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21 隠された気持ち


 龍宝が立ち上がった反動で、客間の椅子が音を立てて倒れた。


「鈴音がいなくなっただと!?」


 軍事演習から戻った龍宝は、その晩久しぶりに深潭の邸第を訪れていた。

 目的は一時的に後宮を出ている鈴音に会うためだ。

 そこで家主から聞かされたのが、先ほどの知らせというわけである。

 まさに寝耳に水の出来事で、龍宝の脳裏には鈴音を攫って得をする人物が、次々と浮かんでは消えていった。


 ―――こうなることを恐れて、鈴音への想いを表沙汰にせずにおいたものを!


 龍宝は叫びだしたくなった。

 後宮の外で、ようやく気兼ねなく会えるかと思って来てみればこれだ。


 ―――いいや今はそれよりも、鈴音の行方を探す方が先決だ。


 龍宝は歯を食いしばると、深潭が拾い上げた椅子に座り直した。


「それで、一体どういう経緯でいなくなったんだ? 護衛はつけていたんだろう?」


 鈴音を後宮から出す上で、深潭も十分な注意を払っているはずだった。

 皇帝の寵愛が公でなくても、鈴音はもう王都にその名を轟かせる化粧師だ。

 王都から健康を害する鉛白を排斥し、薄化粧を流行らせたのが彼女であるとはもっぱらの噂である。

 華酔楼の客の中には、鈴音の顔を覚えている者もいるだろう。

 鉛白の関係者から恨みを買っている可能性や、その技能を欲しがる富豪の奥方など、鈴音の身柄を欲しがる心当たりというのはいくらでもあった。


「それが護衛の話ですと、突然食客達を振り切って走り出したそうで……」


「どういうことだ? 鈴音が自ら逃げ出したと?」


 龍宝が不機嫌そうに言い返すと、深潭が苦渋の面持ちで首を振った。


「花琳の話も総合しますと、どうやら知己を見つけて、相手が逃げたのでそれを追って迷子になったらしく……」


「花琳も一緒だったのか?」


 龍宝が驚いたように問い返す。

 不愛想な宰相の奥方は、引っ込み思案で外出が苦手だ。


「はい。どうやら化粧師を慰めようとしたそうで」


「慰める? 鈴音に何か落ち込むような出来事があったと?」


「それが」


 珍しく、深潭が言いにくそうに言い淀む。

 その態度に、龍宝は知らず前のめりになった。


「言え。深潭」


「はあ。それがいくら聞こうとも、花琳が教えてはくれないのです。それは女同士の秘密だからと言って……」


 そう言う深潭も困り果てた顔だ。

 彼の奥方は素直な気質であるから、彼自身思わぬ嫁の抵抗に戸惑っているのだろう。

 国を動かそうかという二人が、女の二人に随分と振り回されている。

 そう自覚しつつも、直接話を聞くため龍宝は花琳を呼んだ。

 龍宝よりも年若い奥方は、その目の淵が真っ赤になってしまっている。

 鈴音がいなくなって大いに泣いたのだろう。

 その顔を見ると、龍宝は彼女に対して強く言えなくなってしまった。


「わたくしがついていながら鈴音様を見失ってしまい、大変申し訳ございません」


 部屋に入ってきた花琳がいきなり叩頭したので、龍宝は面食らった。

 叩頭とはその名のとおり、両手をついて地面に額をつける礼である。

 龍宝は朝議などで日常的に家臣から受ける礼儀作法ではあるが、それは儀礼的な意味合いが強くこうした私的な場で相手に求めることは少ない。

 それも、相手は女性。更には信頼する宰相の妻である。


「やめよ!」


 龍宝が止めるのと同時に、深潭が妻に駆け寄った。

 それも見るに、彼にとっても妻の行動は意外なものだったようだ。

 深潭が龍宝の目も気にせず、妻の小さな額を撫でている。

 あがり症の奥方は、それだけで顔を真っ赤に染めた。


「だ、旦那様離してください。わたくしは陛下に謝罪をっ」


「よい。そのままでいいから話を聞かせてくれ。鈴音は一体何に悩んでいたと?」


 尋ねると、花琳はあからさまに眉をひそめた。


「それは……」


 言い淀む花琳に、更に龍宝は畳みかける。


「頼む。そのことが鈴音の行方に関わっているかもしれない。話してはくれぬか?」


 すると花琳はしばらく黙り込み、そして思い切ったように口を開いた。


「鈴音様は、陛下を想って苦しいと」


「俺を?」


「はい。陛下に寵妃ができたら、自分はどうすればいいのかと迷っていらっしゃるご様子でした」


「なんだと……」


 花琳の答えは、龍宝にとっては意外なものだった。

 いつ訪れても、花琳は龍宝を心配するばかりで自分の弱音は口にしない。

 だから気付かぬ間に、その優しさに甘えていたのかもしれないと、龍宝は黙り込む。


「―――鈴音様の気持ちは、わたくしにも痛いほどよくわかります。この国で、女は愛する人を独占できませんもの……」


「なっ、花琳! 私は決してそのような……」


 悲壮な顔で言う妻に、深潭が必死になって不義を否定する。


「よいのです。わたくしも名門に嫁いだ妻ですから、その時の覚悟はできております」


 花琳の潔い言葉に、動揺しているのは深潭の方だ。

 普段は冷徹無比と名高い宰相の情けない姿に、龍宝は我が身を見る思いだった。

 自分ももし鈴音に同じようなことを言われたら、身も世もなく取り乱すに違いない。


「と、兎に角! 鈴音の悩みについては本人に釈明するとして、その鈴音の知己とやらの正体は分かっているのか?」


 龍宝がわざとらしく咳払いすると、取り乱していた深潭がなんとか理性を取り戻してくれた。


「はい。どうやら東市の白粉問屋の娘だそうで、後宮で女官をしていましたが最近実家に帰されたそうです」


「実家に?」


 後宮は一度入ると、基本的に死ぬまで出られない。

 皇帝から家臣に下賜されたり、或いは当代の皇帝が崩御しない限りは永遠に籠の中だ。

 後宮嫌いの龍宝はいずれ人員削減を目論んでいるが、その命令を発するのももうしばらく先の見込みである。

 というわけで最近後宮から実家に帰された娘などいただろうかと、彼は頭の中の台帳をめくった。

 しかし目的の記載にたどり着く前に、調子を取り戻した深潭が答える。


「華妃の采配で、女官が一人放逐処分に。こちらまで報告は上がっていませんが、内部の物の話ではご禁制の鉛白を使用した罪ということで」


「なんだと?」


 鉛白の取り締まりは、龍宝の勅旨だ。

 それを破ったということは、即ち反逆罪と取られてもおかしくない罪である。

 なぜその報告が上がってないのかと、龍宝は一瞬気色ばんだ。

 しかし今はそれどころではない。

 鈴音の行方を探す方が先決だ。


「その娘の行方は分かっているのか?」


「はい。昨日実家に戻ったところを、内々に捕らえてあります」


「分かった。直に話を聞ききたい。連れてこい」


「は」


 鉛白を使った娘と、鉛白を排除した鈴音。

 なぜその娘を鈴音は追ったのだろうか。

 はやる気持ちを抑えて、龍宝はその者が連れてこられるのを待った。


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