Chapter51 レイラがついた嘘
ーーまた夢をみた。
聞こえる海の音と空から降り注ぐ銀色の光。
懐かしい声が聞かせてくれた話。
私は言ったんだ。もう答えは決まっていると。すると声は答えた。決めるのは全てが終わった後でいい。
その言葉に確かに頷いたんだ。
***
瑠璃ははっと目を開けた。随分時間が経った気がする。布団を剝ぐと少し肌寒い。丸い窓から柔らかな日差しが差し込んで、布団から舞い上がった埃がちらちらと光っていた。
「瑠璃、起きたのね。」
声が聞こえた方を見るとレイラがいた。幾つものベッドが置かれている大きな部屋だ。瑠璃の寝ている向かい側のベットにレイラは座っていた。
「レイラ……ここは?」
「船の中よ。貿易用の船だから、ダリラドールに行く時に乗った船ほど豪華ではないけど。瑠璃に言われた通り、雲の要塞の方角に向かってるわ。」
瑠璃はレイラの言葉にほっと息をついた。シルフよりも先にアトランティスに着くことができる可能性があるかと思うと、少し不安が和らいだ。
「ありがとう、レイラ。船用意してくれてたんだね。ごめんね、私が頼んだのに寝ちゃってて。」
あの後、レイラとともに城を出て、それから港に着いて、そこから先の記憶がない。恐らくそのあたりで眠気に耐えきれなくなってしまったのだろう。
「仕方ないわ。疲れていたんでしょう。
急いでもらってはいるけど、アトランティスに着くにはあと二日はかかるそうよ。着くのはちょうど夜。月が昇る頃ね。」
月、かと瑠璃は思う。月という言葉を聞くとシルフのことが頭に浮かんだ。
「今バルツを呼ぶわ。瑠璃があの男の子に攫われて以来、バルツは本当に瑠璃のこと、心配してたのよ。」
私もだけどね、とレイラは笑って付け加えた。それからレイラは部屋を出て行った。
部屋から出ていったレイラの足音が小さくなっていく。
誰もいなくなった部屋の中で瑠璃はシルフについて思いを巡らせていた。
シルフは本気で人間を消すつもりだ。恐らく瑠璃自身が消されることはない。しかしレイラもバルツもいなくなってしまう。それを想像しただけで胸を締め付けられるような悲しみが湧いてきた。
けれど人のせいで親を失い、子を失った動物がいる。自分自身が殺されそうになった動物がいる。産まれる、死ぬ、利用する、殺す、途方もない命のやりとりに答えなどあるのだろうか。
大きな足音が近づいてきたと思うと、扉が勢いよく開けられた。扉を開けたバルツは瑠璃の顔を見た瞬間破顔した。
「瑠璃、よかった! ほんとに心配したんだぜ。」
「バルツ! 心配かけてごめんね。」
瑠璃がいうとバルツはへへっ、と嬉しそうに笑った。
「久々に会えたと思ったら寝てるしよぉ〜。どこも怪我とかしてねぇか?」
「うん。力を使いすぎて眠たかっただけだから。」
バルツの明るい声は暗い気分を紛らわせてくれる。瑠璃もバルツの笑顔につられて微笑んだ。
「……瑠璃もバルツも聞いてくれる? この前した私の話のつづき。」
後ろ手で扉を閉めながらレイラが言った。
「あっ、あの今度話すって言ってた話?」
バルツもあの話か、と頷いている。
「レイラは瑠璃に謝りたいんだろ? 話しにくいことなら俺は出とくぜ。」
罰が悪そうな顔でバルツが言う。それにレイラは即答した。
「いいえ。バルツも聞いて。貴方も天使を追うこの旅の仲間だから。」
バルツはお前が気にしないならいいけど、と言ってベットの上にあぐらをかいて座った。
レイラも瑠璃の前にあるベットまで歩いてくると再びその縁に腰掛けた。
「瑠璃、私はあなたに謝らなければならないことがあるの。」
瑠璃の方を見つめるレイラは深刻な顔をしていた。
瑠璃は少しの間考えて、すぐにそれに思い当たった。
「もしかしてチェリアっていう嘘の名前を使っていたこと? そんなこと、全然気にしてないよ。
レイラはお姫様だから身分を明かせない事情があったんだろうし。」
瑠璃は相当な確信をもって言ったが、レイラの表情は変わらない。むしろ先よりも申し訳なさそうな顔になった。
「もちろん偽名を使っていたこともあなたに申し訳なく思ってる。けれど、私はそんなことよりも、もっとひどいことをあなたにしたの。」
レイラはそこで言葉を切った。少し瞳を揺らしたが、やがて覚悟を決めたように口を開いた。
「……私、知ってたわ。
あなたが天使だってこと。それに、シルフが天使だってことも。」
「…………えっ?」
瑠璃は耳を疑った。驚きのあまり何の言葉も出てこない。
しばらく部屋は沈黙に包まれたが、一番先に口を開いたのはバルツだった。
「えっ? ……はっ?
おっ、おいレイラ! どういうことだよ?
だって、それがわかってれば瑠璃はもっと早く元の世界に帰れたんじゃねぇのかよ。」
レイラは俯いていた。
「……ええ。貴方のいう通りよ。けれど私は瑠璃にしてもらいたいことがあった。だから黙ってたの。そしてこの世界にいてもらおうとした。」
「そんなのひでぇじゃねぇか! 瑠璃は元の世界に帰りたいってずっと思ってきてたんだろ!」
バルツはいつの間にか、立ち上がってレイラを見下ろしていた。瑠璃は剣呑な雰囲気を感じて、慌てて言葉を紡いだ。
「待って! バルツ。
レイラ。どういうことなの?きちんと聞かせて欲しい。」
瑠璃はレイラの方を見た。レイラは顔を上げたが、瑠璃と目を合わそうとはしなかった。
「貴方がこの世界に来る前から、私は貴方を利用しようとしていたの。
……瑠璃はおかしいと思わなかった? 訪れの森で貴方と出会った時、あまり人が来ない場所だと言いながらそこに私が居合わせたこと。しかも、ちょうど貴方が現れたそのときに。
あれは決して偶然の出来事ではなかったの。」
言われてみればレイラの言う通りだ。この世界に来たばかりの時は、気が動転していてそんなことには考えが至らなかったが、今冷静になって考えてみると少し奇妙な話だ。
訪れの森がどういう場所か、瑠璃には未だによくわからないが、あまり人の来ない場所なのであれば、ちょうど瑠璃がこの世界に来た時に人が居合わせるということ自体、確率の低いことなのではないだろうか。しかし実際、レイラは瑠璃がこの世界に来た時、ちょうどその場にいた。
「もしかしてレイラはずっとあの森にいたの?」
「ええ。ずっと、と言えるかはわからないけれど城を出てからは殆どの時間、あの森にいたわ。
城から逃げ出して、北の大陸を抜けてあの森を目指したの。瑠璃色の天使は異界から訪れると聞いて、それで瑠璃色の天使が降り立つのはあの森しかないって思った。グラスラードで食料を調達しながらオムを置いてそこで暮らしていたわ。」
「そう……なんだ。」
レイラは瑠璃に深く頭を下げた。
「……本当に自分勝手でごめんなさい。それを私がすぐに話していれば、あなたはもっと早く自分の世界に戻れたかもしれないのに。
あなたが帰ってしまったら、お父様を止めることは不可能になる。そう思うと、どうしても、言い出せなかったの。」
レイラの話を聞いて瑠璃は複雑な気持ちでいた。なぜ本当のことを言ってくれなかったのか、という怒りや出会ってからずっと嘘をつかれていたということへの悲しみ。色々な感情が湧きあがってきていた。
それでも、これまでのことを思い出すと一番に浮かんでくるのはレイラに対する感謝の気持ちだった。
「レイラが嘘ついてたこと、本当にびっくりしたし、本当のこと、話してほしかったって気持ちもある。
……でも、レイラはお父さんを守りたかっただけだよね? 私、昨日はとても眠たくて何も考えられなかったけど、今考えるとレイラがお父さんときちんと話せて本当に良かった、って思う。レイラにとって私に会おうとした理由がどんなことでも、私、レイラの役に立てたのなら素直に嬉しいよ。」
それにレイラに会えてよかったって思うからから、と付け加えた。言葉にすると少し恥ずかしいが、紛れもなく瑠璃の本心だった。
レイラは信じられない、という表情をしている。
「……瑠璃。わかっているの?
私、貴方を騙していたのよ? 善人を装って助けたふりをして、貴方を利用しようといていたのよ? それなのに……そんな私を許すの?」
瑠璃は何も答えなかった。ただ頷いて、そっとレイラを抱きしめた。
この世界に来たばかりの時、レイラが瑠璃にしてくれたように。
あの時どれほど嬉しかったか、安心したか、今でもはっきりと思い出せる。レイラにどんな思惑があったにせよ、自分がただ感謝していることをレイラに伝えたかった。
「ごめん……本当に、ごめんなさい。」
レイラは何度も何度も謝罪の言葉を繰り返していた。瑠璃も何度も頷いてそれに答えた。
「……なぁ、レイラが瑠璃にしてほしかったことって、ロレシアのことか?」
暫く黙っていたバルツが唐突に口を開いた。
「ええ。その通りよ。まぁ、銀色の天使が私がしようとしていたことと同じことを先にやってくれたみたいだけど。」
瑠璃はレイラからすっと離れた。バルツの様子を伺うが、先ほどのような危うい雰囲気はもう感じられなかった。
「でもお前、ロレシアの第一皇女だろ? だったらなんで自分の国を滅ぼすような真似しようとしたんだよ?」
「……とても悩んだわ。ロレシアのスフィアをなくせば、同時にロレシアは自国を守るための軍事力を失う。もう事が起きた後だから、お父様に任せるしかないけれど、これから……ロレシアが滅んでしまう可能性も十分にあるわ。
それでも、私はお父様を止めたかったの。お父様はとても臆病になられていたのよ。自分たちが確実に安全でいたいと思えば、それだけ攻撃の対象は広がるもの。私はこれ以上お父様や、ロレシアの兵が他国の人を傷つけるのを、止めたかったのよ。」
ふーん、とバルツが相槌を打つ。
「レイラはどこで天使のことを知ったの?」
バルツに続いて瑠璃もレイラに質問した。
「古い書物よ。私たちの国ではずっと大切に伝えられてきた話。
ロレシアでは伝統を大切にするという風習があって、先人の残した本、教え、そういうものはどんな些細なことでも大切に語り継ぐの。そしてその中に天使の話も含まれていた。
……その話を聞いたゼナティスが本当に銀色の天使を見つけ出したりしなければ、ただのおとぎ話で終わっていたはずだったんだけどね。」
「やっぱり……ゼナティスっていう国がシルフを捕まえていたってこと? そしてロレシアがシルフの残したスフィアを手に入れた。」
瑠璃はレイラに確認するようにゆっくりと話した。シルフとゼナティスのつながりについて、あまり詮索してはいけないとは思ったが、審判を前にして、シルフのことをよく理解しておきたいという気持ちのほうが瑠璃の中では勝っていた。
「あの子が捕まっていたこと、知っていたのね。その通りよ。」
「でも、だとしたらゼナティスって国はどうしたの?」
瑠璃はずっと心の中に抱いていた疑問をぶつけた。
シルフはロレシアは残ったものを拾っただけだ、と言っていた。その話を聞いて以来、瑠璃はなぜスフィアが残されたままにされていたのか、不思議に思っていた。スフィアは戦いに使うことができるもので、売ればお金得ることもできる。普通の人であれば、スフィアを何にも使わず、残したままにする、ということはしないだろう。
瑠璃の質問に、バルツとレイラは顔を合わせた。まるでどっちが先にその質問に答えるか、考えあぐねているかのようだった。
「ゼナティスは滅んだわ。」
ややあって、レイラが瑠璃の質問に答えた。
「えっ、どうして?」
瑠璃が尋ねるとレイラは困ったような顔をした。
「私も詳しいことはわからないけど、7年前、ゼナティス城で大火事が起こったの。深夜に起こった火事で、王も官僚も死んでゼナティスは国の要を失った。そしてゼナティスはいくつもの小国に分裂していった。
城につながる塔も焼けていたそうだから、私は幼心にその時の火事で銀色の天使も亡くなったのだと思っていたの。けれど彼は生きていた。」
「シルフはテレポートで逃げられたんじゃ……あれ、どうして城の人たち、テレポートとかで逃げなかったのかな?」
言いかけて瑠璃ははっとした。普通、城の兵というものは、昨日ロレシアの兵たちがやろうとしていたように、まず王を逃がそうとするのではないだろうか。ゼナティスはスフィアを豊富に持っていた国だ。テレポートの使い手は城の中にいくらでもいただろう。それなのにレイラはゼナティスの王は死んだという。
「そう。それは誰もが思ったことよ。でも真相はわからなかった。」
バルツもレイラの言葉に頷いて言った。
「すんげえ不気味な事件だったんだよ。まぁ当時最大と言ってもいいほどの強い国が滅びたんだ。話題になったし、色んなことが言われてたけど、実際にはよくわかんねぇよ。」
話を聞きながら、瑠璃の頭の中にはこの火事を起こしたのはシルフなのではないか、という考えが浮かんでいたが、瑠璃はすぐにその考えを否定した。シルフは、昔は自分が天使であることさえ知らなかったと言っていた。それに当時のシルフは8歳の子供だ。シルフが起こした火事と考えるよりも、ゼナティスに恨みを持つ国の仕業と考えるほうがずっと現実的だろうと思い直した。
「ゼナティスは城の地下にある倉庫にスフィアを隠していたの。そのことはロレシアの王、つまりお父様だけが知らされていた。ロレシアとゼナティスは昔から仲のいい国だったの。ゼナティス王の妃がお父様の妹だったくらいにね。」
「だからロレシアはゼナティスの残したスフィアを手に入れられたんだ。」
「そう。ただそこにも奇妙な点はあったの。
ゼナティスはとても几帳面な国でね、地下に保存していたスフィアを書面できちんと管理していたの。でも、ロレシアがゼナティスの地下倉庫に入った時、スフィアを入れた箱が書面の記載と比べて一つだけ足りなかったらしいの。私たちは、ただのゼナティス側の数え間違いということで納得せざるを得なかったけれど。」
「えっ、盗まれたとは考えなかったの?」
「普通、スフィアがたくさん置かれた地下倉庫なんて見つけたら、できるだけ多くのスフィアを持ち出そうとするはずよ。それをしない泥棒なんて普通はいないでしょう?」
瑠璃はレイラの言葉にとりあえず頷いたが、ゼナティスがスフィアの箱の数を数え間違えたという話はどこか腑に落ちない話だと感じていた。
ゼナティスにとって軍事力の源であるスフィアを管理する、というのはとても重要な仕事であったはずだ。それなのにその数をうっかり数え間違える、ということがありうるのだろうか。
「ねぇ、瑠璃。そろそろ私から質問してもいいかしら? 私は天使について実際は一部のことしか知らないの。聞かせて欲しい。なぜ雲の要塞に向かおうと思ったの? あの中には一体何があるの?」
瑠璃はレイラの言葉で我に返った。
「うん。雲の要塞の中にはアトランティスっていう浮島があって、私はレイラ達と別れてからそこにシルフとずっといたんだ。
でもあそこは本当は天使の審判をするための場所。天使の審判では世界規模で好きなものを作ったり消したりすることができる。……そしてシルフは本気で人間を消そうとしてる。」
「……あいつ!」
「だから昨日、貴方はあんなことを……」
バルツとレイラはそれぞれ怒りや驚きの表情を見せていた。
「貴方はそれを止めるために雲の要塞に?」
瑠璃はレイラの質問にはっきりと頷いてみせる。こうしてみると、自分のやろうとしていることの壮大さを実感せざるを得ない。
天使の審判といえば、と思い出して瑠璃は尋ねた。
「そういえば審判のことを知らないってことは、レイラ達はアベルの里で天使の伝説を聞けなかったの?」
バルツが勢いよく首を縦にふる。
「教えくれなかったぜ。あいつら、お前ともう一人の天使にしか話せないって言って聞きやしねぇ。」
じゃあ私から説明するね、と言って、瑠璃は天使の審判のことを粗方話した。二人は真剣な顔で瑠璃の話しに耳を傾けていた。
瑠璃が話し終えると、二人ともはぁ、と息を漏らした。瑠璃にも今の二人の気持ちはよくわかる。天使の伝説を聞くと、この世界の見えなかった側面が見えてきて、命というものについて深く考えざるを得なくなる。この話はきっとそういうものなのだ。
「瑠璃、あなたは……うまく言葉にできないけど、本当に大変な役割を負っているのね。
銀色の天使を止めるのでしょう? 私、協力するわ。できることはそう多くはないかもしれないけど。
ロレシアでスフィアを増やしてもらったの。少しは役に立てるわ。」
「俺ももちろん手伝うぜ。……けど、結論を出すのはお前だからな。」
いつになく真面目な顔でバルツが言った。
「バルツ、わかってるよ。……二人とも、ありがとう。」
瑠璃は素直に二人の気持ちを受け取ることにした。本音を言えば二人をこの審判に巻き込みたくはなかったが、この世界中の人々が消されようとしているのだから、二人も全くの無関係というわけでもない。
何より審判へと向かうこの航路を仲間とともに歩めることに、瑠璃は勇気付けられていた。
この話から最終章に入ります。
更新が大変遅くなり、申し訳ありませんでした。