12 花琳との再会
子美の処分は、後宮からの除名処分ということになった。
本来なら死罪を免れない状況だったらしいが、華妃の口添えがあったらしい。
そのことで一層、華充儀は慈悲深きお方と後宮では評判になっている。
今までの後宮の主が苛烈だった分だけ、それは余計にかもしれない。
彼女が次期皇后間違いなしという者もいて、そんな言葉を聞くたび私は少し気持ちが塞いでしまう。
確かに彼女は素晴らしい人で、言葉遣いも礼儀作法も完璧でその上美人だ。
私にはよくわからないけれど、家柄もいいのだと聞く。
黒曜と二人でいるところを見たことはないけれど、きっとお似合いなんだろう。
いつものように着崩さないで、皇帝の格好をした黒曜はきりりとした美丈夫だし、二人を並べたら一幅の絵にのように見えるだろうというのは簡単に想像がついた。
だから、本当ならいい人が来てくれてよかったねと祝ってあげなきゃいけないのに、黒曜に会ってもとてもそうは言ってあげられない自分がいる。
相変わらず彼は華妃の許に通っていたが、私のところにはちっとも現れない。
今は笑って祝ってあげられないから、それぐらいがちょうどいいと無理矢理自分を納得させていた。
そういう意味では、尚紅が忙しくなったことで、私は多少救われていたと思う。
仕事に打ち込んでいる間は、余計なことを考えなくて済むからだ。
子美の一件以来、尚紅の状況は一変していた。
華妃が私の化粧を気に入ったと、色々な場で発言してくださったお陰だ。
相変わらず女官たちの態度は頑なだが、講義をサボるものは誰もいない。
講義をするたび、尚紅が人でいっぱいになる。
全員が全員、私の技を盗もうと熱心だ。
仲良くできないのは寂しいけれど、私と春麗は状況の改善を喜んでいた。
出てきてくれなければ、仲良くなることもできない。
なので華妃には、色々な意味で頭が上がらないのだった。
彼女がいい人なほど、辛いと思う自分もまだ心のどこかにいるけれど。
黒深潭から、その申し出があったのはそんな時だ。
「花琳が?」
「ええ、大層あなたのことを恋しがっていまして」
面会だと言われ、案内されるがまま内廷との境である掖庭宮に来てみれば、そこには相変わらず顰め面の宰相様が待っていた。
どんなに怖い顔をしていても、愛妻家なのは変わりないらしい。
尚紅の講義も毎日のことではないので、私は喜んで請け負った。
なんでも、深潭の口利きがあれば一時的に後宮を出ることができるらしい。
そんなこんなで、私は春麗に後を頼み、城下にある黒邸へと向かった。
***
後宮に入ってそれほど経っていないはずなのに、紫微城の外に出るとなぜか懐かしく感じた。
竜原の都はそこもかしこもスケールが大きい。
碁盤の目状になっているのは京都と一緒だが、その目の一つ一つが小さな町ぐらいの大きさがある。
城から続く目抜き通りは、もう道というよりも長い広場だ。
深潭の用意してくれた馬車は、道に刻まれた轍に沿って進んでいく。
名門である黒家の邸第は、城からそう離れてはいない。
久しぶりの城下を懐かしく見ている間に、あっという間に着いてしまった。
「鈴音様!」
邸第に着くと、家人を振り切って花琳が飛び出してきた。
慌てて馬車が止まり、上下に激しく揺さぶられる。
思わず、踏まれた蛙のような悲鳴が喉をついた。
「か、花琳……」
馬車を降りると、花琳が抱き着いてきた。
飛び出しは危ないよという言葉は、私の喉の奥で消えた。
「鈴音さまぁ」
花琳の声は涙に濡れていた。
それによって落ちた化粧が、べっとりと私の胸元に顔拓になっている。
恋しがっているとは聞いていたが、いくら何でもこれは異常だ。
「わたくし、わたくし……っ!」
洟をすすりながら、花琳が言う。
「このままでは旦那様に捨てられてしまいますぅぅぅぅぅぅ!」
手荒い歓迎に大層驚いたが、とりあえず私は彼女の背をぽんぽんと叩き、ふうと大きくため息をついた。
花琳の絶叫の理由はこうだ。
私が後宮に上がってからも、彼女はずっと頬の赤みを目立たなくする化粧を続けていた。
人前に出る回数も増え、鴛鴦夫婦と呼ばれ自分に自信を持てた。
ところが肝心の化粧の仕方を覚えた家人が、結婚のため邸第を辞してしまったという。
更に別の家人への引継ぎが不完全で、あの化粧を再現できなくなってしまったというのだ。
「だっ、だからわたくしは、鈴音様にもう一度っ、ひっく、化粧の仕方を教えていただこうと……ひっく、旦那様にお願いしたのです、ぐすっ」
しゃくり上げながらそう言う花琳は、まるで小さな子供のようだった。
以前案内された彼女の私室で、長椅子に二人で腰掛ける。
その頼りない背中をさすってやると、花琳の動揺も少しずつ収まってきた。
人妻とはいえ、私よりも年下の彼女だ。
私以外に悩みを打ち明けるわけにもいかず、困り果てたに違いない。
人一倍恥ずかしがり屋な彼女は、それを隠すために常識外れの厚化粧をしていたほどなのだから。
「なら、私が言いますから、花琳様はそれを書き写してください。化粧の方法」
「え……?」
涙に濡れた丸い目が、私を見上げる。
「文字で残せば、どの家人でも同じ化粧ができますよ。私は文字がまだ上手くないので、花琳様に協力してもらわなきゃ、ですけど」
大きな花琳の目が、一際大きく見開かれた。
「そ、それですわ! わたくし、字を書くのは得意ですの!」
「ぐえっ」
今度は、ラリアットを食らった鶏の呻きだ。
花琳様におかれましては、感激するたび抱き着く癖をどうにかしていただきたい。