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32 生きて

 気付けば、私は咄嗟に黒曜の胴に縋り付いていた。

 踏みとどまった黒曜が、咄嗟に振り下ろされる余暉の剣戟を受け止める。


「邪魔をするな小鈴!」


「鈴音、この男を庇うのか?」


 二人からそれぞれに責められたが、私は後悔してはいなかった。

 折角綺麗な襦裙を着ていたのに、引きずったせいで裾が台無しだ。

 なぜか、それがひどく悲しかった。

 足首を庇いながらよたよたと立ち上がると、咄嗟に黒曜がそれを助けてくれる。


「邪魔、するよ」


 睨みつけると、余暉は振り上げたままだった刀をそっと下した。

 シャランと、私は(かんざし)の一本を引き抜いた。

 梅樹の花を象った、小さくて可愛らしいものだ。

 随分古いもののようで、細かい傷が沢山ついている。

 私はその尖った切っ先を、二人に見えるように自らの首筋に向けた。


「何を……」


 余暉が呻く。


「二人止める、しないなら私ここで死ぬ!」


 自分でも、自分が何を言っているのか分からないぐらいだった。

 それぐらい頭に血が上っていた。

 とにかく二人を止めなくちゃという気持ちで、気付けばそう叫んでいたのだ。

 言った後で、頭からぶわっと汗が噴き出た。

 先端恐怖症じゃなくても、鋭いものが首筋に当っている状況は本能的な恐怖だ。

 けれど後には引けなかった。

 このまま続けてもしどちらかが傷ついたら、私は死ぬほど後悔するに違いないのだ。

 だったら今ここで、自分の命を危険に晒した方が幾らかマシだと思った。

 どれくらいの時が経ったのだろう。

 すぐだったのかもしれないが、気が遠くなるような時間だった。

 カランという音がして、見ると黒曜が剣を捨てたところだった。

 月明りの中で、彼は苦笑いを浮かべていた。


「敵わないな、お前には」


 後で存分に謝ろうと思いつつ、私は余暉に向き直った。

 彼は悲し気に顔をしかめていた。

 その視線は、首筋に当てた釵をじっと見つめている。

 余暉は何か言おうとして、けれどそれが言葉にならず、嗚咽のような声を漏らした。

 そしてしばらくして剣を捨てると、ほぼ同時にその場に崩れ落ちた。


「余暉!」


 どこかに怪我を負ったのかと、慌てて駆け寄る。


「大丈夫だ。剣は当たっていない」


 黒曜の言う通り、余暉の体からは一滴たりとも血は流れていなかった。

 しかし彼は苦し気に歯を食いしばり、握った拳で地を叩く。


「仇討ちなんて、くだらないことは止めろと言うのか。小鈴……」


 私の名を呼び名がら、余暉の目は私を見てはいなかった。

 彼はまるで壊れ物に触れるかのように、そっと私の手にしていた釵に触れた。

 驚きながらそれを手渡すと、余暉は釵の飾りを頬に当てて涙を零した。


「俺は……俺はこれからどうすれば……」


 余暉の苦し気な呻きを、聞いているのは辛かった。

 私は余暉の大きな手に、そっと自分のそれを重ねた。


「生きて」


 口から出た言葉は、なぜか自分の言葉ではないような気がした。

 なぜなら直前まで私は、余暉に掛ける言葉を見つけられずにいたからだ。

 けれど口に出してから、それが私の本当の願いだなと気が付いた。

 もし会えなくなってもなんでも、余暉にはただ生きていてほしい。

 それは彼にとって酷な願いなのかもしれないけれど、それでも。

 生きてさえいれば、心震える喜びにいつか出会えるはずだから。



  ***



 夜が明ける前に、黒曜は静かに華邸を去っていった。

 ちゃんと帰って来いよだなんて、そんな言葉を残して。

 後から冷静に考えてみると、「俺の妃」だとか結構恥ずかしいことを言われた気がする。

 今は気にしている余裕はないけれど、後で一人になったらきっと恥ずかしさでのたうち回るに違いない(私が)。

 朝までの短い時間を、私は余暉と寄り添いあって過ごした。

 ちっともどきどきなんてしない、ただただ静かな時間だ。

 余暉といると、日本にいる実の姉よりも安らげるのが不思議に思う。

 自分で思っている以上に、私はこの世界に馴染んできているのかもしれない。


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