Chapter38 力の差
相変わらず更新が遅くて申し訳ありません。この話でブラッシュフェーブル編完結です。
眩しい朝日を感じて瑠璃はゆっくりと目を開いた。
ーーいつの間にか眠ってしまっていたんだ。
瑠璃は体を起こして自分一人のために用意された広い部屋をぼんやりと見つめていた。昨日トムラに案内されて連れて来られたここは天使の為の宿舎らしい。ふかふかのベッドに磨き上げられた床や家具。厚いもてなしを受けるたび、自分が天使なのだという現実を突きつけられる気がした。
天使…か。昨日のザルフェの話が蘇る。審判のこと、自分が持つ無の力のこと、言葉が通じるはずのないこちらの世界の人々や動物達と話ができること。そして、自分と対なす存在である銀色の天使、シルフのこと。様々な話を一度に聞かされ、頭が混乱していた。それともう一つ、瑠璃の頭に浮かんだある仮説も瑠璃の頭を混乱させる原因の一つになっていた。
ーー全部夢なら良かったのに。朝起きたら自分の部屋にいて、いつもみたいにお母さんがおはようって笑ってくれたら、どれだけ幸せなんだろう、そう考えた所で瑠璃は頭を振って思考をやめた。今は現実を受け止めなきゃ。とりあえず、天使がここにいられるのは7日間。その7日間でこれからどうするかゆっくり考えよう。瑠璃はそう自分に言い聞かせた。
瑠璃が寝具から着慣れたワンピースに着替えていると、部屋の外から話し声や忙しげに使用人が走り回る足音が聞こえた。瑠璃は怪訝に思って部屋の外に出て、ちょうど部屋の前を通りかかった一人の使用人に声をかけた。
「あの、何かあったんですか?やけに慌ただしい気がして。」
使用人は瑠璃の姿を見て驚いたように足を止めた。
「瑠璃様、お目覚めになられていたのですね。すぐに朝食の準備を致します。……あの、ザルフェ様は気配で地上のどこに天使がいるのか感じることができるのですが、実は今朝早くに銀色の天使がブラッシュフェーブルの麓に来られたようで、泉を越えてこの里に近づいてきているのです。現在、トムラ様がお迎えにあがっていますが、同時に二人の天使様がこの里にいらっしゃるのは前代未聞のことでして、我々はその対応に追われているのです。」
瑠璃は予想もしていなかった返答にその蒼い目を丸くした。
「銀色の天使が⁉︎でも、シル……銀色の天使は一度この里に来ているはずですよね?昨日聞いた話だと天使がこの里に来れるのは一度きりだって。」
使用人は瑠璃の言葉にきょとんとした顔をした。
「いえ、銀色の天使はまだこの里に来られたことはございません。瑠璃様、申し訳ございませんが、そろそろ仕事の方に戻らせて頂きます。」
「あっ、はい。呼び止めてしまってすみませんでした。」
使用人にそう言いながら、瑠璃は必死に頭を回していた。
おかしい。昨日ザルフェさんに聞いた話だと天使は一度しかブラッシュフェーブルを越えてここには来れないはず。シルフは伝説を詳しく知ってる様子だったから、一度ここに来たことがあるはずなのに。
と、その時、瑠璃はただならぬ気配を感じてはっと顔を上げた。銀色の天使の気配がする。シルフがこの里に来たんだ。力に目覚めた瑠璃にはシルフがこの里のどこにいるのか、はっきりと感じ取ることができた。
シルフには今すぐにでも確かめたいことがある。髪くらい結んで行きたかったけど、そう思って瑠璃は部屋の中に置いたままになっているピンクのリボンをちらりと見やった。が、すぐに目を離すと、瑠璃はシルフの気配がする方へと走り出した。
「シルフ!」
瑠璃はトムラと話をしている金髪の少年に向かって言った。
瑠璃が名前を呼ぶと、シルフはトムラとの話をやめてゆっくりと振り向いた。
「瑠璃、やっぱり来たね。俺の気配を辿れるようになったんだ。流石にブラッシュフェーブルを越えただけのことはある。それで、もう審判のことは聞いた?」
瑠璃は荒い息を整えてから答えた。
「うん、全部聞いた。私たちが天使だってことも、私たちがどんな使命を背負ってるかってことも。」
「そう、なら話が早いよ。瑠璃、俺と来てくれる?君に頼みたいことがある。」
そう言ってシルフは瑠璃の反応を確かめるようにじっとこちらを見つめてきた。シルフの銀の目には有無を言わせぬ強さがある。シルフの目は静かで、でも強くて正直怖い。それでも、私は。瑠璃は少し目を閉じると静かに首を左右に振った。
「ごめん、でもそれはできない。まだ仮説だけど、私、貴方が何をしようとしているのか分かった気がするから。」
シルフはあからさまに肩をすくめる。
「それは審判のことだろ?今回君に頼みたいことはそれとは別件だよ。」
瑠璃は再び首を振った。
「……それでも行けない!」
「そう、じゃあ……」
そうシルフの声が聞こえた瞬間、シルフは瑠璃の目の前から消えた。……瞬間移動!瑠璃が身構えた時にはもう遅かった。
「力づくで連れて行くまでだよ。」
瑠璃の背後でシルフの声がすると同時に瑠璃は強い眠気に襲われた。
瞼が重い。身体中の力が抜けていく。瑠璃はそのまま沈むように眠りについた。
***
シルフは瑠璃の額から手を離すと、眠っている瑠璃を両腕で抱きかかえた。
瑠璃はシルフの腕の中で規則正しい寝息を立てている。
「ごめんね、瑠璃。」
シルフはそう呟いてそっと瑠璃の頬に触れた。
瑠璃色の天使は本当に不憫な運命を背負わされていると思う。無理やり知らない世界に連れて来られて、審判に巻き込まれて。早く全部終わらせてしまおう。そして、瑠璃を元の世界に戻してあげないと。
……もうここに用はない。トムラに下界への帰り方を聞いて次の行動に移ろう。
シルフがそう思ってトムラに向かって口を開きかけた時、背後から殺気を感じた。シルフは咄嗟に瞬間移動で躱す。
「おい、待てよ!てめえ、瑠璃をどこに連れて行く気だ!」
声の主は黒髪の少年だった。黒い瞳は怒りで揺れ、頬は赤くなっていた。
「……もしかして瑠璃と一緒に旅をしている人間?悪いけど、暫く瑠璃を借りるね。」
「てめえ、ふざけんな!瑠璃を返せ‼︎」
少年はそう言って再び斬りかかってくる。瑠璃も危ない旅の仲間を連れているものだ。シルフは小さく溜息をつくと空中に浮かび上がった。少年の剣は空振りに終わる。
「おい、てめえ降りてこい。」
少年は低い声で言った。どうやら剣以外の武器やスフィアは持っていないようで、空中にいる相手には攻撃出来ないようだ。
「本当はちゃんと相手してあげてもいいんだけど、それで君が怪我をしたら瑠璃が悲しむから。」
シルフは俯いて、穏やかな表情で眠る瑠璃を見つめた。普段だったら攻撃してきた人間には容赦しないんだけど、瑠璃のためだ。ここは我慢しよう。シルフがそう思った時、少年とは別の声がした。
「待って!貴方はやっぱりあの塔にいた……」
シルフが顔を上げると、桃色の瞳の少女がこちらに走って来ているのが見えた。
「ロレシアの姫か。俺はこれから北の大陸へ行く、そういえば君ならどういうことか分かるよね。来たければ来るといいよ。俺もそんなにすぐには動けないから今から向かえばきっと間に合う。……それじゃ。」
少女の顔がみるみる青ざめていく。どうやら俺がこれから何をしようとしているのか悟ったようだ。シルフは少女から目を離すと唖然として自分を見上げているトムラに尋ねた。
「トムラ、どこから下に降りれる?」
トムラは困惑した顔で答える。
「あちらの泉に飛び込んで頂ければ下界にある泉まで戻ることができます。……あの、お言葉ですが天使がここに来られるのは一度きりです。是非天使の役割について聞いて行かれてはと。」
「必要ないよ。下界にも天使の伝説に精通してる人はいる。俺はその人に天使の役割についてよく聞いてるから。」
シルフはそう告げると、瑠璃と共にトムラの示した泉へ飛び込み、里から姿を消した。
ーー瑠璃、君を僕らの楽園に招待してあげる。シルフは眠ったままの彼女にそっと言った。