17 おもてなしには裏がある
余暉に案内された先は、高級住宅地の中でも特に大きなお邸第だった。
広い中庭と、木造に瓦屋根の立派な建物。
入口からでは全貌が見渡せないほどで、黒邸と同じかあるいはもっと広いのかもしれない。
私は驚いてしまって、茫然と立ち尽くした。
「ほら、ぼんやりしてないで中へ」
余暉が苦笑いをしながら、長い人差し指を私の顎に当てた。
それでようやく、私は自分の口が開きっぱなしになっていることに気付いたぐらいだ。
「ええと、余暉はここのご主人に、雇われてるん、だよね?」
そう考えれば納得がいく。
お金持ちの中には、専属の髪結師を雇う人だっているだろう。
余暉自身が豪華な服を着て馬に乗っているのも、そのご主人様に気に入られてのことに違いない。
しかし駆け寄ってきた厩番の老人に、その考えは否定されてしまった。
「これはこれは旦那様。お帰りなさいませ」
老人は深々と拱手したかと思うと、余暉が連れていた馬の手綱を受け取る。
私が二人乗りを怖がったので、余暉がここまで手綱を引いて連れてきたのだ。
彼の言葉に、私はピシリと硬直した。
「えっと……旦那様?」
余暉の顔を見上げると、彼は優美なばかりの苦笑いを浮かべていた。
「まあ、俺にも色々あったんだよ」
何が色々あると、こんな短期間に大きなお屋敷の旦那様に成り上がれるのだろう。
残された可能性は玉の輿ぐらいだろうか。
「ちなみに、玉の輿ではないからな」
考えを読まれたのか、すぐさま否定された。
「突っ立ってないで、いいから入れ。ちゃんと説明してやるから」
おかしそうに笑いながら、余暉が言った。
それがようやく見れた懐かしい笑顔だったので、私はようやく肩の力を抜くことができたのだった。
***
揺れるのは金の歩揺。
季節を現したものか、冠には薄い金でできた梅樹が沢山あしらわれている。
胸まである裙子には香り立つような桃の花が刺繍され、直領衫には色鮮やかな蝶が散っていた。
腰を締める帯は絹なのか黒が艶やかだ。そしてその上から、金彩で驚くほど細かい飾り文様が施されている。
ふわりと柔らかい披帛は、最初から引きずる仕様なのかとても長い。
皇太后もかくやというような、豪勢な衣装だ。
現在の私は、家人の手によって着飾られその重みで動けずにいる。
抵抗する暇すらなかった。
余暉がどう命令したのか、おかしいと疑問を呈する暇もなくこの有様だ。
とりあえず、この邸第の家人はかなり優秀だなと思った。
「旦那様がお見えです」
次の間に控えていた家人から声がかかる。
出迎えるために立ち上がろうとしたが、髪(鬘)を直していた家人によって押し留められた。
どうやらまだ微調整が終わっていないらしい。
房に入ってきた余暉は、私の姿を見て立ち止まった。
やはりこんな服を私が着てはまずかったのではないかと、不安になる。
黙りこくった余暉を、待っていられたのはわずかな時間だった。
「よ、余暉? 何か言って」
思わずそう言うと、余暉は仕切り直すようにコホンと咳をした。
「見違えたな、小鈴。まるで仙女のようだ」
蝋燭に照らされた美貌が、ほんのりと赤くなっている。
きっと慣れない美辞麗句に照れているに違いない。
気を遣わせてしまったと申し訳なくなった。
「あの、すごく立派。衣装……本当に私着てよかった……?」
たどたどしく確認すると、立ち止まっていた余暉がようやく歩み寄ってきた。
「大丈夫だよ。小鈴のために買い揃えたものだもの」
「え?」
どういうことだろうかと、余暉の顔色を窺う。
私は余暉に、城下には戻れないと手紙で知らせていたはずだ。
なのにこんな、おそらく家が一軒ぐらい建ってしまいそうなほどの、豪華な衣装を用意した理由が分からない。
「おいで」
疑問に思いつつも、伸ばされた手を取る。
微調整が終わったのか、椅子から立ち上がるのを家人が手伝ってくれた。
立ち上がってしまえば今度は座るのが大変そうだった。
要は頭が異常に重いのだ。
まるでフルフェイスのヘルメットをかぶせられたような重量感がある。
頭をぐらつかせる私に、余暉は薄い笑みを零した。
「後宮では、冠はかぶらなかったのか?」
「私ただの女官、だから」
先ほど怒鳴られたからか、無意識に言葉がたどたどしくなった。
そうすると本当に、小鈴だった頃に戻ったかのようだ。
私の答えに、余暉は少しだけ不機嫌そうになった。
「妃にするわけでもないのに……っ」
どういう意味だろうかと余暉の顔を見上げたが、その表情だけでは彼の気持ちを理解することなんてできなかった。
余暉の手を借りて中庭に出る。
残念ながら雲が出ていて、月を見ることはできなかった。
代わりにかぐわしい木蓮の香りがする。
案内された四阿には、豪華な宴席がしつらえてあった。
わざわざ運び込まれたであろう卓子には、とても二人分とは思えない量の食事がのっている。
手伝いを借りて椅子に座ると、他に誰が来るのだろうかと私は周囲を見回した。
四阿には私達二人きりで、給仕をする家人も今は少し離れた場所に控えている。
「どうした?」
「え、いや、あと誰くる、思て……」
思ったままを口にすると、なぜか余暉が破顔した。
「この料理は全て、小鈴のために用意したものだ」
「だってこんな、いっぱいアルよ!?」
私の驚きっぷりに、余暉は気をよくしたようだ。
その顔に蕩けるような笑みが浮かぶ。
顔が熱くなった。
「遠慮するな。我慢せずいくらでも食べていいぞ」
(嬉しいけど、余暉の中で私ってそんなに食いしん坊なイメージなの!?)
思わず問い詰めたくなったが、折角の和やかな雰囲気を壊したくなくて諦めた。
おずおずと匙を取り、まずは羹に手を伸ばす。
蕪のスープにはとろみがあって、春先に冷えた体を温めてくれる。
「おいしい……」
思わずこぼれた呟きに、余暉は本当に嬉しそうに笑った。
「どれどれ、俺も」
そう言って、彼も同じものに口をつける。
そうして私たちは、気まずさを忘れて楽しいひとときを過ごした。