表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/38

11 深夜の密談



 後日改めて、化粧をしてほしいと華妃に呼び出された。

 その後子美がどうなったのか、それは聞かされていない。

 ただ彼女の取り巻きの中からその姿は消え、華妃付きの女官たちの化粧は以前よりも少し薄くなっていた。


「じゃあ改めて、お願いね」


 メイクを施す前に、まずは前回できなかったクレンジングをする。

 カスターオイルを使って、華妃の顔を丹念に揉み解していく。

 鎖骨にあるリンパ節を刺激して、顔のあちこちに溜まった老廃物をそこに押し流すのだ。

 それが終わったら、今度は酒糟パックだ。

 あらかじめ作り置きしてあったものなので、材料がよく馴染んでいる。


「ああ気持ちがいい」


 どうやらお気に召したらしい。

 よかったと胸をなでおろす。

 パックをふき取った後、ようやく化粧に入る。

 以前よりも配合にこだわった下地を塗り、試行錯誤の末に色を調節したドーランを重ねていく。

 華妃の輪郭は三角形なので、顎先にシェーディングと言って濃い色の影をつける。

 輪郭が三角の人も丸い人も、そうして卵型に近づけるのが化粧の基本だ。

 更に、頬の中央にはふんわりとハイライトを。

 華妃のとがった印象が、これだけでも大分柔らかくなる。

 角度が急な眉は、眉尻のカーブををまっすぐに整える。

 細く鋭いのが流行だけれど、敢えて少し太めに。

 そして最後に、一番重要なアイメイク。

 米粉と茶色い顔料、それに雲母を混ぜ合わせたアイシャドウを使う。

 まずは薄いベージュをまぶた全体に落とし、更に二重幅にブラウンを引く。

 下まぶたは目尻から筆を乗せて、目頭まで流れるように滑らせる。

 この時目尻側を太めにすると、垂れ目な印象になり目の鋭さが和らぐ。

 前のようににかわでアイプチをしようかとも思ったけれど、それはやめた。

 華妃には華妃の美しさがある。

 柔らかい印象にすることと、二重でむやみやたらに可愛く見せるというのはまた違うことだ。

 最後にピンクのチークを控えめにのせて、完成。

 自画自賛するわけではないが、我ながらいい出来だ。

 元から顔立ちの整った人なので、日本風の化粧をするとまるで女優やモデルのように見える。


「これは……」


 鏡を見せると、華妃はしばらく黙り込んだ。

 お気に召さないかとどぎまぎしていたが、彼女はにっこりと笑ってこう言った。


「流石評判の化粧師ね。とても気に入ったわ」


「あ、ありがとうございます!」


 尚紅のことで心が折れかけていた私には、彼女の言葉がどうしようもなく嬉しかった。

 最近は誰かに化粧をして喜んでもらうということから遠ざかっていたせいか、思わず感動して泣きそうになる。

 さすがにそれは向こうを驚かせてしまうだろうと、必死で我慢したけれど。


「鈴音。またわたくしに化粧をしてくれるかしら?」


 可愛らしく小首を傾げた華妃に、私は勿論と請け負った。

 彼女に化粧をして、分かったことがある。

 それはやっぱりどんなことがあったとしても、私は誰かに化粧をするのが大好きだということだ。



  ***



 夜半になって訪れると、華妃の房は女官たちの笑みに溢れていた。

 華妃付きの彼女たちには、主の栄達が喜ばしいのだろう。

 そこには主人を慕う純粋な喜びではなく、あわよくばを狙う狡猾さも含まれてはいたが。

 古今、寵妃の侍女に手を出した皇帝は少なくない。

 こういうところが後宮の嫌なところだ―――龍宝は思う。

 人払いをすると、卧房はしんと静まり返った。


 華妃―――華瑞英(ずいえい)は美しい女だ。


 美しく、賢い。

 その完璧な笑みからは、どんな感情も読み取ることができなかった。

 ただ、瑞英は侍女たちと違い、単純に喜んでいるだけではないらしい。

 彼女の落ち着きすぎた所作が、龍宝にそれを知らせている。


「どういうつもりだ?」


 長椅子に足を上げ、龍宝は乱暴に言った。

 敢えて作法を乱すのは、慎ましい貴族の令嬢を威圧するためだ。

 しかし瑞英は意に返さず、おっとりと龍宝の向かいに座った。


「どういうつもり―――とは、どういう意味にございましょう?」


 龍宝ははっと気が付いた。

 瑞英の笑みは、肚が据わった女のものだ。

 それは華酔楼で見た、芙蓉の笑みに似ている。

 身一つで成り上がった妓女と、手中の玉として育てられる令嬢が同じ目をするはずがない。


 ―――やはりこの入宮、裏がある。


 龍宝は自らの気を引き締めた。

 彼が幾夜も、瑞英の元を訪ったのには訳がある。

 それは黄家と同じほど古い歴史を持つ華家の、その意向を知るためだ。

 事の始まりは、ある青年が華家の生き残りとして、名乗りを上げたことに起因する。

 事情を知る旧臣たちは驚いた。

 なぜなら華家の前当主は、政敵の讒言により処罰されていたからだ。

 処分は当主のみに留まったが、その家族も政敵の手によって王都を追われ、行方知れずになったと聞いている。

 報復を恐れた政敵によりかけられた追っ手は、熾烈を極めたことだろう。

 そして内乱が終わって名誉が回復された後も、華家の直系であると名乗り出る者はいなかった。

 内乱の混乱の中で政敵は死に、身を脅かすものがいなくなってもなお、である。

だから誰も、今までその家族が生きているとは思いもしなかった。

 ちなみに、本当に彼が華家の直系であるとするならば、国には華家から接収している土地や財産を返還する義務が発生する。

 なので当初、これは華家の遺産目当ての虚言であろうと、疑うのが大方の見方だった。

 ところがその青年は、あれよあれよという間に生き残っていた分家の長老に認められてしまった。

 華家ゆかりの有力者もまた、続々と彼の元を訪れているという。

 そして驚いたことに、その中の誰一人として、彼が偽物であると判じた者はいない。

 遂には先日、無人となっていた華邸に暮らし始めたと聞く。

 要職を歴任した華家の前当主を慕う者は、宮廷内にも未だ多い。

 半人前の皇帝である龍宝としては、彼が敵であるか味方であるか、それを早急に見定めねばならないのだ。

 ところが、待てど暮らせどその本人が龍宝の前に姿を現さない。

 財産の返還には、龍宝への謁見が不可欠であるというのに、だ。

 そしてこちらが焦れてきた頃、いきなり差し向けてこられたのがこの妃というわけである。

 龍宝にしてみれば、無下にもできずその扱いにほとほと困っていた。

 彼女との対面も、本当なら深潭を同席させたかったところだが、後宮内ではそうはいかない。

 後宮という場所柄とは裏腹に、龍宝は瑞英を前に戦地に赴くような気持ちでいた。


「少し、肩の力をお抜きになってはいかが?」


 女が笑う。

 夜闇のように底知れない表情だ。

 ごくりと唾を呑み、龍宝は相手を睨みつけた。

 こうなれば回りくどい言い回しはなしだ。


「こちらが何を差し出せば、当主は王宮に姿を現す?」


 龍宝が自ら赴くわけにはいかない。

 彼は皇帝なのだから。

 しかし軍を出して、無理矢理連行するわけにもいかない。

 どころか、讒言を容れて前当主を罰したのはこちらの方だ。

 過激なことをすれば反感を買う。

 向こうに肩入れしつつある有力者たちを、敵に回したくはない。

 皇帝なんて不自由なものだと、龍宝は心底思う。

 瑞英が口を開いた。

 鉄壁だった彼女の表情が、わずかに歪む。


「あの方が欲しがるものは、ただ一つ―――……」


 しかしそう言ったきり、彼女はそれがなにかを答えようとはしなかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ