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10 悪魔の白粉



「九嬪の中に、目を凛々しくする化粧を受けた方がいらっしゃると聞きました。私にはその逆をお願いできますか?」


 華妃の希望は、きりりとしたその印象を和らげてほしいというものだった。

 やっぱり、美しさの基準というのは人によって違っている。

 二重を隠してあっさりとした顔になりたいという人がいれば、涼やかな一重のきつい印象を和らげたいという人だっているのだ。

 だから化粧師の仕事というのは、全員に同じ化粧を施すことじゃなくて、一人一人その人の希望に合った顔に近づけてあげることだと思う。

 まだペーペーの私が偉そうに言えることじゃないけれど、尚紅が再建できたら女官の人たちにはそういうことも伝えていきたい。


(優しく見える化粧か)


 私は華妃の顔を改めて観察した。

 目鼻立ちが整っていて、その目は当代の美人の条件である一重まぶた。

 美しさを競う後宮の中でも、負けず劣らずの美女だ。

 けれど確かにその涼やかな目元は、時に相手に畏怖を与えてしまうかもしれない。

 けれど、一重こそが美人という基準を持つこの国では、その要望は少し珍しいものだった。


「今のままで十分、お美しくあらせられますのに」


 未練がましく子美が言う。

 けれど私も同感ではあった。

 ただ、今彼女が施している化粧は、やっぱりよろしくない。

 白粉も紅もこれでもかと厚塗りされていて、後になって肌が荒れてしまいそうだ。

 私はお湯を用意してもらい、まずはその化粧を落としてしまうことにした。

 華妃を椅子に座らせ、水と柔らかい布でその化粧を丁寧に落としていく。

 特に厚く塗られた白粉は、とてもではないが布一枚では足りなかったほどだ。

 化粧を落としてみると、心配した肌の状態はそれほどひどくはなかった。

 栄養のあるものを食べて、きちんと睡眠がとれているのだろう。

 しかし白粉の影響か、表面が少しざらついている。

 まさかと思い指でこすってみると、白粉からは米粉ともオシロイバナの物とも違う、鉱物特有の感触がした。

 私は驚き、思わず子美を見上げた。


「これ、危ない。規制された白粉、ではありませんか?」


 対する子美は、薄ら笑いを浮かべて何でもない顔をする。


「なんのことかしら? 言いがかりはやめてよね」


 その反応に、彼女に対する不信感が膨れ上がる。

 しかし私が睨みつけようと、子美はどこ吹く風だ。


「この白粉は、危険あるから使用しないようにと……陛下のご指示あった、はずです」


 何事かと、華妃が椅子から身を起こした。

 しかし私はそれどころではない。

 華妃の使用している白粉が鉛白であるとするなら、今周囲にいる女官たちの顔にも同じものが使われている可能性があるからだ。

 それは黒曜が、有害だからという私の言葉を信じて、最近使用禁止にしたばかりの品だった。

 鉛白は知らずに使い続けると、鉛中毒になって最悪死に至る恐ろしいものだ

 日本でも昔は化粧品として使われていて、私はそれを専門学校の授業で有害なものだと知った。


「私が憎いからって、変なことを言い出すのはやめてくださらない? 大体、その白粉の方が伸びがよくて高級なのよ?」


 それでは言外に、この白粉が鉛白であると言っているようなものだ。


「なんでそういうことする、ですか!? 危ない、命関わるかもしれない、ですよっ」


 気を張って、お淑やかにしていた言葉遣いが崩れた。

 沸いてきたのは強い怒りだ。

 例え彼女が尚紅の元女官であったとしても、害のあるものを平気で使う人に、化粧師を名乗ってほしくない。

 ざわざわと、女官たちも騒ぎ出す。

 騒ぎを収めたのは、華妃の一声だった。


「子美」


 静かな呼びかけに、房の中が静まり返る。


「わたくしの化粧に、ご禁制の品を使ったというのは本当ですか?」


 すっぴんだというのに、その問いかけには恐ろしいほどの迫力があった。

 私に睨まれた時とは違い、子美はぶるぶるとその肩を震わせる。


「あの、でも……」


 彼女はしどろもどろになって、華妃の顔色を窺っていた。

 しかし言い訳をしようとしたその言葉は、鋭い語気によってさえぎられた。


「恐れ多くも天子様の定めた国の法を破るとは、榮の民として恥ずべきこと! これ以上わたくしの顔に泥を塗る前に、この房から出ておいきなさい」


 びくんと目に見えて震えたかと思うと、子美はバタバタと足音を立てて飛び出していった。

 すると華妃は、先ほどの怒りなどなかったかのように取り澄まし、そばにいた宦官に命じる。


「すぐにあの者を捕らえ、白粉の入手経路を調べるように。あの者が使っていた房も調べて。他に、彼女から白粉を融通してもらった者があれば、すぐに名乗り出なさい。今ならば罪には問わないわ」


 華妃の言葉と同時に、その場の空気が目まぐるしく動き始めた。

 部屋を飛び出す者。着ていた衣で顔を拭う者。様々だ。

 私は呆気に取られてしまった。

 自分が言い出したこととはいえ、まさか華妃が私を信用してくれるとは思わなかった。

 心のどこかで、彼女が味方ではないような気がしていたのだ。


 ―――黒曜の愛した人なのに。


 そして指示を終えた彼女は、私に向けて柔らかく微笑んだ。


「やはりあなたは、わたくしの見込んだ通りのお方のようです」


 聞き間違えかもしれない。

 それがどういう意味なのか尋ねる前に、その場は騒然としそれどころではなくなってしまった。


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