさばいてくれるだろう。

 龍宝の行動に、瑞英はその懐の広さを垣間見た気がした。


「あの方ならば、翠月様の凍てつく氷を溶かしてくださるかもしれない」


 ぼんやりと呟く

 それは、彼女にもできなかったことだ。




 幼い頃に一度、瑞英は翠月を見たことがあった。

 見たとはいっても所詮は一方的なもので、分家の子である瑞英は挨拶することすらできなかったのだが。

 当時の彼は、才気に溢れた若君と評判だった。

 彼の家族はそのことを誇らしげにしていたし、翠月に憧れる少女がそれこそ一族中にいた。

 名門貴族と名高い、華家の若様である。

 分家の分家、遠い親戚でしかない瑞英からは、あまりにも遠い存在だった。

 当時、瑞英は年が近い明鈴がうらやましくてならなかった。

 遠目にも兄妹は仲が良く、翠月は明鈴を可愛がっているように見えたからだ。

 自分にもあんな兄がいたら、どんなにいいだろう。

 一人でそんな夢想をしたこともあった。


 しかし、運命とは残酷なものだ。


 ある日突然、華家は国から追われた。

 罪状は反逆を企てた罪とされたが、建国以来の中心である華家がそんなことをするはずがないというのが、祖父の言い分だ。

 しかしどんなに怪しかろうと、罪は罪である。

 分家の中でも血縁の濃い者達は、その討伐の手から逃れることはできなかった。

 瑞英が無事だったのは、偏に姓が違っていたからだ。

 それでも比較的血縁の近い祖父は、膝を砕かれ二度と杖なしでは歩けない体になった。

 翠月に再会したのは、それから二十年近くもたったある日のことだ。

 華家の生き残りであると祖父を尋ねてきた彼に、最初に対応したのは瑞英だった。


 一目で、彼が翠月であると分かった。


 例え粗末な着物を着ていても、彼の祖母に似た優美な顔立ちは隠せるものではない。

 彼を見た瞬間、瑞英は体が震えた。

 とっくに死んでいるだろうと思っていた、かつての憧れの人。

 瑞英にとって彼は、忘れられない片恋の相手だ。

 後宮入りは、彼のたっての頼みだった。

 結婚はしていない。

 華家が許されたとはいえ、華家の遠縁である蘇家と縁続きになりたいという家はなかったからだ。

 嫁遅れの女の行先としては、後宮は贅沢な就職先だろう。

 それでも翠月は、瑞英に嫌ならば断わってもいいと言った。

 だからやると決断したのは、彼女自身だ。

 復讐をするのかしないのか、その判断を任せると言ってもらえた時、瑞英は不思議な充足を感じた。

 罰を受けてもなお、己の力足らずを悔い続けた祖父のように。瑞英もまた、宗家のために命を捧げる決めたのだ。

 そしてその信頼を、皇帝への密告という最悪の形で裏切ってしまった。

 もう二度と、あの人が自分に笑いかけてくれることはないだろう。

 そう思いながら、瑞英は一人涙を零した。


 それでも本当はずっと、―――翠月には復讐を忘れて幸せになってほしかったのだ。



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