20 深まる疑念
目が覚めた時には、既に日が昇っていた。
昨夜ははなかなか寝付くことができず、明け方近くまでうだうだと寝返りを繰り返していたのだ。
なので体には疲れがそっくり残っていて、もう一度目を閉じたくなった。
「お目覚めですか? 小姐様」
けれど聞き覚えのない声に、慌てて飛び起きる。
見れば枕元に三人も女性が侍っていた。
どれも知らない顔だ。
寝る前の記憶をひっくり返し、ようやくそこが余暉の家なのだということを思い出す。
寝汚いところを見られたと思い、顔が熱くなった。
「お、おはようござい、ます……」
おずおずと言うが、相手は鉄壁の笑顔だ。
そしてその三人に促されるまま、朝から湯あみをさせられた。
逃げようにも好意を無下にもできず、内心で悲鳴を上げながら体中磨かれる。
糸瓜のスポンジで体中を洗われるというのは未知の体験で、最中何度も悲鳴を噛み殺した。
朝一からどっと疲れた後、今度は人形の如き着替えが待っている。
筒状の裙子を胸まで引き上げ、その下でぎゅっと帯を締められる。絹でできた濃紺の帯は美しいばかりだが、今はそんな感想よりも苦しいという気持ちが勝った。
ゆったりとした上襦には牡丹の花が堂々と刺繍されている。
地味な私が着ると、まるで牡丹の方が主役のようだ。
(こういうのを着こなすのには才能が必要だよ)
どこかで他人事のように考える。
他人事というよりは、現実逃避だ。
(もうなるようになれ)
そんなやけっぱちな気持ちになった。
またも複雑に髪が結われ、昨日とは違う冠を載せられる。
今日の冠には金細工の鳳凰がのっていた。
凄いを通り越して逆に申し訳ない気持ちになった。
もう全力で鳳凰の土台に徹することにする。
(例えば華妃なら、こんな衣装もさらりと着こなしちゃうんだろうな)
そう考えると、反射的に気持ちが沈んだ。
彼女自身は立派だしすごく素敵な人なのに、こんな気持ちになるのは私がおこがましい未熟者だからだ。
そう思ったら、少し泣きたくなった。
「小姐様。ご気分がすぐれませんか?」
着付けをしていたお姉さんが、心配そうに顔を覗き込んでくる。
どうにか大丈夫とだけ言い、それから着替えが終わるまで、私はずっと黙り込んでいた。
「小鈴。大丈夫か? 気分がすぐれないと聞いたが……」
準備が整ったのと、房に余暉が飛び込んできたのはほぼ同時だった。
どうやら気付けを手伝ってくれた女性の一人が、いつの間にか私の不調を余暉に知らせたらしい。
私はぶるぶると慌てて首を振った。
鳳凰の尾羽の部分がしゃらんしゃらんと音を立てる。
少し頭を動かしただけなのにくらくらした。
「おっと。冠をつけている時は、あんまり激しく頭を動かすな」
余暉が丁寧な手つきで、私の頭を支えてくれる。
彼は髪結師なので、こういった装飾品の扱いにも慣れているに違いない。
「余暉、綺麗な服あり難いけど、私普通の服でいいよ?」
昨日から言えずにいたことを思いきって言うと、余暉は気にするなと言って笑った。
「俺がしたいからそうしているんだ。悪いが付き合ってくれないか?」
なぜだろう。その笑みが少し寂しそうだと感じたのは。
そう言われてしまっては、何も言えなくなってしまう。
着替えを終えると今度は朝食だ。
あまり食べられないと伝えると、昨夜とは違い用意されたのは食べやすい中華粥だった。
といっても山海の珍味が惜しげもなく使われた、ひどく豪華なお粥だったのだけれど。
贅沢な朝食を終えて、私は思い切って余暉に願い出ることにした。
このままでは、ずっと余暉のペースに流されるままだ。
「ねえ余暉、二人だけで話、したい」
そう言うと、分かったと言って余暉はすぐに人払いをしてくれた。
給仕や配膳を担っていた家人がいなくなり、広い房に二人きりになる。
卓子をはさんで向かい合うと、なぜか余暉が大きく見えた。
彼の上品な顔立ちに、仕立てのいい官吏のような盤領の胡服を着ると、それだけでまるで王のような風格がある。
「それで、話というのは?」
言葉遣いまで、以前とは少し違っている。
私は目の前の人が本当に自分の知る余暉なのか、分からなくなった。
「余暉、どうしてここにいる? 髪結いの仕事はいいの?」
尋ねると、余暉はそのことかと小さく笑った。
「髪結いの仕事は辞めた。今はここで―――そうだな。次の仕事の準備をしているよ」
「次の仕事の、準備?」
「ああ。詳しくは教えられないが、危ない仕事じゃない。だからそんな顔をするな」
どうやら自分でも気づかない間に、心配するような顔つきになっていたらしい。
でも一介の髪結師がこんなお邸第で、それも召使まで雇って暮らしているなんて、よっぽどのことだ。
私は少ない語彙の中から、何とか納得のいく答えを得られそうな質問を捻り出す。
「本当に、無理するない? 私余暉が心配で」
すると余暉は、髻を崩さないよう優しく私の頭を撫でた。
「大丈夫だよ。小鈴が心配するようなことは何もない」
それきり余暉は黙り込んでしまって、結局私は何の情報も得ることはできなかった。




