プロローグ
今よりも遥か昔のこと。大地はまだ人のものではなく、神々の余韻が世界のいたるところに散らばっていた神話の時代。
人々が暮らすこの地エフテルに、突如災いをもたらす者が現れた。
それは次々と人々の領地に入ってきては殺戮を繰り返し、人々が神々から頂き何代にも渡って広げた田畑や家を死の大地に変えていった。
人々はそれらを魔物と呼んだ。人々は武器を手に取って魔物に抵抗を試みるものの、人を遥かに上回る膂力を持つ魔物には為すべもなく、逃げて行こうとする者達も食い殺されていった。
魔物はただ人々に恐怖を植え付けていった。
何年が経過しても、魔物の侵略は一向に収まる気配がなかった。
人々は途方に暮れ、ただ絶望の中にいた。
その時、変化が訪れた。
どこからともなく、四人の者達が街に現れた。
彼らは人々が今まで見たことのないような武器や魔法を操り、侵攻してきた魔物を打ち破っていった。
四人の者達は、人の地に入ってきた魔物をあっという間に駆逐し、そのまま魔物の大地に入っていく。
人々はただ彼らの勝利を祈りながら、彼らの帰還を願った。
それから、数え切れないほどの季節が経過し、四人の者達は再び人の大地に生還した。
四人の者達は言った。
魔物の総帥である魔王は我々が倒したと。
人々はそれを聞き歓喜し、彼らのことを伝説の勇者と呼んだ。
しかし、彼らは言葉を続けた。
何百年もすれば魔王は蘇り、再び魔物の集団をまとめて人の世に攻めてくるであろうと。
人々は勇者に問うた。我々はどうしていけばいいのか。
勇者は神妙な面持ちのまま、静かに答えた。
魔王が復活する時、また我々も人の世に現れると。
姿形は違えど、それぞれの英霊の魂が人間に宿り、蘇るであろうと。
前途の話は、今から六百年前、覇王ラカシャンが楊環という文官に纏めさせた最古の歴史書「天地創造」からの抜粋である。
「天地創造」には、この世界エフテルが誕生した時から、ラカシャンが生きた六百年前までのすべての出来事が記録されている。
そして、この世界に住む人間ならば、誰しもが幼少の頃にこの勇者の物語を聞かされ、彼らに憧れや尊敬の念を覚えるのだ。
頓国の帝都は、それぞれが五キロルの長さの六角形状に広がる城壁によって囲まれている。
その町並みは碁盤のような並びになっており、それぞれ縦と横の通りには風水によって導かれた名称が付けられている。
城下町の中央北側には、内堀を川で囲まれた議事堂がある。
広大な庭と、大きな屋敷が立ち並んでおり、それぞれが税務や法務を担当する部門になっている。
毎日、文官はそこに集まり、政治の方策などを決めていく。
軍人の国である頓国は職業軍人を多く抱えながら、他国からの資金援助を受けながら国を運営させているので、支出の書類が毎日山のように送られてくるのである。
中にはきな臭い書類も含まれており、文官は険しい表情で一枚一枚巻物に目を通している。
その建物から離れ、東の方に目を向けると一際目立つ大通りがある。
そこは先ほどの堅苦しい雰囲気とはまるで違い、活気溢れる声が飛び交っている。
揚羽通りと呼ばれる、交易の道である。
ここでは日々、商人達が敷物を道に並べ、その上に腰を降ろして骨董品や貴金属を並べ路上市場を行っている。
品揃えは北国の器から南国の絨毯まで色彩豊かで、今日も旅の途中で通りすがった商人が、何かいい品が入ってないかと往来を行き来していた。
その中に、品の目利きなど全く出来そうにない、場違いの空気を醸し出している金髪の少女が、一枚の版画に興味を奪われているようだった。
奇妙な絵であった。右側には悪魔や死神、鬼といった百鬼夜行の光景が描かれており、その中央にひときわ大きな影が浮かび上がっている。
そして、それらに向かい合うように竹槍や矢を持った人々が群がっている。
「これは、一体何の絵かの」
少女が尋ねると商人は少しばかり視線をさげる。
その身なりから相手にすべきかどうかを考えたが、それでも職業柄か勝手に口が動いていた。
「ああ、これは初代勇者と魔王が戦ったときの絵だよ」
「勇者と魔王……」
「そうさ。俺は流れ商人でね。今まで旅をしながら、趣味で初代勇者に纏わる物を集めているんだ」
よく見ると絵の左側で四つの光が小さく輝いており、それぞれが人型をしているようにも見えるがこれが勇者なのだろうか。
言われてみれば、それぞれの右手には剣や弓や槍のようなものが握られているようにも見える。
「そうか。いや、何もないわ」
そう言って立ち去ろうとすると、商人は少女を引き止めようとする。
「なんだいなんだい、ちょっと待ってくれよ、食いついて来たかと思ったらすぐに興味をなくして」
「いやあ、ちょっと用事を思い出してのう」
「さっきはそんなこと一言も言ってなかったじゃないか」
「買い物を頼まれていたことをすっかり忘れておったわ」
「なんだい、つれない客だなあ」
少女は静かにその場を立ち去っていった。
少女は顔を下に向けていたので、その表情はよく見えなかった。
しかし、髪の隙間から覗いた口元は歪んでおり、時おり唇を噛むような仕草が見えた。
少女が何故、このような態度を取ったのか。それはこの国にいる誰も理解出来ないことだった。
だから、少女はその表情を誰にも見せないようにしたのだ。
人の世の最古の歴史書である「天地創造」は、序盤こそ世界の創造神が現れ、神々が大地を作り上げ、一匹の龍と伝説の皇帝が初代王朝を建国するといった話があるのだが、多くの考古学者はそういった物語は存在しなかっただろうと考えている。
その中で、前述の勇者と魔王の戦いは、今から千二百年ほど前に起こった史実であろうと言われており、その理由は至極簡単なものだった。
魔王も四人の勇者も、実際に蘇ったからだ。
八百年前と四百年前にそれぞれ魔王は蘇った。
二度とも四人の勇者によって封印されており、その周期から三度目の復活が近いのではないかと言われていた。
そして、今から十二年前に天道を司る大聖人によって、天体に一際激しい輝きを発する龍亟星の姿が目撃される。
これは、魔王が復活する際に起きる天道の変化で、輪廻道と畜生道の間に滅びを指す死星が描かれるのである。
それを以て、人々は魔王との戦いに備え始める。
過去にあった二度の戦いから、魔物の進行ルートになった場所には防波壁が建築され、麦や穀物は前線にある主要拠点に蓄えこまれ、各国から精鋭が集め共同訓練を行った。
そして、魔王は大聖人が予見したよりも約十年近く遅れる形で現れることとなる。
魔王は自らをローザロッテと名乗り、人々は軍を集めて対峙する形をとった。
それを追うように、四人の勇者も復活する。