27 誰かに似ている
余暉の邸第に来て六日目の朝。
今のところ、まだ妙案は浮かんでこない。
ダメもとで朝一から余暉の房に突撃したけれど、使用人を介して素気無く追い返されてしまった。
心なしか、使用人たちの視線も冷たい。
帰れと言われているのに無理やり居座っているのだから、それも仕方ないのかもしれないが。
「一体どうしたらいいの?」
邸第内に居場所がないので、今日も四阿に逃げ込む。
石の卓子に頬杖を突き、思わず弱音を吐いた。
孤立無援。相談できる相手もいない。
私は不意に、芙蓉姐さんが恋しくなった。
彼女は今頃、実の母親である皇太后と一緒に離宮で暮らしているはずだ。
芙蓉がここにいたら、「何悩んでんだい!」と威勢よく私の背中を押してくれたことだろう。
そう、私に一番足りないのは勇気だ。
断られたらそのまま大人しく引き下がるのは、優しい余暉にこれ以上拒絶されたくないから。いつもは他の人に向けられていた鋭い視線を、自分にも向けられるのかと思うと身が竦む。
本当は会って話し合いたいと思っているのに、一方でもっと関係がこじれたらと、心が縮こまっている。
こんな私を見たら、芙蓉姐さんはさぞかし呆れ、その艶っぽい唇から盛大に溜息をつくに違いない。
―――コンッ
「ん?」
不意に何か音が聞こえたような気がして、私は顔を上げた。
しかし相変わらず、周囲に人気はない。
使用人たちは邸第の中で忙しく働いているはずで、奇妙に思い首を傾げる。
―――コンッ
「また!」
今度の音は頭上から聞こえた。私は慌てて四阿を出る。
しかし少し離れた場所から四阿の屋根を見てみるが、特にこれといった異常はなかった。
「気のせい……?」
そう呟いた、その時。
―――ピシャン!
不意に外から投げ込まれた小石が、四阿の近くにあった池に飛び込み音を立てる。
まさかと思い塀の外を覗いてみると、思った通りそこには子美の顔があった。
「子美! どうして―――」
思わず叫んだ私は、子美が口に人差し指を当てているのに気づいて、慌てて口を塞ぐ。
邸第の方を振り返るが、誰かが気付いた様子はない。
ほっと安堵のため息をつき、もう一度塀の外を見た。
子美が、こっちへ来いと手招きしている。
少し迷ったが、私は昨日と同じように、裏門を通って彼女の元へ向かった。
「遅い!」
出合頭に、掛けられた言葉はそれだ。
できるだけ急いできたつもりだけれど、子美にしてみたら石を投げ始めた瞬間から、カウントがスタートしているのかもしれない。
私は昨日と同じように竹筒を差し出し、彼女の隣に腰を下ろした。
彼女が座っていたのは結構大きな石で、二人ぐらいは十分腰掛けられる。
水を飲んだ子美は、ぷはっと男らしい声を上げた。
後宮にいた頃から考えると驚くような変化だが、きっとこちらが彼女の素なのだろう。
「それで、どうしてまた来た、んです?」
尋ねると、子美は恨みがましい目で竹筒を突っ返してきた。
「どうしてもなにも……今度はねっ、あんたが戻るまで毎日様子を見にいけって命令された! あの横暴男に!」
もしかしてもしかしなくても、その横暴男というのは黒曜のことなのだろうか。
私は子美が気の毒になった。
様子見を言いつけられたことも勿論だが、あとで黒曜の正体を知ったら子美はどれだけ衝撃を受けるだろう。
できれば一生知らずに済めばいいと、私は苦笑いでその場を濁した。
「そういうわけだから、今から毎日今ぐらいの時間には、塀の近くにいてよね。周りの住人に怪しまれないようにするの、本当に大変なんだから!」
なんだかんだ言いつつ、彼女は黒曜の命令を遂行するつもりのようだ。
早く帰れと言わない彼女と黒曜に、私は感謝した。
「うん、ありがとう」
お礼を言うと、なぜか子美はまた呆れたような顔だ。
「あんたってほんと……」
「ん? なに?」
「別に、なんでもない」
「そう」
「そうよ!」
なんでもないというから納得したら、なぜか声を荒げられた。
(なんなんだ、一体)
子美は今まで出会ったことのないタイプなので、考えていることが本当につかめない。
杉田に言わせると、私の方が周囲からは何を考えているか分からないタイプらしいのだけれど。
高校生まで姉以外との接触をほとんどしてこなかった身なので、今だに人との距離を測るのは苦手だ。
こちらの世界でも、それは変わらない。
(ああでも―――)
ふと思いついたことを確かめるため、私は子美を見た。
ほとんど化粧をしていないようなその顔は、吊り目だが愛嬌がある。
その顔は、私の知っている誰かに似ている気がした。
今まで気付かなかったが、一度そう思うと今度はそうとしか思えなくなってくる。
(子美は少し、杉田に似てる。出会ったばかりの頃の彼女に)
杉田と話すようになったきっかけは、高校の文化祭だ。
ジュリエット役の杉田の顔にメイクをするまで、私は彼女と話したこともなかった。
小柄で可愛くて気が強くて。
自分とは全く違う人種だと思っていたけれど、高校を卒業するころには一番の友人になっていた。
(懐かしい)
彼女は今頃、一体どうしているだろう?
「なんだよっ、人の顔じろじろ見て!」
子美が真っ赤になって叫ぶので、私は回想を中断した。
まさか熱中症かと心配して額に手を当てたら、乱暴に振り払われてしまう。
「もう、調子が狂うったら!」
彼女はガシガシと、その綺麗な黒髪を掻いた。
「やめて! ぼさぼさになっちゃう」
やめさせようと、思わずその手を掴む。
すると子美は、どうしたのか急に大人しくなった。
俯いて顔も上げないので、やはり気分が悪いのかと心配になる。
熱中症になるような暑さではないが、塀の外にずっといたのだとしたらそれが負担になったのかもしれない。
どうしようかと戸惑っていると、彼女が小声で何か呟いているのに気が付いた。
「え?」
聞き取れなかったので、その口元に耳を寄せる。
すると今度は、大音量で叫ばれた。
「離せって言ったの!」
そうして彼女は、私の手を振り切って逃げて行ってしまったのだった。
その背中を見ながら、自分のどの行動がいけなかったのかを考えていみる。
間近で叫ばれた耳が痛い。
「なんだか……」
子美は足が速いようで、あっという間にその姿は見えなくなった。
「野良猫を手なずけてる、みたいな?」
嫌われているかと思えば寄ってくるし、もう平気かと思えば逃げてしまう。
どうしても緩む口元を隠しながら、私は邸第に戻った。