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19 遠く君を思う


 龍宝は遠乗りに来ている。

 いくら忙しいとはいえ、動かさなければ体が鈍る。

 朝議を終えて北衙禁軍の訓練に参加し、昼過ぎに馬に乗った。

 竜原の都を出て駆けること数里。

 風を切る感覚はやはり心地いいものだ。

 ここ数か月の鬱屈した気持ちが、解けていくように感じた。

 勿論非公式とはいえ皇帝の行幸であるから、遠乗りには軍も一旅付いてきている。

 その数は約百人ほど。

 皇帝の行幸をこれ以下の数とするのは難しい。

 野営訓練をする彼らの視察という名目で、龍宝は束の間の自由を得たのだ。

 わざわざ軍の訓練に顔を出すのは、運動不足解消の他に連携や力関係の確認のためでもある。

 皇太后を倒す時は味方になってくれた軍部も、共通の敵がいなくなれば絶対の味方とは言い切れない。

 それが元傀儡皇帝の辛いところだ。

 代々黄家に忠誠を誓っていた家臣の中には、皇太后の暴虐を嫌って宮廷を去った者が少なくない。

 それらを呼び戻し、真っ当な政治体制を整えるのが今の龍宝の第一の任務だ。

 そのためには、軍にそっぽを向かれるわけにはいかない。


「相変わらず、見事な手綱捌きですな」


 鯰髭の将軍が、哈哈(かか)と笑いながら近づいてくる。

 その温和な面持ちは、ひとたび戦となれば修羅となることを知っている。

 特に親しい将軍の一人で、龍宝に馬術を教えてくれた師匠でもある。

 名を趙仁貴(じんき)という。

 老けて見えるがまだ四十を少し越えたばかり。

 趙の家柄もまた古く、龍宝に好意的という意味でも今の榮になくてはならない人だ。

 今は一旅を率いてはいるが、本来は右龍武軍全体を指揮する有能な将軍である。

 仁貴がおもむろに言う。


「しかしお心は優れないようだ。雪原公主が心配しておりますぞ」


 雪原公主というのは葦毛の牝馬で、龍宝の愛馬だ。

 皇帝の厩には数多くの馬がいるが、龍宝は好んで雪原公主に乗ることが多かった。

 彼女の葦毛はその名のとおり、薄灰が降り初めの雪原に似ている。

 龍宝は雪原公主の馬首を撫でた。

 よく手入れされているので毛艶がよく、愛馬の肌は手にしっくりと馴染む。


「……会いたい(ひと)がいるのだ」


 龍宝の言葉に、仁貴はどんぐり眼を更に丸くした。

 そしてその顔がすぐに笑み崩れる。


「いやはや、これは驚きましたが臣にはよい知らせ。陛下のお子が見れる日もそう遠くないですかな」


 仁貴が盛大に笑うので、彼の騎馬が驚いたようだ。

 雪原公主と合わせた二頭の馬が、足を踏み鳴らしぶるると嘶く。


「こら仁貴。公主が驚いている。やめよ」


「おやおや失敬。しかし陛下、雪原公主は驚いているのではありませんよ。公主(ひめ)は陛下に意中の女性がいるのが気に食わないらしい」


「そうなのか? 雪原」


 龍宝が尋ねるが、馬が(はい)と答えるはずもない。

 しかしやはりどこか落ち着かなさげな様子なので、龍宝は更にその馬首を撫でてやった。


「これはすまなかった。お前といる時に無作法であったな」


 そう言うと、公主は心なしか少し落ち着いたようだ。

 馬とは賢い生き物なので、人の言葉が分かったとしてもなんら不思議ではない。

 そのやり取りを微笑ましく見ていた仁貴だったが、不意に真面目な顔になり言った。


「陛下。今おっしゃったように華妃への寵愛が本物であるなら、彼女を皇后として擁立してはいかがですかな? 皇太后が去ってまだ三月(みつき)。浮足立った後宮も新たな主を迎えれば収まりましょう」


 皇帝の寵愛がどこにあるかは国中の関心事であるから、仁貴から華妃の名前が出ても龍宝はさほど驚かなかった。

 華妃が寵妃として噂になっているということを、龍宝は勿論知っている。

 深潭ともよく話し合った上で、そう決めたことだ。

 華妃が寵妃となれば、華家の当主がなんらかの反応を見せるのではないか。

 そんな下心あっての後宮通いだったが、今のところこれといった成果は出ていない。

 それと同時に、鈴音の元へ行くのは控えていた。

 鈴音が自分の弱みだと、華妃に悟らせないためだ。

 しかしそれもそろそろ、限界だと龍宝は思う。

 最後に会った時丁寧に揉み解された手のひらを見ると、会いたいという衝動がこみ上げてく

るのだ。

 異国から来た言葉も覚束ない少女に、間違いなく龍宝は執着していた。

 だからこそ、それが大切だと知られた誰かに奪われるのが恐ろしい。

 後宮にはまだ雨露もいる。

 皇太后が離宮に移されてからは大人しくしているが、あの欲深い老人がこのまま黙っているとも思えない。


「あり難い忠告だが……」


 龍宝は一瞬遠くを見た。

 見渡す限りの平原である。

 その向こうに、鈴音が生まれた国があるのかと思うと、なぜだか不思議な気持ちになった。


「後宮のことは、慎重になりすぎるということはない。正当な主が決まったら、その時は趙将軍に真っ先に知らせよう」


 龍宝の言葉に、仁貴は畏まって拝礼を返した。

 流石にというか、馬上で両手を離してもその体勢は揺らぎもしない。


「差し出がましいことを申しました。その時を楽しみにしております」


 朝廷にも彼のような臣下がいればと、龍宝は苦く笑った。


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