鞭使いのツンツン女勇者
四大都市の一つ、ララポート。四角の巨大な城壁に囲まれた城下町には十万以上の人が住んでいる。
半年前、そこでは国をあげての祭りが行われていた。
人々を悩み苦しめていた戦いは、なんと魔王側の全面降伏ということで終結した。
その期間は魔王が復活を宣言してから一年。
幾つもの国が消えていったという歴代の戦いの中では、信じられないほどの早さの収束であった。
魔王の全面降伏のあと、しばらくは国に住むほぼすべての人々は表に出て、踊り、歌い、酔っていたという。
彼らは朝から互いに抱擁し、喜びの声をあげ続け、神に感謝の言葉を捧げ、祭りが始まって数日が経過しても終わりを見せる気配は無かったのだという。
それから半年経ち、街はすっかり落ち着きを見せ始めていた。
人々の目の色は既に人の世の復興に向かっている。
それはこの街だけのことではなく、世界中で同じような状況だという。
そして、その国民的行事に遅れるように感情を爆発させる一人の男がいた。
宿屋の一室。カイエンはベットに籠もってうおんうおんと泣いている。
カイエンは一晩泣き続けていた。
どんな体の痛みをも耐えきる男だが、心の痛みだけはどうしようもない。
初め、その話を聞いたときはあまりのショックに膝の力が抜け、何とか肩肘だけで上体が倒れ込むのを堪えたが、やはり次の瞬間には体ごと崩れ落ちていた。
何かの誤報ではないかと思った。
もしくは魔物が偽りの降伏の形を取って、どこかで再び反撃してくるのではないか、そんなことも考えた。
しかし、魔物の大地に近いこのララポートで状況を調べれば調べるほど魔王軍の降伏は間違いないことなのが分かった。
魔物の武器は片っ端から押収してこちらの国に運び込んでいるし、大洞窟や魔物の城といった敵の主要拠点も完全に抑えられている。
そして、魔王自身には四人の勇者の一人、賢者フィーナスタシアによって力を限界まで封じ込める禁術がかけられているのだという。
本来ならばこれは喜ぶ出来事なのだろう。
しかし、カイエンにとってはあまりにショックが大きかった。
何のために自分は四人の勇者に選ばれたのだ。
誰もが出来ないことを成す為に自分は選ばれたのではないのか。
そして、そんなことを考え出すと、今までの人生が走馬燈のように流れ溢れてきた。
そうすると、再び涙がこぼれ落ちてくる。
すると今度は言葉が出るのを抑えようと思っても、慟哭が止まらなくなるのだ。
「うぉーっ、うぉーんうぉーんうぉーん」
「あんた、あの角部屋の人大丈夫かい」
「まあ、何か事情があるんだろうよ。男があれだけ泣くってのはよっぽどのことがあったんだろうよ。放っておきな」
それから四日経ち、目の周りを蜂で刺されたのかと思うほどに真っ赤にさせたカイエンがもそもそと部屋から出てきた。
宿代を払い、宿の外に出る。
カーテンで閉め切った部屋にしばらく籠もっていたので、太陽の光をみるのは久々のことだった。
ただ、その眩しい光ですらも、カイエンの閉じた心を照らすことはなかった。
カイエンは静かに、それでも確かな足取りで城下町の外に出て行った。
カイエンは平原の移動を続ける。
以前は、移動の際に出会うのはだいたい魔物の大陸に向かおうとする人の軍だったのだが、今は商人の馬車をちらほらと見かけた。
三日ほど徒歩で移動を続け、中規模の城下町にたどり着いた。
人々にある屋敷の場所を尋ね、その答えを聞くと、感謝の言葉だけを述べてそこに向かっていった。
カイエンが辿り着いたのは大きな屋敷だった。
四方を白い壁に囲まれ、その先っぽから瓦屋根の大きな屋敷が顔を覗かせていた。
屋敷へと続く道ではこの街に偶然立ち寄ったのであろう商人らが好奇心から雑談をしながらその建物を見ている。
シスターがその家に向かって膝を地面につき、感謝の祈りのようなものを唱えている。
献花をする人々。
老若男女問わず様々な人々がその建物に対して、畏敬の念を払っているのが見てとれた。
カイエンはその建物の周りをぐるりと一周して、迷うことなくその正門に向かった。
それまでもこの建物の周りは異様な空気が立ちこめていたが、正門はそれを上回る熱がわき上がっている。
人々の群れが出来ているのだ。
貴族、商人、兵士。
それらが門番に対して、何とかならないのかと同時に話しかけている。
この光景は今日始まったことではなく、ずっと続いているのだろう。
カイエンは気配を消して、彼らの僅かな隙間をすり抜け、ゆっくりと前に出て行った。
門番はカイエンと変わらない身長で、歳も同じぐらいの男だった。
門番は横にした棒を前に突き出して、囲む人々を追い返そうとしている。
カイエンはただ待っていた。
そして、門番がふとカイエンの方に視線を合わせたのとほとんど同時に二歩前に出ていた。
「何だ」
「鞭聖リコッテに会いたい」
門番の男は眉を少しだけひそめ、カイエンの方を見る。
「謁見の許可証は持っているのか?」
「なんだそれは」
分からなかったので正直に答えたら、門番の男はまたかという表情を浮かべた。
「リコッテ様の謁見の希望者か」
「そうだ」
「ならば申請手順があるから、それに従ってくれればいい」
「それをすれば、リコッテに会えるのか」
「今すぐは無理だ。予約は半年待ちになっている」
「半年だと。そんなに長いのか」
「それはそうだろう。鞭聖リコッテ様は魔王を倒された四人、いや三人の勇者の一人なのだぞ。その御姿を一目でも拝見しようと様々な国や貴族、大商人から絶えず話が持ちかけられているのだ」
今、目の前でさらりと傷つくようなことを言われた気がするが、事実なので何も言いようがない。
そうか、勇者に会うためには謁見を待たないといけないのか。
どうするかを考えていると、他の者達が割り込んで言葉をまくしたてていく。
隣に立っていた貴族がどうしても会えないのかと懇願し、国の使者だと言う男も国王が是非会いたいと言っておられるのですと声をあげ、商人も急ぎの商談の話を持ちかけていた。
にわかに門前はがやがや騒がしくなり始めた。
何とか押しいろうとする人々を相手に、門番の男は駄目だ無理だを連呼する。
ずっとこんなことが続いているのだろう。
彼の苦労も理解出来る。
このほんの壁一つを跨いだ先に会いたい人物がいる。
今も彼女はこの屋敷の中で誰かと会っているのだろう。
そう思い壁を見直した。
高さでいうと三メルトルはありそうだが、十分に飛び越えられる距離ではある。
夜にでも侵入するしかないのか。
屋敷の中に入って気配を放てば、リコッテだけを気付かせることは出来るだろう。
そう思いながらも、出来る限りことを荒立てたくないという思いもある。
その間も門番の男は首を横に振って駄目だ駄目だを連呼していた。
それを見て、一言だけだ。
そう思った。
それで駄目だったら侵入するしかない。
最後に一言だけ残すことにした。
「なら、リコッテにたった一言だけ伝えて欲しい。それで駄目だったら半年待とう」
門番の男は怪訝そうな表情でカイエンを見る。
それが、やがて何ださっさと言えという目の色に変わっていく。
「残り一人の勇者が来たと伝えてくれ」
百人は入れそうな広間だった。
地面には藁を細かく縫い合わせた敷物が置かれており、広間からは大きな池が見える庭園が見渡せた。
泉には赤黄の魚が泳いでいた。
池には渡るための三日月の橋が掛けられていた。
元々、名門の家柄なのだろう。
待った時間はそれほど長くはなかった。
ふと、この家に不釣り合いな敵意の塊のような物が、部屋の向こうからこちらに近づいてくるのを感じた。
扉が横に開かれ、現れたのは一人の女性だった。
髪と目は黒と金色が混じり、歳はカイエンより僅かに下か。
ひきしまった体で、確か着物と呼ぶらしい民族衣装を纏い神秘的な雰囲気をかもしだしていた。
アーモンドのような瞳に、小ぶりな鼻と口が魅力を添えていた。そして、腰にはその服装に似つかわしくない物が束ねられていた。
鞭である。
伸ばせば四、五メルトルにも届くであろう緑色の皮は、何重にも重ねられ地面にかすらない程度の長さに調整されている。
本来彼女は弓の勇者のはずだが、鞭を主武器として操り、レイピアや槍といった武器も使うという噂は聞いたことがあった。
そして、その強さは今まで見てきた人間とは、比べものにならないぐらいの物だということも分かった。
「信じられない話ね」
リコッテは吐き捨てるに言った。
つぶらな目に尋常ではないほどの敵意の色が灯った瞬間、カイエンの体も自然と反応してしまいそうになるほどだ。
「本当に申し訳ない」
カイエンは頭を下げた。
何度謝ったとしても許されることではないのは分かっていたが、それでもそう言わざるを得なかった。
「頭を下げられても困るわ。というよりもどんな言葉をかけられても許すつもりじゃないけども」
「ああ。もちろん分かっている」
「何、最後の一人って生きていたのね。もう死んでいるんじゃないかとか、あたし達はひょっとして元々三人だったのかとか色々思いながら戦っていたのに、まさか戦いが終わった後になって現れるとはね」
リコッテは座ろうともしなかった。
早く話を終わらせたい。
そんな気持ちで一杯なのだろう。
「何で今更のこのこ出て来る気になったの。まさか、手柄を分けて欲しい、なんて言い出さないわよね。そんなこと言われたらさすがに温厚なあたしも殺しちゃうかもしれないわ」
「そんなつもりは毛頭ない。ただ、謝るべきだと思った」
そう言ってもう一度頭を下げる。
何を言っても感情を逆なでするだけだろうが、そうするしかなかった。
「何、あなたは今までいったいどこにいたの? 魔王と戦うことや死が怖くて隠れていたの?」
「何を言ったとしても言い訳になるが、そんなことはないとだけは言っておく」
ここで魔王を一人で倒すつもりだった、などと言えば火に油を注ぐような結果しかないだろう。
それでも、生きることの苦しみを誰よりも味わってきた。
おおよそ、どれほど極めし者でも絶対に耐えられない修練を乗り越えてきた。
リコッテはカイエンの足元から頭まで目線を動かし、少しだけ眉をひそめた。
恐らく、カイエンの強さを理解出来たのだろう。
鞭を自由自在に操り、群れをなした魔物をも一撃でほふることが出来ると言われる鞭聖リコッテ。
「何なの、あんた、一体何なのよ」
「すまない」
リコッテは体を震わせている。
そこからは、もしカイエンがいたとすればどれほど戦いが楽になったのであろうかという悔しさや、死ななくてよかった人間がいたのかもしれない悲しみ、様々な感情を読みとることが出来た。
しかし、喜びの感情だけは感じることが出来なかった。
リコッテはようやく地面に腰掛けた。
育ちのよさだろうか、怒りに包まれていてもその気品あるたたずまいは失われていない。
それを見て、カイエンは一人の女性を思い出した。
「何の用もないのにわざわざやってきた訳じゃないんでしょう。さっさと用件を話して、そしてとっととあたしの前から消えて」
カイエンは分かったと言った。
そして言葉をしぼり出していく。
「何故、こんな短期間で魔王を倒せた。いや、正確には倒したわけではないのだろうが、降伏させることが出来たのか」
歴代の勇者とて、魔物の大陸に入り一回で魔王を倒して帰ってきたわけではない。
傷ついては人間界に戻ってきて、傷の治療をし、足りなかった物資を補い、再び魔物の大地に挑むのだ。
その過程の中で、成長を繰り返し、新しい武器を手に入れ、遂には魔王の大地の深部にある魔王城に辿りつき、魔王と直接決戦を行うのだ。
それを今回は、勇者が一人欠けた状態にもかかわらずこの速度で事態を収束させた。
何かあるに違いないと思わずにはいられないのだ。
「特別なことは何もないわ。ただ、今回は今までの魔王との戦いの中で、一番下準備をしていたのよ。魔王が現れる前から、人々の軍は共同で訓練を行い、食料を蓄え、魔王が現れたと同時に人類共同軍を結成した。まあ、魔王の登場は人が暦から予想していたよりも十年近く遅れていたから、色々な食い違いはあったのだけども」
人類共同軍。
各国の精鋭で構成された部隊。
そんなものが存在することは聞いたことがあった。
しかし、実際にそんなことが可能だとは思えなかった。
何故なら、例え魔物と戦っていようと、各国は互いに牽制しあうはずである。
出来るだけ前線で戦わないようにしたり、ライバル国の兵を出来るだけ減らすようにしたり、人の間でも様々な駆け引きがあるはずで、人々の軍を一つにまとめることは極めて難しいことなのだ。
実際、四百年前の戦いでは人の共同軍は互いに足を引っ張り合い、ほとんど勇者の助けになっていはいなかったはずだ。
「誰が、共同軍の取りまとめを行ったのだ」
「・・・・・・本当に戦いのことを何も知らないのね、頓国の将軍である天海アリサ様よ」
「女、なのか」
「そうよ」
それはカイエンにとって信じられない話だった。
頓国は一日二百キロルを駆けるという騎馬兵を率いる人類最大の軍事大国である。
しかし、天海アリサという人物は聞いたことがなかった。
確か頓国には東源という歴史書に載るような大元帥がいたはずだが、それを差し置いての抜擢なのか。
「一体、何者だ」
「天海アリサ様は、東源元帥の孫娘よ」
「孫娘だと? 東源元帥は戦いには出なかったのか?」
「戦い自体には出たけども、主要な戦いには出てないわ。そもそも東源元帥は十年前に魔王が現れることを前提とした総指揮官よ。年齢の問題もあって、今回は後方からの支援に専念していたわ」
「先ほど孫娘と言わなかったか。天海アリサは歳はいくつなんだ」
「十七よ」
その言葉を聞いて、カイエンの全身に雷のような衝撃が走った。
まさか、それほどの若さとは露ほどにも思っていなかったのだ。
信じられなかった。
およそ、半生を動乱の中に身を置き、その中で十数年生きた人間が出来る限界を知っていたつもりだった。
それは例え伝説の勇者であってもだ。
カイエンの興味は、この戦いをこれほどにまで早く終結させた少女に向いていた。
「その人物に会いたい」
そう呟いていた。
魔王を打ち破った、頓の将軍という人物。
一体何者なのか。
「勝手に会いにいけばいいじゃない。あたしに会いに来たときみたいに、残り一人の勇者が来たと言えば、会ってくれるんじゃないの」
リコッテはそう冷たく言い放った。
魔王を打ち破った頓の軍人ともあれば、会うことの困難さは、リコッテよりも上であろう。
しかし、リコッテは紹介状といったものを書いてくれるつもりは毛頭ないらしい。
カイエンは分かったと言って、ゆっくりと立ち上がった。
「俺が犯した罪は、必ず生きて返すつもりだ」
「勝手にしなさい。けども、どんなことをしようと、あたしはあなたを許すつもりはないから」
そう言われた。カイエンは何も言わずにその場を静かに立ち去っていった。
~ 七年前 ~
寒さが肌に刺さり、息が白くなっていた。
ぼろの布切れを纏っただけの子供達が、木箱の上に立ち並んでいた。
体はかちかちと震え、それでも動くことは許されない。
首と両腕には木の枷がはめられ、足は鉄の鎖で繋がれて体の自由はほとんどきかなかった。
手や足からは血がにじんでいる。
「ええ、奴隷奴隷、奴隷はいりませんかあ。労働、性処理、実験、身代わり、何でも出来ますよお」
男が声をあげて通りすがりの人々の関心をひこうとしていた。
時たま、毛皮を被った男がやってきて、男と値段の交渉をしたりしている。
箱の上に並ぶ子供は皆、目の焦点は合っていない。
彼らは皆、奴隷商人に捕まった子供達である。
国が内紛で秩序がばらばらになっているのをいいことに、悪徳商人が目をつけた子供をさらっていくのである。
顔立ちが整っていたり、体格がしっかりしたり、大人しそうな子供は需要があるのだ。
最初に子供たちは小さな闘技場のようなところをぐるぐると歩き回っては、金持ちの客によって落札される。
それで買い手がつかない場合はこのように街で叩き売りにされる。
それでも買われない場合はまとめて施設に引き取られる。
施設といっても、そこは化学兵器のための人体実験を行い、捨て兵を育てるための専門の組織で、そこに入れば間違いなく命はないと言われていた。
その中に、後の四人の勇者の一人になる拳王カイエンが立っていた。
いずれはこの世界で最高の戦闘力を保持する彼も、この時はまだ子供である。
大人に対して何の抵抗も出来ずにいるだけだった。
寒さに手足の感覚がなくなってきている。
定期的に指を動かそうとするが、正しく動いているのかは分からなかった。
この子達は先のことは分からない。
人体実験に使われるかもしれなかった。
買われて手足を切り落とされて乞食にされるかもしれなかった。
戦争の前線に立たされて捨て兵として戦わないといけないかもしれなかった。
ただ、共通していることは、この子達に未来はないということだった。
しかし、この絶望の中でも、カイエンの目は強く輝いていた。
希望を失ってはいなかった。必ずこの暮らしから抜け出して見せる。
そんな意志が彼をふるい立たせていたのだ。
再会を誓った人がいる。
そして、組織に復讐しなくてはいけない。
カイエンはまだ勇者としての自覚もない頃だったが、この逆境の状況の中ですら目に力強い炎を燃やしていた。
(リト、必ず助けにいく)
カイエンは心の中でそう呟いた。