Chapter49 ロレシアの姫
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瑠璃は身じろぎひとつできないでいた。息をしているのが不思議になるほど自分が死の淵にいるように感じられる。剣に刻まれた模様から、自分を捕らえているのがロレシアの兵士だとわかった。
「久しいな。銀色の天使よ。」
首を動かすことが出来ない瑠璃は横目で声の聞こえた方を見る。視界の端で護衛の兵士に囲まれて初老の男が立っているのが見えた。
先ほどまではいなかった人達だ、と瑠璃は思った。瞬間移動で正確にこの宝物庫に来ることができるということは、ロレシア王国側の人間だろう。
「……ロレシアの王、ジェイドか。」
シルフの声音が低くなった。シルフは瑠璃の後ろにいたので、表情は見えなかったが、確かな敵意、そして憎しみをその男に向けているのが伝わってくる。
「覚えていてくれて光栄だよ。さて、交渉といこうか。」
もったいつけるように話すジェイドに対し、シルフの返事は早かった。
「悪いけど君の要求を飲む気はないよ。俺はもう誰かの言いなりにスフィアを作り出したりなんてしない。……それがどんな結果を生むのか、お前たちやあの国がよく分からせてくれたからね。」
「ならばこの娘を見殺しにすると?」
そう言ってジェイドは瑠璃を見やる。
怖い、今少しでもこの剣を動かされたらどれだけの痛みがあるのだろう。考えただけで恐ろしくて仕方がない。喚きたいのに声が出せない。涙が出そうだった。
「レイラ様、どうかお引取りを !」
「レイラ様!危険です !」
兵達がにわかに騒ぎ出した。
「お父様、どうかもうお止めください!」
レイラと呼ばれた者の声は、瑠璃にとって聞き覚えのある声だった。信じられない、と思いながらも瑠璃は目線を動かす。そこにはこの場にいるはずのない少女がいた。栗色の髪、桃色の目。見間違えるはずがない。一緒にこの世界を旅した大切な人なのだから。
瑠璃は思わずその名前を呼んでいた。
「……チェリア?」
その瞬間だった。肩に何かが触れたと思うと、身体が強く上に引っ張られる感覚がした。
「瑠璃。怪我はない?」
そう尋ねられて、瑠璃はシルフが瞬間移動で助けてくれたのだということを理解した。いつの間にか宝物庫の前の通路に移動していて、ジェイドとチェリアが眼前に見える。
「うん。……大丈夫。」
瑠璃は頷いて、自分の首を恐るおそる触ってみる。何度もそれを繰り返して痛みがないことを確かめてからようやく安心した。
落ち着きを取り戻すと、この奇妙な状況を理解しようと考えた。
間違いなくチェリアはあの人のことをお父様、と呼んだ。先ほどまでは気がつかなかったが、ジェイドの髪の色はチェリアのそれとそっくりだ。そしてあの人、ジェイドという人がロレシア王。ならば、チェリアはロレシアの姫ということだろうか。
ジェイドは突然現れた少女の存在にあからさまに動揺している。
「レイラ、お前は今までどこに……いや、今はそれどころではない。」
ジェイドはチェリア、否、レイラから目を反らすとシルフに向き直る。
レイラはそれには構わず話を続けた。
「お父様。事の次第は全て見ていました。もう宝物庫のスフィアは消えたのです。」
レイラの声が暗い地下道に響いた。
ジェイドはレイラの方には見向きもせずに答える。
「問題ない。ここに銀色の天使がいる。こいつさえ捕らえれば我々はまたスフィアを!力を!手に入れることができる!!」
ジェイドがシルフを見つめる目は異常だった。便利な道具をどうにか手中に入れたい、そんな欲望に満ちた目だ。隣にいる瑠璃さえもその視界に入っていないことが分かる。ジェイドのシルフへの執着心に瑠璃は寒気がした。
「国民のために良き王となりたい。昔はよくそう言っておられましたね。」
「それは今も変わらん。実際ロレシアは北の大陸一の大国となった!」
ジェイドが捲したてるように話す一方で、レイラの声は落ち着いている。
「いいえ。お父様は変わってしまわれました。お母様が暗殺されたあの日から……。お父様はゼナティスの残したスフィアを掘り出し、その軍事力でお母様を殺した国を侵略した。けれどそれはまだ理解できました。国として、王女を殺した国に弱気な姿勢を示せない、そのような政治的な理由もあったのでしょう。しかし問題はその後です。」
レイラはそこで言葉を切った。
かすかに俯いて黙ると再び口を開く。
「その後もお父様は他国への侵略を止めなかった……!圧倒的な軍事力を使い、近隣の国々を蹂躙した!確かにロレシアは大国になりました。でもそんなお父様の姿を見ることに私は耐えられなかった。優しかった、私が憧れていた、立派な王であった頃の貴方を知っていたから。私は弱かった。だからお父様に口答えする勇気を出せず、そんなお父様を支える決意もできぬまま、スフィアと金を持って城から逃げ出しました。」
瑠璃はただレイラの話に耳を傾けていた。
知らなかった。チェリアがそんな理由で旅に出たなんて。時折見せるあの悲しげな顔は祖国を思ってのことだったのだろうか。
その時だった。瑠璃は体に強い違和感を感じた。身体が熱くて動悸がする。
「はぁ、はぁ……」
瑠璃は思わず膝を折る。まるで自分の中で海が荒れ狂っているような感覚だ。アリスに乗っていた時にも微かな違和感はあったが、今はそれとは比べものにならない。まるで自分の体の中で、何かが外に出ようともがいているような。
側に立っていたシルフの言葉に瑠璃は耳を疑った。シルフはふっと笑って言った。
「待ちくたびれたよ。」
「……え?」
瑠璃が言い終わらないうちに、瑠璃を中心として紋章が浮かんだ。その紋章は瑠璃がこちらの世界に渡る時に見たものと全く同じものだった。
瑠璃の意思とは無縁に体が動き出す。瑠璃はゆっくりと両手を前に差し出した。
紋章から溢れ出した小さな光がそれぞれ意思を持っているように飛び交う。光は瑠璃の手の上に集まり光の球体を形作っていく。球体から溢れた光が瑠璃の手の上で弾けては、高く澄んだ鈴の音のような音がした。
瑠璃は状況を理解した。瑠璃色の玉が作られる時が来た、そういうことなのだと。
シルフは必ずこの玉を狙う。そしてシルフにこれを渡すということは審判の始まりを意味する。
瑠璃の意思に反して瑠璃色の玉はどんどん完成に近づいていく。
残っている力はあと僅か。でもこれに賭けるしかない。瑠璃は決心した。
やがて地面に浮かんでいた紋章が消え、体の戒めが解けた。瑠璃が腕を降ろすと手の上で瑠璃色の玉が転がった。仄かな光を帯びたそれはとても美しかった。この世界の海の色、そして瑠璃の瞳の色と驚くほどに同じ色をしていた。
「瑠璃、その玉を渡して。」
やはりそうか、と瑠璃は思った。瑠璃は立ち上がって玉を背の方に隠す。
「渡せない。だってこれを渡してしまえば、シルフはいつでも審判を始められるようになる。貴方は……審判で全ての人間を消すつもりなんでしょ?」
「…………。」
突然辺りが真っ赤に燃え上がった。炎は瑠璃とシルフのいる場所を避けて、ドーナツ状に広がった。
「炎が!」
「おい、こんな狭いところだと助からないぞ!」
「テレポートだ!まずはジェイド様とレイラ様を安全な場所へ!ともかくここから逃げるんだ。」
兵たちが慌ただしくこの場を離れようとしている。
「シルフ!」
「君にはもう力は残されていないはず。ここは地下。俺たちを追ってきた兵士たち全員、これだけの人数をテレポートで逃すよりも炎がこの地下道を埋めつくす方が確実に早い。どうする?ここにいる人間、見殺しにする?」
「なっ……!」
どうすればこれだけの人を逃がすことができるというのだろう。いや、根本的な問題はそこではない。シルフはこの玉を手に入れるためなら何だってする。仮に、今ここにいる人たちを全員助けることができたとしても、また新たな人質を取る。それか瑠璃から力づくでも玉を奪うだろう。
「……分かった。玉を渡すよ。」
瑠璃はゆっくりとシルフに近づいていく。
シルフの言う通り、もうほとんど力は残っていない。けれど瑠璃もただで引き下がる訳にはいかなかった。瑠璃のこれからの行動にこの世界の人間、全ての命がかかっているのだから。
瑠璃は右手に持っていた玉をシルフの手の上に落とした。
そして、そのままシルフの肩にいるアリスの方に手をかざす。蒼い光を操ってアリスに宿るスフィアの力を消し去った。
「なるほどね。」
シルフはそう言って微かに笑ったが、次の瞬間にはもうその姿はなかった。それと同時に辺りを覆っていた炎が消え去った。