Chapter45 海と月を映した瞳
前回の更新から1カ月も空いてしまい申し訳ありません。7月は私生活の方が忙しいので、次の更新も遅くなってしまうかもしれません。できるだけ早く更新できるよう努力します。
目深に被ったフードに雪が冷たい水となって染み渡っていく。あまりの冷たさに感覚を失った足を一歩、また一歩と動かしていく。かじかんだ手で羅針盤を取り出し、方角を確かめた。この吹雪の中、こまめに方角を確かめければ迷ってしまうことは必至だ。
「おい、チェリア、大丈夫か。顔色悪いぞ。休んだほうがいいんじゃねぇのか?」
隣を歩くバルツが心配そうにこちらを覗き込んできている。
「平気よ。そんなことより急がなければならないの。先に進みましょう。」
そう言ってチェリアはまた歩を進めた。
そう、急がないと何もかも失ってしまう。一度捨て置いたものをもう一度なんて許されるはずもないと分かってはいるけど……
ロレシアにどう攻め込むのか、シルフと話した日から四日が経過していた。明日がロレシアに向けて出発する日。世界の中心に当たるこの場所から北の大陸のノースクロアの街まで、丸二日かかるらしい。人が船で行こうと思えば、その倍以上の日数ががかかるらしいが、瞬間移動や風のスフィアを駆使するアリスだからこそ、ここまで短い日数で行けるのだそうだ。
闇色の大地の先に広がるかすかな白さを帯びた雲の海。その上に広がる暗い空のキャンパスに、色とりどりの星が瞬いて、まるで空に光の粉を撒いたようだ。数え切れない星の上に銀色の月が薄い光のベールを落としていた。
ここ、アトランティスにいられるのも最後だと思い、瑠璃はこの景色をじっと見つめていた。厳密に言えば、瑠璃はもう一度ここに来なければならないのだが、その時には景色を眺める余裕などあるはずもない。浮島であるアトランティスの端に近い丘陵地、なだらかな斜面を駆ける動物たちが草を揺らしている。空が闇に沈んだ後にも決して途絶えることのない命の気配に瑠璃は幾分かの安らぎを覚えていた。
攫われて連れてこられた場所ではあるが、瑠璃はこの楽園のような場所が好きだった。バランスが保たれている、洗練されて美しい箱庭のようなこの場所が。
動物たちが木の実を食べている様子を見ながらシルフが呟いていた。天使はあらゆるものの声を聞くというけれど、実際には人間と動物の声しか聞こえない。植物が感情を持つのかは分からない。けれど、この楽園と呼ぶに相応しい場所でも声なき命は消えていく。犠牲になる命をなくすことはできないが、それを減らす道を模索したいのだ、と。
「瑠璃、隣、いいかな?」
すっかり聞きなれた声がした。瑠璃は振り返って微笑みかける。
「シルフ、やっぱり来ると思った。もちろんだよ。」
シルフは火を怖がる動物たちのことを気遣って、夜でも明かりを持たずに歩く。月明かりだけではその顔はよく見えなかったが、瑠璃には気配でそこにいるのがシルフだと断定できた。
「アリスのそばについてたんだ。明日から二日間、ノースクロアに向けて飛んでもらうからね。」
そう言いながらシルフは瑠璃の隣に腰を下ろす。
「そっか。アリスちゃん、大変だよね。」
つられるように瑠璃もその場に座った。ここまで歩いて来るために使った、明かりをシルフとの間に置くと今度はその銀色の瞳がはっきりと見えた。
「たいへんなのはアリスだけじゃないよ。向こうに行けば、瑠璃もたくさんの力を使わなければならない。……不安なんだろ?」
瑠璃は浮かない顔で頷いた。
シルフの力が強いことはよく知っているし、自分の力が強くなっているのも実感している。それでも瑠璃の心には止めようもない不安が溢れていた。オムの中で動かず、じっとしていると、この不安に押し潰されてしまいそうで、思わずここまで出てきてしまったのだ。シルフはそんな瑠璃の気持ちをわかっていて追ってきてくれたのかもしれない。
「大丈夫。瑠璃は俺が守るよ。」
守る、その言葉の重みをシルフはよくわかっているはずだ。それでいて瑠璃を安心させるためにそう言ってくれたのだろう。シルフの気遣いは素直に嬉しかったが、瑠璃は首を振った。
「スフィアの攻撃から守るのは私の仕事だよ。同じ守るでもそれなら誰かを傷つけることにはならないから。」
シルフはふっと笑って、君らしいね、と答えた。
それから瑠璃もシルフも暫くの間、何も言わず空を見つめていた。
「……シルフは考えたことある?どうして私たちの目が銀色と瑠璃色だったのか。」
瑠璃はぽつりと切り出した。
目の前に広がるこの光景に、瑠璃はいつもあの夢を思い起こすのだ。この世界に連れてこられたあの日に見た不思議な夢。今思えば、あの時聞こえた声は神のものだったのかもしれない。
「あるよ。神の決めたことだからはっきりとした理由は分からないけど、月と海の象徴。俺はそう思ってる。」
「……不思議!同じこと思ってたんだ。もしかして、シルフも夢を見たの?」
「うん、やっぱり瑠璃もそうなんだね。月と海の見える断崖の夢……とても幼い頃だったから、いつ見たのかは思い出せないけど、あの夢を見たことだけは今でも覚えてる。」
「うん。私も鮮明に覚えてる。……あの夢のこともそうだけど、シルフって月みたいな人だって思うから。だから私たちの眼の色は月と海の象徴、そんな考えが浮かんだのかも。」
シルフは興味深そうに身を乗り出す。
「へえ、よかったら聞かせてくれない?どうして俺を月みたいだって思ったのか。」
シルフにまっすぐに見つめられ瑠璃は頬が熱くなるのを感じた。瑠璃はさっと目を逸らしてから、月を指差して言った。
「月って高い空の上からこの世界を見下ろしてるみたいでしょ。それがシルフと似てるなって思ったの。シルフは視野が広くてこの世界全体をよく見てるから、だから私とはものの見方が全然違う。でもだからこそどこか遠くて、冷たい。そんな感じがするから。」
「なるほどね。俺は君のこと、海みたいな子だと思ってるからお互い様かな。」
シルフの言葉に瑠璃はきょとんとする。
「海?どうして?」
「だって君は広い海のように全てを受け入れようとするから。犠牲にされるものも、犠牲にするものもその両方を助けようとする。その姿に海の広さを重ねてしまうのかもしれない。」
「なんか嬉しい。シルフが私のこと、そんな風に思ってくれてたって知れて。」
海みたいと言われても自分ではあまりピンとこなかったが、シルフが瑠璃のことを話してくれたことが純粋に嬉しかった。
シルフはそんな瑠璃の様子を一瞥し、立ち上がると瑠璃の方に手を差し出した。
「さてと、明日は早いし今日は長話は禁物。オムのある小屋まで送るよ。テレポートするから手を出して。」
「シルフ、ありがとう。少し気持ちが楽になったよ。」
瑠璃は明かりを手にかけながら立ち上がった。
「別に当然のことをしたまでだよ。俺は今回、瑠璃に頼んでる立場だから。」
「うん、分かってるよ。」
笑ってそう言いながら瑠璃はシルフの手に自分の手を重ねた。