里帰り
~ 現在 ~
十四年ぶりの祖国への帰還だった。
赤土の地面に、さまざまな大きさの石が散らばっており、土を焼いた丸みをおびた家が、入口を開きっぱなしにして立ち並んでいる。
家の前には顔中を白髭に包んだ老人が、地面に座り込み、空から差し込んだ光を手で遮ろうとしていている。
路上では等間隔の距離で屋台が出ていて、古びた台車の上に干した芋や野菜などが並んでいる。
生物を売っている台車の周辺には虫が飛び交っていた。人はうつろな目ですれ違い、地面では孤児が物乞いをしている。
カイエンはゆっくりとした足取りで進んでいた。
街の面影は、自分の記憶のものとそれほど変わっていない。
あの頃から、豊かになったとも、貧しくなったともいえない。
ここでは、魔王を倒したということもあまり関係はないようにも見える。
まるで、世界の変化に唯一取り残されている空間のようだった。
相変わらず、コッパドールは貧しい国だった。
この祖国にて、過激派の一部が反乱を起こそうとしていて、その裏には死の商人の力が働いている。
それを調べ、阻止して欲しいと天海アリサに頼まれた。
彼女は何も知らずにこの話をカイエンに持ちかけたのだろうか。
いや、そんなことはない。カイエンの褐色の肌、強い訛りから、カイエンがこの地の生まれだという想像がついたのだろう。
それを踏まえて判断したのか。
まずは情報屋を探そうとした。
住宅地から四区ほど離れた場所に向かう。
子供の頃は、ごろつきやチンピラがうろついていることで有名で、決して近づいてはいけないと教えられた場所だった。
十分ほど歩き、その領域に足を踏み入れると、人の層が急激な変化を見せ始める。
胸がぱんぱんに膨れ上がった若者。頭を衣服で隠し、木の棒を手のひらで軽く叩きながらぶつぶつと呟きながら歩く者。
時おり死の色を纏う者の姿も見えたが、カイエンは気にすることもなく進んでいく。
木造のぼろい二階建ての建物が目的の場所だった。
扉を押して中に入ると、細い廊下の向こうにカウンターと丸テーブルの酒場のような作りの部屋が見えた。
廊下の壁には賞金首の紙が貼られ、奥のテーブルではごろつきの連中が固まって談笑をしたり、椅子に座ってゲームをしている姿が見えた。
その中の、カウンターで談笑をしている男達の中に入っていく。
「少しいいか」
そう言うと、周囲の視線が集まった。
「なんだい」
「仕事を探している」
「この国に仕事なんかないよ」
「なんでもやる。特に力には自信がある」
「あんちゃん、ここらの人間っぽいが、見慣れない顔だな」
「祖国に戻ってきたところだ。しばらくはこっちに暮らすことになった。だから仕事が欲しい」
カウンターの男はカイエンの体を上から下まで舐めるように見渡した。
「武器は使えるか?」
「一通りは」
「人を殺したことは?」
「ある」
そう言うと男はぴくりと反応を示した。
カイエンは体術と回復魔法以外の技能はほとんどないが、それでもそこらをうろついているごろつきの遥か上のところにいる。
男は険しい表情でカイエンを見る。
しばらくして、一切れの紙を渡してきた。
「明日からそこに行け。朝は七刻までに集合だ。絶対に遅れるんじゃねえぞ」
ありがたい、そう言って頭を下げ建物の外に出ていった。
誰かに尾行されている気配はなく、そのまま宿舎に戻った。
宿舎に戻ると日記を開いて、今日あったことを書き記していった。
翌朝、指定された場所に向かうと、白い岩石がむきだしの山が立ち並んでいた。
壁には綺麗に削り取られた穴があいており、地面を削った石で組み上げて作られた階段がその穴に続いていた。
そこから多くの労働者が行き来を繰り返している。
コッパドールの古い鉱山である。
コッパドールの鉱山では、天然の魔法石がとれる。
魔法石は魔法をほとんど知らない者であっても、魔法を使うことが可能になる道具だ。
魔法石を持った者が、使いたい魔法を願えば、魔法石はその魔法詠唱に必要となる自然界の要素を勝手に集め、持ち手は最後にただ詠唱を行うだけでいい。
鉱山で取れた魔法石は、魔法技術の弱い国では大きな需要がある。
魔法石は非戦闘兵を戦力に変えることが出来る道具なため、戦争時に魔法石を多く確保しておくことは大いに意味のあることなのである。
一方で、魔法石は使い切りの消耗品であり、魔法を使えば使うほどその石は次第に小さくなっていく。
魔法石はコッパドールの数少ない資源の一つである。
これほど貧しい国にも拘わらず、何百年も戦争が続いているのは魔法石があるためとも言える。
恐らくこの鉱山に対しても、ヤージャ商会といった死の商人の手が大きく伸びているのだろう。
カイエンは日雇いの労働者として雇われることとなった。
「とりあえずここで言われた通りに働いてみろ」
そう言われ仕事場についた。簡素な一枚布の作業服を着て、言われたように岩を掘って、滑車や荷台を使って採掘された石を運んでいた。
体術を主に扱うカイエンの基礎能力は、そこらの人とは比べものにならない。
例えることが出来るのはせいぜい最上位級の魔物位で、力は赤岩ドラゴンよりも強く、禽王ホークよりも速く、プラチナゴーレムよりも硬い体を持っている。
本気を出して働いてしまうと、百人分ぐらいの仕事を一日でしてしまいかねないので、一割程度の力で働き続けた。
カイエンはただ宿舎を寝床としてのみ使用し、それ以外の時間は鉱山で働き続けた。
鉱山は昼だけではなく夜も稼動していて、朝の九時、昼後の十五時、夜の二十一時、深夜の三時の六時間区切りで契約が更新されるようになっており、働き手の数は日によってまちまちだった。
五十人以上集まる日もあれば、二十人程度しか集まらない日もあった。
人の名前や人柄といった管理はほとんどされておらず、六時間おきに点呼を受けて、賃金として三日月の形をした金属のアクセサリを頂く。
それを街に戻って換金して初めて現金を得るのだ。
鉱山での役割は主に三種類だった。
掘る者。掘り出した物を外に運び出す者。
運び出した物から魔法石を分ける者だ。
大半は堀る者で、カイエンもそこに割り当てられた。
採掘場の奥に入っていくと、空気は乾いていき、換気は悪いので熱量がすさまじくなっていく。
作業員の全身には露ほどの汗が浮かびあがっており、岩石のような堅さの魔法石を金鋏や鶴嘴を使って砕いていくのだ。
作業自体は硬質の魔法石を砕いていくだけのもので、手を汚す作業ではなかったが、カイエンは取れたこの魔法石が結果的に誰かの命を落とさせているかもしれないということは常に心に留めていた。
人との交流は出来る限り避けていたが、日常を共にするため顔は嫌でも覚えていった。
仕事内容は過酷なために、労働者の目は次第に黒く落ちていき、体や心の強くない人間は現われる頻度が減っていく。
四日以上姿を見せなくなった人間はもう戻ってくることはなかった。
それでいて稼ぎは少なく、給料は食事を取るだけで手元にはほんの僅かな金が残るのみだった。
ある日の昼さがり、坑道に向かう時に町を通っていたときのことだった。
不快感を抱かせる匂いが鼻孔をついた。
カイエンは足を止め、その匂いの元に目線をやると、町の狭い裏路地にてたむろしている地元のヒッピー連中がいた。
カイエンは静かに連中に近づいていくと、存在に気づいた一人の若者が立ち上がった。
「何だおっさん」
「ここでアヘロを吸っていただろう。それを全部出せ」
「ああ、関係ないだろ」
若者が殴りかかろうとするが、その手首を掴んで地面に押さえつけた。それと同時に他の連中が立ちあがった。
「なんだ、テメェ、ぶっ殺しちまうぞ」
何人かが刃物を取りだした。
カイエンはその手首を狙い武器を落としながら、それぞれの部位に致命傷にならないように打撃を与えていく。
先ほどの連中は地面に倒れこみ、うめき声をあげるだけとなった。
刃物も相手がカイエンだからこそ何の問題もなかったが、もし相手が一般人だった場合はそうはいかないだろう。
カイエンは若者を上から見下ろしながら口を開いた。
「決して薬物には頼るな。人間として与えられた最後の尊厳までも捨てるつもりなのか」
「俺達は生まれた時から何もなく、人から奪うことしか学ばなかったんだ」
「それならば勝手にしろ。そのままゆっくりとのたれ死ねばいい」
「俺たちはどうすればいいんだ」
「素手の人間を相手に武器を持つな。ただそれだけは言っておこう。武器を持つのは強大な敵を相手にする時にしろ」
それだけを言うとカイエンは少年らが持っていたアヘロを集め、それを抱えて鉱山に向かっていった。
その後もカイエンは、ほぼ一日働いて数時間だけ睡眠を取って、再び働くという生活を繰り返した。
部屋の中で働き続けるので、一日の大半を太陽を見ずに過ごすことになったが、日付の感覚だけはしっかり持つようにした。
その中で、時おり人の視線を感じることがあった。
大抵は一時的な物なのだが、ある日を堺に常にその視線を感じるようになった。
その視線はこちらに近づいてきたり遠ざかったりを繰り返していた。
しかし、その視線を送る人物は見つからなかった。
仕事が終わるとそのまま帰路についた。
その途中で市街地を横切るのだが、夜であっても灯りはところどころにぽつんと佇ずむだけで、不気味なほどの静けさだった。
他国、例えば頓国では夜になると祇園街と呼ばれる通りには店舗ごとに提灯が立ち並び、明るさの下で酔いどれの商人が歌ったり談笑にこうじているのだ。
そこで外から来た商人が品物を売り、稼いだお金の一部が夜の街に還元されて国が富むのだという。
それでは何故、祖国コッパドールでは金の循環が起こらないのか。
富裕層と貧民層の格差が縮まらないのか。
それは簡単な原理で、ただ魔法石の利益が一部の人間によって占められているからだ。
鉱山によってもたらされた利益は決して少なくはないはずだ。
しかし、それらが賃金として下の人間に回らなければ、金は回らずに表面上は何も変わらない日々が続いていく。
利益を受け取る人間が、正しい配分を行わなくてはいけなかった。
しかし、それが現実の世界で起こることはほとんどない。
人の世が貧しければ貧しいほど、富を僅かな人間だけで占めようとするのだ。
人は苦しい生活を長く強いられると、その流れと戦おうとする者が現われ、それが人々の世に争いを生み出すのだ。
恐らく、この国で漂うという流れもその類のものだろう。
しかし、自然の流れではない。弱き者を戦いに向かせようと、人の心を操ろうとする死の商人の色が見え隠れしている。
カイエンの宿舎があるのは、街の中心から二キロルほど離れた郊外のスラムの地域で、そしてカイエンが幼少の頃を過ごした場所でもあった。
一度か二度歩き回ったことがあったが、嘗ての自分と被さるように目をぎらつかせた孤児が徒党を組んで歩く姿を見ると、懐かしさよりも苦しさの感情の方が上回り見るのは十分だと思ったのだ。
壁のところどころか剥がれ落ちた四角の建物に入っていく。
一階に四人、二階に三人が住んでいて、カイエンの部屋は二階の奥だった。
暗闇の中、階段を上ろうとすると、重なっただけの薄い板がぎしぎしと音を鳴らす。小さい部屋だ。
しかし、寝るだけには十分だ。
横になって薄い毛布を体にかける。
野犬の鳴き声が聞こえた。
どこかの死肉の臭いに引き寄せられているのだろう。
そのまま、意識をゆっくりと落としていく。